地理学特講V GWレポート集
成果品をまとめるのに苦労しました。
課題では「オリジナルな」図や表、写真などをお願いしましたが、
その部分が伝わらなかった面もあるようです。
図を複数提出した方もいましたが、こちらの方で1枚にまとめました。
紙提出の図はスキャナーで取り込んだので、画質が落ちていますごめんなさい。
オリジナルな図を作ること
みなさんのセンスが生きてくるはずです。今後のレポートや卒論で意識してください。
引用や複製は誰でもできます。あなただけの1枚の図がとっても大切なんですよ。
特に駒大生には...
図をわかりやすくすること
図の場合は、事象を説明するのに、必要な範囲、情報量、縮尺、表現法、色使いなどを
つねに意識することが大切です。
地図が広すぎると見難くなりますし、拡大しすぎると全体が見えない。
情報量が多いとわかりずらい。少ないと物足りない。
「図にまとめる」ということもとっても大切なことです。
図に描き表わすのではなくて「まとめる」のです。
発表会の進め方
発表者の持ち時間は2分。割合と短いですよ。内容を読み上げるだけでもOKです。
批判者は、心を鬼にして、わざとあらを探して意地悪な質問をしてください。時間は1分です。
弁護者は、発表と批判の双方をしっかり把握した上で、弁護してください。時間は1分です。
発表者、批判者、弁護者で欠席することがあらかじめわかっている場合は、早めに連絡をしてください。
発表日を差し替えたりします。
| 第1回レポートまとめ | ||||
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地震による被害予測(5月30日1名・6月6日1名) | 批判 | 弁護 | |
| 2 済 |
シャゲキ オリジナル図 (ひらい加筆) おたすけリンク 東京都荒川区 地域危険度 |
荒川区の地域危険度について 荒川区には現在も木造住宅が多く建ち並び、その多くが各地区内で密集しているために地震などの大きな災害が発生したときにたくさんの被害が出ることが予想される。 地震をメインに考えたときに、まず一番発生するであろう被害は失火による火災であると予想される。特に東日暮里、荒川地区は木造家屋が多く建ち並び、くわえて住宅が密集しているために広範囲渡って飛び火して、大火災になることが予想される。 また、火災発生時や地震発生時の倒壊によって避難経路の確保が困難になることが予想される地域でもある。西尾久地区や東尾久地区は都電荒川線沿線の地域であれば住宅の密集もそれほど多い物ではなく被害は小さいものになるだろうが、西日暮里や町屋、東日暮里に近い場所だとやはり、住宅密集率が高く、避難経路の確保が難しい地域が多いのである。東日暮里地区に隣接する西日暮里地区の危険度が低いのは日暮里地区には商業系の鉄筋ビルが建ち並び、くわえて広い道路が伸びているため、定住者が他の地区に比べて少ないため、人的被害は一番低いと予想される。南千住地区は荒川地区に隣接する一部の地域を除いて、ほとんどの地域が墨田川、荒川沿いあるため避難経路は充実しており、加えて再開発が進み鉄筋住宅が増 えているため、火災時に燃え広がる率が他の地区に比べて低いと予想される。 |
めえ | hamaden |
| 提出が一番早かったです。複数の提出図を合成しました。 | ||||
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気候・気象・大気汚染(5月30日5名・6月6日1名) | 批判 | 弁護 | |
| 3 済 |
さっきー オリジナルグラフ おたすけリンク 津南町の積雪 過去の記録(PDF) |
新潟県における平成18年豪雪 新潟県は世界有数の豪雪地帯であるが、およそ20年ぶりといわれる豪雪に見舞われた。12月から1月上旬にかけて非常に強い寒気が日本付近に南下し、強い冬型の気圧配置が断続的に現れたためである。県内では、最深積雪量が湯沢町で358cm、津南町で416cmとなり、最深積雪を更新した。この大雪で人的被害は320人、建物被害では、住家被害が111棟、非住家被害が269棟におよんだ。自衛隊やボランティアが、高齢者宅の屋根の雪下ろしを手伝った。 また、交通にも影響が出た。鉄道では、在来線が大雪のため不通となったり、大幅な遅れが出たりした。道路は雪崩の危険があるため、通行規制が行われたところもある。特に国道405号では、雪崩の危険で通行止めになったために、長野県境にある秋山郷地区の69世帯が一時孤立した。 |
ブーマー | ドンちゃん |
| グラフで場所の比較ができています。例年との比較も知りたかったかな。 | ||||
| 4 済 |
ふーみん オリジナル図 |
秋田県における平成18年豪雪 平成18年豪雪で秋田県は大きな被害をうけた。突然の大雪に県は災害対策本部を設置し県内の除雪費が過去5年の平均の3倍近くで約40億円が使われた。雪崩などの災害も多く県内でも20名以上が亡くなった。また交通がマヒし、場所によっては1日中交通機関が動けないこともあった。秋田県は基本的に日本海側から内陸に向かうにしたがって降雪量が増えるが、昨冬は県内全域で例年を上回る積雪が記録され、ほぼ全県で12月の最大積雪を更新し、北秋田市、能代市、五城目町では年間積雪最大値を更新した。 秋田県における平成18年豪雪では12月後半から1月までの降雪が著しく多く、2月の中旬から気温が上がり一気に雪解けが進んで例年よりも早く雪がなくなるという特徴をもっていた。そのため融水による浸水などの二次災害も多かった。 |
トム | ヤナギ |
| 雪害対策の費用はばかにならないのですね。 | ||||
| 5 済 |
ゆたんぽ おたすけリンク 九州農業試験場 ニュース |
阿蘇西麓のまつぼり風について NG4031 ゆたんぽ 今回、私は「阿蘇山西麓のまつぼり風」について調べた。まつぼり風というのは、阿蘇山の西に外輪山の切れ目があり、そこで低気圧に向かう東よりの気流が収束し、春に熊本平野に吹き込む強風のことである。まつぼり風の発生によって、この時期に農家で栽培されている麦の芒を取り、収穫量を低下させている。そのため、私の育った大津町その隣接している西原村の農家は被害に苦しんでいる。また、「まつぼり」という言葉は熊本県の方言で、他人にわからないように、物や金銭をくすねるという意味である。私は麦の芒を勝手に盗っていくということから、「まつぼり」という言葉に由来しているのかもしれないと思った。 |
tak | 月兎耳 |
| オリジナル図が欲しかった。 | ||||
| 7 済 |
ごとぅー オリジナル図 グラフ |
石垣”島”の地域による降水量の違い まず,沖縄県の石垣島でアメダスの観測所3点,「石垣島(島の南)」「伊原間(島の東北)」「川平(島の北東)」の2005年の365日降水量を調べた。(地図)データが多いので1つ以上の観測点で20mm以上の降水量を観測した日をピックアップした。(グラフ) 7/18と8/31は似かよった図の形になっている。それは台風5号と13号が同じコースを通って石垣島の南西沖を,北東方向に進んだからである。台風は進行方向に雨雲が多く反時計回りに雲が巻き込んでいるため,島の北や北西部に雨をもたらす。その結果,「川平」で特に目立って雨が多くなっている。ちなみに8/5の台風の中心は石垣島のほぼ真上を通過しているので目立った降水量の差はなかった。 5〜6月の降水は主に,梅雨前線の影響である。この頃,特に5/24,6/12,6/16,は,島の南側の「石垣島」での降水量が多くなっている。これは梅雨前線が,沖縄の方から南下してこの日に石垣島の上空にきたという,共通点があった。正直,なぜここまで差がでたかはわからない。 参考:気象庁電子閲覧室 http://www.data.kishou.go.jp/etrn/index.html |
ゆりりん | おーぎ |
| せまい島なのに場所により雨の降り方が違うわけですね | ||||
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都市と交通(6月6日・4名) | 批判 | 弁護 | |
| 9 | ひっき 済 オリジナル図 |
ジャンクション都市の産業 ジャンクション(以後JCT)とは、一般道と高速道路とを接続するインターチェンジ(以後IC)とは違い、高速道路を相互に結ぶ地点のことをいう。そうすると自動車、おもに大型の自動車の交通の要所となるので、ジャンクション都市とはこの交通網を利用して発展していった都市のことである。そこで、埼玉県鶴ヶ島市を例に挙げてみることにした。 鶴ヶ島市には関越自動車道と首都圏連絡自動車道(以後圏央道)を結ぶ鶴ヶ島JCTと鶴ヶ島ICがある。市はこれを「新産業の拠点に使いたい」としている。では、実際はどのような産業が発達しているのだろうか?まずは、流通産業つまり運搬業の発達を見ることが出来る。関越道の練馬ICまで約30分と恵まれた土地にあるので、都内への運搬はしやすいといえる。二つの自動車道があることにより、都内だけではなく関東全域、さらには新潟県などの中部地方に行くことも可能である。それだけではない。鶴ヶ島で降りるドライバーを狙って、飲食店や大型スーパーが多く開店していることにも注目したい。 ICから降りるとすぐに飲食店が立ち並ぶ国道につながるようになっているのである。飲食店だけではなく、自動車メーカーの販売店も数多くあるのがわかる。これは流通産業の労働者ではなく、一般のドライバー向けであろう。このようにジャンクション都市が発達することによって交通に関する産業だけではなく、それ以外の産業が発達していくことがわかった。 この交通網を活かして、さらなる発展を鶴ヶ島市を始めとするジャンクションを持つ都市に期待したい。 ・鶴ヶ島市ホームページhttp://www.city.tsurugashima.lg.jp/ ・Yahoo!地域情報 |
かなこ |
M字ハゲ 人間 |
| 圏央道と中央道が接続すると車の流れが大きく変わるかもね。 | ||||
| 10 | めえ 済 地図 |
両毛地域の東西交通 まず両毛地域というのは、栃木県の足利市や佐野市、群馬県の桐生市、太田市、館林市を中心とした一帯を指す。主な鉄道は、両毛線、伊勢崎線、日光線、桐生線、佐野線、小泉線、上毛線、わたらせ渓谷線、である。両毛線とは、栃木県小山市の小山駅から群馬県前橋市の新前橋駅までを結ぶJR東日本の鉄道路線である。全線が東京近郊区間内に入る。上毛線は、群馬県前橋市の中央前橋駅から桐生市の西桐生駅に至る上毛電気鉄道の鉄道路線である。 わたらせ渓谷線とは、群馬県桐生市の桐生駅から栃木県日光市の間藤駅に至るわたらせ渓谷鐵道が運営する鉄道路線。旧国鉄の特定地方交通線(足尾線)を引き継いだ路線である。また、主な国道は国道17号(上武道路)、国道50号、国道122号、国道293号、国道353号、国道354号、国道407号、である。 国道17号は、東京都中央区から新潟県新潟市へ至る一般国道である。国道50号は、群馬県前橋市から茨城県水戸市へ至る一般国道である。国道122号は、栃木県日光市から群馬県、埼玉県を経由して東京都豊島区に至る一般国道である。 参考インターネットサイト http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%A1%E6%AF%9B |
hamaden | いたちょう |
| 両毛地域は2県にまたがっているものの、経済圏・文化圏としてのまとまりが強いのが面白いところ。 | ||||
| 11 | プーマー 済 地図 |
野田の醤油と鉄道 野田で醤油作りは利根川水系拠るところが大きく始まったのは伝承では永禄年間(16世紀半ば)頃で、当時は溜まり醤油(原料はほぼ大豆のみ)であった。近世に入り、寛文年代(17世紀後半)頃からは、関西醤油(淡口)にかわって、野田の濃口(原料は大豆と小麦半々ぐらい)の醤油が江戸で多く用いられ、幕府の御用達にもなった。 その中で醤油の輸送の手段として醤油資本で鉄道が敷かれた。1899(明治32年)に工場や倉庫の並ぶ野田下町〜郵便局前間とここから江戸川河岸に向かう5km余りの野田人車鉄道が敷かれた。この頃はまだ水運が中心で鉄道ではあるが床板に車輪を着けただけの構造で人力であった。やがて鉄道が東京から広がり始めると水運が衰えて陸運が中心となった。1911年(明治44年)には柏〜野田町(現野田市)間に千葉県営鉄道野田線(蒸気)が開通し、国営の常磐線と接続して陸上輸送が大きく進歩した。その後この路線は北総鉄道を経て現在の東武野田線になっている。 http://www.city.noda.chiba.jp/syoukai/bunkazai/hassyouti.html http://johokan.net/history/RailHistory/Haisen/noda.html http://www12.ocn.ne.jp/~kyubun/noda.htm |
ドンちゃん | ああああ |
| 醤油の輸送は水運から鉄道へ、そして今は? | ||||
| 12 | トム 済 オリジナル表 |
セントレアの開港後 中部国際空港(セントレア空港)は,2005年2月17日に愛知県常滑市沖の伊勢湾海上に開港した空港である.同年に開催された愛・地球博とともに名古屋圏2大事業として注目を集めたのは記憶に新しい.今回はこの中部国際空港開港に伴う物流面における効果について簡単にまとめた. 愛知県にはもともと県営名古屋空港があり,その2002年度の貨物取扱量は,約17万9000トンで全国第7位の数字である.これは特に製造業が盛んな中部圏を背後にもつ空港としては,さびしい数字である.この原因としては貨物処理能力の不足があげられ,中部圏で主に生産されている輸出品の大半が成田や関空から海外へ輸出されていた.中部国際空港は必ずしも効率的な貨物取扱ができていなかった従来の空港を教訓として,空港運営から貨物ターミナル構造までを含めて,全体的に効率化を追及した.そして,その結果が表1である.2005年の国際線貨物取扱量は予測よりは下回るが,前年比211%であり,国内第4位の数字である.このように,数値だけ見てみると物流面における中部交際空港開港は成功といえるかもしれない.しかし,開港してまだ1年であり,多くの問題もあると思うが,名古屋に住んでいた私としては,中部国際空港が中部圏と世界を結ぶ日本の重要な拠点として大きく飛躍することを期待したい. <参考サイト> 中部国際空港株式会社 http://www.cjiac.co.jp/ 週間物流IT情報 http://www.v-logi.jp/ |
ヤナギ | むぅ |
| 新しい交通施設はイベントが終わってから正念場となります。 | ||||
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地場産業・町おこし(6月13日3名・7月4日1名) | 批判 | 弁護 | |
| 14 | gurico☆ 済 表 |
福祉のまち「町田」 町田市は『商業の町』としてのイメージが強い。その一方で『福祉の町』と言われている。しかし自分は商業の町という部分しか見えていない。なぜなら私的に町田を利用するときは買い物がほとんどであるからだ。はたして実際、町田市はどんな取り組みをしているのだろうか。 町田市は初めて車椅子を搭せられる車を作った。その他に成年の障害者の為の施設を建造したり、訪問事業を始めたのも町田市が最初に行ったとのこと。前の前の市長が率先して福祉に力入れたことにより町田市が福祉の町呼ばれ始めたとか。 と市役所に勤めている人が言っていた。 また最近ではJR横浜線の町田駅にエスカレーターを設置した結果、町田市全域の駅におけるバリアフリーが実現された。(町田市ホームページより参照) バリアフリーとなったJR横浜線の町田駅において問題があると思う。それは障害者や年配の人が利用するときの使い勝手である。町田駅には小田急線とJR横浜線が走っている。そのため利用する人口が多すぎるので障害者や年配の人が利用するには不便な駅であるかもしれない。バリアフリーを実現したと町田市のホームページにはあるが設置しただけでは完全なバリアフリーとは言えないと思う。まだ改良していく必要性がある。 |
ニョッキ | NAGA |
| 知りませんでした。福祉のまちだったんですね。 | ||||
| 15 | ゆりりん 済 おたすけリンク 静岡市観光協会 |
観光都市としての静岡 「観光」そして「静岡」といったらほとんどの人が熱海や伊豆をあげるであろう。それらの地域は全国的にもよく知られていて、観光都市としてとても発展している。同じ静岡県でも県庁所在地がある静岡市の観光について注目してみたいと思う。静岡市は旧清水市、旧蒲原町と合併をし政令都市となった。静岡市には久能山東照宮、駿府城や登呂遺跡など歴史的な建造物があり、絶景ともいえる日本平から見る富士山と駿河湾の雄大な景色をみることができる。また、その他の観光地やおいしい食べ物(最近ではしぞーかおでん)などたくさんある。しかし観光資源が多くあるのにもかかわらず静岡市が観光都市として発展できずにいるのは、静岡市に観光にくる人は通過、立ち寄り形の観光リクリエーションが多いためである。年間約1860万人の観光客数のうち内宿泊数はたったの約6%なのである。一つ要因としてあげられるのは静岡市が温泉地ではないということではないだろうか。私たちにとっては温泉というのはとても惹かれるものである。しかしこれからますます静岡市が発展し温泉にもまさる観光都市として発展していってくれることを期待している。 |
おーぎ | おぎやはぎ |
| 確かに、伊豆はたくさんいったけど、静岡市に宿泊したことはない。 | ||||
| 16 | GM 済 オリジナルグラフ おたすけリンク ウオッちず 「海士有木南西」 |
市原市の“ゴルフ場産業”について 市原市は千葉県のほぼ中央部に位置し、北に東京湾、南は大福山、市を南北に貫くように養老川が流れている。面積は368.20km2と関東では横浜市に次いで、第二位の広さを誇っている。北部は工業地帯や住宅地が広がっている。一方、南部の丘陵部ではゴルフ場が多い。市原市には32箇所33コースのゴルフ場が分布しており、ゴルフ場の数は日本一多く、市の中央部のゴルフ場密集度に至っては世界一である。 市原市が公開している「産業白書 平成17年版」によると、平成16年の市内のゴルフ場利用者は143万人で、市原市の観光客入込総数の38.2%を占めており、観光振興及び、地域経済に寄与している。市内のゴルフ場利用者もここ数年安定していて、観光の中核的なスポーツレクリエーション施設となっている。プロゴルフの大会も毎年行われ、地域の活性化にも貢献している。 産業白書 平成17年版 http://www.city.ichihara.chiba.jp/p/f/2/17/00.pdf Yahoo!地域情報 |
コバ | まんぼう |
| 市原=ゴルフ場という短絡的な発想から、レポート課題をおねがいしました。周辺の芝農家との関連も興味あるところです。自然環境としては、どうなのか? | ||||
| 6 | かざぐるま 5/30→6/13 済 地図 |
千葉県の2005年の多雨月はいつか?? 気象庁の2005年の千葉県の降水量データをもとに、千葉県各地の多雨月調べ地図化した。データの分析に関して、地域別に2005年の降水量が多い月を多い順に3つ取り出した。取り上げた3つの月は、順不同とし、別紙の凡例をもとに地図を作成した。 6月、7月、8月が多雨である地域が一番多く、千葉県の北部から南部まで広がっている。これは、梅雨と台風の多い時期のためだろう。6月、8月10月が多雨である地域は、梅雨や秋雨が牛久から坂畑の南部に房総丘陵の影響を受けて発達した地形性の降雨と考えられる。6月が多雨である地域は、多くの地域に見られ、千葉県ではそれほど深刻な被害が無かったと推測できる。注目したいのは、10月が多雨である地域であるが、昨年は台風が10月に上陸したためと考えられる。1月が多雨である地域は北部の太平洋沿いに偏っている。 |
gurico☆ | ニョッキ |
| 単年度ではなくて30年位の平均値を用いると、 その場所の特性が浮かび上がってきますよ。 |
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| 1 |
ひいらぎ 済 5/30→6/13 オリジナル図 |
南関東地震による横浜市の地震被害予測 私が住んでいるのは、神奈川県横浜市。もしここに南関東地震が来たら、どんな被害が及ぶだろう。昭和61年3月の「神奈川県地震被害想定調査報告書」をもとに、被害の想定をすると、建物被害棟数約11万6000棟、消失棟数26万2000棟、り災(地震・火事などの災害にあうこと)人口102万人、死傷者数1万8000人と想定されている。死傷者のうち、大半を占めるのが大規模延焼火災によるものだと考えられている。これは関東大地震でも起こった、火災旋風によるものである。火災旋風は、大規模な火災の時に、いつでも起こる可能性を持っている。火災が比較的少なかった、阪神淡路大震災の時でも、小さな火災旋風が目撃されている。また地震の影響によりライフラインも広範囲にわたって使用できなくなる。水道はもちろん、電気、ガス、電話などが基本的に使えなくなる。復旧には、電気で1週間、電話で2週間、水道が70日、ガスが90日と言われている。実際に地震が起きてから5日ぐらいは、救援物資がなかなか届かない。万が一に備えて日頃から水などは準備しておくことが鉄則である。 参考文献 http://www.city.yokohama.jp/me/bousai/EQ/gaiyou-a/a-4.html |
ひっき | ベークラ (欠席予定) あたりめ |
| 神戸の3倍の人口を有する横浜市。人的被害が3倍でなければよいのですが。 | ||||
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都市計画・首都移転(6月13日・1名・6月20日1名・7月4日・1名) | 批判 | 弁護 | |
| 19 | ドンちゃん 済 オリジナル図 |
那須首都移転について 近年、東京一極集中を解消するため、首都機能移転が計画されている。首都機能移転では特に首都東京の過密問題の解決の一助となることや国の災害対応力の強化、地方分権や規制緩和といった国政改革の大きな契機となることが必要であると考えられている。移転先としていくつかの候補地が挙がっており、そのひとつに栃木県の那須地方がある。 那須地域は東京から約150km、新幹線で1時間程度と、遠すぎず近すぎの適度な位置関係である事から円滑に経済分離を図り新しい政治行政、本格的な国際政治が実現することが可能である。また、那須地域は平坦で広大な大地で大規模な国公有地や民有地があり、高速交通機関も充実しているので最小のコスト、最小の環境負担で移転ができる。そして那須の広大で豊かな自然を舞台に人と自然が近接した新都市の中で新たなライフスタイルを提案できるとされている。 以上が那須首都移転の簡単な内容だが首都移転については様々な問題が残り、また近年では国の財政難などの影響もありほとんど話が進んでいないのが現状である。 |
ああああ | かわ |
| 最近は首都移転よりも地方分権の方が議論がさかんですね。 | ||||
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市町村合併・双子都市(6月20日・4名) | 批判 | 弁護 | |
| 20 | ヤナギ 済 栃木の地図 |
栃木県芳賀地区の市町村合併について 平成16年1月1日に芳賀地区合併協議会が設置された。市貝町、真岡市、二宮町、益子町、茂木町の1市5町の合併である。しかし、6月23日にまちづくりの方向性の差異を理由に、茂木町が芳賀地区合併協議会を脱退。これに伴い、芳賀地区合併協議会は休止となり、8月31日に正式に廃止となった。 この場合に考えられるメリットがいくつかある。@独自性が出せる。Aきめ細やかなサービスができる。B事務事業の進め方に変化がないので、混乱をきたさない。C自治会組織が崩れない。D郷土意識が持て、自然を生かした住みよいまちづくりができる。などがある。一方、デメリットには、@今まで広域で共同処理、実施されてきたものの扱いについて不安が残る。A地方分権の対応が困難。B厳しい財政運営を余儀なくされ、コスト削減を強いられる。などが挙げられる。 合併しないことに決まったので、これらをもとに、町民は自分たちの住む町をどのようなまちにしたいかを、自らの問題として受け止め、新しいまちづくりについて考えていかなければならない。 参考:市貝町のホームページ http://www.town.ichikai.tochigi.jp/ |
むう | しの |
| 合併がうまくいったところもあれば、実現しなかったところもあります。その理由を掘り下げると色々なことが見えてきますね。 | ||||
| 21 | 月兎耳 オリジナル図 (2枚を合成) 済 |
つくばみらい市に未来はあるか? 2006年3月27日に茨城県筑波郡伊奈町と谷和原村が合併し、つくばみらい市が誕生した。市は田園都市構造に基づき、首都圏近郊都市としての産業・経済の発展と、自然環境との調和を目指すまちづくりの実現を目指している。 産業発展について、市は農工商、情報産業、観光について施行方針を打ち出している。農業については、作物のブランド化や直販体制の強化を考えており、これは大消費地に近いという利便性生かせる方針だと思われる。商業についてはTXみらい平駅周辺においてニュータウン開発を進めており、住宅系市街地と商業施設の充実を図る方針だ。当初は開発業者が集まらず難航していたが最近になってようやく開発のめどが立ったようで、大型スーパーの進出や、マンション建設が進んでいる。しかし、工業、情報産業に関しては企業誘致が難航している状況であり、また、研究学園都市であるつくば市に隣接しているため発展は難しいと考えられる。観光についても、地域の歴史文化を生かし、フィルムコミッションと連携した観光PRを計画しているが、ワープステーション江戸村の赤字状況(累積赤字約31億円/05年2月)と目立った歴史的観光スポットが無いことを考えるとこちらも実現は厳しいように思われる。 都心への住宅地供給と食糧生産の場としてどこまで発展していけるか。それが市の命運を決めるのではないかと考える。 |
はな | 波平 |
| 卒論のタイトルとしてもそのままいけそうな気がします。市町村名に「みらい」が付くのははじめてではないかと... | ||||
| 22 | ニョッキ オリジナル図 済 |
「沼津」と「三島」について 静岡県沼津市と三島市は静岡県東部に位置する地方都市である。地図を見れば、どちらも伊豆半島の玄関口であることがわかる。そして,この両市は、お互いをライバル視している不思議な関係にある。ちなみに,私の出身は沼津市である。今回,三島出身の友人と議論を交わし,それぞれの主張をしてみることにした。 そこで,その際にでた意見を,箇条書きでそれぞれのアピールポイント(AP)を挙げていこうと思う。 沼津のAP 静岡県東部の総合庁舎がある。沼津港の海の幸が有名。古くから交通の要所。地図を見て伊豆半島の一部だとわかる。東名高速道路のICがある。伊豆半島の車は沼津ナンバーである。人口が明らかに多いし,面積も広い。特急あさぎり。駅周辺の商店街の発展度。(西武百貨店と富士急百貨店の存在)。 東部&伊豆の中心は沼津。 三島のAP 新幹線の駅がある。たまに「ひかり」も止まる。東京の通勤圏内である。伊豆箱根鉄道の存在。三島大社。アメダスの観測所がある。もうすぐ伊豆ナンバーが使える。昔から伊豆国。(沼津は元々駿河国。合併を繰り返し現在の姿に。) 古い街並みが残っており観光客が多い。旧伊豆国の最大都市。沼津は東部の中心だが、三島は伊豆の中心。 などなど。正直,五十歩百歩である。だが,市民の中にも対抗意識を燃やしている人が多いのも事実で,田舎ならではの排他的な風習があるのだろうと思われる。ちなみに,私自身は沼津市民であるため,沼津の方が栄えている気がするが,東京に来てしまうとあまりの寂れ具合に驚愕する。双方ともそんな地方都市である。 県マップ http://www5b.biglobe.ne.jp/~tkamada/CBuilder/kenmap.htm |
NAGA | SSライン |
| 同規模の市が隣接すると仲が悪くなる... | ||||
| 23 | おーぎ 表 済 |
前橋と高崎 表は双子都市前橋・高崎を人口、面積および学校数で比べたものです。平成の大合併により全国の市町村と同様にこの2都市も隣接する町村と合併しました。(高崎は飛び地あり)人口は前橋が合併前約28万人から4万人ほど増え、高崎が合併前約24万人から8万人ほど増えました。その結果、両市の人口の差はほぼなくなり、近々逆転することも考えられます。面積では高崎が逆転しました。学校数は小、中、高ともに前橋がやや上回っていますがほぼ同じ数です。ひとつの県でこれだけ規模の同じ都市が隣り合っているのは他にないと思います。高崎市には元々県庁が置かれていましたが、前橋が県庁を誘致し設備を整えたため前橋に移されたという経緯があります。このため、高崎市民の中には前橋に対抗意識などを持っている人が今もいます。県庁がなければ前橋は現在のような都市になっていなかったでしょう。また高崎はかなり規模の大きな都市になっていたでしょう。 |
おぎやはぎ | エディ |
| 一体化する発想はないのでしょうか? | ||||
| 8 | 蹴球BOY オリジナルグラフ 済 5/30→6/20 |
東京の都市気候(風について) 私は卒業論文で「都市における風向と汚染物質(NOx)の関係」について研究しようと考えている。研究対象地は東京都に設置されている自動車排出ガス測定局(以下、自排局)と一般大気環境局の中から、汚染物質と気象データの観測が行われており、さらにNOxの年平均値が0.1ppbを越え、両観測局が3km以内にある地点とした。この結果、世田谷区八幡山(環状8号線)付近から世田谷区成城(総合工科高校)付近を研究対象地とすることになった。NOxの発生源を幹線道路とし、そのバックグランドとして自排局データを用いる。一方、NOxの移流先のバックグランドとして一般局のデータを用いる。 両局のデータ(東京都環境局公開)から2004年、2005年の月別データをダウンロードし、各月ごとの平均値を求めグラフ化した(図1、2)。尚、2005年12月のデータはまだ公開されていなかったためグラフ化できなかった。 一般局のデータを見ると、観測値は冬季に高く、夏季は低い。冬季は、地表面において接地逆転が発生しやすいため、大気が澱むことが多いと指摘されてきた。このことから、冬季に観測値が上昇する理由に接地逆転現象が考えられる。 一方、自排局のデータを見ると、2月、6月、11月をそれぞれ頂点とする3つの山が描かれている。先述したように、冬季である2月は大気の接地逆転が発生しやすいため、観測値が上昇すると考えられる。だが、3つの山の中で、冬季である2月の平均値は最も低い0.104ppbであり、接地逆転の発生しにくい6月や11月の観測値は、これを上回っている。一般局と自排局による観測値の季節的差異を解明するには、接地逆転以外の現象を分析する必要があると言える。また、もし、冬季の観測値の上昇が接地逆転によるもののみだと考えるならば、これが都市大気環境に与える影響は、幹線道路沿いにおいては、相対的に大きくはなく、他の現象の方が大きな影響を与えていると考えられる。つまり、発生源(自排局周辺)は接地逆転以外の現象の影響が大きく、NOxの移流先(一般局周辺)は接地逆転現象が大きく影響していると考えられる。 参考文献:河村武編(1979)「都市の大気環境」東京大学出版会 |
GM | コバ |
| グラフを1枚にまとめておきました。2点間の比較なら1枚がいい。 | ||||
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都市の分布・都市の構造(6月20日3名・7月4日1名) | 批判 | 弁護 | |
| 24 | コバ オリジナル図 済 |
福島県の多極構造について 福島県には県庁所在地の福島市をはじめ、郡山市、いわき市、と人口30万前後の都市が三つ存在しそれぞれの都市が違った特色をもっている。 県庁所在地の福島市は、県庁をはじめ、様々な行政機関が集中し、県の政治の中心となっている。県の中央に位置する郡山市は、その地理的位置から交通の要所となっており、商工業の面で福島市以上に発達している。沿岸部に位置するいわき市は、関東へのアクセスの良さや港の存在から工業の面で発達している。 このように福島県は、ひとつの都市に政治や経済などすべての機能が集中した一極集中型ではなく、それらがある程度分散した多極分散型だといえる。これらの要因としては県の面積の広さや、複雑な地形や交通網などが考えられるが、県庁所在地の福島市の位置も関係していると思われる。もし県庁が県中央部の郡山市に置かれていたら、その地理的好条件から郡山市の一極集中になっていたかもしれない。 |
まんぼう | RH |
| 会津、中通り、浜通りの3極、 あるいは福島を加えた4極なんですね。 |
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| 25 | M字ハゲ人間 フローチャート 済 |
多摩ニュータウンの地域性 多摩ニュータウンの開発は高度経済成長期に住宅が少ないため、その解消のため行政が必要にせまられて決断した計画であった。そのため、ここはベットタウンとして開発された。多摩丘陵の峰を削り、谷を埋め、地形を変え、自然を壊し一大ニュータウンを造ろうとした。この開発に当たっての開発区域は4つの市に跨っている。区域内の中央部分を東西に縦断する京王相模原線、小田急多摩線の2本の鉄道も稲城市、多摩市、八王子市にまたがって多摩ニュータウンを一体的に結んでいる。またニュータウンの主要幹線道路である、尾根幹線道路、多摩ニュータウン通り、野猿街道は共に鉄道と並行して3つの市を東西に結んでいる。 これらの交通網を考えると多摩ニュータウンが行政の一元化を考えて建設が進められてきたということが考えられる。しかし、その実現化は少しも進んでいないと思われる。また駅周辺は発展しているものの、駅から離れると現在では住宅の老朽化が進んでいる。最近立てられたマンションはそうでもないが、永山団地などは築30年以上の建物が多く、エレベーター・スロープの設置など高齢化に対応した建物が極めて少ない。その為、高齢者にとって多摩ニュータウンは住みにくい街であると考えられる。このような基本的な問題はいまだに解決がされていない。住宅建設についても、当面住宅難の解消のためのものとしては、役割を果たしてきたものの、このままだと当初の構想のベットタウンとしても機能しなくなると考えられる。 |
山 | ルー |
| 多摩オールドタウンですか....フローチャートを工夫するといいかも | ||||
| 26 | いたちょう オリジナルグラフ 済 |
越谷市における人口動態 越谷市は、埼玉県の東南部に位置し、東京都心から北へ25kmの地点にあり、首都圏の近郊住宅都市です。 越谷は日光街道沿線にあり宿場町としてはじまり、稲作を中心とした水田地帯で、特に大きな産業はなく農業を中心とした町でした。市制施行時(昭和33年11月)の人口は、わずか4万8千人余りでしたが、昭和37年地下鉄日比谷線と東武線の北越谷駅までの相互乗り入れによって都心への通勤時間が1時間以内という交通の便に恵まれ、昭和48年の国鉄(当時)武蔵野線の開通により、社会的にも、経済的にもその影響を受け人口は急激な増加を続け、昭和41年度には人口増加率のピークを迎え、昭和41年度以降、昭和47年度までは年間1万人以上の増加が続きました。 その後は、昭和52年度中は4718人の増加、昭和60年度、61年度には8千人を超える増加がありましたが、徐々に緩やかな増加ととなり、現在ではほぼ横ばいの状態となっています。 ・Wikipedia-越谷市 ・越谷市ホームページ |
Do | みかぽん |
| 鉄道の開通と人口には深い関係がありそうですね。 | ||||
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海岸地形・人工改変・河川の自然環境(6月27日4名) | 批判 | 弁護 | |
| 27 済 |
ああああ 参考図 |
東京湾の埋め立てと海岸の変化 東京湾の埋め立ては古くは江戸時代までさかのぼり、1603年に徳川家康が江戸市街地形成のためにはじめたとされている。以来400年以上に渡り続けられてきた埋め立てにより、現在の東京湾の海岸線は90%以上が埋め立て地による人工海岸線となってしまっている。 特に1960年代から80年代にかけての高度経済成長期の埋め立てが顕著であり、この期間に埋め立てられた面積は江戸時代からそれまでに埋め立てられた面積の約4倍にもなる。この期間には京浜工業地帯や京葉工業地域を主とした、工場が多く埋め立て地上につくられ、日本の加工貿易の発展に大きな影響を与えている。工場以外でも東京国際空港(羽田空港)や、東京ディズニーランド・ディズニーシーもこの東京湾埋め立て地に立地している施設の一つである。また、1990年代以降のバブル崩壊後には、再開発によってオフィスビルや高層住宅、ショッピングセンターの開発などが進められた。 しかしその埋め立てにより、悪影響も生じている。干潟の消失や、海苔やアサリの漁場の減少により漁業者の減少。家庭用排水からの赤潮、青潮の発生や魚介類の減少である。私の家も埋め立て地の上に立地していて、東京湾までごくわずかの距離であるがとても綺麗な海とは言えず、むしろ汚い。1960年代までは海であり、アサリをとるなどのことも行われていたらしいが私からしてみれば信じられない。東京湾の埋め立ては人間の利便性の追求が自然破壊に繋がるという、地球の縮図を示しているのよ うな気がした。 参考URL http://www.e-sampo.co.jp/column-shinagawa4.htm http://www.satoumi.net/url12.html http://www.city.chiba.jp/kikaku/bayarea/shinka.html |
かわ | チュパ カブラ |
| 東京湾はもっとも人工改変が進んだ海岸ですね。 | ||||
| 28 済 |
むう オリジナル図 |
三番瀬の環境について 今回私の住む千葉県の海岸沿いに広がる干潟・三番瀬について調べてみた。 三番瀬(さんばんぜ)は、千葉県にある干潟および浅海域で、東京湾奥部最大の面積を誇る。埋立が進む以前はより西側の旧江戸川河口付近まで干潟や浅海域が広がっていたが、現在の三番瀬は、江戸川の河口付近の一帯を指し、船橋市、市川市、浦安市、習志野市の沿岸に接する。三番瀬の付近には、谷津干潟や行徳鳥獣保護区、宮内庁新浜鴨場などの干潟や水辺などが存在している。 三番瀬は、東京湾の奥部に数少ない干潟・浅海域であるため、魚類をはじめとする海の生物や鳥類の貴重な生息地であると考えられている。特に鳥類については、渡り鳥の重要な中継地と考えられており、四季折々の渡り鳥が休息や採餌のために三番瀬を訪れる。 そして三番瀬に住む多様な生物と現存の干潟・浅瀬の環境が関わりあうことで、自然の浄化作用により、東京湾の汚染された水をきれいにすると考えられている。そのためにも、人工的に改変された海岸線を自然の干潟や浅瀬の環境に近づけ回復を図ることが必要とされている。 |
しの | JJ |
| 図がとてもきれいですね。 | ||||
| 29 済 |
はな おたすけリンク 彩色地形図 「上総片貝」 空中写真 片貝付近1983 |
九十九里平野の浜堤列について 浜堤列とは小波によって打ち上げられた砂礫が堤状に堆積した地形で比高は約10cm〜数m、間に細長い低地や湿地を挟み複数の浜堤が発達したものである。 九十九里平野は房総半島の太平洋側に広がる長さ約60km、幅約10kmの浜堤列である。この平野は最大海氾濫期の6000年前以降に外浜が海側に前進することによって形成された。九十九里浜沖の外浜から内側陸棚にかけての海底の表層堆積物は主に中粒〜細粒砂からなり、泥の量は比較的少ない。 平野の内陸側は低湿地でその肥沃な土地から田園として利用されてきた。また九十九里海岸はサーファーや夏には海水浴客で県外からの人が多く訪れる。 水産業では古くから伝わる地引網漁などを行い全国でもトップクラスの鰯の水揚げ量である。この周辺には干物屋が多くちょっとしたお土産になっている。 |
波平 | ひいらぎ |
| 空中写真の引用がありましたが、著作権上の問題があり、掲載しませんでした。おたすけリンクに地図があります | ||||
| 30 済 |
NAGA オリジナル図 |
びん沼川の自然環境について |
SSライン | シャゲキ |
| リーフレット調の図がおしゃれですね | ||||
| 43 済 |
7/4→6/27 チュパカブラ 地図 |
明治大分用水の果たした役割 明治大分用水とは、19世紀に九州地方整備局の大分河川国道事務所によって大分川を中心とする耕地整理としてできた水路である。この当時、明治大分水路によって発展した地域は、主に東稙田、田尻、光吉、寒田といった地域である。これらの地域は、この当時に農業がより盛んになったと考えられる。現在でも稙田地域は「わさだタウン」という商業施設ができ、大分市内で考えると、駅前、わさだタウン、パークプレイスといった人がもっとも集まり活気のある地域のひとつにもなっている。また、こういった商業施設のほかにも田尻や光吉などはニュータウンとなっており、大規模な住宅地になっている。これは、その当時に水路で発展した水田地域が現在人手不足などによって農業がされなくなり、土地がその分空いていたと考えられる。結果としては、現在農業面で活かされているわけではないが、この明治大分水路はニュータウン形成という役割を果たしたのではと考えられる。 河川伝統技術データベース(大分川・明治大分水路) |
ごとぅー | ゆりりん |
| ニュータウン形成の役割を果たしたかどうか...ビミョーかな | ||||
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洪水被害・治水(6月27日1名・7月4日7名) | 批判 | 弁護 | |
| 31 済 |
おぎやはぎ 写真・地図 |
鴻沼川の水害対策 GW中、私は出された課題のテーマである鴻沼川へ、車で足を運んでみた。鴻沼川は江戸時代に高沼を干拓し、新田開発を進めたときの排水路である。さいたま市の都市計画図には、JR浦和駅が近いのにもかかわらず、川沿いの地域は市街化調整区域になっている。市街化調整区域とは、指定された区域の市街化を抑制するという取り決めである。区域区分された1970年当時、鴻沼川は「鴻沼排水関係二ケ土地改良区連合」が管理しており、農業用水路として整備されていた。排水能力が低いうえ、周辺の宅地化が進み、水害が発生することもあり、県は浸水すると思われる地域を市街化調整区域に制定した。鴻沼川は1965年まで県営かんがい排水業、その後は1990年まで土地改良区連合により改修が続けられ、現在は埼玉県が河川として管理している。1998年の台風5号により、付近の住宅では床上浸水1826戸、床下浸水1949戸の計3775戸が水害を受けてしまった。この水害の後、川を掘り下げる工事が行われた。しかし、水面より上の部分は、農業用水として改修された状態のままである。*地図白色部分が調整区域。 参考サイト:ウィキペディア「埼玉のまちとみち」 |
エディ | さっきー |
| 住宅開発と都市河川の氾濫には密接な関連があります | ||||
| 32 済 |
まんぼう オリジナル写真 おたすけリンク 東京の地形 田中靖先生 |
葛飾区の洪水被害予測 葛飾区には江戸川、荒川、綾瀬川、中川、新中川が流れていて、川に囲まれた町である。葛飾区は東京湾のデルタ地帯の一角にあって、もともと低地だったが、近年まで地下水の汲み上げが続いたため、今では海抜ゼロメートル地域になっている。そのため、昔から水害に悩まされてきた。江戸時代から記録に残った洪水だけでも百数十回を数えるという。もし今、江戸川の中流部で堤防が決壊すると浸水面積約162km2、浸水区域内人口約127万人、浸水戸数約51万戸、浸水被害額約22兆円の被害が出ると想定される。しかし現在は昔と違い、洪水に対する様々な対策が立てられている。 スーパー堤防の整備もそのひとつで、大きな洪水でも決壊しないような幅の広いつくりになっている。 したがって、昔に比べそう簡単には決壊しないはずではあるが、やはり自然の力によるものなので、いつ想定外のことが起こっても不思議ではない。 葛飾区公式サイト http://www.city.katsushika.lg.jp/ 国土交通省 関東地方整備局 http://www.ktr.mlit.go.jp/ |
RH | ふーみん |
| 海抜ゼローメートル地帯とは、堤防がないと海になるところです。 | ||||
| 35 済 |
かわ 地図の彩色 |
江戸川区の洪水被害予測について 私の住んでいる江戸川区は、多くの川に囲まれてできた三角州にある。古くから江戸川や荒川が流れ、昭和六年には荒川放水路も完成した。豊富な水を利用して古くから稲作が行われていた。一方で、江戸川区は低地にあるため、たびたび水害にあっている。例えば昭和24年には、キティ台風の上陸が満潮と重なったため、高潮にみまわれ、中川堤防などが決壊し、江戸川区内各所の家屋の六万余戸が浸水した。明治以降新しく川が作られたのも、水害から土地を守るためである。 図面は、国土交通省による江戸川区における荒川系荒川浸水想定地域図である(今回江戸川は考慮していない)。概ね200年に1回程度起こる大雨が降ったことにより荒川が氾濫した場合に想定される浸水の状況を、シミュレーションにより求めたものである。 この地形図で等高線を探してみると、0mが主であるが、起伏が少ないためなかなか見つけにくい。三角点や水準点には−2mや−0.2mといった海面より低い土地もある。 水災はいつ発生するか分からない為、事前に浸水する危険箇所の把握や避難場所等の周知が重要視される。 参考インターネットサイト:江戸川区ホームページ (http://www.city.edogawa.tokyo.jp/index.html) 参考文献:のびゆく江戸川区 平成15年度版 |
チュパ カブラ |
ごとぅー |
| あらかじめ被害の程度を知っておくことが大切ですね | ||||
| 36 済 |
しの 洪水 ハザードマップ |
稲城市の洪水被害予測 多摩川は山梨県塩山市笹取山を源として、西部山地における大部分の支流を集めて東南に流れ、中流域では多摩丘陵を支流とする秋川・浅川と、下流では大栗川及び武蔵野台地を流れる支流と合流し、その後は東京都と神奈川県との境を流れ、世田谷区で野川と合流して大田区羽田先で東京湾にそそいでいる。稲城市では北側に多摩川が流れ、市町村の境となっている。図1は、平成14年に公表された多摩川浸水想定区域図をもとに作成し、多摩川が氾濫した場合に想定される浸水被害範囲と浸水深並びに避難所を示した地図である。0,5m未満(大人の膝までつかる程度)の区域が鶴川街道付近や、稲城市の東側では三沢川近くまで広がっている。また、0.5〜1.0m未満(大人の腰までつかる程度)の区域は、いちょう並木通り周辺に広がっている。洪水被害範囲が稲城市の北側中心なのは、地形と関係している。稲城市の地形は、南西から東北にゆるやかに傾斜した標高45mの平坦な地域と、標高80mの多摩丘陵からなっている。稲城市の大部分を多摩丘陵が占めているが、多摩川沿いの平坦な地域は、多摩川の水流によって運ばれてきた礫や砂によって形成された沖積低地である。この沖積低地が洪水による被害が出ると予測されている。 国土交通省は多摩川の洪水による災害の防止を図るために、堤防を補強するため高規格堤防の建設、多摩川の河川敷内に緊急用河川敷道路の整備に努めている。また、下水道の整備は、雨水の排除による浸水の防除をする役割もあり、稲城市では1時間50mmの降雨に対処できる施設の整備を進めている。 参考文献 稲城市防災会議 2003.『稲城市地域防災計画』 稲城市消防本部警防課 2006.『稲城市防災マップ』 |
JJ | 蹴球BOY |
| 自治体規模が小さくても防災対策は重要ですね | ||||
| 38 済 |
SSライン オリジナル写真 |
利根川中流の「中条堤」について 埼玉県行田市は県北部に位置し、北は利根川に面している。今日では行田市にある利根大堰によって利根川の水の量を調節し、武蔵水路、見沼代用水などに送水されている。これらは農業用水として、あるいは東京・埼玉で使われる都市用水として重要な役割を担っている。 この利根大堰が完成したのは昭和43年(1968)のことだが、これが完成するさらに前も行田市付近を流れる利根川は重要な役割を持っていた。江戸時代、この付近にあった堤防が利根川の決壊を防ぎ、江戸を洪水から守っていたのである。中条堤はこの付近でも下流に位置し、洪水をせき止める遊水地の役割を担っていた。 しかし、明治43年に堤防が決壊、埼玉県の低地のほとんどが水につかってしまうほどの被害となってしまった。これを境に堤防や遊水地の整備が進められることになり、現在では渡良瀬遊水地や上流のダム、利根大堰などによって利根川の水量が調節されている。 ちなみに現在の中条堤は江戸時代にあったような役割は果たしていなく、形として残っているだけである。 参考インターネットサイト きまぐれ旅写真館 http://www.geocities.jp/fukadasoft/index.html みなおそう埼玉の水 http://www.pref.saitama.lg.jp/A02/BH00/HP/minaosou/index.htm 太田川河川事務所 川のちえぶくろ http://www.cgr.mlit.go.jp/ootagawa/chiebukuro/ |
シャゲキ | めえ |
| 中条堤は昔の治水対策の名残なんですね | ||||
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地形と土地利用・水利用(7月4日・6名) | 批判 | 弁護 | |
| 40 済 |
RH 表と地図 |
成田市における台地と低地の土地利用 成田市は、千葉県の北部中央の北総台地に位置する。南東部は下総台地、北部は根木名川の低地、印旛沼の低地からなり、標高は1m(安西地先)〜42m(南三里塚地先)となっている。 市の5分の3は海抜10〜40mの丘陵性北総台地であり、黄褐色の砂層と小砂利混じりの層が基底となっている。この層は洪積世に長期間にわたる土砂で堆積した部分が、数万年前に関東地方一体で隆起してできたものである。その上に雨水を吸収する性質の強い関東ローム層が形成され、表土層がこれらを覆い、高燥な台地となっている。残りは、印旛沼や根子名川水系から入る侵食谷によって複雑な地形と低湿地帯となっており、全く対照的な土地故、土地利用も全く異なった利用がなされている。 台地部では山林と畑が混在し野菜畑や落花生畑、牧草地などに利用されてきた。また、利根川、根木名川、荒海皮、印旛沼周辺の低地部分では、豊かな水に恵まれ水田として利用されてきた。印旛沼及び長沼の干拓など、大規模な土地の改変が行われてきたものの、現在でも自然的な土地利用が市域の80%を占め、現在も美しい田園風景が広がっている。市の南東部市街地から離れた丘陵部には、成田国際空港(成田空港)がある。都市的な土地利用としては、ニュータウンをはじめとする市街地が、JR・京成成田駅周辺、宗吾地区、三里塚地区に形成され、成田空港が遠山地区に、工業団地が久住地区と豊住地区に立地し、ゴルフ場が北部から東部にかけての丘陵地帯に点在している。 |
ふーみん | トム |
| 文章が良くまとまっています。図がちょっとさびしい... | ||||
| 42 済 |
みかぽん 表 |
「小金牧」「佐倉牧」の数字地名 千葉県北部地域の土地は、下総台地と言われ、富士山の火山灰が積もってできた関東ローム層という酸性の強い土地であり、農耕に適さない土地である。 そのため原野や荒野となり、周辺村落から逃亡した馬や、捨てられた病傷馬などが繁殖し、その結果、自然発生的に牧場のようなものができた。かつては、牛馬の放養飼育地のことを「牧」と呼んでいた。この下総台地には古くから牧があった。 徳川幕府は、馬牧の経営や馬の育成に力を入れており、「小金牧」「佐倉牧」の2つの牧を作った。 明治2年になると明治政府は、小金牧・佐倉牧などを廃止して、開墾入植をさせる計画をした。東京市中には、全国から集まってきた旧武士階級の無職の人たちが全国から東京へ集まってきており、約8千人が入植開墾させられた。 そして、13の開墾集落ができ、入植地は入植順の番号に因んだ地名がつけられた。 |
かざぐるま | gurico☆ |
| 十余三の読みは"とよみつ"じゃなかったっけ? | ||||
| 44 済 |
JJ オリジナル写真 おたすけリンク 横浜市水道局 |
横浜市の上水道について 横浜市には「日本で最初の」というモノが非常に多く存在する。日本で最初の近代水道ができたのも横浜市である。横浜の水道は明治20年(1887年)10月17日に給水が開始された。当時の横浜は人口7万人の小さな村であった。横浜は1853年のペリー来航により開港され、急速に発展し、人口が急激に増加した。それに伴い飲み水の需要が拡大していった。 しかし横浜は海を埋め立て拡張してきたため井戸を掘っても海水が含まれ、良質な水に恵まれず、伝染病も多発していた。この為、当時の県知事は英国人技師H.S.パーマー氏に調査を依頼し、相模川の支流を水源とした近代水道が建設された。現在でも横浜市の多くの水道は相模川の支流で富士山麓、山梨県道志村の道志川を水源としている。 道志川からの水は世界屈指の美しさで、昔から船乗りの間では「赤道を越えても腐らない」と謳われてきた。現在では船舶への給水は減少したが、横浜市では水質管理で国際規格を取得するなど、国の基準の10倍近く厳格な水質管理を徹底し今も尚、良質な水を作り続けている。 |
蹴球BOY | GM |
| 道志川の水がペットボトルで売られているとは、知りませんでした。 | ||||
| 17 済 |
ベークラ 地図 6/13→7/4 |
延岡市における中心市街活性化計画 (延岡TMO構想 平成12年度より) 宮崎県延岡市は企業城下町であり,県北26万人都市圏の中核都市である。しかし,近年は中心市街地における商業が衰退し,消費流出がみられる。中心市街地の活性化を図る延岡市では,“「おせったい」のまち延岡”―もてなしの心を持った都市の実現を計画している。活性化計画の意義は,延岡市の特長を基に中心市街地の機能を充実させた街づくりを実現することにある。その取り組みとして,中心市街地における地域区分と拠点イメージの形成がされている。まず “県北にぎわい界隈エリア”は,今山の門前町(延岡駅周辺)という長所を生かし,住民のふれあいをリードする街としてイメージされている。次に五ヶ瀬川を挟む“都市生活創造エリア”は,公共・教養文化施設を活かした都市生活の先導拠点としてイメージされている。また,計画実現のため,交通利便の向上や中心市街地内における機能連携,市内および県北地域における情報交流の充実が求められている。 |
M字ハゲ 人間 |
山 |
| 地方都市はどこも悩んでます。都市計画書には、おしゃれな言葉がたくさんつかわれているけれど... | ||||
| 13 済 |
tak オリジナル図 6/6→7/4 |
宮崎県の焼酎産業について 宮崎で焼酎といったらだいたいが芋である。もちろん麦や米もあるが何といっても芋が主流だ。ここ最近は関東や関西で若い世代を中心に健康ブームから派生した「焼酎ブーム」が到来しているらしい。以前は「焼酎世代」というと主に40代後半から60,70代前後の男性が愛飲しているというイメージであったが、最近は20代の女性からも多く支持されているようだ。 九州の焼酎といえば、25度のアルコール度がほとんどのなか宮崎では20度が一般的に飲まれている。基本的にストレートで飲むか、ロックで飲むのが一般的であり、ウーロン茶や緑茶で割る方もちらほら・・・もちろん水で割る人もいます。「芋焼酎は飲みにくい」というイメージでいる人でもさらに飲みやすく改良されたのが『黒霧島』という銘柄。女性にも焼酎初心者にもこの『黒霧島』は好まれている。 最後に個人的な意見になるが、宮崎の焼酎は実に美味い。また焼酎に合う郷土料理もたくさんある。宮崎に遊びに来たら是非いろんな焼酎を飲んでいってください。 参考URL http://satocyan.gozaru.jp/miyazaki.htm http://www.miyazaki-kan.com/syochu/maker1.html |
月兎耳 | はな |
| 宮崎ではお酒といえば焼酎をさすらしい... | ||||
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水害・地形・都市計画(7月11日最終日・6名) | 批判 | 弁護 | |
| 33 済 |
7/4→ 7/11 山 オリジナル写真 |
杉並区の洪水被害予測というテーマを語るうえで、昨年9月に降った大雨の話を外すことは出来ない。もともと、杉並区には、洪水を引き起こしそうな大きな川など流れていないのだが、この大雨で川は増水し、氾濫して洪水を引き起こした。ではこの洪水被害を予測することは出来なかったのか?答えは「できた」である。杉並区の川は護岸から河床までがコンクリ−ト張りになっていて、地面へと吸収されにくい、都市型の河川となっている。このため、一時間に50mmを越す雨が降ると、川の雨水を処理する能力を超えてしまい、洪水が起きてしまうのだ。昨年9月の大雨の際、一時間に100mmを越す雨が降ってしまった。結果、区内のいたるところで洪水被害がでてしまったのだ。この洪水被害を受け杉並区では、洪水ハザードマップが作成された。これは、洪水被害が出そうなところを予測し、注意を促すものである。今後この洪水ハザードマップをもとに洪水被害がなくなっていくことを願っている。 |
ルー | ゆたんぽ |
| 短時間強雨によりハザードマップの想定外の被害がでました。 | ||||
| 34 済 |
7/4→ 7/11 Do オリジナル図 代理発表 あたりめ |
江東区の水害について 江東区は昔、地下水のくみ上げ等による地盤沈下で最大4.6mも下がりました。このため台風や大雨により床上、床下浸水が多発しました。江東区の海抜は0m以下。水面より低い位置にあります。水位標示塔を見ると、荒川だと自分の立っている地面から54cmのところに水面がある。こうなると災害などで堤防が壊れると当然その水位まで水が押し寄せてくることになる。過去の水害では5mを越える水位を記録している。自然災害が起きたら江東区はまさに水害で大きなダメージを受けるのだ。江東区は隅田川、荒川、中川に挟まれている。そのため洪水になった時にはそれらの水が一気に押し寄せてくるのだ。そうなれば過去の水害同様床上、床下浸水が多発する。どこかに非難するとゆうのも困難になる。私が小学生のとき大雨になり、床下浸水の被害にあった。その時はひたすら下水に流れていくのを待つしかなかった。水害を防ぐための対策として、スーパー堤防とゆう市街地を盛土し堤防の高さの約30倍の幅にし、洪水、津波、浸水を防ぐとゆう町を直接的に守る方法とゆうのがある。以上です。 参考「あ!安全・快適街づくり」 江東区のHPです。 |
みかぽん | かざぐるま |
| 過去の被害が語り継がれる場所は防災に強いといえます | ||||
| 37 済 |
7/4→ 7/11 波平 オリジナル図 代理発表 ふみ |
富士川の洪水予測について。 富士川は古来より水害に悩まされており、信玄堤を始め、万力林・雁堤などの歴史的治水施設や「出し」が数多く残っています。山梨には昔から三川落合という言葉があります。急流河川が三つも合流する場所で、急流が落合う場所は水害の難所でした。笛吹川の「万力林」と「近津堤」、釜無川の「竜王堤」で、いづれかの堤防が抜ければ、甲府盆地は水浸しとなってしまいます。市では、そんな富士川の洪水被害に備え、避難場所や避難情報を伝えるための「富士川洪水ハザードマップ(富士市洪水避難地図)」を作成しました。富士川洪水ハザードマップとは、「富士川の堤防が大雨により壊れ、大水が市内に流れ込んだ事態」を想定し、予想される浸水の情報や、災害防止のために知ってほしい情報を掲載しています。ハザードマップを見た人と見ていない人とでは、避難行動に差が出ると言われています。ハザードマップに掲載された情報を事前に確認し、浸水想定区域を知ることで、その被害を最小限に抑え、一人でも多くの人が安全に避難できるようになることを目的に作成しました。 |
ひいらぎ | ひっき |
| 武田信玄が行った治水対策は有名ですね。 | ||||
| 39 済 |
7/4→ 7/11 エディ 写真 代理発表 ひらい |
入間川の河岸段丘と土地利用について 河岸段丘とは、河川の中・下流域に、流路に沿った階段状の地形である。河川の流量の変化、土地の隆起などによって河原が川に侵食され、元の川床が低く掘り下げられ、以前より低いところを川が流れるようになる。これを繰り返すことによって、河岸段丘は形成される。入間川の働きによって川の両側に形成された河岸段丘は3段あり、江戸時代には、最下段は主に下田、中段は上田や屋敷(居住地)、最上段は下畑として記帳されている。河岸段丘は水を利用しやすいため、水田として利用されることが多いが、入間川の河岸段丘の段丘面では、茶の栽培が盛んである。この辺りで収穫される茶は『狭山茶』と呼ばれ、狭山市の名産品となっている。 参考文献:広辞苑 参考インターネットサイト:Wikipedia、『島根県の自然』、『入間市野田の河岸段丘と湧水地点の関係』 |
さっきー | ブーマー |
| 土地利用を立体的に考えるとわかりやすい | ||||
| 41 済 |
7/4→ 7/11 ル− オリジナル図 |
熊谷市における台地と低地 熊谷市は荒川上流部に広がる妻沼低地に、その多くが位置している。旧熊谷市の西部、南部には寄居市の北1km地点を要とする櫛引台地が分布し、その少し南側の武蔵丘陵森林公園のあたりには比企丘陵が分布している。その他の大部分には荒川や利根川の氾濫低地が広がっている。この氾濫低地には各河川の幾度もの蛇行と氾濫の痕跡として、川によって運ばれた砂が体積してできた自然堤防が多く見られる。以上を簡単に図にすると添付の図のようになる。 このように低地ばかりの熊谷市は川、特に荒川の氾濫に多く悩まされていた。近年堤防が決壊するということはまずなくなったが、昔は大雨が降ると大変だったとよく聞いた覚えがある。 |
ゆたんぽ | tak |
| 土地利用などについて掘り下げて欲しかった | ||||
| 18 済 |
6/13→7/11 hamaden オリジナル図 代理発表 猫屋52 |
白岡町の都市計画 白岡町は都心から40キロ圏にある立地条件に位置しています。JR宇都宮線の白岡駅、新白岡駅、さらに東北自動車道久喜ICが近くにあり、交通の便にも恵まれています。また、国道122号、県道さいたま・栗橋線が南北方向に、県道春日部・菖蒲線が東西に通過し、重要交通機関の通過地点となっています。 白岡町は、まもなく人口5万人を越える町です。そこで今後、市制施行を行うために対外的な町のイメージ向上を行うため、「まち・きらっとプロジェクト」という都市計画を行っています。具体的には、白岡駅・新白岡駅の周辺の商業ゾーンを中心に、公共公益ゾーン、住宅ゾーンの整備を行っています。また、圏央道の開通時にインターチェンジ・ジャンクションを整備することによって、首都圏の交通網を向上させようとしています。 図は、白岡町のホームページに出ていた土地利用基本計画図をアレンジしたものです。 |
いたちょう | Do |
| 「町」としては人口4位ですからね | ||||