2002.12.30入力2003.01.15更新
野放図な哄笑『昨日は今日の物語』
―日伊競作の艶笑譚・読むたびに唾が喜合……・「いまのは鼻ぢや」―
日伊競作の艶笑譚
イタリアのある町に――というと、いささか唐突だが、十四世紀中葉という時代は日本の室町時代とさほど遠くないので、しばらく辛抱していただきたい。 ある町に貧しい司祭がいて、生計を補うため一頭の牝馬に品物を積んで、あちこち売り歩いていたが、そのうちに一人の商人と知りあいになった。
この商人も貧乏だったが、気のいい男で、司祭を家に泊めようとしたが、部屋がないので、やむなく厩」に牝馬ごと寝かせることにした。商人の女房は気の毒がったが、司祭は「奥さん、ご心配なく。わたしは好きなときにこの牝馬を小娘に変えて寝てるんですから。そのあとでまた牝馬にもどすんですよ」と、平然たるもの。
美人だが頭の弱い女房は、それを本当と思いこみ、亭主に相談のうえ、その魔法を教えてくれと頼みこんだ。司祭は「尻尾をつけるときがむずかしいから、なにを見ても口をきいてはならない。魔法が破けてしまうからね」というと、女を四つんばいにさせて、まず頭をなでながら「これは牝馬の美しい頭になるように」と祈った。
ついで腕や腹や脚にも同じことをし、最後に尻尾のほかはなにもすることがなくなったので、自分のシャツをめくると”人間を植えつける杭”をとりだし、”そのために作られている畝”にすばやくさしこんだ。
「で、これは牝馬の美しい尻尾になるように!」
「あ、司祭、私は尻尾は頼みませんよ!」と商人が叫ぶや、司祭はさかさず「どうしたんだね?口をきいてはいかんといった筈だよ。魔法が破れてしまったではないか」
――おなじみ『デカメロン』の一節だが、さて、同じころの日本では――。
娘二人を持った金持が、比叡山の座主に「息子を持たぬが何より迷惑。御祈祷の力にて、あの娘どもを男子に御なし候事はなるまいか」と相談する。座主、承知して娘を寺によこさせ、「思ふほどたくりて(ものにして)」、飽きたとき「何と祈り候ても男にはなり申さず」と返す。
親、帰宅した娘に「なにと祈られたか」と問う。妹「御坊さまもいろいろ精を出し、夜昼しじ(指似)を植へ給へども生へつかなんだ」。姉「生へつかぬも道理ぢや。さかさまに植へられたほどに」
「いまのは鼻ぢや」
男の考えることは、洋の東西を問わず同じということの見本なのだが、この日伊競作の艶笑譚、軍配は日本のほうにあがるだろう。簡潔で、気がきいている。
つぎの例もそうだ。
ある男、にわかに医師になろうとし、本を読んではわからぬ個所に付箋を貼る。女房「その紙は、なぜに付させられるる」「これは不審紙とて、合点のゆかぬところに付けて、のちに師匠に問ふためにつける」
するとこの女房、「なかなかのことぢや(なるほど)。おれも不審がある」と、紙をちぎって唾をつけ、夫の鼻にぴたり。
「これは何事の不審ぞ。われらが鼻に不審はあるまい」
「そのことぢや。世上に申しならはし候は、をとこの鼻の大きなるは、かならず、かの物が大きなるといふが、そなたの鼻は大きなれども、かのやつは小さい。これが不審ぢや」
夫は「もつともぢや」とみとめたが、なにを思ったか、自分も紙をとって女房の頬っぺたに貼りつけた。女房おどろいて、
「これは何の不審ぞ」
「世上にいひならはし候は、頬さきの赤きものは、かならずへへが臭いといふが、そなたの頬は白けれど、へへが臭い」
中世には銭湯の数も少なく、禅寺などが功徳風呂と称し、日をきめて一般人に入浴させた。女性特有のにおいが笑話の材料になるのは、体質もあろうが、衛生環境も考慮にいれねばなるまい。
臭いというのは、当然のことながら男が鼻を接近させるからで、啜陰ということは中世でもさかんだったとみえる。女が間男との交渉中、「真実思へば、前をねぶるものぢやが、そもじはわれわれ(わたし)をさほど思し召さぬ」と、せまる話もある。男は開きなおって、「一命をかけて此のごとく参るに、御疑ひなされ候。今なりともねぶらう」とひきめくるが、あまりの臭さにへきえきし、鼻でなでてごまかす。女は「今の鼻ぢや」という。「いや舌ぢや」と争ううち、節穴から覗いていた亭主が顔を出し、「どつちをひいきするんでもないが、いまのは鼻ぢや、鼻ぢや」
中世の性風俗を反映した話は、ほかにも数多いが、夫婦が昼日中、一儀を企てようとし、子どもを外へ追い出す話が二つあって、貧しい住宅事情下の悲喜劇が浮きぼりにされている。その一つ――。
ある夫婦、昼事くわだつるに、七つばかりなる息子、のぞきのぞきする。やむなく夫婦、鬼の面をつけてする。子ども、これを見て、「やいやい、みな来い来い、うちの納戸の鬼がへへするぞ、ちやと来い来い」
貧富の差を笑話にしたものでは、好色話ではないが、こんなのもある。
ある女房、火事見舞いに来た男に「なににても惜しきものは御座ないが、古今、万葉、伊勢物語、是三いろを焼きたるが何よりも惜しき」という。男、それに感じいって人に語るのを、男の女房聞きとがめ、わざと家に放火して「何にても別に惜しきと思ふものはないが、小杵、窓菰、伊勢摺鉢(いずれも貧乏世帯の道具)、是三色が惜しいことぢや」と泣いた――。
読むたびに唾が・・・・
フランスの劇作家マルセル・パニョルは、「笑いの最大の成功は、つねに消化機能と性的機能によって獲得される」といった。そういえば、食欲と性欲を結びつけた典型的な笑話がある。
三人の比丘尼が、馬の勃起した一物を見て、「いざ、めんめんに名をつけよう」という。第一の尼が「九こん」とつける。「そのいはれは、昼飲んでも夜飲んでも、心がいさみて面白い。そのうへ酒は三々九度とて献数は定まりて、九度が本(本当)ぢや。それより上は、あなたのきこん(相手の気持)次第ぢや」
第二の尼は「梅法師」とつけた。「そのいはれは、見るだびごとにつがひかるゝ(つぼが出る)」
最後に第三の尼が「鼻毛抜き」とつけた。「なぜにといへば、抜くだびに涙落つる」
――笑いは勝利の歌である。ふだんとりすましている上流階級や、うとましい権力者、小うるさい女、いじましい聖職者などを”笑殺”することにより、いっきょに解放感、優越感をかちとる。『昨日は今日の物語』(正しくは『きのふはけふの物語』)には、中世から近世初期にかけての時代相を背景とした、粗野だがおおらかな笑いがあふれていて、その健康さが、病める時代の私たちの心を惹く。
といっても、刊行当時はなぐさみ本だったから、正確な刊年はわからない。大坂浪人の話が出てくることもあって、だいたい元和年間から寛永初期にかけてのものとされる。題名は『昨日は今日の昔』ということわざからとったらしい。つい昨日の話だが、今日も起りうる話というわけだ。
長い戦乱が終わり、太平を謳歌する庶民にアピールしたこの本は、大いに読まれたらしい。現在活字本をふくめて五十四点が残されているが、そのうちの一冊が五島美術館内の大東急記念文庫(世田谷区上野毛)にある。大きさはタテ二六・七センチ、ヨコ一八・五センチ。本文は十一行の二十一、二字詰で印刷され、上巻三十丁と下巻三十一丁の合冊となっている。編者はお伽衆とされるが、「へへ」という方言から奥羽越後あたりの人物とする説もある。
江戸時代もなかば以降となると、社会が窮屈になって、笑いも歪んだものになる。本書のように野放図な笑話は迎えられなくなった。明治になって復刻されたものは削除や伏字が多く、全貌が容易に読めるようになったのは、戦後のことでおる。最近は口語訳も出て、私たちを「へへ、へへ」と微苦笑に誘ってくれている。
《補遺資料》『デカメロン』
『昨日は今日の物語』
○「昨日は今日の物語」の一本について−多和文庫本の祖本か− 深井一郎 国語国文・46−5 5月
○ 『昨日は今日の物語』諸本考−古活字本と整版本− 岡雅彦 国語国文研究・51 3月
御命講 程なくおめいかうぢゃとて寺より案内ある(昨日は今日の物語)
龍門文庫善本書目
昨日は今日の物語 東洋文庫102 武藤禎夫 訳 近世笑話の祖 初函 扉に蔵印 昭42 ¦1000
古い日本語の「カヒ(カイ)」には、<貝>のほかに<卵>・<殻>の意味もありました。確かに<殻>を持つ点では、<貝>も<卵>も同じ性質を備えています。<卵>は、現代語では「タマゴ」と呼ばれますが、中世末期のころまではこれを「カイ(ゴ)」と呼びました。江戸初期に出版された仮名草子『昨日は今日の物語』には、<卵>を「たま子」「かひ」の二通りの名で表した例が見られます。この頃を境にして<卵>の呼び名が「カイ(ゴ)」から「タマゴ」に変化したことを示すものです。
「カイワレナ」という名は、この野菜が殻を割って生命の芽を伸ばし始める様子を表したものですから、「カイワレ」の「カイ」は、<貝>ではなく、<卵>・<殻>の意味に解するほうがずっと理に適っています。 〔やまとことばワンポイント〕
松だけのおゆるをかくすよし田殿 わたくし物と人やいふらん(昨日は今日の物語 上)〔植物を詠める和歌〕
・昨日(きのふ)は今日(けふ)の昔なれば、昔語りとや申しはべらん。[仮名草子集『露殿物語』50K] 《類》「昨日は今日の昔」『毛吹草』。
《HP参考資料》
812110 城 順子さん入力