ウェールズ滞在記

ウェールズの人と自然、そして行動分析学

駒澤大学文学部 小野浩一
(日本行動分析学会ニューズレター、2004年春号、No34, 「海外だより」より、転載許諾済)


2003年3月下旬より在外研究でイギリスのウェールズ大学に滞在している。ウェールズ大学はウェールズ内に6校あるが、私がいるのは、Bangor(ウェールズ語のアクセントでバンゴール、英語ではバンガー)校である。ロンドン、ユーストン駅からバンゴールへの直通列車は日に3本、あとはバーミンガムの北、クルーという駅の隅にある小さなホームで2〜3両編成のジーゼルカーに乗り換える。ロンドンからの所要時間は、早くて4時間、遅い場合は5時間ほどであるが、しばしば遅れや運休がある。初めてこの地にやって来た昨年の3月、クルーを出た列車がリバプールの手前で大きく西へ進路を取り線路がアイリッシュ海沿いに出ると、車窓にはまだ冬枯れの残る牧場と荒涼とした海岸線が続くようになり、私はかつて訪れた北海道のオホーツク海沿岸や青森県下北半島の太平洋沿岸を思い出した.。

バンゴールは2つの丘の谷あいに町の中心部が細長く広がり、その突端はアイリッシュ海に臨んでいる海の向こう側はアングルシー島。

バンゴールは北部ウェールズの中心地で、人口14,000人ほどの小さな大学町である。2つの丘の谷あいに町の中心部が細長く広がり、その突端にアイリッシュ海に臨む桟橋がある。海が近いので、そこかしこにカモメが飛び交い鳴き声が響いている。北側の丘はメナイ海峡を挟んでアングルシー島と対面しており、そのアングルシー島の西端部のホーリーヘッドからはアイルランドのダブリンに行くフェリーが出ている。私が住む南側の丘はなだらかな羊の牧場からさらにアーサー王伝説のスノードン連峰へと続いている。

バンゴールの丘から見たスノードン連峰。1953年にエベレスト登山に成功したエドムンド.ヒラリー卿率いる イギリス隊はこの山で登山訓練をした。

ウェールズは日本でいうと四国程度の小さな地域であるが、それでも北と南では大分異なる。南部はウェールズ1の都市カーディフや第2の都市スウォンジーを擁し、産業革命の頃は石炭の搬出港として栄え、現在でも日本企業を含む多くの企業が進出し経済基盤も安定している。一方、北部は農業畜産が主で雇用をもたらすような産業は少なく失業率も高い。気候も北ウェールズは北アイルランドやスコットランドと同じ気候帯に入ることが多く、南ウェールズや南イングランドに比べるとやや寒冷である。昨夏のような猛暑の時でも暑いロンドンから汽車に乗りバンゴールの駅に降り立ったときは、高原のような涼しさを感じたものである。

ウェールズ大学バンゴール校はイングランドの伝統校とは多少異なる来歴がある。それはかつて北ウェールズの数少ない産業の1つであったスレート産業の労働者たちの寄付金によって創設された大学だということである(ちなみに経営者は今ではナショナルトラストが保有し観光名所になっている立派なお城を建てている)。1884年に10人の教員と58人の学生でスタートした大学は今では、教員917名、学生数約8000名の総合大学になった。大学施設は2つの丘とそれにはさまれた谷に散在する62の建物からなり、北側の丘の上に建つメインアートビルディングと呼ばれている校舎は、1911年に建てられたルネッサンス様式の建物で町のどこからでも見える大学の象徴である。

秋のメインアートビルディング。左に白く見える建物が心理学棟。

心理学部の施設は3箇所あるが、中心となるのはメインアートビルディングの隣にある近代的な3階建ての建物である。現在、アカデミックスタッフが84名、学生数は学部学生が669名、大学院生164名の833名である。心理学部の研究領域は、臨床・健康心理学、消費者心理、認知神経科学、言語学習・発達等に分かれており、行動分析学の研究は言語学習・発達部門に属している。行動研究を推進しているメンバーはファーガス・ロー(Fergus Lowe)、ポーリン・ホーン(Pauline Horne)と、後は比較的若いニール・ダグデイル(Niel Dugdale)、カール・ヒューズ(Carl Hughes)、ミヘーラ・アルヤベッツ(Mihela Erjavec)、それに大学院生で、人数的にはそれほど多くはない。

ウェールズ大学バンゴール校における行動研究は1963年の心理学科の創設とともに始まった。創設時のメンバーは初代心理学科主任教授であったティム・マイルズ(Tim Miles)とピーター・ハーゼム(Peter Harzem)である。マイルズは理論的・概念的分析が専門でとくに哲学者ライルや現象心理学者ミショットの影響を強く受けたとのことであるが、スキナーの著作や行動分析学にも造詣が深い。ライルはその著「The concept of mind」の中で「Thinking is identical with saying」と書くようにその立場は行動主義的である。マイルズは現在は名誉教授として心理学棟に隣接する建物に研究室を持ち相変わらず精力的に仕事をしている。

実験的研究はハーゼムによってその基礎が作られた。初期はラットを用いた強化スケジュールの基本的パラーメータや嫌悪統制についての研究が中心であったが、その後、ハトによる実験も行われるようになった。その動物実験室は10年ほど前に閉鎖され今はない。ハーゼムはまた、マイルズと共著で「Conceptual issues in operant psychology」という本を書いている。

ローは1970年にアイルランド、ダブリンのトリニティカレッジを卒業した後、ウェールズ大学に来て、ハーゼムの指導のもと1974年に博士の学位を取得した。その後数年してハーゼムはアメリカに移り、それと前後してホーンが学生としてやってきた。これ以降のウェールズ大学の行動研究は、ローとホーンの2人が中心となって推進してきた。

ローは初期のラットやハト、幼児による実験的研究から最近のネイミングやシンボリック行動の研究まで実に丹念に基礎研究を行っているが、その研究の背景になっている基本的な関心は、動物と人間の違いの源泉を探ることであると言う。それが彼の言語に関するさまざまな研究に繋がっている。ローが1979年に本の1章として書いた「Determinants of human operant behavior」からは私も多くのことを学んだ。ローは現在、心理学部長に加えて昨年の秋から大学の副学長に就任し、ますます多忙である。

左:ティル・ナ・ノグのサイン

右:ティル・ナ・ノグ全景

行動研究グループが現在進めている研究は、1つは幼児を対象とした言語獲得に関する基礎過程、具体的には聞き手行動、カテゴライゼイション、模倣等についての実験的研究で、いずれもHorne and Lowe(1996)のネイミング理論に基づくものである。研究は学部付属のティル・ナ・ノグ(Tir na n-Og: ケルト神話で「子どもの国」という意味)という名前の研究設備の整った保育施設で実施される。かれらのネイミング理論についてはJEAB誌上でも「いまさらそのような用語が必要か?」など否定、肯定さまざまな議論が展開されたが、私がそのことをホーンと最初に話したときの彼女の言葉は「もうこりごりだわ」というものだった。“こりごり”に相当する英語が何であるか知らないが、もう2度としたくないといった意味のいくつかの言葉からの意訳である。しかし、私が「あの中にレスポンデント行動が入っているのは画期的だ」と述べると「そう、そう、それがミソなの」とうれしそうな顔をした。これも “soybean paste”と言ったわけではない。

ローとホーンが推進するもう1つの研究プロジェクトはバンゴール・フード・リサーチと呼ばれているもので、子どもの野菜、果物の摂取を促進させようとするものである。この研究実践の背景には、イギリスの子どもの野菜、果物の摂取率が他のヨーロッパ諸国と比較して低く、それによってさまざまな健康障害がもたらされているという問題がある。楽しいキャラクターが登場する行動変容プログラムで、すでにイギリス各地の保育施設や小学校で大きな成果を上げている。

ちなみに、子どもが野菜、果物を食べないのは、イギリス人のライフスタイルや家庭での食生活に問題があるらしい。多くの人が口を揃えて言うには、例外はあるが、大多数のイギリス家庭では家族揃って食事をとることは少なく、各自が好きなときに冷蔵庫に入っているものやその辺にあるものを取り出して食べるのが普通なのだそうである。従って、冷凍食品やいわゆるジャンクフードが多くなり、結果として野菜、果物の摂取機会が少なくなるということである。こちらに来る前に、イギリスにホームステイした複数の日本人学生から「粗末なものを一人で食べさせられた」という話を聞いたことがあったが、それが普通なのだと知っていれば彼らの印象もずいぶん違ったものであっただろう。

さて、私のウェールズ滞在もあと1カ月あまりとなった。この間、私は自分自身が被験体となって生体が新しい環境に適応する過程をつぶさに観察することができた。行動は徐々にスムーズになり、「I’ll be back in 5 minutes.」は1分から30分までのVIスケジュールであることも知った。イギリスがそして、特にウェールズが抱えているさまざまな問題も身近なものとなった。そして、今ではバンゴールの人々や自然に対して打ち解けた親しみを感じるようになった。北ウェールズの冬は厳しく、短い日照時間に加えて雨の日や風の強い日が多いが、春から夏にかけての北ウェールズは、鳥の声が響き、水仙、ブルーベル、フォックスグローブなど花々が咲き乱れ、草原や空の広さ、海の明るさなど輝くばかりの美しさであった。私はいま帰国を前にして、この地を離れがたく感じている。(2004年2月記)

水仙とメインアートビルディング
ブルーベル
フォックスグローブ



戻る