【第51号〜第60号】 

第51号(1998.03)
茂澤方尚(もざわみちなお) 『韓非子』と司馬遷 −游侠をめぐって− 論文
松本裕之(まつもとひろゆき) 推門・勘門と推門使について 論文
鈴木一馨(すずきいっけい) 『符天暦日躔差立成』とその周辺 論文
古谷紋子(ふるやあやこ) 平安時代の童殿上 −小舎人・蔭孫・天上簡− 論文



第52号──阿部肇一先生退職記念号(1998.06)
酒井忠夫(さかいただお) 南宗禅に関する諸問題と明清時代の民間南宗禅系宗教結社 論文
丸山雍成(まるやまやすなり) 歴史に見る「道」と「関」−山陽道赤間関付近を中心に− 論文
仲田正之(なかたまさゆき) 豆・駿天保の飢饉と代官江川氏の救済−金融〜馬喰町〜代官貸付金の運用関係について− 論文
吉田寅(よしだとら) 『寒更霰語』と幕末期仏僧の中国語キリスト教書批判 論文
安也致(あんえんじ)・除海寧(じょはいんぐ) 古代亀ト文化の文字における表現について−甲骨文字「船」形偏旁の意味の検討− 論文
飯島武次(いいじまたけつぐ) 濬県辛村の西周大型墓について 論文
小林惣八(こばやしそうはち) 西域の社会と文化 論文
阿部房子(あべふさこ) 後漢末・三国時代における亳州の歴史的意義 論文
石田肇(いしだはじめ) 北宋宗室の墓誌・墓記をめぐって−英宗第四子趙_墓誌を中心に− 論文
海老澤哲夫(えびさわてつお) モンゴルの対金朝外交 論文
野沢佳美(のざわよしみ) 洪武南蔵から永楽南蔵へ 論文
片岡一忠(かたおかかずただ) 朝賀規定からみた清朝と外様・朝貢国の関係 論文
奈良修一(ならしゅういち) オランダ東インド会社にとっての中国 論文
松田俊道(まつだとしみち) マルムーク朝のムサーリマ問題 論文
松本弘(まつもとひろし) 北イエメンにおける地方行政区分の確立−地域区分に関わる伝統と近代− 論文



第53号──南和男先生退職記念号(1999.03)
南和男(みなみかずお) 仙石騒動と幕閣の抗争 論文
金井達雄(かないたつお) 近世関所の近傍に居住の女性通関とその実態−中山道碓井関所を事例として− 論文
藤井康(ふじいやすし) 人足寄場収容者に関する基礎的考察 論文
岩崎孝和(いわさきたかかず) 名主日記にみる幕末の社会情勢 論文
宮原浩(みやはらひろし) 幕末期村落における外来信仰の浸透と「休」の関係−武蔵国豊嶋郡徳丸本村における榛名信仰と大山信仰の比較− 論文
小泉雅弘(こいずみまさひろ) 幕末風刺画とその受容層−近代的「世論」形成の一前提として− 論文
佐藤元英(さとうもとえい) 船津辰一郎在奉天総領事による商祖権施行細則交渉について 論文
野崎義幸(のざきよしゆき) 東北振興事業展開過程における農村漁村 論文
田中淳(たなかじゅん) 農村経済更生運動の再検討−戦後開拓史研究への序論として− 論文
嶋村元宏(しまむらもとひろ) 田中弘之『幕末の小笠原 欧米の捕鯨船で栄えた緑の嶋』 書評



第54号(1999.06)
小林和幸(こばやしかずゆき) 谷干城における「民権」と「天皇」 論文
亀川泰照(かめかわやすてる) 市中取締における召捕り行為−慶応の江戸打ちこわし中の五嶋一件を通じて− 論文
神田裕理(かんだゆり) 豊臣秀吉の献上行為について 論文
中村淳(なかむらじゅん) クビライ時代初期における華北仏教界−曹洞宗教団とチベット仏僧パクパとの関係を中心として− 論文
小林惣八(こばやしそうはち) カシュガル国小史 研究ノート
杉山浩平(すぎやまこうへい) 小田原市中里遺跡出土の木製品−下府中小学校所蔵木製品の紹介− 資料紹介
八百啓介(やおけいすけ) 箭内健次『国際社会の形成と近世日本』 書評
家忠日記研究グループ 『家忠日記』人名索引 索引



第55号──所理喜夫先生退職記念号(2000.03)
小松寿治(こまつとしはる) 中世赤塚郷の景観 論文
西ヶ谷恭弘(にしがややすひろ) 中世武家社会の作庭について−京と鎌倉の作庭手法の違いを中心に− 論文
桑田和明(くわたかずあき) 戦国時代における筑前国宗像氏発給文書の一考察 ー官途状、官途吹挙状、加冠状を中心に− 論文
新井浩文(あらいひろふみ) 梶原政景の政治的位置−足利義氏との関係を中心に− 論文
田中雅明(たなかまさあき) 織田信長禁制の実効性に関する一考察 論文
村川浩平(むらかわこうへい) 蜂須賀氏への「松平氏下賜状」とそのライフサイクル 論文
木村康裕(きむらやすひろ) 上杉・織田氏間の交渉について 論文
小竹文生(こたけふみお) 豊臣秀吉の九州国分に関する一考察−羽柴秀長の動向を中心に− 論文
中野達哉(なかのたつや) 近世前期中山道板橋宿の名主・問屋役について 論文
小高昭一(おだかしょういち) 元和二年八月「定船場之事」の基礎的研究 論文
出口宏幸(でぐちひろゆき) 金杉町の役負担と漁業構造−猟師町的側面の抽出と検討− 論文
並木克央(なみきかつお) 常陸国の所領構成と村高−水戸藩領村替えの紹介を兼ねて 論文
小暮正利(こぐれまさとし) 元禄期以降における荒川低湿地の秣場について−徳丸原を事例として− 論文
仲田正之(なかたまさゆき) 近世後期代官に関する一考察−年貢収納と金納の実態について− 論文
田中弘之(たなかひろゆき) 「漢委奴国王」金印の出土に関する一考察−亀井南冥の動静を中心に− 論文
鈴木雅晴(すずきまさはる) 施餓鬼騒動と村 論文
宮本由紀子(みやもとゆきこ) 陰売女と旗本経営−「藤岡屋日記」を中心として− 論文
小林惣八(こばやしそうはち) 前漢皇帝の事蹟 論文


第56号(2000.08)
瀧音能之(たきおとよしゆき) 浦島子伝承の変容 論文
仲田正之(なかたまさゆき) 近世代官と伊豆七島支配 論文
金井達雄(かないたつお) 鉄砲証文−老中裏印証文及び留守居断状の存在と役割−房川渡中田(栗橋)関所を事例として− 論文
小林惣八(こばやしそうはち) 後漢皇帝の事蹟 論文
渡邊大門(わたなべだいもん) 播磨国別所氏系譜試論−明治から村治の系譜を中心に− 論文
清原瑞彦(きよはらみずひこ) 伏島正義『スウェ−デン中世社会の研究』 書評



第57号(2001.03)
小林和幸(こばやしかずゆき) 谷干城の議会開設後における対外観・外交論 論文
杉山浩平(すぎやまこうへい) 弥生時代加工斧の生産と流通−南関東地方と東海地方東端の分析− 論文
鈴木織恵(すずきおりえ) 八世紀の皇后像とその地位 論文
伏島正義(ふせじままさよし) 西ゴート法典にみる奴隷について 論文



第58号──葉貫磨哉先生追悼号(2001.03)
北条文彦(ほうじょうふみひこ) 中世に於ける長講堂の洪花の沿革について 論文
瀧音能之(たきおとよしゆき) 忌部神戸と玉作の神 論文
大森正且(おおもりまさかつ) 鎌倉幕府御家人の禅宗受容の一断面−宇都宮・結城・小山氏を中心として− 論文
倉井理恵(くらいりえ) 「法名」「出家」にみる中世武士の精神−鎌倉北条氏を事例として− 論文
伊藤恭子(いとうきょうこ) 鶴岡八幡宮別当頼仲と二人の弟子について 論文
小松寿治(こまつとしはる) 樵谷惟僊の動向について 論文
今野慶信(こんのよしのぶ) 得宗被官による禅師寄進の背景−宿屋氏の筑前国芦屋寺の場合− 論文
野尻かおる(のじりかおる) 『元亨釈書』と葉貫先生の思い出−虎関師錬が採った拓本− 論文
遠藤廣昭(えんどうひろあき) 室町幕府の造仏事業と院派仏師−洛中雲居寺大像の造像を事例として− 論文
西川美香(にしかわみか) 袋中(良定)『青天集』翻刻と紹介−夢窓疎石『谷響集』への反論書− 論文
皆川義孝(みなかわよしたか) 日光山滝尾の如法経信仰 論文
管野洋介(かんのようすけ) 羽山先達の編成と社家・修験・村−奥州伊達郡を事例として− 論文
三浦浩樹(みうらひろき) 月船禅慧の法系について 論文
仲田正之(なかたまさゆき) 享保の改革による代官支配の変化について−三島代官廃止と韮山代官成立の背景から− 論文
川上淳(かわかみじゅん) 厚岸国泰寺とアイヌ 論文
田中弘之(たなかひろゆき) 阿部正弘の対外政策に関する一試論 論文
小林惣八(こばやしそうはち) 五胡十六国の系譜 論文
葉貫磨哉(はぬきまさい) 「養生記」について 講演録



第59号(2002.07)
南和男(みなみかずお) 天保改革と江戸の寄席 論文
仲田正之(なかたまさゆき) 明治に残る元禄地方直しの影「朝臣領」−封建制度の終焉について− 論文
松下祐三(まつしたゆうぞう) 薩長商社計画と坂本龍馬−坂崎柴瀾の叙述をめぐって− 論文
小林和幸(こばやしかずゆき) 金子堅太郎の明治二三年七月三一日「華族会館ニ於ケル演説筆記」について 史料紹介
佐々木真(ささきまこと) スペイン継承戦争とフランドル地方 独立論文



第60号(2003.03)
仲田正之(なかたまさゆき) 近世後期代官の公事手続き 論文
栗原修(くりはらおさむ) 戦国大名上杉氏の隣国経営と河田長親 論文
仁平佐智子(にへいさちこ) 日光道中粕壁宿の飯盛女について 論文
小林惣八(こばやしそうはち) 内陸アジア諸民族の社会と文化 論文
川島淳(かわしまじゅん) 1906(明治三九)年の「関東総監府官制案」に関する文書的考察−修正の時期に焦点をあてて− 研究ノート
井高帰山(いだかきざん) 明治中期〜昭和初期の陶窯史−ある陶窯の創始・ある陶窯技術の流れ 研究ノート