言語遊戯〔ことばあそび〕
目 次
(1)ことわざ【諺】
(2)なぞ【謎】
(3)はやこと【早言】
(4)しゃれ【洒落】
(5)舌もじり・早口ことば
(6)かいぶん【回文】
(7)しりとり【尻取り】
(8)こうじょう【口上】
(9)その他
(1)ことわざ
「ことわざ」は、日本民俗学の資料取り扱いでいうところの第二の口承文芸の分野に位置づけれられるものであります。この分野には、ことわざの他に命名・新語・なぞ・唱え言・民謡・童謡・語り物・昔話・伝説などがあります。これらは、さらに、文字による文芸と口承による文芸とに二大別され、前者は作者の個性が作品中に表出するが、後者の方は作者の個性が全く現れない文芸であります。「ことわざ」は後者の方であり、これがことばの実際の場でどのような役割を担い、どのような働きをするかということをここで学習してみようと思います。
「諺」という文字は、古い文献資料で言いますと、『古事記』に「故於
レ今諺曰二雉之頓使一本是也」(上巻)とあって、行ったきり戻らない使いを「雉の頓使い」と云うそうです。また、『続日本紀』養老五年二月の詔勅には、「詔曰、世諺曰、歳在レ申年。常有二事故一」とあって、「申年は凶年である」という世諺を挙げています。説話のなかでは『日本霊異記』中巻に、「古人諺曰、現在甘露、未来鉄丸」とあり、この世での快楽は、未来における苦痛の種となるという意味の諺を紹介しています。そして、平安朝文学に至っては、ほとんどと言っていいくらい、諺が使われてないのも注目すべき特徴であるといえましょう。それは、作品の担い手と受容者までが上流階級のごく限られた人々によって織りなされている世界であり、庶民の声がまったく反映されていないことに深い関係が存在するのであろうと思っています。例えば、紀貫之の『土佐日記』二月四日の条にみえる「死し子、貌よかりき」などの物言いは、この「諺」の部類といってよいのではないでしょうか。
ことわざの定義
『日本国語大辞典』のことわざの欄には、「昔から世間に広く言い習わされてきたことばで、教訓や風刺などを含んだ短句」といっていますし、『日本民族資料事典』には、「簡単なことばで効果的に相手を納得あるいは屈服させようとする、一つのまとまった軽妙な文句である」と定義付けをしています。
ことわざの語源は、本居宣長が『古事記伝』のなかで、「こと」は「言」、「わざ」は「童謡・禍・俳優」などと同じ「わざ」であり、神や死霊が祟ることを「もののわざ」というし、人の口を借りて神の云わせたことばが「ことわざ」で、神の心であり、人の口を借りることで吉凶を人々に諭したものを云うのが、やがて、世間に広くいいならわされたことばそのものを云うようになったと云うのであります。この宣長の説に近似たのが折口信夫の説で、「わざ」は神意の宿る物をいい、神意の宿ることばが「諺」であり、ことばは神の精霊に下されたことばと考えるのであります。
この一方で、藤井乙男は、『諺の研究』のなかで、「コトワザは為業に対する言業にして、イイグサという程の義と見ゆ」と記述されています。柳田国男は、『民俗学辞典』において、ことわざを「言語の技術、コトワザの意」と説いています。
ことわざの形態・譬え
ことわざの種類
大藤時彦は、『世界大百科事典』の「ことわざ」の項で、ことわざを「その機能によって、攻撃的諺・経験的諺・教訓的諺・遊戯的諺の四群に類別」しています。これをヒントに構成分類すると次のようになります。
@批判的ことわざ、A教訓的ことわざ、B娯楽的ことわざの三つに分類。
@批判的ことわざ
人と人が争う時、武器としてのことばが出現します。簡潔で敵の弱点をつき、容赦なく言い放つことわざがこれです。古くは、軍記物語にみえる敵味方対峙して名のりを行う場面があり、この場合、痛烈なことわざで敵方を罵り、同時に味方の兵士を笑わせることわざであれば味方の志気もあがろうというものなのです。近世における「野崎参り」の道中での、船でゆく人と岸を歩く人の間で交わされる悪口の言い合いもまた、各地に伝わる「悪態祭り」などいずれも巧みなことわざによって相手を沈黙・意気消沈させることで福を自らの方に呼び込むものであります。さらに、けんかの場面でも「たんかをきる」と言いますが、ことばにつまらないためにも、出来るだけ数多くの諺を知っていれば即興に使えるわけです。このようにふだんから身に付けておく必要性を感じていたにちがいありません。古人が何よりもましてこの「ことわざ」を渡世の知恵として研磨していたのではないでしょうか。
一寸の虫にも五分の魂
うさぎも七日なぶればかみつく
地蔵の顔も三度
蛞蝓にも角がある
馬鹿の一つ覚え
実際、弱い者が怒りだしたら、こういったことわざを捲し立てとっちめたのでしょう。
とかく杜撰に仕事を始める者に対しては、
始めに二度なし
と、やり直しがきかないことを説くこともできます。
A教訓的ことわざ
個人をやりこめることわざが批判的な諺であるのに対し、広く万民のためにものごとの道理や知識をあたえようとするのがここでいう教訓的諺です。人生の生活にかかわることがらを諭すものです。
たとえば結婚という人生の節目に、
嫁をもらえば親をもらえ(親の人柄を見ればその娘の人柄もわかる)
嫁は手を見てもらえ
婿は座敷からもらえ、嫁は庭からもらえ
自然生活に密着したことわざでは、
木六竹八塀十郎(木は六月に、竹は七月に切るのがよい、土塀は十月に塗れば長く持つ)
尾崎谷口堂の前(家を新築するときに建てない方がよい場所をこういう)
気象に関することわざも経験からくるものがあり、
朝雨に傘いらず(朝の雨はすぐにあがる)
朝雨ばくち裸の元(朝の雨は後で晴れて暑くなる)
夕鳩鳴いて空見るな(晴天が続く前兆)
夕鳶に笠を脱げ(雨がやむ前兆)
夕焼けに鎌を研げ(夕焼けの翌日は快晴になるので稲刈りの準備をせよ)
と言いのがあります。
B娯楽的ことわざ
相手を怒らせもしますが、味方を笑わせる要素もことわざには潜んでいます。当の本人にしてみれば、厭なことでも第三者の立場に立てば笑い転げる内容の意味を含んだ諺が次の表現です。
糊食った天神様
子供たちのことを愚痴にこぼす親に誰かがこの一言、
瓜のつるに茄子はならぬ
といえば、笑いのうちに愚痴はもうでなくなるでしょう。
強情ぱりな人が虫を見て黒豆だと言い張る。そのうちに動き出してもなお黒豆だと言い張ったという時の表現です。
はっても黒豆
だじゃれになったものもあります。
月とすっぽん
雲泥の差といった機能を有することわざから遠ざかると次のようになります。ぜひご自身でお調べください。
義経の向う臑
綱渡りより世渡り
仲立ちより逆立ち
炬燵の前で当たり前
せんちの火事で焼けくそ
さるの小便で木にかかる
このように、機能を失い、駄洒落となってもまだ好んで使う意識の奥底にはやはり、諺としての機能が見え隠れしているのでありましょうか。あなたはどう思いますか。
(2)なぞ【謎】
「なぞ」については、新潟県長岡地方に伝わる「節季ナンズの春ムカシ」ということばがあり、節季には謎を掛けあい、正月には昔話を語るものだと云います。奄美大島でもなぞのことを「イイキリムンガタレ」というのも昔話と通じます。
「なぞ」は、比較的意味の分かりにくいことわざのあとに、「なんぞ」ということばを添えて人に問うところから始まったものです。発生的には、神仏の託宣の歌、巫女の用いる特殊な言葉の類に近い性質のもので、わざとわかりにくく云って考えさせるものだったと思われます。やがて、これが言語遊戯に変貌してゆきます。
「なぞ」は平安時代の間でも流行していたことは、文献資料によっても知られます。そうして、時代とともに和歌・連歌・俳諧・雑俳などに取り入れられていきました。
中世の徒然草第一〇〇段には、「医師忠盛とかけて唐瓶子と解く、心は我が朝の者とも見えぬ忠盛」が知られています。
とりわけ、安土・桃山時代そして江戸時代に著しく発達し、願人坊主という一種の乞食坊主が、判じ物を配って銭を集めるようなことも行われました。もっとも、判じ物と謎とは同じ内容とはいえないところもあります。「なぞ」はことばで掛けるのに対し、「判じ物」はことばだけでなく絵や事物を使って謎を掛けますので、これも広く「謎」の部類に入れて考えておきます。
「謎」には「二段謎」と「三段謎」とがあり、「二段謎」は子供たちによって受け継がれてきましたが、三段のものよりも古風な素朴な内容になっています。
朝早く起きて一本道を通るもの(雨戸)
家中の力持ち(囲炉裏の鍵竹)
白壁土蔵に戸ぼうなし(豆腐)
天ピッカリ土むぐり(鍬)
檜の木、杉の木、はば桜、袖ふりかけて糸桜(おばけ)
<おばけは檜杉を使った曲げ物で、その曲げた目を桜の皮でかがるので、糸をおぼけにたぐりこむとき、袖がおぼけにふれるところから。>
「三段謎」が一般に広く行われるようになったのは、江戸も中期になってのことです。「なになにとかけてなんととく。そのこころは?」の形式で、多くは洒落や地口(ことわざ・成語などと発音の似た文句を作っていう洒落)を使い、多くは書物の受け売りです。旅商人によって運ばれ、また、専門の芸人によっても取り上げられてもいます。むしろ、子供の世界だけの物ではなかったといってよいでしょう。
いんちきな神様と掛けて下手な剣術と解く。心は参り手がない。
鴨と掛けて二月堂と解く。心は水鳥(水取)
葬式と掛けてウグイスと解く。心はなきなきうめ(梅=埋め)にゆく。
峰の桜と掛けて天狗の鼻と解く。心ははな(鼻=花)が高い。
破れ障子と掛けて冬のウグイスと解く。心ははる(春=貼る)を待つ。
そして、謎を始めるにあたっては、一定の形式があった。「なんぞなんぞなななんぞ。菜っ切り包丁長刀、納戸のかけがね外すが事」などといって、解けないときには「お流しやれ」「もんじ」などというと、掛けた方が答えを教えるのです。そういう方式や作法をもつ点では、昔話の発端句・相づち・結句「だとさ。おしまい」とうのに通ずるものがあります。
いくら考えても、答えのわからないものナーニ。(答えのないなぞなぞ)
いくらあっても、ないものナーニ。 (梨)
目が三つで、足が六本ナーニ。 (馬に乗った丹下左膳)
眼で見ないで、手で見るものナーニ。 (湯加減)
脚がなくても、よく走るものナーニ。 (風)
口がなくて、歯のあるものナーニ。 (下駄)
節があっても、見えないものナーニ。 (歌)
「雀と掛けてなんと解く。」「道真公と解く。」「心は菅原(巣が藁)。」
「謎と掛けて生娘の帯と解く。心は、解くまでがむづかしい。」
その他としては、「文字謎」があります。
土と云えば確かに土よ泥土よ、
そこに誰かが竿を突き立てたが
なぜだか竿は真っ直ぐに立たぬ。
誰かさんの子供がそこに立ち、
立っているようで立ってはいない
さっきの竿に寄りかかる。 (答えは「孝」の字)
○子子子子子子 子子子子子子(ねこのこねこのこ ししのこのこじし)
[出典:『宇治拾遺物語集』巻三の十七]
嵯峨天皇と小野篁に関する逸話で、「片仮名の子文字〔ねもじ〕を十二書かせて、給ひて」、「ね」「こ」「シ」の三種の音訓を使って即座に解読し、嵯峨天皇を感服させたものです。
○水辺に酉〔とり〕あり、山に山を重ねんや。
\/〔へつほつ〕夕夕〔せきせき〕。
[出典:『醒睡笑』三の十一]
漢字の分解から合成による解読表現で、「水辺に酉」は「酒」、「山に山を重ね」は「出」ですから、「酒(を)出(しましょうか?)」この回答は、「人多」で「客人が多いから不要」というものです。小僧と和尚のやりとりを聞いてすべてを理解したその日の客は「玄田牛一……」と言って席を立ったと作者は記述しています。江戸の話地黄坊樽次著『水鳥記』という題目も「酒」の字を分解した表現です。
○木の横の二階の下に女あり。(「櫻」の字)
「字謎」は、漢字の分解・合成に基づくものです。この種の字書も誕生しています。名古屋寶生院真福寺蔵の『〓〔玉周〕玉集』や『小野篁哥字尽』がそれです。また、滝沢馬琴の読本『南総里見八犬伝』には、里見の犬すなわち、「狸」が育てた犬「八房」と人に従い、犬に従う意図を合成した名の「伏姫」。それに「狸」の異名である「玉面」を和訓でいう「たまつら」すなわち、「玉梓」の名が登場します。そして、八犬士をひとつに収束する役割の僧としては、「ヽ大法師」も登場し、これは「犬和尚」の分解字名なのです。これを「名詮自性」と表現しています。私たちの名前も必ず名は態を表すではありませんが、深い意味を持ってつけられているのでしょうから、ぜひ、この機会にご自分の名前のいわれを知ってみてはいかがでしょうか。
江戸時代の「なぞ」は洒落ている
式亭三馬『大千世界楽屋探』(文化十四年版)初・下に、
京摂〔かみがた〕の字せんぼぢやアねえが、女房〔にようぼ〕の乱氣〔きちがひ〕で、つまらんつまらん(妻乱)
「ハーさん、いけずやわア。」
とか、
「いやア、いやらし。旦さん、池のはたのずいきやなア」
と睥でいわれるのがこれです。絶妙そのものです。
最後にとておきのなぞ
○日本のオリンピック選手はなぜ足が地についていないのだろうか?
(なーに足が短いから。)
○横浜に行く(現代若者ことば:トイレに行くことの意)
(3)早言(早口)
早言の要素としては、次の四つがあります。
<第一>種々の語を並べ立てる早口。長言。(17,18,26)
<第二>一定の短い句を繰り返すことで全然別種の文句に聞こえる秀句遊戯。
<第三>畳語畳韻を用いる早言、長言。(25)
<第四>舌がもつれて言いにくい舌捩り文句。(11,13,14,31、他番号)
<第五>異例。洒落から早口になる文句。(27,30)
この四つの要素が一つの文句として長つづけにしたものを「早口そそり」と呼称します。このそそりの文句が自由に介在して続けられるのが特徴で、二代目市川団十郎の外郎売り(享保三年)の科白、及び長歌の言興寺がそれにあたります。また、早口そそりを程良く仕立てて出来上がった戯作には、芝全交の『形容化景唇動鼻下長物語』(寛政五年)、『白髭明神御渡申』(寛政五年)<後編とあるが、名前のみで早口そそりは未見>、築地善好『外郎早言相州小田原相談』(寛政七年)、式亭三馬『はなげは長し面はみぢかし道外物語』(文化六年)、落語のなかでは、『金明竹』があります。後の南新二『筑波の裾野狸の牧狩』(明治二六年)は、『相州小田原相談』を改編したものです。
さて、早言の起源ですが、はっきりした年代はわかりません。ただ、畳語文句だけの文学表現は修辞法の一つとして太古から用いられています。舌捩り文句の発祥そのものが民間の庶民文化にあって文献学の立場からは判断が付かないのが現状です。流行の潮流が享保三年、二代目団十郎の外郎売りの科白以来、起伏のあったことは、上述の作品が教えてくれます。当時の趨勢が今なお現代の言語遊戯生活の中にほそぼそと受け継がれていることは、驚くことでもあります。
団十郎の外郎売りの科白
拙者親方と申すは、御立合の中に、ご存のお方もござりませうが、お江戸を立て二十万里上方。相州小田原。一しき町をおすぎなされて、青物町を登りへお出なさるれば、欄干橋虎屋藤右衛門、只今は剃髪いたして、円斎となのりまする。元朝より大晦日まで、御手に入まする御薬は昔ちんの国の唐人、ういらうといふ人、我が朝へ来り帝へ参内の折から、この薬を深く籠置、用ゆる時は一粒づつ、冠の隙間より取り出す。依ってその名を帝より、頂透香〔とうちんかう〕と給はる。則文字にはいただきすく香と書てとうちんかうと申す。只今はこの薬殊の外世情に広まり方々に似せ看板を出し、イヤ小田原の灰俵のさん俵の炭俵のこと。いろいろに申せども、平仮名をもつてういろうと致したは、親方円斎ばかり。もしやお立合の内に、熱海から塔ノ沢へ湯治にお出なさるるか、又は伊勢御参宮の折からは必ず、門ちがひなされまするな御登ならば右の方、お下なれば左側八方か八棟おもてが三つ棟玉堂造りはふには菊に桐のたうの御紋を御赦免有て系図正しき薬でござる。イヤ最前より家名のじまんばかり申しても、御存ない方には、正真の胡椒の丸呑、白川夜舟、さらば一粒たべかけて、その気合をお目にかけませう先この薬をかやうに一粒舌の上にのせまして、腹内へ納めまするとイヤどふともいへぬは、いかん肺肝がすこやかになりて、薫風咽より来、口中よびりやうを生ずるがごとし。魚鳥木の子麺類の食い合わせ。そのほか万病速効あること神のごとし。さてこの薬第一の奇妙には舌のまはる事が銭ごまがはだしで逃げる。ひょっと舌が回り出すと。矢も楯もたまらぬじや。そりゃそりゃそりゃそりゃそりゃ回ってくるは。あわや咽、さたらな舌にかげさしおん。はまの二つは唇の軽重かいごふ爽に。あかさたなはまやらわ。をこそとのほもよろお。
<外郎売りの長文句>
1,一つぺぎへぎにへぎぼし、はじかみ盆まめ盆米ぼんごぼう。
2,摘蓼つみ豆つみ山椒。
3,書写山の社僧正。
4,こごめなま噛小米のなまがみこん小米のこなまがみ。
5,繻子ひじゅす、繻子しゅちん。
6,親も嘉兵衛子も嘉兵衛。親かへい子かへい。子嘉兵衛親かへい。
7,古栗の木のふる切り口。
8,雨がっぱ番合羽か。
9,貴様のきゃはんも皮脚絆。我らが脚絆も皮脚絆。
10,しつかわ袴のしっぽころびを、三針はりなかにちよと縫て、ぬふてちよとぶんだせ。
11,かはら撫子野石竹。
12,のら如来のら如来、三のら如来にむのら如来。
13,一寸のお小仏に、おけつまづきやるな。
14、細溝にどぢょにょろり。
15,京のなま鱈奈良なま学鰹〔まながつを〕。ちょと四五〆〔かん〕目。
16,おちゃたちよ茶たちよ。ちゃっとたちよ茶たちや。青竹茶筅でお茶ちゃとたちや。
17,くるはくるは何が来る。
18,高野の山のおこけら小僧。
19,狸百匹箸百ぜん天目百ぱい棒八百ぽん
20,武具馬ぐぶぐばぐ三ぶぐばぐ、合わせて武具馬具六ぶぐばぐ。
21,菊栗きくくり三きく栗合てむきこむむきごみ。
22,あおのなけしの長なぎなたは誰が長長刀ぞ。
23,向ふのごまがらはえの胡麻からか真ごまからか、あれこそほんのま胡麻殻。
24、がらぴいがらぴい風車。
25,おきやがれこぼし、おきやがれこぼし、ゆんべもこぼして又こぼした。
26,たあぷぽぽたあぷぽぽちりからちりからつつたつぽ、たぽたぽ一丁だこ落ちたら煮てくを、にても焼いても食れぬ物は五徳鉄きうかな熊。
27,どうじに石熊石持虎熊虎きす中にもとうじの羅生門には、茨木童子が、うで栗合つかんでおむしやるかの頼光のひざ元去らず。
28,鮒きんかん椎茸定めてごたんなそば切そうめん。うどんかぐどんな。
29,小新發知〔こしぼち〕小棚のこ下に小桶にこみそがこ有ぞ、こ杓子こもつて、こすくてこよこせ。
30,おつとがてんだ心得たんぽの川崎、神奈川保土ヶ谷、戸塚走って行けばゆいとを摺むく三里ばかりかふち沢平塚大磯がしや小磯の宿を七つおきして早天さうさう相州小田原。
31,お心をおやはらぎや。
32,まいまいつぶり角出せ棒出せぼうぼうまゆに、うす杵擂り鉢ばちばちぐわらぐわらぐわら。
33,ヲット合点だ心得田圃の川崎神奈川大磯がしや小田原まで走って行きやす。「鼻下」
【純粋の第一の例】人名
34,寿限無寿限無五光の摺り切れず、海砂利水魚水魚末、雲来末風来末、食寝る処に住む所、やぶら小路、藪小路、ぱいぽぱいぽぱいぽのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピー、ポンポコピーの長久命の長助。
35,アリステ三平郎、テキテキ屋テキスリゴンボー、走心坊、宗高入道、播磨が別当、茶碗茶ブスの式井のコツケ。茶ぶ助、引井幸助。オン坊、草林坊、背高入道、播磨の別当、茶碗茶臼にひきんのへこ助様、井戸に落ちました。
36,扇拍子を丁ど打つて、一丁切りに二丁切り、丁に丁ろくに丁太郎びつに丁びつに、あのやまの、この山の、ああ申すかう申す、ひちくきざんぎりもくあんに、てんもくてんもくのもくさう坊、伊賀の平内左衛門、加賀の源ざうず、源七源八平六、とつぺない五郎、豆腐のおん坊、くひしん坊、瓜のおん坊、冬瓜坊、刀のかまの小左衛門、鳥のとつさかとう三郎。
*戯作のなかに表れた長名
37,法性寺の入道先の関白大政大臣様。
38,しつたりかんたり、かくたりけんたり、ひたる君四郎左衛門の大夫、入道ふぢばなの馬面卿。
39,えけせてねへめえれえ、うくすつぬふむゆるうと申す者。
40,まごべいごけ、ごけまごべい三つ合せて三まべまごべごけ。
41,ねんころころねんねんねん五郎。
42,へげたれだりむくれん。
43, ひんならまごら尊者の弟子、てれめんていこ。
【第二例】意義転換の秀句遊戯
44,おもちや(玩具、お餅屋)
45,棚に升(頼みます)
46,琴三味線(今年や見せん)
【第三例】畳語畳韻の例
47,八雲たつ出雲八重垣妻ごめに八重垣作るその八重垣を。日本書紀神代
48,大枝を超えて走り超えて、走り超えて、踊り上がり、超えて、我がや護る田にや捜り、捜り食む鴫や、ををい鴫や。三代実録巻一
49,よき人のよしとよく見て良しと云ひし吉野よく見よよき人良く見つ。万葉集三
50, 思へども思はずとのみいふなればいなや思はじ思ふかひなし。古今和歌集
*近世の畳語畳韻
51, 奈良七重七堂伽藍八重桜。芭蕉
52,月も月そもそも大の月夜哉。一茶
53,昔の恋は来いの恋今の恋は持って来いなり。渡辺華山『つづれの錦』の狂句
*地方俚謡
54,かんかんづくしを云はうなら蜜柑金柑酒にかん、子ども羊羹やりや泣かん、親の折檻子が聞かん。
*狂歌・道歌
55,夢の世に夢に夢見る夢の人の夢物語するも夢なり
56,親も無し妻なし子なし板木なし金もなければ死にたくも無し。林六無斎
57,南無釈迦ぢゃ娑婆ぢゃ地獄ぢゃ苦ぢゃ楽ぢゃどうぢゃかうぢゃと云ふが愚ぢゃ。一休
*その他
58,黒田さんの黒助が黒茶町に黒鯛を買ひに行つて黒犬に食ひ付かれて黒血が流れた
59,儂の家の儂の木に鷲が止まったから儂が鉄砲で鷲を撃ったら鷲も驚いたが儂も驚いた。
60,向ふの小山の小寺の小僧が小棚の小味噌を小なめて小頭こいんとこつかれた
【第四】舌捩り
61,うちのバッグは皮バッグ、隣のバッグも皮バッグ、向こうのバッグも皮バッグ、三つ合わせて三皮バッグ。
62,長持ちの上に生米生麦生卵。
63,かえるひょこひょこ三ひょこひょこ三つぴよこぴょこ合わせて六ひょこひょこ。
64,農商務省特許局日本銀行国庫局。(三度云う)
65,つごもりざるそば
(4)洒落
落語などの話芸のなかで、しばし見られる表現です。
たとえば、「ローマの休日」をもじって「廊下(老化)の休日」などと言うのがこの洒落ことばです。
(6)回文
現代の回文
○新聞紙(しんぶんし)。
○八百屋(やおや)。
○田植え歌(たうえうた)。
○夏まで待つな。
○私負けましたわ。
○竹やぶ焼けた。
*ここのところは、探せば数知れません。自作・他作を含め、是非ご披露ください。ご投稿は、
hagi@kk.iij4u.or.jpにお願いします。三十一文字の回文
○村草にくさの名はもし具はらばなぞしも花の咲くに咲くらむ
○惜しめどもついにいつもと行春は悔ゆともついにいつもとめじを
○長き夜のとをの眠りのみな目覚め波乗り舟の音よきかな
俳諧・連歌の回文
『毛吹草』(岩波文庫・四六七頁)に、「頃〔このころ〕廻文之俳諧とて人のいひつづけらるるを見るに、一きは興〔けう〕ある物にぞあなる。(中略)昔を聞に大和にも限らず唐詩〔からのうた〕にも廻文の例〔ためし〕多し。殊に若蘭錦字詩之二百首を作りて夫〔おつと〕の方へつかはしけるに、是も其徳なきにしあらず。」と記載されています。四九二頁までと長くなりますので中味はご自分でお読みください。とはいえ、いくつか私なりに抜粋しておきます。
○すきととぼけななけ郭公〔ほととぎす〕 貞
○世中はむなしく死なんはかなの世 頼
○小猫の芸よよい毛の小猫 方
○鈴のみが音をし音を神の鈴 頼
○稚〔おさな〕さをすかすよすかすおさなさを 方
○遠〔とを〕のくかうぐひすひくう楽〔がく〕の音 重方
○しら雪のきゆる春野か駒しばし馬子がのる春雪のきゆらし 作者未知
○身の留主〔るす〕に来ては折とるこの花は残る鳥をは敵にするのみ 未得
江戸時代の回文
滝亭鯉丈『花暦・八笑人』第五編
あば太郎「コウ左次さん聞ツし。此名題ハ寶船の歌と同じことで、うへから読んでも下から読でもおなじ事だぜ。マアざつとした事が、おいらたちの案事ハ名題からして斯骨を折て工夫するから、埒のあかねへはずだらう。茶番に廻文の趣向ハどうだどうだ。「きぬたのおとをのたぬきサ、何くわいぶんもとうぶんもいらねへことはねへ、是から脚色の本をよミを聞ツし、とうざいとうざい。
○砧の音を野狸(きぬたのおとをのたぬき)
(7)尻取り
はじめましょ
めましょを見ればなりそな目もと、目元近江の国境
ざかいちがいのお手まくら、まくらの花は明日香山
かやま町には薬師さま、しさまのかち路播磨潟
まかたの名方ふたたびがん、びがん柑子橘
ばなかさんさき幡随院、ずいん佐々木が乗かった
勝田峠のとびだんご、だんごの節句は柏餅
わもち無沙汰みに塵ひねる、ひねるの城には長壁殿
べとのさん大権現、んげんの伊久に助六じゃ
六じゃの口をのがれたる、たるに道連れ世は情け
なさけの四郎高綱で、つなでかく縄十文字
十文字の情けにわしゃほれた、惚れた百までわしゃ九十九まで
九までなしたる中じゃもの、じゃもの葵の二葉山
葉山買うより桃買ってくやれ、くやれくやれは風邪引いた
ひいた子がおしえて浅瀬をわたりゃ、たりゃたりゃひいひい風車
くるま通いの通り者、りもの煮たもわしゃ知らぬ
知らぬ酔狂すっぱぬき、ぱぬきの皮の腹づつみ、
つづみながらに四つ手あみ、であみがしらの喧嘩づき
かづき八日は御たんじょう、んじょう峠の孫じゃくし
しゃくし如来の御縁日、んにち墨は印判屋
ばんや正月宿おりじゃ、おりじゃ双六おいまわし
まわしの干し物ちんからり、からりというて暮れの鐘
のかねが打たる銘のもの、のものおえたはよきのはも立たぬ
立たぬ四郎は猪ししに、ししに正しき家筋じゃ
すじじゃ身をくう世のならい、ならひちがいのお手まくら
まくら千人めあき千人、千人問答ひらがなか
かなかのややはもう十月、とつきもしらぬ山中に
なかにだいばは付き物だ、ものだの森の狐をうかそ
うかそ中山誓願寺、がんじ元来殺生せきか
せきか太平国土安穏。
滝亭鯉丈『花暦・八笑人』第五編(岩波文庫・二九三頁)に、次のような尻取り表現が見えます。
○(前略)頭武「左様さ、どうもソレへど絵図役人付。」眼「役人付しそのミ唐がらし。」呑「唐がらしものハ音にもきけ。」のろ「きけやきけきけ此車。」出目「車のじやれとハ違ふぞよ。」左治「ヲツトよしよし、もう朝めしハ沢山だ。」
京都東山の名所・料理屋の読みづくし
布団着て寝たる姿や丸山ほとりの春景色。しきりに左阿彌の三味の音。音に聞こえし端の寮。料理の誂え正あみか。かっちりあたる也阿弥でも。もちっとげん阿弥見えませぬ。ませぬ舞子のそのなかに、なかにとりわけ弁財天。てんごう御言いな此のちゃ惚れん。れん阿弥大抵じゃ値が出来ん。出来たら大谷かなうたり、二人で遊ぶ長楽寺。地の神さんが連れだって、立ってお寄りと二軒茶屋。やたらに詣でる祇園さん。山門ながら知恩院、陰気なお客はくわん阿弥の、乗せる船から長喜庵か、風に破るる芭蕉堂。どうでも門破る気か。可愛や西行致します。まずまず一服一銭の仙あみてなら観世音。女買うなら祇園町。まちっとこちらは安井前。前から雪見る平の家。焼かれて暑いは藤屋なり。力んで管まく酔たん坊、ほうの出たのは是れふく屋。ふくやの神なら大黒屋。くやんで返らぬ栂尾も、面白そうに楊弓を、急を告げるはほんきうじゃ。じゃらじゃら流るる滝本の、元の孔雀は入れ替わり、代わりの女が北佐野か、駆けてきたのは佐野屋の源左衛門か。可愛い可愛いと高台寺。大事の口に風引かす。引かす三味線ご迷惑。曰く因縁もうしまい。稲荷の狐でかいかいと。とかく都は面白や。
*これは、名所および料理屋を読み込んだ非常に長い見事な尻取り表現です。
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