谷崎潤一郎
誕 生……
1886(明治19)年、 日本橋 蠣殻町にあった祖父の家、 谷崎活版所で生まれた現在の日本橋人形町1丁目) 夫人松子の揮毫による碑。文壇デビュー 1911(明治44)年、永井荷風の推挙で文壇に登場。小田原転居 1919(大正 8)年、 小田原 に転居。小田原事件……親友佐藤春夫が、潤一郎に虐げられていた千代夫人に同情し、潤一郎は春夫に 妻千代の譲渡を約束 しかし、その約束は果たされなかった 潤一郎と春夫は絶交 。横浜移住……潤一郎は小田原から、横浜の本牧に移住、関西避難。1923(大正 12)年、箱根で関東大震災に会い、単身、 芦屋の伊藤甲子之助宅に避難 。 関西移住、再度妻子とともに関西に移住 1934(昭和 9)年?1936(昭和11) 芦屋に住む。 墓 所……1965(昭和40)年 7月30日、死去 京都・法然院、東京巣鴨・慈眼寺に墓所。代表作『春琴抄』『細雪』横浜ゆかりの作品『本牧夜話』『港の人々』……谷崎が小田原から引き移って住んだ家は本牧の海岸にある西洋館。チャブ屋風俗を描いている『痴人の愛』ナオミという奔放な女の行状を描いたもの横浜の 山手にある西洋館に私(譲治)と奈穂美が住むよう になる……『アベ・マリア』