2003.09.17→09.25更新
書くための基礎技術
1、これから、「書くこと」を学習していきます。
 
2、専門用語を普通用語にして用いるとき、たとえば、「首相続投か」の「続投」は、本来野球用語であり、これを通常の表現に使っています。これなどは、まだ序の口でしょうか?新聞は、日々ことばの宝庫でもあります。また、昨今街頭ポスターに「公明党がやる」というのがありまして、これを「公明党」「がやる」と読んだとしましたらどうでしょう?なんか、「大声で怒鳴る」というイメージになります。意志が別方向へ向かうと、何と無くパロディ化になっていきますなぁ。では、はじめましょうか?
 
3、例えば、林芙美子『放浪記』に「尾道にては、いちじくをとうがきというなり」と記載していることがらをステップにした場合、古いバレトの聖書の本に「かき」としていること、すなわち、「かきの実が赤くなっていくのを見て、秋の気配を知る」という点で日本の「柿(かき)」と西洋の「無花果(いちじく)」とが共通したひとつのものだということがらから、「fig」と「prsimmon」が異なることをどう書き上げるか、身近な暮らしの疑問を旨く引き出し、季節に合わせた話題を提供する工夫がここには働きます。
 
4、年頭の挨拶文言を頻度順位にて示すと、
 1、謹賀新年。
 2、あけましておめでとうございます。
 3、謹んで新春のお慶びを申しあげます。
 4、謹んで新年の御祝詞を申しあげます。
 5、賀正。
 6、新年あけましておめでとうございます。
 7、頌春。
 8、謹んで新年のお慶びを申しあげます。
 9、賀春。
 10、新春のお慶びを申しあげます。
 11、迎春。
 12、新春のお慶びを申し上げます。
 13、新春を寿ぎ謹んでお慶び申しあげます。
 14、あけましておめでとう。
 15、新年おめでとう。
 欲張って年賀はがきを買いすぎて出す相手を探す失敗はなさりませぬように……。マンガ植田まさし『コボちゃん』より。また、こんなはがきは困ります。 “年賀欠礼 ”の挨拶添え書きに、「なお皆様の息災なき迎春をお祈り申し上げます」、これも手紙「前略 風薫る季節になりました。その後お元気でお暮らしのことと思います。さて、……《略》  敬具」この表現の不具合がわかりますか?
 そして、「胸さわぎ」ということばをどういうときに貴女なら用いますか?かって、永六輔作詞・中村八大作曲の歌謡曲「おさななじみ」の七番めに「あくる日 あなたに電話して 食事をしたいと 言った時 急に感じた 胸さわぎ 心の霧が 晴れったけ」の「胸さわぎ」はどうでしょうか?「恋の予感、恋心の昂まり」。
 
5、たとえば、「ガッツポーズ」ですが、これは英語でない和製英語ですが、「ガッツ」の意味といえば、「根性」、 「ガッツポーズ」は、ボクシングの元チャンピオンであるガッツ石松がやったのが最初で、四月十一日のその日を「ガッツポーズの日」と定めています。といった、雑学智識が人の興味を湧かせて受けるのです。これなどは、「ガッツだぜ」というセリフが必要な参会者に受ける内容であれば、大受けでしょう!そして、この場にご本人が登場したら、もっと盛り上がるのでしょう。
 
6、たとえば、明治の文豪夏目漱石が若い頃ですが、中世の鴨長明の随筆『方丈記』を英訳しています。この冒頭部分は、「行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀み浮かぶ泡沫は、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし」で、これを「Incessant is the change of woter where the stream glides on calmly:the spray appears over a cataract,yet vanishes without a moments delay.」と訳しています。これを日本語に直訳すると、「不断に交替する水の流れは清静と滑り行く。飛沫が瀑布の上に現れても忽ちにして消え失せる」となります。この「よどみ」をどう訳すか、次にドナルド・キーンの訳はといえば、「The flowof the river is ceaseless and its water is never the same. The bubbles that float in the pools,now vanishing now forming and not of long duration.」として「 pools 」すなわち、「溜まり水」になってくるのです。こうして見た時、『方丈記』はイタリア語訳もあって、これがどう表現されいるのか知りたいなんてなると、参会者にも俄然、参加する意欲が湧いてきたりします。そこで一筆執りたくなるのです。これが共感・同意でしょう。
 
7、たとえば、二千円札。思えば沖縄の朱礼門と『源氏物語』の鈴虫の巻きとが表裏をなしていますが、この鈴虫の文章が判然としない下切れ状態の変体仮名文章であることに気づくのですよ。そこで大東急記念文庫(五島美術館)所蔵の原本を見るとはっきりするわけです。欠落して誰も読めないということが……。これに対し、アイルランドの10ポンド札の『フィネガンズ・ウエイク』の冒頭書き文字はちゃんと読めるのです。いかにちゃらんぽらんな作成であるか暴露してしまいましたゾなもし。ここに参会の方々はいかがな面持ちですか?そして、作者「紫式部」はかくも、『紫式部日記』からの写しとなっています」なんて、小渕元内閣総理大臣が聞いたらどうでしょうか?はたまた、現小泉内閣総理大臣は、どう答弁するのかな?
 
8、たとえば、道元禅師の『正法眼藏』に「而今」とあり、これを江戸期の版本に「ニコン」と音読みし、左訓に「いま」と表記する。英語で「from now(これから)」「immediate Present」の両用の意味合いがあること、すなわち、「今よりして(過去は去ておき)(起点として)」と「今にして」のニュアンスをどう表現するかでしょうか?聞き手の感得により異なりが生じてくるのではないでしょうか?そして、この「而今」は孔子の『論語』にも記載されていますが仏典と漢籍では同じ文字でもその意味合いは異なることを付加するのです。
以上