2001.06.16[
文献資料を読む]漢字とかな文字の融合性
藤原為家が忠実に書写したことで事実上、紀貫之自筆本と称せられる大阪青山短期大学附属図書館蔵『土左日記』の本文には、この日記の冒頭文である
をとこもすなる日記といふものををんなもしてミむとてするなり。
をとこの方も日常書記する日記
といった一文のなかで、かな文字主体の一文中にまさしく一語だが「日記」という漢字が用いられていることに気づく。かな文字で「にき」と記さずに、漢字表記で「日記」としている“事実の確認
(現実直視)”がこの講義でのテーマとするところである。テキストとして翻刻されている現況は、かな文字「にき」に置換して読ませようとする校訂者の意識が見え隠れしている。もっと謙虚に事実を直視してみようではないか。さて、このかな文字は流麗な美的感覚を絢爛な紙面に漂わすに「草書体」をもって表現する。この「草書体」は、かな文字の連綿性を巧く利用し、口にのぼらしても瞬時にことばのつながりを察知して読み進めることができる仕組みになっていることを知っていただきたい。
たとえば、慶長元和古活字版『大鏡』
(国立国会図書館古活字版図録97)にみえる、さ
し
-かハれ-いの人よ-りハこ-よな-くとしおいうた
-てけな-るお-き-なふた-りをむなと-きあ-ひておな
-しとこ-ろにゐぬめ-りという場合、「うたてげなる翁二人、女
説き合ひて、同じ処に居ぬめり」と読むことを連綿表記で示していることとなる。この連綿性表示法によって、この「連綿性表示の途中から自立語(文節)が開始することはなく、可読性の向上につながっている」。この読み方が室町時代の『大鏡』の標準読みであることが知られてくる。だが、現在の諸本のうち古写本研究では、この箇所を「うたてげなる翁二人、嫗と行き会ひて、同じ処に居ぬめり」と読むように、「うたてけなるおきな二人、おうなといきあひて、おなしところにゐぬめり」(東松本)と読むのが通例化している。それと、ことばの意味を重層させる「懸け言葉」は、漢字で「唐衣 来つつ慣れにし 妻しあれば 遥々来ぬる 旅をしぞ思ふ」と表記してしまったのでは、「きつつ」の「来」と「着」、「なれ」の「慣れ」と「狎れ」、「つま」の「妻」と「褄」、「はる」の「張る」と「遥々」、「きぬ」の「衣」と「来ぬ」、「たび」の「
?」と「旅」などといった現象は表出できないことになる。鎌倉時代の歌学者である藤原定家は、平安時代の主要作品を悉く書写している一人である。彼の功績が今日さまざな国学の伝統ある権威性として表出してきた事実も知っておきたい。次に取り上げる『古今和歌集』もその一つである。
さらに、ことばの清濁を超えて「うくひす」を『古今和歌集』物名・四二二、藤原敏行朝臣のうた、
心から 花のしづくに そほちつゝ うくひすとのみ 鳥の鳴くらむ
のように鳥の「鶯」に「憂く干ず」という心象を懸けるということばの重層性技法は生まれてこないのである。草書体は、「うくひす」をかな連綿表記で示し、歌意を理会するよう書写者は努めている。そう、この歌は、「自らのぞんで、花の滴くに びっしょりと濡れているわたしなのに 「憂く干ず
(厭だな!乾かない!)」とだけ言っているかのように 鳥の鳴いている気がしている」という“聴きなし”すなわち人のことばに翻訳するものである。この鳥は数ある鳥のなかでも「ウクヒズ」と鳴き、人の耳に聞き取れる鳥でなければなるまい。江戸時代の国学者鈴木朖は『雅語音声考』(一八一六年)のなかで、「今俗ホオケキョと云はウウウクヒともきけば聞こゆなり」とあって、『古今和歌集』の、梅の花 見にこそきつれ うくひすの ひとくひとくと いとひしもをる
とあって、「人来人来」と聴きなしている例も見えている。語源として、「鶯は古人は、宇
(ウヽ)久(クウ)比(ヒ)と鳴くと聞てぞ呼ならはしけむ」(嚶々筆語・一八四二年)とあって、「うくひ」が鳴き声の聴きなしであり、「す」は鳥に用いる接尾語という大槻文彦編『大言海』の説をもって裏付けが可能となってくる。『万葉集』八二七にも、春されば こぬれこもりて
という歌など「うぐひす」は四十八首検索できる。因みに、
源順『和名類聚抄』には、〓〔
貝貝+鳥〕 陸詞切韻云〓〔貝貝+鳥〕鳥莖反。楊氏漢語抄云春鳥子宇久比須。春鳥也〔二十巻本巻十八7H〕とある。そして、魚の名「うぐひ」はこの鳥の羽色に似ているあたりに由来するとすれば、「うぐひ」の三音で意味表現できる裏づけといえよう。
他に、「あき」の「飽き」と「秋」。「おき」の「置き」&「起き」と「沖」。
「なかれ」の「泣かれ」と「流れ」。「はる」の「張る」と「春」。「まつ」の「待つ」と「松」。「うらみ」の「怨み」と「浦見」があり、ここでは具体的にひとつ一つ示さなかったが、これをご自分で確認してみては如何なものであろう。このなかで「なかれ」は清濁を越えた懸詞であることも注意しておきたい。山たかみ したゆく水の したにのみ
と『古今和歌集』に恋歌として五例検索できるのだが、定家はいずれも「流」と漢字表記で示している。そして「泣かれ」の意味を瞬時に感得しきれていたのか、それとも気づかずに詠んでいたのかという疑問が生じてくるのである。是非、調査してみてはいかがなものであろうか。
さて、こうしたかな文字ならではの「ことばの意味重層性」は、国文学をめざす学徒にとって、知っているはずのかな文における基本構造であり、とりわけ和歌を解析理会するうえでの基礎知識でもある。その意味から書記言語を処理する文献学
(Philologie)は、過去の文献資料を正確に解読し、その文献資料から当代の文化情報である人の感覚意識を現代に蘇らせる研究領域ということになる。伝本を収集整理する書誌学と混同されがちであるが、その研究目的が大いに異なっている点を知ってもらいたい。書記言語の書き手が、文字の有効性を知って、運筆活動として、どのような事象をどのように表現しようとしていたのかを、日本語というかな文字と中国漢字による融合表記によって織り成すその姿勢を後世のわたしたちが余すところなく再現してみせる世界でもある。書記内容の多くは、文学性の高い一級品ばかりであるが言語解析における落し穴は幾つもあるのである。その落し穴を避けては通れないのも事実である。穴に橋を架け着実に進むには、その位置で石橋を叩いて渡るように計測調査を重ねていくことがのぞましい。「読み落し」「読みすぎ」を完璧に回避することは不可能に近い。そうした学問領域にあって重要なことは、解析精度を常に高めようとする意識であり、その意識をかたちにして継続維持していくことである。書記者の手をいったん離れた文献資料は、まず第一義に書記形態を基本にして客観的に解析を実施する。そのためには解析対象となるテキストデータの信頼度合いを常に確認する必要がある。テキストと注釈書の連関性にも注意する。とりわけ、注釈書が侵しているもっとも初歩的な過ちに気づくであろう。テキストのもつ本質性を正しく理会し、的確な指示が出せること、これすなわち、真の学術情報の公開となるからである。
文献資料は信頼のおける原資料をもってなすこと、手順は新鮮な思考回路をまず温存し、常に独創性を失わないように、自己意識をかたちにする作業を限界まで実践することにある。帰結箇所を確認し、フィードバックを反復することで改善力は増すものである。とにもかくにも出発点に立ったとき、その文字の読みを間違えてはならない。注釈書にすべて信頼感を与えてしまうと、足を踏み外し陥落間違いなしである。
「日記」とは、あとで読めばこの旅の道中のできことが忘れていた記憶回路からいきいきと鮮やかに蘇ってくるものである。後日ふたたび読み、見るための記録文であり、書記者の私的な感性が何らかのかたちで提示されている。これをローマ字表記すれば「
nitki」であり、これを「にき」(「につき」という舌内入声韻尾「t」を含む漢字音をかな表記する文字習慣が熟していなかったこと)とかな文字で書くことは、書式の未発達段階にあるとき、和文脈では音節構造を有する漢語は漢字で表記する規範があったことを意味しているからである。拗音「きやう」も「京」とすべて表記しつづける。だが、歌語としては「みやこ」というやまとことばになっている。たとえば、『土左日記』全文の漢字標記語を抽出してみると、当代のかな文字で書かない漢語文字の規範が見えてくる。そのなかで格外の文字(かな文字で表記できる和語を漢字表記した事例)を指摘できるとすれば、なんらかの誤りを示唆しているのである。たとえば、一月九日の記事「宇多のまつはらをゆきすぐ」の「宇多」がこれにあたる。「うた」も「歌」と意識的に表記したり、元日の「なよしのかしら、ひゝら木ら、いかにそ」の「木」も表意性の和語漢字表記ということを認めねばなるまい。これを「ひゝらきら」では上手く理会されないことを意識前提においてなされたと見たい。原稿は変容する
次にこの眼力を近代作品においても実証してみようではないか。近代の文豪と呼ばれる夏目漱石の主要作品はと訊ねられたら、即座に皆さん方はそれぞれ代表する名作品を二、三列挙できることであろう。いや、それ以上に漱石先生の作品はすべて読破ずみで、どこからでも聞いてくれてもたちどころにその箇所を指摘して講評の話ができるなどと豪語される方もなかにはお出でかもしれない。
しかしだ。文字言語を見ていくとき、たとえば、『坊っちやん』の書き出しであるが、
親譲りの無鉄砲で
小供の時から損ばかりして居る。〔自筆原稿文書〕親讓りの無鐵砲で
小供の時から損ばかりして居る。〔ホトトギス初出〕親讓りの無鐵砲で
子供の時から損ばかりして居る。〔初版本〕おやゆづ むてつぱう こども とき そん
ゐ親讓り の無鐵砲 で
子供の時 から損 ばかりして居る。〔岩波版『漱石全集』大正六年〕おやゆづ むてつぱう こども とき そん
ゐ親讓り の無鐵砲 で
小供の時 から損 ばかりして居る。〔岩波版『漱石全集』現行〕親譲りの無鉄砲で
子供の時から損ばかりしている。〔高校教科書、新編『現代文』(明治書院)〕といった千差万別さに面喰うであるまいか。この「こども」の表記文字言語一つに大いなる異なりを見せているからだ。漱石自身は、「こども」を二通りに解釈し、文字表記を使い分けたのである。親に対する子を意味する「子供」、「おとな」に対するちいさな「こども」の場合は「小供」と明確にその使い分けを実行しているからだ。ところが、自筆原稿でない活字化された文献資料にあっては、すべて「子供」の字表記に統一しようとする働きかけが、編集者や印刷所の植字職人たちが、こうした漱石自身の宛字主義を理会せずに通り一片の文字表記に統一しょうとしてみたり、そのままにして、そのままであったりした。このことで、漱石の「無方針の出鱈目」であることが、見て取れるのであるなどと読者層にあらぬ誤解されていく結果を今日生じさせてきたことも事実である。
―已下継続―