自然の宝石・幻の花・レブンアツモリソウ

 

一 レブンアツモリソウ〜概説〜

 高さ二十〜四十センチのラン科の多年草。平敦盛が母衣を着ている姿に見立てて、その名がつけられた。花は六月に咲き、緑がかった黄白色をしている。礼文島にしか育たない珍しい花である。近年、この稀なる花は、こころない人に盗掘され、浜中の保護区に僅かに残っているだけである。

 

二 レブンアツモリソウ〜町ぐるみの努力〜

 「礼文島に自生する高山植物群は貴重な天与の資源です。町民はもちろん、自然を愛する全ての人々にとっての宝であり、次代に引き継ぐべきかけがえのない財産です。礼文町ではふるさとを美しく彩ってくれる自然の宝石、高山植物を守る運動を町ぐるみで勧めています。

「高山植物培養センタ−」は、高山植物を培養・栽培し、山に移植することによって貴重な高山植物を絶滅の危機から救おうという願いから八十五年に建設されました。八十九年にはレブンアツモリソウの人工発芽に成功。将来は、大量に増殖した高山植物でまちを飾ったり、島を訪れた人々に島の思い出として持ち帰ってもらおうと「花の島」の夢は大きくふくらんでいます。

九十年には全国的にも珍しい高山植物の鑑賞施設、「高山植物園」が誕生しました。培養センタ−で発芽・育成した二十六種、約一万九千株の高山植物を植栽し、シ−ズン中いつでも気軽に花を鑑賞できる見本園や、スクリ−ンやパネルを展示したビジタ−センタ−、育苗施設、駐車場などからなり、礼文の新しい名所として注目を集めそうです。

(出展・ちょっと愛ランド、れぶん・町勢要覧1990/礼文町)

 

三 レブンアツモリソウ〜礼文島調査記〜

 一九九二年七月二十七日レブンアツモリソウについて話を聞くため、私は高山植物バイオセンタ−へ行くことにした。朝、香深の港前にあるレンタサイクルの店で自転車を借り海岸線に沿って約一九キロの船泊近くにあるバイオセンタ−へ向った。バイオセンタ−に着き、関係者以外立ち入り禁止と書かれた研究所のドアを開けてみた。人の姿が見えないので、「ごめんください!」と大声で叫ぶと、奥から眼鏡を書けた人のよさそうな、白衣を着た老人が出てきた。私はその人の顔に見覚えがあった。何故かというと礼文町の役場でもらった礼文島を説明した本のレブンアツモリソウが書かれているペ−ジにその老人の顔があったからである。その老人の名は山本さんといい、山本氏はバイオセンタ−の所長である。私がバイオセンタ−を訪ねた主旨を説明すると、最初は立入禁止の所へずうずうしくも入って行ったので、話を聞けないのではないかと心配になったが、山本氏は、にこやかに私を迎え入れてくれた。私が通されたのはバイオセンタ−の所員たちが休憩するのに使う部屋のようであった。しかし、私は一つの重大なミスを犯していたのである。私はとりあえずレブンアツモリソウについて大まかな話が聞ければいいと思っていた。それに加え、礼文島に行く前の事前調査でレブンアツモリソウに関する資料(植物に関する本を色々とあさってみたのだが……)が、集められなかったのである。何故集められなかったのかは後で触れるが、そういった理由で私は、レブンアツモリソウについての知識が余りないままバイオセンタ−を訪れたのである。山本氏に椅子を勧められて椅子に座る、山本氏は私の正面に座り煙草に火を付けると旨そうに一服し、私の方を見て口を開いた。「で、どこの大学の人でしたっけ?」私は何から聞いたらいいか頭の中で混乱していたので、その問いに一瞬戸惑いながら「あっ、ああ

駒澤大学です。」私が答える。「その大学は何処にあるの?」少し私の方も答える余裕が出てきた。「道内の岩見沢です。」山本氏はそうかそうかとうなずいた。萩原先生の事から説明を始めた。萩原先生は、私たちの情報言語学ゼミの顧問で走ることを愛する文学の助教授である。萩原助教授の礼文島調査は約十年にも及んでいる。それに協力するため私たち情報言語学ゼミのメンバ−は七月二六日から八月一日にかけて礼文島で調査を行なっている。その様なことを説明した後レブンアツモリソウの質問をしはじめた。

  レブンアツモリソウの平年の開花日は五月二十五日で今年は少し遅く二十八日であったそうだ。六月二十日から中旬ごろまで見られるそうである。

 写真でなく本物のレブンアツモリソウ見たかったのだが残念である。

  レブンアツモリソウの発芽にはVA根菌という細菌の助けが必要で、このVA根菌の助けを借りても発芽までには二年という長い期間を必要とするのである。このレブンアツモリソウも昔は礼文島の至る所に群生していたらしいのだが、心ない盗屈者たちによって次第に数が減ってゆき絶滅の危機にあるため高山植物バイオセンタ−では増殖して山へ戻す為、気の長い大変な研究を日夜続けているのである。現在は約二千本のレブンアツモリソウが繁殖しているのだがレブンアツモリソウは道内でも土壌が合えば花が咲くそうである。

 もし絶滅の危機から救えるのであれば、ぜひ道内の様々なところで繁殖させ増やして行って欲しいものである。

しかし、このバイオセンタ−がなぜレブンアツモリソウを繁殖させる研究を始めたかといえば、もとはといえば悪い心をもった人間たちが礼文島からこの美しい花を持ち去り始めたことに始まるのである。今までも人間は様々な多くの動物、植物たちを絶滅に追込んできた。人間は気付かぬ内にその様な動植物たちを迫害し、そして絶滅寸前になって初めて自分たちの罪を反省し、なんとか絶滅の危機から救おうと懸命に努力する。確かに高山植物バイオセンタ−でレブンアツモリソウを絶滅の危機から救おうと研究をしている人達の行動は立派だとは思うが、結局「人間が絶滅させたんではない!」、「私たちは絶滅させないようにと懸命に努力したんだ!」という人間特有の勝手な責任逃れの言い分けにしかならないのではないだろうか。私はこの様に研究をしている人を批判は出来ない。もしかしたら自分だって知らないところで動植物を絶滅に追いやっているかもしれないからである。人間はいつも自分たちの犯した罪に気付くのが遅過ぎる。礼文島のバイオセンタ−で行なわれているようなことは世界中の様々なところでも行なわれている。人間は永久にこの大罪を繰り返して自分たちだけ進化していくのだろうか。私は山本氏の説明を聞きながら山本氏には悪いがこの様なことを考えていた。

 

四 レブンアツモリソウ〜後悔の残った調査〜

 様々な話を聞いたのだがバイオテクノロジ−について余り知識のない私にとって分りづらい話も多く聞いてきたこと全てをまとめることは出来なかった。バイオセンタ−の方々の研究によってレブンアツモリソウが昔の様に礼文島に咲き乱れて欲しいものである。(文責:小山健治)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

あぁスコトン岬

 

〜プロロ−グ〜

召国そこは緑の王国!召国そこは青い海の広がるパラダイス!召国そこは人情のふるさと!そう召国はこの礼文島に残された最後の秘境なのである。

礼文島実体験物語・超感動大作

            「あぁ召国」

 

私は高山植物バイオセンタ−を後にし、次の目的地である召国へと向った。私は、バイオセンタ−での仕事が大きなトラブルもなくすんだ事に胸をなで下ろすと同時に妙な開放感というか心が踊るような浮き浮きとした気持が込み上がってきた。「さあ、ひとつの仕事が終り、少しは礼文島の夏を楽しめるぞ!」と思ったからである。しかし本当に楽しいのはそこまでだった・・。

私は次の目的地召国へ向け自転車のペダルを踏んだ。途中の上泊には次の仕事のパ−トナ−Sが待っているはずである。私は待合わせの時間に遅れぬようにと時計と顔を合わせながら進むが、上泊までの道のりは坂道が殆どで私の自転車も思うように走らない。礼文島の美しい景色を横に見ながら走ると今度は下り坂になった。それもかなり急な坂道である。わたしは自転車で一気に坂をおりた。なかなか爽快だったが、しかし後でこれが地獄の坂道になるとは、この時全く予想もしなかった。上泊に着くとパ−トナ−Sの姿が見えない、一人で召国へ行くわけにもいかないのでそこで待っていることにした。