(ロシアの脅威刻々と)   

:ロシア(旧ソ連)と1番近い日本ということ,また,更に自分は元々,日本と外国との関係といったものに興味がありましたのでこの題材を選びました。多少,題材と関係のないものも入っていますが,まぁ気にせず読んで下さい。

 

国境の島でもある。東西冷戦の時代、旧ソ連機が何度も領空を侵した。礼文町は敗戦時、記録や文書類を焼却処分にした。(礼文情報から)

:やはり,ソ連(ロシア)に日本の中で最も近いのでソ連も探りをいれていたのでは?

記録,文書類(例えば住民票)の中(シベリア強制労働に連れて行かれないように)に見られてはまずいものがあったのだろう。

                                                                          :1955年に役場が焼けた。わずかに残っていた資料もほとんどが灰になった。島の歴史をたどる道は、ほとんど残されていない。(礼文情報から)

:今ではマイクロフィルムなどで資料の保存をしているという話をよく聞きます。

                                                                                                                     :まとめ:ロシア(旧ソ連)の脅威が冷戦時かなり北海道民(漁業関係者)にはあったのではないだろうか。(本州の人間よりも)

 

::陸上自衛隊礼文駐屯地で聞いた話より

問:ソ連崩壊により礼文駐屯地にどんな影響があらわれてきたのか。

 

問:もし、ロシアが崩壊などの混乱に陥った時の礼文島への影響は?

 

問:ロシアとの交流は?              

 

答;例えは,ソ連の時には風,潮しだいで潜水艦なども周辺を航行していたが、今、航行しているのは商用船(貨物船など)のみといったぐあいになった。(現在では,密漁に関して警戒しているが,密漁の余地はない)。

  ;防衛するという点において楽になったと思われる:

 

答;影響はほぼない。[難民は来ない],と言うのも産業上、地形上から。また宗教上(ロシア正教会と)の関連がないため。

:言っていたことはもちろんであったが,駐屯地は最悪の場合も想定しておくべきであろう。:

(CF−本道(離れ島,小島でなく)には多少の影響があると思われる。稚内へ難民が行く事は十分考えられる。つまり経由していくことは十分考えられると思う。)

 

答;礼文高校のみ。年1回、カラフト人を招きホ−ムステイさせパ−ティを開いたりしている。ロシア人は原則的に、立入禁止である。(この事からも、冷戦時には最重要地点であったことが理解できると思う。)

 :平成5年にようやく始ったばかりである。:   

 

:まとめ:先ず始めに,なぜ駐屯地に行ったのかについて書く。やはり手っ取り早いと言うのが挙げられる。何が手っ取り早いのかと言うと,こちらで考えていた聞きたいこと(特にロシア混乱時に及ぶ影響)に的確に応じる事が可能なのではないかということである。ところで駐屯地では朝鮮(主に韓国)からの漂着物の存在を知らなかった。実際、生活用品の廃物(後記参照)しかないのだが。駐屯地はいろいろと制約(当然の事であるが(駐屯地の建物など,あらゆる)写真撮影の禁止,自分への身分調査,礼文島に来た目的などを聞かれた)はあったが,根本的に協力的に質問に応じて頂いた。残念なことであるが,駐屯地に取材の依頼をした時から(取材の申込がいきなりだったので取材に応じてくれないのではと思っていた)緊張してしまい,舞上がり質問があまくなったり,質問しようとしていたこと(北朝鮮の脅威,ロシアによる拿捕など)を忘れたりして散々であったが今ではなかなか体験することのできない,いい経験であったと思う。今度,このような取材の機会があったら最低でも前日までに申込むのが礼儀であり,研究にもいい結果をもたらすと思う。

 

 

漂着物

:礼文と外国という題材との関連により,この題材もやろうと決心しました。若干,国内の物も入っています。 

 (cf) 漂流物との違い−漂着物とは流れ漂って岸に着いている物の事

    漂流物とは水上に漂流している物の事(小学館『日本国語大辞典』参照)

    以上のように漂流物と漂着物は明確な区別が存在する。ですから,ここでは漂着

    物とする。)

 

鉄府   お菓子の袋(韓国)          ,ヘア−スプレ−のカン(ロシア)

     墨汁の入れ物(韓国)         ,洗剤(?)の入れ物(ロシア)

     何かのスプレ−のカン(韓国)     ,工事用(?)ヘルメット(ロシア)

     調味料の入れ物(韓国)            

     カン(?)の蓋(韓国)        

               漁船の御札(日本)枝幸(えさし)  20sと記してある。  

 

知床   ファンタオレンジのペットボトル(韓国),

      エンジンオイル(?)の入れ物(ロシア)

      サラダオイルの入れ物(韓国)     ,洗剤の入れ物(ロシア)

      お菓子の袋(韓国)          ,2つの謎の物(ロシア)

      インスタントラ−メンの袋(韓国)   

 

:礼文島民に聞いた話                                         

:ゴロタ岬に4,5年前,旧ソ連の漁船(中型)座礁

:鉄府湾1杯に丸太など,いろいろなものが漂着していたが昆布がはいってから(5,6年前)漂着物は減少してきている。今は海流(千島海流)にのって漂着物が来るというよりも時化などで漂着物が来ると考えられる。

:海岸線で変なもの(漂着物の中で)を探す係(自衛隊に報告している)がある。

:第2次大戦直後は機雷,硫酸,死体なども漂着してきた。

                                                                             :サンプリングをして気が付いた事,感想

:[特に漂着物はない]と言う人が殆どであった。

:拿捕に関することなども聞きたかったが聞くに聞けなかった。(やはり,タブ−のような気がしたので)

 

:前ペ−ジの一覧表が実際に拾って持って帰ってきたものである。見て頂ければ一目瞭然であるように,基本的に生活物資のゴミである。これ以外に澄海岬と鉄府の間の崖下の海岸線でみつけた縦約200p,横約250pの金属製の物,同じ場所でみつけた救命道具(ライフジャケット,ハングル文字が書いてあった。),知床,鉄府などで,いくつか見付けた長さ約150センチのロケット型の物(金属製)があった。ちなみに前記のものを含めこれらはすべて西海岸で発見したものです。というのも西海岸の方には千島海流があるからです。鉄府はカラフトに最も近いので,ロシアのものが数多く漂着してきているのではと思ったのですが実際はそういう訳ではありませんでした。ところで,なぜ,これらの朝鮮語(ハングル文字)の書いてあるのを北朝鮮でなく,韓国であると判断したかというと北朝鮮は現在,経済が困窮した状態にあるので日本などの資本主義国にあるような物があるとは考えにくく,このような結論に達しました。(ライフジャケットに関しては,判断し難いが韓国だと思ふ。)漂着物,漂流物は特にないと言う人がほとんどでしたが,結局このようなものは興味の無い人にはゴミにしか見えず有ってもすぐに捨ててしまっているんだろうと思います。

 

:まとめ:

 繰り返しますが,礼文島に行く前は,ロシアからの漂着物が数多くあり,それらを持って帰ろうなどと考えていたため少々あてのはずれたような思いもしましたが,(もし時化の後であったら,もっといろいろ漂着物があったはずですが)いたしかたないと今では思っています。ロシアが混乱に陥ったらどのような影響がという質問に駐屯地の方は[ほぼ影響なし]といっていたことが意外だったので最も印象的でした。(経営学部 岡部 二郎)