礼文島と新聞記事
01
利尻島と礼文島トンネルでつないだら…
本道交通へ北大生提言
北大工学部交通計画学研究室主催の「地域と交通研究会」が二九日、北大百年記念会館で開かれ、学生や院生が道内の交通に関するユニークな研究を発表した。
富山英範さん(四年)は「離島交通計画の基礎的研究」の中で利尻、礼文両島間の水中トンネルの効果について発表。「両島を連結することで島内の産業や教育、医療などを共有することができる。礼文の住民が利尻の病院を利用できるのは特筆すべき効果であり、本土と連絡する前段階としては有効な策ではないか」と述べた。
また山薩晴行さん(修士二年)は、都心部の交通混雑緩和のために札幌の地下鉄やJR駅周辺に整備されつつある「パーク・アンド・ライト(P
&R)駐車場」について発表。札幌都心部の駐車場で行なった利用者アンケートから、P&R駐車場の利用は、駐車場に入る待ち時間が問題とされ、都心部までの到着時間はほとんど意識されていないことから、「P&R駐車場を整備すれば、利用は十分見込める」と提言した。北海道新聞 一九九二年三月一日
02
背に利尻富士 哀愁イカすだれ晩秋の礼文島は、真っ青な海に紅葉が映えていた。人影のいない浜辺には、この季節を奏でるように、「イカのすだれ」が日の光を浴びて並ぶ。生干しやスルメづくりだ。島には今年、六十万人が訪れた。それが、歌の文句そのままに「今はもう秋。誰もいない海…」であった。
日干しの樣子が、すだれに見えるからこの名がついた。最近は室内で乾燥させることが多くなり、イカのすだれはめっきり少なくなった。
しかも礼文町周辺のイカの今年の総水揚げは、九月末までで五十トンほどしかなかった。前年は千トンあった。
「豊漁でイカの価格が安いから、とってもしょうがない」。漁協関係者はさびしく笑った。
札幌市中央卸売市場によると、みずイカの取引価格は一キロ当り平均で三百九円。昨年同期なら四百円以上もしていたという。
干した秋イカは、朝晩ぴりっと冷え込むこの時期が最もうまいといわれる。浜辺の漁師は、「天干しは柔らかくて、熱燗(あつかん)にぴったりさ」。
浜風に揺れるイカのすだれの向うには、「利尻富士」が浮かんでいた。
一九九二年(平成四年)十月十四日 朝日新聞 (道内)
03
旅人の群れ去りトドの冬待つ晩秋の海馬(トド)島にはだれもいなかった。周囲四キロをぐるっと歩く。冷たい海は青く澄み、水底がはっきり見える。海岸沿いに、木造の番屋が七軒あった。ほこりにまみれ、床は抜けている。
国境の島でもある。東西冷戦の時代、旧ソ連機が何度も領空を侵した。礼文町は敗戦時、記録や文書類を焼却処分にした。
一九五五年には役場が焼けた。わずかに残っていた資料もほとんどが灰になった。島の歴史をたどる道は、ほとんど残されていない。
八月、筑波大の前田潮助教授を団長とする学術調査団が島に渡った。
「オホーツク文化の広がりを探ろうと未知の島に興味をもった。土器や遺跡がきっとある」と前田助教授。来夏には、本格的な発掘調査を始める。
島のもう一つの顔は観光だ。夏のにぎわいは年々、増す一方だ。今年も六百人の旅人が礼文島から渡し船に乗って訪れた。渡しの船頭、岩城清隆さん(四一)は「自然の真っただ中で、時のたつのを忘れるのがいいんだべさ」と笑う。
そして、本業の漁師の顔に戻って嘆いてみせた。「昔はこのあたりの浅瀬には、天然物の大きなウニやアワビがごろごろしていたのに……」
八年前押し寄せた流氷に岩礁などがすっかり壊された。それっきりだという。
岩城さんの船で、礼文島に引き返した。島を望むスコトン岬のがけ下に、民宿が一軒へばりつくように建っていた。風よけの古ぼけた塀に囲まれ、西部劇映画に出てくるような雰囲気漂う。
「今年はもうおしまい」と経営者の鹿内誠二郎さん(四三)。今シーズンの客はしめて二百五十人。「都会の騒がしさから解放されたいという人がやって来る。少しでも地の果てに、ということかな」 もうすぐ冬。海馬島には名前の由来となったトドたちがやって来る。
一九九二年(平成四年)十一月一日 朝日新聞 (道内)
04
サハリンから高校生ら20人 5日初めて礼文島入り防衛上の問題からロシア人の立ち入りが原則的に禁止されている礼文島に、ロシア・サハリン州の高校生ら二十人が外務省から上陸を認められ、四日に稚内入りし、五日に礼文入りする事が決まった。昨年八月に学術交流で上陸したロシア人学者を除いて、一般のロシア人が礼文入りするのは戦後初めてという。
一行はサハリン州ユジノサハリンスク市にある同市第二十六番学校の生徒九人と引率の教職員十一人の計二十人。四日、コルサコフ港からロシアの客船で稚内港に到着する。
礼文島には五日に渡り、八日までホ−ムステイをしながら、道立礼文高校(渡部義徳校長、生徒八十人)の生徒や島民たちと交流する。礼文高校からは昨年七月、生徒ら十八人が初めてサハリンを訪問した。その際、第二十六番学校と隔年で相互に訪問しあおうと約束していた。
一九九三年(平成五年)九月三日 金曜日 朝日新聞 一三版 第2社会面
05
フェリ−廃止正式に決まる 小樽−利尻、礼文小樽−利尻、礼文島間のフェリ−航路が、一二月いっぱいで廃止される事が正式に決まった。一五日、同航路を運行している「北海商船フェリ−」(本社・小樽)の立崎烈社長が記者会見を開いて明らかにした。立崎社長は「九十年以上の歴史がある航路を廃止する事は非常に残念だ。だが、これ以上航路を存続しても、地域の人に迷惑がかかると判断した」と述べた。
一九九三年(平成五年)十一月十六日 火曜日 朝日新聞 十三版 道内