礼文島の人物
(1)天龍寺開祖寺田禎山
冦名:初代とろろ和尚[とろろ御飯六杯から七杯食べたところから]
初代
二代足駄和尚
そうめん坊主
三代よいしょ坊主
明治二十三年六月檀家名簿には「蔵龍寺」とする。明治三十二年五月には「天龍寺」
明治二十四年一月棟札
明治二十五年五月寺田禎山青森県弘前市より入島
明治三十一年駒谷蘭間
蔵龍寺から天龍寺への改名
最初に駒谷三蔵氏の招きで礼文島に訪れた和尚は寺井り導氏であった。
歌会を開催
池辺鶴 人なれし 田鶴にやあらむ ちかゝれど いはのほとりを 離れざりけり 禎山言録
@六尺ばかりの入道の出現譚
「夕べたいしていいものをみたよ。六尺ばかりの入道がベロっとでたよ。キツネでもあるまいし、キツネなら念仏をあげても消えないのに、念仏を申し上げたら消えてなくなった」
田中久之助(八十八歳)の話
禎山和尚が見内神社近くにあった蝦夷小屋近くを夜分に歩いていた時の話で、幽霊が坊さんに頼みたいことがあって現れたのではないか。「夜は此を歩きたくないよ」と言っていたそうだ。
A子供たちが地像の首をもいでしまった譚
地蔵さんと相撲を取って首を取ってしまって「また、やってますネ子供たち集って、 子供の事だからいいでしょう。形あるもんはいつかは壊れる」
B堀江の処でリヤカーから振り落された時の譚
「今の若い者には叶いませんネー」
C防空壕非難命令がだされた時の譚
「B29がきましたか。見たいものですね。」といって外に出てみていた。
D筆まめの譚
「わしは筆を取ってから二十八年間一日も休まず習字したものだ」
E生きている間に香典を集めた譚
八十歳近くになって「生きている時の方が有難がる」といって香典を集めた。その後、人に尋ねられたりすると決まって「わしは香典をもらったんであるから関係ありませんよ」と相手にしなかった。
禎山和尚のその他の行状
宮中の歌会に入選
島に来てから一生、島から出ることはなかった。
足が不自由になった六十歳過ぎには檀家の白幡幾太郎(当時五十歳前後か)さんを弟子にした。
僧侶としては珍しく顎髭を蓄えていたため、油を付けて梳かしていた。
手袋・丹前着でお経を読むこともあった。
コメント
禎山和尚を知る方々は、今や80歳代後半の高齢を迎えている。この土地の古老たちにとって今猶茶話の話題として上る禎山和尚は、実に興味深い。そして、彼は青森県弘前市よりこの地に渡り住み、生涯をこの島で終えた謂わば礼文島風流人士の一人と言えよう。吾人は島の古老の一人からこの人物の名前を聞くまでは、このような人物が礼文島に存在したことすら知らなかったのである。さて、禎山和尚を知るとっかかりは、やはり、彼が在住した現在の天龍寺を尋ねることであった。全くの水知らずの吾人に現在の住職(世襲制ではなかった)松田玄龍氏から話を聞くこととなった。玄龍和尚もこの島に渡来した人物であるが、彼は禎山和尚をはじめとする歴代和尚の行状を檀家衆より見聞して、ご自身構築されていらしっやるが、今回まず、禎山和尚を直接知るところの方から聴取したものである。また、松田玄龍和尚には、当寺が保管する禎山和尚はじめとする歴代和尚の書籍をも見せて戴くことができた。この場を借りて謝意を述べたい。その中で和歌に関する趣味もあってか歌会を催したり、また、自身歌選に投稿したりなどして楽しむ由があったようである。筆遣いも当然多くもなろう。ただ、一点気がかりっだたのは禎山和尚が日記を認めていなかったことである。この日記が今日残存すれば、この島の文化的位置付けとして貴重な物であろうが、今は発見できない。ただ、蔵書に彼が書留めた落書が唯一の資料といえよう。これを少しずつ解明することで禎山和尚の文化交流の度合いが見えてくるのではないかと考える次第である。
今、無題の江戸の写本一冊が存在する。内容は歌学辞書のようである。これを彼は大事に所持してきた。故郷弘前の地から遥々携えて来たものであろうか。そして、心の慰めとして和歌を詠み、心を研ぎ済まして行く時何よりも生きた師匠にも劣らぬ書物であったのではなかろうか。吾人はこれをいま開きながら、その歌学辞書のもつ禎山和尚の意義づけをも見つめてみたいのである。次にその体裁を付記する。
『無題歌学辞書』の表紙の記載
四拾貳年御題 禎山上
雪中松
ひさかたのくもゐにちかきおいまつの 久方の雲井近き老松の
ゆきのこしいくたつあそひけり ゆきの梢に遊び田鶴けり
『無題歌学辞書』の裏の記載
在読しおはんぬ
大正六年二月十九日 精阿
大正八年一月より競点歌出詠せり 精阿
静 北海 精阿
といった本文とは別筆の書込みが存する。
次に本文内容について記載する。
▲春
若木
是を
いふ物に見
中古より七日
春か雨のくさそへ
又は雪間を分てつめど
出てつむよしを読べき也。
よせの詞 つむ、あさる、のべごとにつ
つめどたまらぬ、花がたみ、萌初る、
ふりはへて行、雪間を待て摘ると
餘寒 さえかへる嵐に春ともつかぬ由をいひ、春風にとけし氷もふたゝび結ぶとも。又さほ姫の霞の衣春寒
しとも。衣き さらぎ猶さゆるなど相戀なり。
よせの詞 池の水氷にかへる、雪げにくもる、春ともつかぬなど也。
残雪 消残る雪を云う。又ふるあは雪を読る 哥もあまたあり。梢の雪を花とみなし、きえるで残る垣ねの雪間に草の下もみをいそぐとも、又霞の間より散りくるとも。日影の下に残るなど相恋也。
よせの詞 氷りてのこる、さえ残る、むら消る、山の端遠く残る、つれなく残る、古としのかたみなど也。
春雪 残る雪におなじ。但し春雪と云には今ふるあは雪を多くはよめり。
よせの詞 時をもわかね、春子なたて、空にや冬の残るらん、ふれどたまらぬ、あとより消岸柳/芝柳
春氷 はる風にとけ行よしをもいひ、#かへる嵐に二たび氷
よせの詞 春風
残氷 消残る心を読べき也。
よせの詞 とけやらぬ、つれなくとけ#
氷解 とけ行氷をよむ也。余は春氷におなじ。
梅 匂ひを雪に読り。風にたぐへては梅風などある題なり。そことなく吹くる風のなつかしくかににほひ立よる袖に匂ひをうつすよしをいひ、行路によせて行路/梅の類也。
柳 糸に見たて髪に見たつる常の事なり。吹くる風ものどかにてなひく柳のいとゆたかなる心をよむ也。
大かた柳には風を結びたる哥多し。諸題かずかずあり。先行路を結びたる影ならば、路柳行路柳のたぐひ也。玉ぼこのみちのたよりにしる知らず立ちよりて見るるをいひ行路のほとりの垣ねになびくを見てはたが染かけし糸などもいふ。水辺によまば、池柳、岸柳、河柳、つづみやなぎ、みずべのやなぎのたぐひなり。ぬれてほすみどりともいひみなそこにうつるかげかげさへなびくともなみのあやにいとひくそふるともかわそひやなぎなみにひかるるともふねさしよせてながきひくらしめづるともいふ。また、としにうちかへたるみてはつりのいとかとうたか そこのたまもにかげまがふともよめり。いどころによせては、にわやなぎ、かどやなぎのたぐいなり。いととくるひとなきにみやびためにやなぎのえあだのしたはらふともいうなり。そのほかはるさめのなごりのつゆをたまにぬくともつゆをかぜにはらはせてはたまのをとけてぬれみだるともよむなり。いとにみなしてはさおひめのてぞめのいとになし。かみにみなしては、かぜにけづるあさねがみたまかづらなどもいへるものこいなり。
石草 冬枯れの野辺もいつしかみどりの色めづらしく春雨にもゆるを見ては世のめぐみになぞらへ垣ねの雪にむねくもゆるとも二葉のみどりに生さきを契る共、又はかなぐもし初れども猶うらわかしなど相恋也。
すべて野にもよみ、庭にもよめり。 よせの詞。もゆる。下もゆる。もえ初る。もえ渡る。雪間にもゆる。生初る。下めぐむ。緑みじかき。緑そひ行。二葉。あさみどり。うらわかしなど也。
早蕨 降りつみし野山の雪も消るより時を得てもゆるよしをいひ、人とはぬかた山陰も蕨もゆる比にて朝人とひ来るとも又は谷ふかき木かげのわらびはもえても人に知れぬともいひ、山焼の爪木に折そふる松そふるなど相恋也。やきのにもゆるといふにはわらびを火にとりなしてよめるもあり。又紫のわらびむらさきのちり物うきわらびなどいへるは朗詠の詩に紫塵嬾蕨人挙手といふよういへり。 よせの詞。もゆる。下もゆる。生る。もとむる。あさる。求る心也。やけの。かた山陰。谷のこかげなど也。
野遊 春三月三日の比のどかになりて春の野にすみれつみつばなぬきあそぶ事也。思ふどちうつむれて永るくらし家路をわすれて遊び霞を行ねにわけ雲雀のあがるをみて興をまし、はなのこかげにやすらひてあそぶこころなり。こころなど相恋也。そのほか
春曙
春月
春雨
遊糸
桜并花
帰雁
雲雀
雉子
喚子鳥
春駒
苗代
春田
三月三日并曲水
蛙
菫菜
杜若
躑躅
山吹
藤
暮春
残春
三月尽
春風
春天
春天象 天象とは月日星雲霞の類也。それに春の心をそへて読也。春天とは心かわれり。よせの詞それそれの相恋あるっへし。月を読んには春月のよせの所にみるべし。日は彰光のどかなる。星は彰光雲はたつなびくたな引霞を読ば霞の所にてしるべし。
春地儀 地儀とは山川岡海野原関の類也。それに春をよせて読べし。
春動物 動物とは生類也。鴬雉雲雀蛙春駒のたぐひ也。其外雑の鳥けだ物にても春秋心をそへて読べき也。又子規水鶏鹿水鳥千鳥の類などの季をもちたる物などはあしと。
春植物 植物は梅桜柳山吹藤菫杜若などやうの春の草木の類也。松などは雑の物なれば春をむすびて読ば相恋也。他の季のものはあしと。
春雑物 雑物と云は衣帯車枕鏡硯其外なきにても器財の類ぞ。春をむすびてよむ也。
春色 春の色は梅桜の色、柳の緑、大ぞらのみどりなどをも読也。
春香 春の香には梅のにほひ、花の匂ひなどをよむべし。其外春の野山にあそぶ心なきにても興ある事を読べし。
春興 春興は梅をかざし桜をみ、つばなぬき、すみれつみ、わらび摂など也。
春祝 春の祝には花の色にちとせをいわひ松竹のみどりにはるをむすびて千年をちぎる心をもよむ也。
春山 春の山は霞のかゝれる景気。又は花を読る哥もあり。其外は春山のおもしろき景色かずかずあるべし。
春野 春の野は若葉のもえ出る心、つばなぬき、すみれつみ、又はひばりのあがる景気を見などすべて野遊の躰相恋也。又初春の心によまば子日の小松を引。若菜をつむなど皆春の野の躰也。
春海 春の海の景気は霞の沖に漕行舟をみ、かすむ浦路其引あみの景気をいひ、わかめかり、みるめかるなど也。其外春の海の景色かずかずあるべし。
春川 春の川をよむには柳桜のかげ行水を興じ雪消の水をまさらせ、霞に落る柴舟をながめ梅桜狩り行躰を読也。
▲夏
首夏 卯月一日の心をも読。又は二日三日比の心を大やうにも読べし。又は首夏の題には新樹更衣をよむも相恋也。又卯月は神まつる月なればけふよりは四方の神社に榊さすよしをもいひ、神まつる卯月のはじめともよみ、或はほとゝぎすの初春いつしかまたるゝ心をも読。
更衣 卯月一日春の衣をぬぎてひとつの衣にぬぎかふる心也。きなれし春のたもとの名勝をしたひ、花の匂ひのとまりし袖もぬぎかへ當今更春の名勝をしとふとも、ひとへの衣なれうすきなど読り。惣じての題は月にむかへば花をわすれ花にむかへば月を忘るゝ由を読を本意とす。更衣の題はけふかふるひとへの袖を賞翫する心はいはゞひたすら花染の袖をおしみてぬぎかへまうき心を読る相恋也。しらがさねとはけふは上下共に同じく紅き衣にかふる心也。蝉の羽衣とはひとへのころものうすき心也。花染とははなの香にそみたる衣也。又は桜色?またる衣也。
よせの詞 ぬぎかふる、たちかふる、かへまうき、袂すゞしき、ぬぎかすき、ひとへにうすき。
新樹 夏の始の題也。新樹とは夏くれば木々の春葉に成行心也。これを夏木立と云。若葉さすとは若葉のひろごり行心也。きのふまでかすみし山もけさよりは緑の色にはれて若葉そひ行景色のさはやかなるよしをいひ、大ぞらもおなじみどりの色にそふとも或は庭の木ずゑ陰しげりぬれば、庭の面もくらくなり、窓の日影もうとく月の影ももりこぬ心など皆新樹の景気也。
よせの詞 浅みどり、深みどり、しげり行、しげりあふ、陰しげる、緑すゞしき、、夏の山は、四方の緑 残花
以下省略。