2005.09.15〜09.30更新
手塚治虫『火の鳥』太陽編に見ることば表現
読みどころ
古代朝鮮の王国百済(くだら)国は、倭国=日本の軍勢と力を合わせ、大唐国と白村江・本陣・州柔城の戦さで敗走します。百済(くだら)国王余豊璋(よほうしょう)の一族、ハリマは大唐国軍(だいとうこくぐん)に捕まり、生きたまま顔の皮を剥がれて、代わりに狼の皮を被せられます。その後、一命をとりとめたハリマは、顔が狼、身体は人の姿で倭国(わこく)に渡り、その地で狗族(くぞく)の長老ルベツの娘マリモと恋に落ちます。そこでは宗教を弾圧する権力との新たな戦さを始めることになります。7世紀と21世紀という、遠大な時空間で隔てられた二つのストーリーが、ハリマとマリモの転生(未來にあってスグルとヨドミ)によって少しずつ意識が薄れていくなかでシンクロしつつ、そして最後には一つに融合し大団円を迎える作品の構成は実に読み応えがあるものとなっております。
また、興味深いこととして、手塚治虫の宗教観がストーリーに色濃く反映していることが挙げられましょう。手塚治虫の代表作のひとつである『ブッダ』に感銘を受けた読者のなかには、この「太陽編」における仏教の神が、平和に暮らしていた日本の産土神(うぶすながみ)(地神・国つ神とも)たちを脅かす存在として描かれていることに何らかのとまどいをおぼえるかもしれません。しかし、作品を読みすすめるうちに、宗教に貴賎上下はなく、人が宗教をどう信じ、どう受容するかが問題なのだ、という手塚治虫のメッセージが感じ取れるかと思います。
この「太陽編」は「異形編」とも密接に関わる話しの展開をはじめ、珍しく「宇宙編」の格好で登場する火の鳥、佐々木小次郎のゲスト出演などは手塚ならではのユーモアさの表現として見逃せないところではないでしょうか…。
ことばの実際〔会話表現〕
〔おばば〕「目が覚(さ)めたんだね腐狗(くちいぬ)(※)どのよ」(上40頁)
〔おばば〕「クチイヌにしとくのはもったいないのう」(上67頁)
〔おばば〕「クチイヌ!!やっぱりこいつは疫病神(やくびょうがみ)じゃった!!」(69頁)
※くちいぬ【腐狗】日本古典文学大系本『日本書紀』の註によれば、当時の朝鮮でよく使われた悪口らしい。「ろくでなし」などの意か。
☆やがて、「クチイヌどの」→「犬上様(いぬがみさま)=犬上宿祢」と呼ばれる様なっていく。
〔侍女〕「オモユに 塩(しお)をいれないで! 鬼室(くいしつ)集信(しゅうしん)(※)さまのきついお達しだからね」
※クイシツシュウシン【鬼室集信】帰化人で典薬博士。
〔おばば〕「仙人(せんにん)に不可能(ふかのう)の文字(もじ)はないわな」(上61頁)
もや【靄】「が が 外来語ではこういうのをスモッグ 漢語(かんご)にて五里霧中(ごりむちゅう) デ・パルマ語ではフォッグ これは怪異(かいい)のおこる前兆(ぜんちょう)と申(もう)します」(下97頁)
ことばの実際〔うた表現〕
「田中(たなか)の井戸(いど)に 光れるたなぎ つめつめ あこめ 小あこめ たんな たんな たんやらんな らりちりら 田中の こあこめ」(上127頁)*狗族の童部が唄うわらべうたのことば。「よもやまの や ゆふしでの たや あいそたぐさもて や」(上155頁)*狗族の唄
「神のみ前に いまたてまつる ささがはに きりふりかかる すめら神 や よき日まつりつ あいそ」(上156頁)
ことばの実際〔典拠記載表現〕
〔犬上宿祢〕「この絵と同じものを見た覚えがあります。新羅月城郡陽北面の東海(※…日本海のこと)にある大王岩という岩礁です。それは新羅の文武王の王陵なのですがこの周囲二〇〇尋ばかりの岩礁はそのまま祭壇になっております。その岩の上に太陽神が宿ったのを礼拝して岩にこのような彫刻をのこしてありました。こちらが西で太陽の沈む方向。そしてこちらが東南で太陽の昇る側。東南へ向いています。これはあきらかにこの近くに太陽神の存在をみとめているのです。あの先端をごらん下さい!ですから聖地といえましょう」〔下241〜242頁〕
『日本書紀』巻第二十八
此(こ)の夜 雷電(いかづち)なりて雨降(ふ)ること甚(はなは)だし。天皇(すめらみこと)祈(うけ)ひて曰(い)はく「天~(あまつかみ)地祇(くにつかみ) 朕(われ)を扶(たす)けたまはば雷(かみ)なり雨ふること息(や)めむ」とのたまふ。〔太陽編(下)268頁〕
《原文》大皇弟、而遣發東國軍韋那公磐鍬之徒也。然磐鍬見兵起、乃逃還之。既而天皇謂高市皇子曰、其近江朝、左右大臣、及智謀群臣、共定議。今朕無與計事者。唯有幼少孺子耳。奈之何。皇子攘臂案劒奏言、近江群臣雖多、何敢逆天皇之靈哉。天皇雖獨、則臣高市、頼神祇之靈、請天皇之命、引率諸將而征討。豈有距乎。爰天皇譽之、携手撫背曰、愼不可怠。因賜鞍馬、悉授軍事。皇子則還和魔。天皇於茲、行宮興野上而居焉。此夜、雷電雨甚。天皇祈之曰、天神地祇扶朕者、雷雨息矣。言訖即雷雨止之。〇戊子、天皇往於和魔、檢校軍事而還。〇己丑、天皇往和魔、命高市皇子、號令軍衆。天皇亦還于野上而居之。是日、大伴連吹負、密與留守司坂上直熊毛議之、謂一二漢直等曰、我詐稱高市皇子、率數十騎、自飛鳥寺北路、出之臨營。乃汝内應之。既而繕兵於百濟家、自南門出之。先秦造熊、令犢鼻而乘馬馳之、俾唱於寺西營中曰、高市皇子、自不破至。軍衆多從。爰留守司高坂王、及興兵使者穂積臣百足等、據飛鳥寺西槻下爲營。唯百足居小墾田兵庫、運兵於近江。時營中軍衆、聞熊叫聲、悉散走。仍大伴連吹負、
《訓み下し》
大皇弟(まうけのきみ)の爲(みため)に、東國(あづまのくに)の軍(いくさ)を發(おこ)しに遣(つかは)す韋那公(ゐなのきみ)磐鍬(いはすき)が徒(ともがら)なり。然(しか)るに磐鍬(いはすき)は兵(いくさ)の起(おこ)るを見(み)て、乃(すなは)ち逃(に)げ還(かへ)りぬ』とまうしつ」とまうす。既(すで)にして天皇(すめらみこと)、高市皇子(たけちのみこ)に謂(かた)りて曰(のたま)はく、「其(そ)れ近江朝(あふみのみかど)には、左右大臣(ひだりみぎのおほまへつきみ)、及(およ)び智謀(かしこ)き群臣(まへつきみたち)、共(とも)に議(はかりこと)を定(さだ)む。今(いま)朕(われ)、與(とも)に事(こと)を計(はか)る者(ひと)無(な)し。唯(ただ)幼少(いとけなくわか)き孺子(こども)有(あ)るのみなり。奈之何(いかに)かせむ」とのたまふ。皇子(みこ)、臂(ただむき)を攘(かきはつ)りて劒(つるぎ)を案(とりしば)りて奏言(まう)さく、「近江(あふみ)の群臣、多(さは)なりと雖(いふと)も、何(なに)ぞ敢(あ)へて天皇の靈(みかげ)に逆(さから)はむや。天皇獨(ひと)りのみましますと雖(いふと)も、臣(やつかれ)高市(たけち)、神祇(あまつかみくにつかみ)の靈(みたまのふゆ)に頼(よ)り、天皇の命(みことのり)を請(う)けて、諸將(もろもろのいくさのきみ)を引率(ひきゐ)て征討(う)たむ。豈(あに)距(ふせ)くこと有らむや」とまうす。爰(ここ)に天皇譽(ほ)めて、手(て)を携(と)りて背(せ)を撫(かきな)でて曰(のたま)はく、「愼(ゆ)め、不可怠(なおこたりそ)」とのたまふ。因(よ)りて鞍馬(くらおけるうま)を賜(たま)ひて、悉(ことごとく)に軍事(いくさのこと)を授(さづ)けたまふ。皇子、和魔(わざみ)に還(かへ)る。天皇、茲(ここ)に、行宮(かりみや)を野上(のがみ)に興(おこ)して居(ま)します。此(こ)の夜(よ)、雷電(いかづち)なりて雨(あめ)ふること甚(はなはだ)し。天皇祈(うけ)ひて曰はく、「天神地祇(あまつかみくにつかみ)、朕を扶(たす)けたまはば、雷(かみ)なり雨ふること息(や)めむ」とのたまふ。言(のたま)ひ訖(をは)りて即(すなは)ち雷なり雨ふること止(や)みぬ。戊子(つちのえねのひ)に、天皇、和魔に往(い)でまして、軍事(いくさのこと)を檢校(かむが)へて還りたまふ。己丑(つちのとのうしのひ)に、天皇、和魔に往でまして、高市皇子(たけちのみこ)に命(みことのり)して、軍衆(いくさのひとども)に號令(のりごと)したまふ。天皇、亦(また)野上に還りて居(ま)します。
是(こ)の日(ひ)に、大伴連(おほとものむらじ)吹負(ふけひ)、密(ひそか)に留守司(とどまりまもるつかさ)坂上直(さかのうへのあたひ)熊毛(くまけ)と議(はか)りて、一二(ひとりふたり)の漢直=等(あやのあたひ=ら)に謂(かた)りて曰(い)はく、「我(われ)詐(いつは)りて高市皇子と稱(なの)りて、數十騎(とをあまりのうまいくさ)を率(ゐ)て、飛鳥寺(あすかでら)の北(きた)の路(みち)より、出(い)でて營(いほり)に臨(のぞ)まむ。乃(すなは)ち汝(いまし)内應(うちあひ)せよ」といふ。既(すで)にして兵(つはもの)を百濟(くだら)の家(いへ)に繕(つくろ)ひて、南(みなみ)の門(かど)より出づ。
※「うけひ【祈】あらかじめ甲乙二つの事態を予想し、甲という事態が起これば、神意はAにあり、乙という事態が起これば、神意はBにありときめておき、甲が起こるか乙が起こるかを見て、神意の所在がAにあるかBにあるかを判断すること。従って、ここでは、天~地祇に、天武天皇をたすける神意があるから、雷雨が止んだと云うこと」
ことばの実際〔歴史人物登場による表現〕
天智天皇
大海人皇子
天武天皇
21世紀表現に見ることば群
エレベーター。ガラス。カプセル。リモコン制御(せいぎょ)装置(そうち)。換気用(かんきよう)ダクト。ヘルメット。プランクトン。レイプ。クレジット。海底(かいてい)コンビナート。サボタージュ。監視(かんし)センター。ステーション。デマ。ホットライン。オペレーター。直通(ちょくつう)ナンバー。データ。ターゲット。キャッチ。ストップ。コトロール。コントロールシステム。レンジャー技術(ぎじゅつ)。ロボット機(き)。センサー。キス。コントロールルーム。タワー。テレビ。ビデオ。
洗脳(せんのう)。黒潮(くろしお)教宣(きょうせん)塾(じゅく)。鎮静剤(ちんせいざい)。収容所(ラーゲル)。装甲車(そうこうしゃ)。仮装舞踏会(かそうぶとうかい)。無人機(むじんき)。不滅教(エターナリズム)。英霊(えいれい)。火焔放射器(かえんほうしゃき)。消火液(しょうかえき)。霊界(れいかい)。
〔現存~(いましおや)〕「あれは反抗心(はんこうしん)にかたまった若者(わかもの)だ。ナンブよ。はたしてあの山猫(やまねこ)折伏(しゃくぶく)できるかな」