2004年06月01日から06月30日迄

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ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

 

 

 

 

2004年06月30日(水)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
一向(イツカウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「伊」部に、

一向(カウ) 。〔元亀二年本18一〕〔天正十七年本上7ウB〕〔西來寺本〕

一向(カフ) 。〔静嘉堂本12四〕

とあって、標記語「一向」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

仰御哀憐恐惶敬白〔至徳三年本〕

一向仰御哀憐恐惶敬白〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

一向御哀憐(レン)恐惶敬白〔山田俊雄藏本〕

一向(アヲク)御哀憐(アイレン)恐惶謹言〔経覺筆本〕

一向(アフク)御哀憐(アイレン)恐惶敬白〔文明四年本〕 

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本の古写本は、「一向」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「一向」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「一向」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

一向(イツカウヒトツ、キヤウ・ムカウ)[入・去] 。〔態藝門36六〕

とあって、標記語「一向」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

一向(カウ) 。〔・言語進退門8二〕〔・言語門5六〕

一位 ―種。<畧>。―六。―向。―行。<畧>―笑。〔・言語門5六〕

一位 ―種(シユ)。<畧>。―六。―向(カウ)。―行(カウ)。<畧>。―落索(ラクサク)木黒畫在之。〔・言語門6六〕

とあって、弘治二年本永祿二年本に標記語「一向」の語を収載し、他本は標記語「一位」の熟語群として記載し、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、標記語「一向」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「一向」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

545可(ナラ)-候也一向御哀憐恐々敬白〔謙堂文庫藏五一左F〕

とあって、標記語「一向」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(ケイ)白計(ナラ)ラサ一磬(ケイ)一向御哀憐(アイレン)一磬ヲ鳴ス事ハ。上天下界ヲ驚(ヲトロ)カス心ナリ。啓白ハ。始メ結(ケツ)願ハ終ナリ。〔下28ウ五〜七〕

とあって、この標記語「一向」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

一向(いつかう)御哀憐(ごあいれん)を仰(あを)一向御哀憐 一向ハ一と動にと云事なり。哀憐ハ皆あわれむと讀。今度の法会合力あれハ執行(とりおこな)ハれ合力なけれハ執行ハれすして志至されハ憐て合力あれと也。〔77ウ三〜六〕

とあって、この標記語「一向」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(たゞし)し佛(ぶつ)布施(ふせ)(ならび)に被物(ひもつ)録物等(ろくもつとう)用意(ようゐ)軽賤(けいせん)(なり)(たゞ)御助成(ごじよせい)に擬()して之(これ)を執行(しゆぎやう)せら被()()し。御讃嘆(ごさんたん)()に儀()に非(あら)ずと雖(いへども)啓白(けいびやく)(ばかり)を以(もつて)一磬(いつけい)を鳴()らさ被()()く候(さふら)ふ也(なり)一向(いつかふ)に御哀憐(ごあいれん)を仰(あふ)ぐ恐惶(きやうくはう)敬白(けいはく)佛布施被物物等用意軽賤也只擬シテ御助成セラズト御讃嘆之儀啓白許ラサ一磬一向御哀憐恐惶敬白〔56オ五〜八〕

(たゞし)(ぶつ)布施(ふせ)(ならび)被物(ひもつ)物等(ろくもつとう)用意(ようい)軽賤(けいせん)(なり)(たゞ)(ぎして)御助成(ごじよせい)(べし)()(しゆ)(ぎやうせ)(これを)(いへども)(あら)ずと御讃嘆(ごさんたん)()(ぎに)(もつて)啓白(けいびやく)(ばかりを)(へく)()(ならさ)一磬(いつけい)(さふら)(なり)一向(いつかうに)(あふく)御哀憐(ごあいれんを)恐惶(きやうくはう)敬白(けいはく)〔100ウ六〜101オ五・六〕

とあって、標記語「一向」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Icc?.イッカウ(一向) Fitomuqi.(一向き)なんとしても.例,Icc?ni tanomi zonzuru.(一向に頼み存ずる)どうしてもあなたにお願いします,あるいは,是非ともあなたにお願いいたします.Icc? naranu.(一向ならぬ)どんな場合であっても,決してあり得ない.→Ixxin(一心);Namaxijini;Sacague.〔邦訳323r〕

とあって、標記語「一向」の語の意味は「Fitomuqi.(一向き)なんとしても」とし、訓みと意味を異にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

いッ-かう〔副〕【一向】〔ひとむきにの意、剪燈新話、註「一向、猶一偏」語燈録「一向者、正一直向也」〕(一)ひたすら。一意に。程子遺書「至書札、於儒者事、最近然、一向著、亦自喪志」(支那、宋の碩儒、程頴、程頤)三代實録、十七、貞觀十二年二月「穀倉院地子交易物、云云、置專當還致物煩、望請、從停止、府司一向交易奉進、詔並從之」職源抄、上、太政官「官中事、一向、左大臣統領之運歩色葉集(天文)「一向、イッカウ」(二)俗に、意を轉じて、さらさらに。一切(イツサイ)。「一向、存じませぬ」佛教の語。餘事を思はず、唯、一事にのみ心を向くるさま。六十華嚴、十四「一向專求無上菩提無量壽經、下「一向專念無量壽佛法苑珠林一向唯樂苦」〔0180-5〕

いッ-かう〔副〕【一向】〔前條の語と同一義なれど、佛經語として、別に説く〕佛教の語。餘事を思はず、唯、一事にのみ心を向くるさま。六十華嚴、十四「一向專求無上菩提無量壽經、下「一向專念無量壽佛法苑珠林一向唯樂苦」〔0180-5〕

とあって、標記語「いッ-かう〔副〕【一向】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「いっ-こう一向】[]〔副〕(「に」「の」を伴うことが多い)@一つのことがらに他を考えない意を表わす。動作性の語にかかりやすい。ひたすら。いちずに。いこう。A物事が完全に一つの傾向にある意を表わす。形状性の語にかかりやすい。すべて。全部。もっぱら。たいそう。むやみに。B下に打消の語を伴って、程度の完全なことを強める意を表わす。まるで。ちっとも。さっぱり。まったく。C一つの方面。D一つのことがらを選び取る意を表わす。いっそ。むしろ。[]〔形動〕否定的な意味を含めていう。全くひどい。まるでだめだ。→一向なもの。[語誌](1)平安時代のかな文学には「いかう」が多く、鎌倉時代以後は「一向」が多い。(2)平安時代には下に肯定表現を伴うことが多い。仏典では肯定表現を伴う用法の他、「而彼一向不受如是種種苦悩」〔唯識論〕のように否定表現を伴う用法もあるが、一般には鎌倉時代に入ってから、否定表現を伴う例が多くなる」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
志太三郎先生義廣、濫悪掠領常陸國鹿嶋社領之由、依聞食之、一向可爲御物忌沙汰之由、被仰下《訓み下し》志太ノ三郎先生義広、濫悪ニシテ常陸ノ国鹿島ノ社領ヲ掠領スルノ由、之ヲ聞シ食スニ依テ、一向ニ御物忌ノ沙汰タルベキノ由、仰セ下サル。《『吾妻鏡』治承五年二月二十八日の条》
 
 
2004年06月29日(火)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→祝日
一磬(イツケイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「氣」部に、

(ケイ) 。〔元亀二年本220十〕

(ケイ) 鳴物。〔静嘉堂本251七〕

(ケイ) 鳴物也。〔天正十七年本中55ウE〕

とあって、標記語「一磬」の語を収載し、語注記は、静嘉堂本と天正十七年本に「鳴物(なり)」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

只擬御助成可被執行之雖非御讃嘆之儀以啓白許可被鳴一磬候也〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕

只擬御助成可被執行之雖非御讃嘆之儀以啓白可被一磬候也〔建部傳内本〕

只擬(ナソラヘ)御助成行之御讃嘆(サンタン)之儀啓白許リヲ(ナラサ)一磬(ケイ)候也〔山田俊雄藏本〕

御助成行之御讃嘆(サンタン)之儀啓白計(ハカリ)(ナラ)一磬候也〔経覺筆本〕

(タヽ)(ナソラヘナソラエテ)御助成(トリ)行之御讃嘆(サンタン)之儀啓白(ケイハク)ヒヤクレ(ハカリ)(ナラサレ)一磬(ケイ)〔文明四年本〕 

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本の古写本は、「一磬」と記載し、訓みは、文明四年本・山田俊雄藏本に「(イツ)ケイ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「一磬」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

(ケイ) 。〔器財門112三〕

とあって、標記語「」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

(ケイ―)[去] 。〔器財門593三〕

とあって、標記語「」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

(ケイ)キン。〔・財宝門174五〕

(キン)ケイ。〔・財宝門143六〕

(ケイ) 。〔・財宝門133四〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』に、

(ケイ) 。〔器財門145三〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語を以て収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。ここで、『運歩色葉集』の静嘉堂本と天正十七年本の語注記「鳴物(也)」が真字註には見られないなっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

545可(ナラ)-候也一向御哀憐恐々敬白〔謙堂文庫藏五一左F〕

とあって、標記語「一磬」の語を収載し、この語についての語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(ケイ)白計(ナラ)ラサ一磬(ケイ)一向御哀憐(アイレン)一磬ヲ鳴ス事ハ。上天下界ヲ驚(ヲトロ)カス心ナリ。啓白ハ。始メ結(ケツ)願ハ終ナリ。〔下28ウ五〜七〕

とあって、この標記語「一磬」とし、語注記は「禄(ロク)物は、僧衆の引物なり。定る禄なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

(ゆる)さハ一磬(いつけい)を鳴(なら)ら被て候也サハ一磬候也 此許も承知する事なり。磬ハもと石にて作りしか今ハ銅にて作る。其形等ハ圖説にくわし。こゝに言こゝろハ今度思ひ立たる事御称美あるへき事にハあらねとも先申入るゝ也。もし承知し玉ハゝ磬を一声打鳴らし玉へとなり。惣じて僧読ハ鳴物を以て相圖(あいづ)とするゆへ磬の音を聞て承知ありし事を知らんか為かくいひし也。畢音は早下の詞なり。〔77ウ三〜六〕

とあって、この標記語「一磬」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(たゞし)し佛(ぶつ)布施(ふせ)(ならび)に被物(ひもつ)録物等(ろくもつとう)用意(ようゐ)軽賤(けいせん)(なり)(たゞ)御助成(ごじよせい)に擬()して之(これ)を執行(しゆぎやう)せら被()()し。御讃嘆(ごさんたん)()に儀()に非(あら)ずと雖(いへども)啓白(けいびやく)(ばかり)を以(もつて)一磬(いつけい)を鳴()らさ被()()く候(さふら)ふ也(なり)。一向(いつかふ)に御哀憐(ごあいれん)を仰(あふ)ぐ恐惶(きやうくはう)敬白(けいはく)佛布施被物物等用意軽賤也只擬シテ御助成セラズト御讃嘆之儀啓白許ラサ一磬一向御哀憐恐惶敬白▲磬ハ讀經(どくきやう)の始(はじめ)と終(をハり)とに打(うち)ならす物也。〔56オ五〜ウ一〕

(たゞし)(ぶつ)布施(ふせ)(ならび)被物(ひもつ)物等(ろくもつとう)用意(ようい)軽賤(けいせん)(なり)(たゞ)(ぎして)御助成(ごじよせい)(べし)()(しゆ)(ぎやうせ)(これを)(いへども)(あら)ずと御讃嘆(ごさんたん)()(ぎに)(もつて)啓白(けいびやく)(ばかりを)(へく)()(ならさ)一磬(いつけい)(さふら)(なり)一向(いつかうに)(あふく)御哀憐(ごあいれんを)恐惶(きやうくはう)敬白(けいはく)▲磬ハ讀經(どくきやう)の始(はじめ)と終(をハり)とハ打(うち)ならす物也。〔100ウ六〜101ウ一〕

とあって、標記語「一磬」の語をもって収載し、その語注記は、「磬は、讀經(どくきやう)の始(はじめ)と終(をハり)とに打(うち)ならす物なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†Qei.ケイ() 坊主(Bonzos)がきまった時刻に行なう勤めの際に打ち鳴らすもので,銅製の四角形のもの.Qeiuo narasu.(磬を鳴らす)この道具を打ち鳴らす.〔邦訳481r〕

とあって、標記語「」の語の意味は「坊主(Bonzos)がきまった時刻に行なう勤めの際に打ち鳴らすもので,銅製の四角形のもの」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

けい〔名〕【】〔釋名「磬、?也、聲堅、磬磬然」〕樂器、一種の、甚だ堅き石を用ゐ、架に掛けて撃つ、清く高き響きをなす。今は多く、銅にて作る、銅磬と云ひ、略して、專ら、磬とも云ふ。キン。ウチイシ。白虎通者、夷則氣象、萬物之成」宇津保物語、祭使17「男君たち、笛ども吹きあはせ、琵琶、御こと、うたせ、こかの聲にあはせて」〔0594-1〕

とあって、標記語「けい〔名〕【】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「けい】〔名〕古代中国の打楽器。枠(わく)の中に石板をつり下げて、角製の槌(つち)で打ち鳴らすもの。太古に起こって殷代の代表楽器となり、周代以来雅楽の楽器として使用。日本では奈良時代以後、仏具として用いられ、仏前の礼盤の右側に置き、導師が勤行(ごんぎょう)の時などに打ち鳴らした。うちならし。うちなし。→磬(きん)」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
天平十八年 口径二尺五寸、厚一寸、〉合磬弐口〈一口銅、径一尺七寸、一、禽獣形、無漏王、円方王、鍾、、錫杖 通分鉄壱拾参口〈一径二尺六寸 深三尺六 《『奈良古文書』2/565
 
 
2004年06月28日(月)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
啓白(ケイヒヤク・ケイハク)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「氣」部に、

啓白(ケイヒヤク) 。〔元亀二年本215一〕〔天正十七年本中51ウ七〕

啓白(ヒヤク) 。〔静嘉堂本244七〕

とあって、標記語「啓白」の語を収載し、訓みは「ケイヒヤク」と記載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

只擬御助成可被執行之雖非御讃嘆之儀以啓白許可被鳴一磬候也〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕

只擬御助成可被執行之雖非御讃嘆之儀以啓白可被一磬候也〔建部傳内本〕

只擬(ナソラヘ)御助成行之御讃嘆(サンタン)之儀啓白リヲ(ナラサ)一磬(ケイ)候也〔山田俊雄藏本〕

御助成行之御讃嘆(サンタン)之儀啓白(ハカリ)(ナラ)一磬候也〔経覺筆本〕

(タヽ)(ナソラヘナソラエテ)御助成(トリ)行之御讃嘆(サンタン)之儀啓白(ケイハク)ヒヤクレ(ハカリ)(ナラサレ)一磬(ケイ)〔文明四年本〕 

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本の古写本は、「啓白」と記載し、訓みは文明四年本に「ケイハク」、左訓に「(ケイ)ヒヤク」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

啓白 ケイヒヤク。〔黒川本・畳字門中100オ八〕

啓白 〃達タツ/ヒラキタツス。〔巻第七・畳字門25一〕

とあって、標記語「啓白」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「啓白」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

啓白(ケイハクヒラク、シロシ・マウス)[上・入] 教家(ケウケ)言。〔態藝門599八〕

とあって、標記語「啓白」の語を収載し、訓みを「ケイハク」とし、語注記に「教家(ケウケ)に言ふ所」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

啓白(ケイビヤク) ―箚(サツ)。〔・言語門145七〕

啓白(ケイハク) ―箚。〔・言語進退門135三〕

とあって、標記語「啓白」の語を収載し、訓みを永祿二年本は、「ケイビヤク」、尭空本は、「ケイハク」と記載する。また、易林本節用集』に、

啓達(ケイタツ) ―上(シヤウ)―白(ビヤク)。〔言辞門147一〕

とあって、標記語「啓達」の熟語群に「啓白」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「啓白」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。但し、広本節用集』にのみ語注記が見えているのだが、下記真字本の語注記とは異なっている。そして、『庭訓往來註』がどちらの訓みを用いたのかだが国会図書館蔵左貫注に「啓白(ビヤク)」とあって、此所では「ケイビヤク」と訓ずるものと云うことになる。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

544且擬(ナソラヘ/キシテ)助成‖-御讃嘆(ヲサンタン)ノ之儀-- 啓白口斗始コト。〔謙堂文庫藏五一左E〕

※――ハ口バカリ始メヨト云心也。――トハ禅家ノ禅家ノ啓建ト同意也。〔国会図書館蔵『左貫注庭訓』書込〕

※啓白トハ禅家ノ啓建ト同意也。又啓白ハ仏ニ白スト云心也。〔天理図書館蔵『庭訓往來註』書込〕

とあって、標記語「啓白」の語を収載し、この語についての語注記は、「啓白口ばかり始ることなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

(ケイ)(ナラ)ラサ一磬(ケイ)一向御哀憐(アイレン)一磬ヲ鳴ス事ハ。上天下界ヲ驚(ヲトロ)カス心ナリ。啓白ハ。始メ結(ケツ)願ハ終ナリ〔下28ウ五〜七〕

とあって、この標記語「啓白」とし、語注記は「啓白は、始め、結(ケツ)願は、終りなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

御讃嘆(ごさんたん)()に儀()に非(あら)すと雖(いへとも)啓白(けいはく)スト御讃嘆之儀- 讃嘆ハ称美する事也。啓白ハ申入るゝといふ事也〔77ウ一・二〕

とあって、この標記語「啓白」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(たゞし)し佛(ぶつ)布施(ふせ)(ならび)に被物(ひもつ)録物等(ろくもつとう)用意(ようゐ)軽賤(けいせん)(なり)(たゞ)御助成(ごじよせい)に擬()して之(これ)を執行(しゆぎやう)せら被()()し。御讃嘆(ごさんたん)()に儀()に非(あら)ずと雖(いへども)啓白(けいびやく)(ばかり)を以(もつて)一磬(いつけい)を鳴()らさ被()()く候(さふら)ふ也(なり)。一向(いつかふ)に御哀憐(ごあいれん)を仰(あふ)ぐ恐惶(きやうくはう)敬白(けいはく)佛布施被物物等用意軽賤也只擬シテ御助成セラズト御讃嘆之儀啓白ラサ一磬一向御哀憐恐惶敬白啓白ハ始(はしめ)也。經(きやう)の發端(ほつたん)をいふ〔56オ一〕

(たゞし)(ぶつ)布施(ふせ)(ならび)被物(ひもつ)物等(ろくもつとう)用意(ようい)軽賤(けいせん)(なり)(たゞ)(ぎして)御助成(ごじよせい)(べし)()(しゆ)(ぎやうせ)(これを)(いへども)(あら)ずと御讃嘆(ごさんたん)()(ぎに)(もつて)啓白(けいびやく)(ばかりを)(へく)()(ならさ)一磬(いつけい)(さふら)(なり)一向(いつかうに)(あふく)御哀憐(ごあいれんを)恐惶(きやうくはう)敬白(けいはく)啓白ハ始(はじめ)也。經(きやう)の發端(ほつたん)をいふ〔100ウ六〜101オ六〕

とあって、標記語「啓白」の語をもって収載し、その語注記は、「啓白ハ始(はじめ)也。經(きやう)の發端(ほつたん)をいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「啓白」の語は、未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

けい-はく〔名〕【啓白】けいびゃくの條を見よ。〔0600-2〕

けい-びゃく〔名〕【啓白】(一)物申すこと。申し上ぐること。(~佛に對してなどに云ふ)吾妻鑑、一、治承四年七月五日「供香花於佛前其旨趣源平盛衰記、三、澄憲祈雨事「啓白に言を盡し、龍~に理を責めて、雨を祈り乞ひたまひけり」(二)又、經文の小口のみを讀むを云ふと云ふ。庭訓往來、九月「雖雖御讃嘆之儀。以啓白。可一磬候也」和訓栞、けいびゃく「啓白と書けり、經文の小口ばかりを讀む義也と云へり」〔0600-3〕

とあって、標記語「けい-はく〔名〕【啓白】」→「けい-びゃく〔名〕【啓白】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「けい-はく啓白】〔名〕「けいびゃく(啓白)」に同じ」と標記語「けい-びゃく啓白】〔名〕(「けいひゃく」とも)@うやまって申しあげること。特に、神仏に願いを申し述べること。法会や修法会などのおり、趣旨や願意を仏前で述べることにいう。また、その文書やことば。表白(ひょうびゃく)。けいはく。A→けいはく(啓白)。B経文の一部分だけを読むこと。[補注]「白」は漢音「ハク」呉音「ビャク」だが、「啓白」は、多く呉音で「けいびゃく」と読まれたと考えられる」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例をBの意味用例として記載する。
[ことばの実際]
仍轉讀分八百部、故欲啓白(ケイビヤク)佛陀、如何者覺淵申云、雖不滿一千部、被啓白(ケイヒヤク)條、不可背冥慮者則供香花於佛前、啓白(ケイビヤク)其旨趣《訓み下し》仍テ転読分八百部、故ニ仏陀ニ啓白(ケイビヤク)セント欲ス、如何、テイレバ覚淵申シテ云ク、一千部ニ満タズト雖モ、啓白(ケイヒヤク)セラレンノ条、冥慮ニ背クベカラズ、テイレバ、則チ香花ヲ仏前ニ供ケ、其ノ旨趣ヲ啓白(ケイビヤク)ス。《『吾妻鏡』治承四年七月五日の条》
 
 
2004年06月27日(日)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
讃嘆(サンタン・サンダン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「佐」部に、

讃嘆(サンタン) 。〔元亀二年本270八〕

讃嘆(サンダン) 。〔静嘉堂本308七〕

とあって、標記語「讃嘆」の語を収載し、訓みは「サンタン」〔元〕と「サンダン」〔静〕と二分する。そして、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

只擬御助成可被執行之雖非御讃嘆之儀以啓白許可被鳴一磬候也〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕

只擬御助成可被執行之雖非御讃嘆之儀以啓白可被一磬候也〔建部傳内本〕

只擬(ナソラヘ)御助成行之讃嘆(サンタン)之儀啓白許リヲ(ナラサ)一磬(ケイ)候也〔山田俊雄藏本〕

御助成行之讃嘆(サンタン)之儀啓白計(ハカリ)(ナラ)一磬候也〔経覺筆本〕

(タヽ)(ナソラヘナソラエテ)御助成(トリ)行之讃嘆(サンタン)之儀啓白(ケイハク)ヒヤクレ(ハカリ)(ナラサレ)一磬(ケイ)〔文明四年本〕 

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本の古写本は、「讃嘆」と記載し、訓みは、、山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「サンタン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

讃嘆 サンタン。〔黒川本・畳字門下41ウ七〕

〃頌。〃論。〃衆。〔巻第八・畳字門447二〕

とあって、標記語「讃嘆」(三卷本)と「」(十巻本)の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「讃嘆」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

(サンタンホムル、ナゲク)[去・平去] 。〔態藝門790八〕

とあって、標記語「」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

(サンダン) 。〔・言語進退門214八〕

とあって、弘治二年本だけに標記語「」の語を収載し、訓みを「サンダン」と記載する。また、易林本節用集』に、

(サンダン) 嘆同。―佛乗(フツせウ)。〔言辞門180六〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「讃嘆」と「」の両語表記が見られ、前者の表記は、三卷本色葉字類抄』『運歩色葉集』が収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

544且擬(ナソラヘ/キシテ)助成‖-讃嘆(ヲサンタン)ノ之儀-- 啓白口斗始コト也。〔謙堂文庫藏五一左E〕

※説法ナトスル樣心也。〔国会図書館蔵『左貫注庭訓』書込〕

とあって、標記語「讃嘆」の語を収載し、この語についての語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

禄物等用意輕賎也只擬(キシ)御助成行之讃嘆(サンタン)之儀禄(ロク)物ハ僧衆ノ引物ナリ。定ル禄ナリ。〔下28ウ四〜五〕

とあって、この標記語「讃嘆」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

讃嘆(ごさんたん)()に儀()に非(あら)すと雖(いへとも)啓白(けいはく)スト讃嘆之儀- 讃嘆ハ称美する事也。啓白ハ申入るゝといふ事也。〔77ウ一・二〕

とあって、この標記語「讃嘆」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(たゞし)し佛(ぶつ)布施(ふせ)(ならび)に被物(ひもつ)録物等(ろくもつとう)用意(ようゐ)軽賤(けいせん)(なり)(たゞ)御助成(ごじよせい)に擬()して之(これ)を執行(しゆぎやう)せら被()()し。御讃嘆(ごさんたん)()に儀()に非(あら)ずと雖(いへども)啓白(けいびやく)(ばかり)を以(もつて)一磬(いつけい)を鳴()らさ被()()く候(さふら)ふ也(なり)。一向(いつかふ)に御哀憐(ごあいれん)を仰(あふ)ぐ恐惶(きやうくはう)敬白(けいはく)佛布施被物物等用意軽賤也只擬シテ御助成セラズト讃嘆之儀啓白許ラサ一磬一向御哀憐恐惶敬白▲讃嘆ハ法義(ほふき)の惑(よろこび)をいふ。〔56ウ一〕

(たゞし)(ぶつ)布施(ふせ)(ならび)被物(ひもつ)物等(ろくもつとう)用意(ようい)軽賤(けいせん)(なり)(たゞ)(ぎして)御助成(ごじよせい)(べし)()(しゆ)(ぎやうせ)(これを)(いへども)(あら)ずと讃嘆(ごさんたん)()(ぎに)(もつて)啓白(けいびやく)(ばかりを)(へく)()(ならさ)一磬(いつけい)(さふら)(なり)一向(いつかうに)(あふく)御哀憐(ごあいれんを)恐惶(きやうくはう)敬白(けいはく)▲讃嘆ハ法義(ほふぎ)の惑(よろこび)をいふ。〔100ウ六〜101オ六〕

とあって、標記語「讃嘆」の語をもって収載し、その語注記は、「讃嘆ハ法義(ほふぎ)の惑(よろこび)をいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Sandan.サンダン(讃談・) Fome cataru.(讃め談る)ある事を褒めて話すこと,あるいは,讃辞をもって論ずること.ただし,一般にはある事を話したり,論じたりする意に用いられる.〔邦訳554l〕

とあって、標記語「讃談・」の語の意味は「ある事を褒めて話すこと,あるいは,讃辞をもって論ずること.ただし,一般にはある事を話したり,論じたりする意に用いられる」とし、訓みと意味を異にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

さん-たん〔名〕【讃嘆】感じ、ほむること。ほめ、そやすこと。〔0846-1〕

さん-だん〔名〕【讃嘆】佛教に云ふ語。偈頌(ゲジユ)を以て、佛コを稱揚すること。大智度論、三十、讃歎「美其功コ讃、謂之不足、則又稱揚之、故曰歎」往生論註、下「讃、讃揚也、歎、歌歎也」古き和讃(ワサン)魚山(タイガイ)、法華讃嘆「法花經を、我が得しことは、薪(たきゞ)()り、菜摘み、水汲み、事へてぞ得し、事へてぞ得し」(法華經、提婆品に、採薪及菓?、隨時恭敬シテトアリ、此讃嘆は、行基菩薩の作、魚山(ギヨサン)は、山城國、大原村の来迎院なり)源氏物語、三十九、御法5「薪伐()るほど、さんだんの聲も、そこら群集(つど)ひたるひびき、おどろおどろしきを」(法華八講の五卷に日の、薪の行道(ギヤウダウ)に、行基の歌を聲明(シヤウミヤウ)にして、行道するを云へるなり)」源平盛衰記、三十二、福原管絃講事「安養世界の玉の橋には、如來讃嘆の曲を奏し、云云、苦空無我の音、妙にして、更に妙なれば」〔0846-2〕

とあって、標記語「さん-たん〔名〕【讃嘆】」と「さん-だん〔名〕【讃嘆】」の両語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「さん-たん賛嘆讃嘆】〔名〕@(―する)感心してほめること。感嘆して称賛すること。A(「さんだん」と濁る)仏語。イ(―する)偈(げ)を唱えて仏徳をほめたたえること。ロ平安初期から行われた、国語による仏教讃歌。法華讃歎、百石(ももさか)讃歎、舎利讃歎など。前二者は和歌の体」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
十五日壬午。於御所御持仏堂。被讃嘆孟蘭盆経。信濃法印道禅為導師。佐房。広時等取布施云云。《訓み下し》十五日壬午。御所ノ御持仏堂ニ於テ、孟蘭盆ノ経ヲ讃嘆セラル。信濃ノ法印道禅導師タリ。佐房、広時等布施ヲ取ルト云云。《『吾妻鏡』延応元年七月十五日の条》
于時遂夏艾安之時金商肅條之仲月、酌東漸之法水、凝南謨之匪石、奉書寫金光明經百部四百卷便屈紫衣綱維之禪徒、令(サンダン)金色光明之妙典《訓み下し》時ニ遂夏艾安ノ明時。金商粛条ノ仲月ニ、東漸ノ法水ヲ酌ミ、南謨ノ匪石ヲ凝ラシ、金光明経百部四百巻ヲ書写シ奉ル。便チ紫衣綱維ノ禅徒ヲ屈シ、金色光明ノ妙典ヲ(サンダン)セシム。《『吾妻鏡』延応元年八月十日の条》
 
 
助成(ジヨセイ)」ことばの溜池(2002.02.07)を参照。
執行(シツギャウ)」ことばの溜池(2003.08.09)を参照。
 
2004年06月26日(土)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
(なぞらふ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「奈」部に、

(ナゾラウ)()() 。〔元亀二年本169三〕

(ナゾラウ)()() 。〔静嘉堂本188八〕

(ナソラウ)()() 。〔天正十七年本中24オ六〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「」の語を収載し、訓みは「ナゾラウ」〔元・静〕と「ナソラウ」と記載する。そして、語注記は、静嘉堂本「定〔定家仮名遣い〕」を記載する。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

御助成可被執行之雖非御讃嘆之儀以啓白許可被鳴一磬候也〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕

御助成可被執行之雖非御讃嘆之儀以啓白可被一磬候也〔建部傳内本〕

(ナソラヘ)御助成行之御讃嘆(サンタン)之儀啓白許リヲ(ナラサ)一磬(ケイ)候也〔山田俊雄藏本〕

御助成行之御讃嘆(サンタン)之儀啓白計(ハカリ)(ナラ)一磬候也〔経覺筆本〕

(タヽ)(ナソラヘナソラエテ)御助成(トリ)行之御讃嘆(サンタン)之儀啓白(ケイハク)ヒヤクレ(ハカリ)(ナラサレ)一磬(ケイ)〔文明四年本〕 

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

競馬(ケイバ) 五月五日(ナソラフ)支那競渡(ケイト)。〔神祇門38二〕

とあって、標記語「競馬」の語注記に「」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

?(アテガウ・同―、キ・ナゾラウ)[○・上] 。〔態藝門770二〕

とあって、標記語「」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

(ナゾラウ)()()。〔・言語進退門140三〕

とあって、弘治二年本だけに標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』に、

(ナゾラフ)() 。〔言辞門111八〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

544且(ナソラヘキシテ)助成‖-御讃嘆(ヲサンタン)ノ之儀-- 啓白口斗始コト也。〔謙堂文庫藏五一左E〕

とあって、標記語「」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

禄物等用意輕賎也只(キシ)御助成行之御讃嘆(サンタン)之儀禄(ロク)物ハ僧衆ノ引物ナリ。定ル禄ナリ。〔下28ウ四〜五〕

とあって、この標記語「」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

(たゞ)御助成(ごじよせい)()して之(これ)を執行(しゆぎやう)せら被可御助成行之 擬ハこひねかふ意なり。助成の注ハ前に見へたり。こゝにいふこゝろハ布施なとの手當も至て少きゆへ一己の力にてハ及ひかたし。合力(かうりよく)して玉ハらハ思ひ立たる法会も執り行ふ事なるへしと也。。〔77オ八〜77ウ一〕

とあって、この標記語「」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(たゞし)し佛(ぶつ)布施(ふせ)(ならび)に被物(ひもつ)録物等(ろくもつとう)用意(ようゐ)軽賤(けいせん)(なり)(たゞ)御助成(ごじよせい)()して之(これ)を執行(しゆぎやう)せら被()()し。御讃嘆(ごさんたん)()に儀()に非(あら)ずと雖(いへども)啓白(けいびやく)(ばかり)を以(もつて)一磬(いつけい)を鳴()らさ被()()く候(さふら)ふ也(なり)。一向(いつかふ)に御哀憐(ごあいれん)を仰(あふ)ぐ恐惶(きやうくはう)敬白(けいはく)佛布施被物物等用意軽賤也シテ御助成セラズト御讃嘆之儀啓白許ラサ一磬一向御哀憐恐惶敬白〔56オ五〜八〕

(たゞし)(ぶつ)布施(ふせ)(ならび)被物(ひもつ)物等(ろくもつとう)用意(ようい)軽賤(けいせん)(なり)(たゞ)(ぎして)御助成(ごじよせい)(べし)()(しゆ)(ぎやうせ)(これを)(いへども)(あら)ずと御讃嘆(ごさんたん)()(ぎに)(もつて)啓白(けいびやく)(ばかりを)(へく)()(ならさ)一磬(いつけい)(さふら)(なり)一向(いつかうに)(あふく)御哀憐(ごあいれんを)恐惶(きやうくはう)敬白(けいはく)〔100ウ六〜101オ五・六〕

とあって、標記語「」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

なぞら〔他動詞、下二〕【】比ぶ。たぐふる。なずらふ。なぞふ。よそふ。易林本節用集(慶長)上、言辭門「凖、、ナゾラフ」源氏物語、廿五、螢「彼の監が憂かりしさまには、なぞらふべきけはひならねど」〔1457-4〕

とあって、標記語「なぞら〔他動詞、下二〕【】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「なぞら】〔他ア下一(ハ下一)〕なぞら・ふ〔他ハ下二〕@あるものをもって、本来のもの、あるいは上位のものに擬する。一般に、あるものを、他のものに匹敵するものと見なす。なずらえる。Aならい従う。似せる。まねる。それらしく見せる。なずらえる。Bある事を口実にする。かこつける。なずらえる」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
如和田小太郎義盛、猶潜歸參鎌倉、何况於其外族乎《訓み下し》和田ノ小太郎義盛ガ如キモ、猶潜カニ鎌倉ニ帰参セントス、何ゾ況其ノ外ノ族ニ於テヲヤ。《『吾妻鏡』元暦二年正月十二日の条》
 
 
2004年06月25日(金)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
禄物(ロクモツ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「路」部に、

禄物(ロクフツ) 。〔元亀二年本22六〕

禄物(ブツ) 。〔静嘉堂本19七〕

禄物(ロクモツ) 。〔天正十七年本上10ウE〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「禄物」の語を収載し、訓みは「ロクブツ」〔元・静〕と「ロクモツ」〔天〕と諸本において二分する。そして、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

但仏布施并被物禄物等用意輕賤也〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

但佛布施并被物禄物等用意輕賤也〔宝徳三年本〕

但佛布施并被物禄物等用意輕賤也〔山田俊雄藏本〕

仏布施并被物用意軽賤(キヤウセン)〔経覺筆本〕

佛布施(フツフせ)并被物(ヒフツ)禄物用意(ヨウイ)軽賤(キヤウせン)〔文明四年本〕 

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本の古写本は、「禄物」と記載し、経覺筆本だけが「録物」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

禄物 ロクモツ。〔黒川本・雜物門上14ウ四〕

禄物 。〔巻第一・雜物門125五〕

とあって、標記語「禄物」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「禄物」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

禄物(ロクモツタマモノ、―)[入・入] 。〔態藝門47四〕

とあって、標記語「禄物」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

禄物(ロクモツ) 猿楽取之。〔・財宝門15八〕

とあって、弘治二年本だけに標記語「禄物」の語を収載し、語注記に「猿楽之を取る」と記載する。また、易林本節用集』に、

禄物(ロクモツ) 被物(ヒモツ)。―衫。〔衣食門11七〕

とあって、標記語「禄物」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「禄物」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

543--用意軽賤也 錢也。又棒録引出物等歟。〔謙堂文庫藏五一左D〕

※天理図書館蔵『庭訓往來註』は「禄物」、語注記「捧禄」と記載する。

※国会図書館蔵『左貫注庭訓』は、「録物」とし、書込に「禄」と表記あり。

※東大図書館蔵『庭訓往來古註』は、上記謙堂文庫に同じ表記。

とあって、標記語「」の語を収載し、この語についての語注記は、「錢なり。又捧禄引出物等か」と記載する。この標記語だが、諸本に上記の如き異同が見受けられる。

 古版庭訓徃来註』では、

禄物等用意輕賎也只擬(キシ)御助成行之御讃嘆(サンタン)之儀禄(ロク)物ハ僧衆ノ引物ナリ。定ル禄ナリ。〔下28ウ四〜五〕

とあって、この標記語「禄物」とし、語注記は「禄(ロク)物は、僧衆の引物なり。定る禄なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

(ならび)に被物(ひもつ)(ろくもつとう)用意(ようゐ)軽賤(けいせん)(なり)被物用意軽賤也 被物禄物ハ何れも導師衆僧への引物なり。軽賤とハ手軽(てかる)にして少(すくなき)を云也。〔77オ六・七〕

とあって、この標記語「」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(たゞし)し佛(ぶつ)布施(ふせ)(ならび)に被物(ひもつ)録物等(ろくもつとう)用意(ようゐ)軽賤(けいせん)(なり)(たゞ)御助成(ごじよせい)に擬()して之(これ)を執行(しゆぎやう)せら被()()し。御讃嘆(ごさんたん)()に儀()に非(あら)ずと雖(いへども)啓白(けいびやく)(ばかり)を以(もつて)一磬(いつけい)を鳴()らさ被()()く候(さふら)ふ也(なり)。一向(いつかふ)に御哀憐(ごあいれん)を仰(あふ)ぐ恐惶(きやうくはう)敬白(けいはく)佛布施被物用意軽賤也只擬シテ御助成セラズト御讃嘆之儀啓白許ラサ一磬一向御哀憐恐惶敬白▲被物ハ絹布(けんぷ)の類(るい)。録物ハ金銭の類。共に僧衆(そうしゆ)への引物(ひきもの)也。〔56オ五〜八〕

(たゞし)(ぶつ)布施(ふせ)(ならび)被物(ひもつ)(ろくもつとう)用意(ようい)軽賤(けいせん)(なり)(たゞ)(ぎして)御助成(ごじよせい)(べし)()(しゆ)(ぎやうせ)(これを)(いへども)(あら)ずと御讃嘆(ごさんたん)()(ぎに)(もつて)啓白(けいびやく)(ばかりを)(へく)()(ならさ)一磬(いつけい)(さふら)(なり)一向(いつかうに)(あふく)御哀憐(ごあいれんを)恐惶(きやうくはう)敬白(けいはく)▲被物ハ絹布(けんふ)の類(るゐ)。録物ハ金銭(きんせん)の類。共に僧衆(そうしゆ)へ引物(ひきもの)也。〔100ウ六〜101オ五・六〕

とあって、標記語「」の語をもって収載し、その語注記は、「被物は、絹布(けんぷ)の類(るい)。禄物は、金銭(きんせん)の類。共に僧衆(そうしゆ)への引物(ひきもの)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「禄物」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ろく-もつ〔名〕【禄物】禄として賜ふ物。又、當座の賜物。特に布施の錢。庭訓往來、九月「佛布施、并被物、禄物等用意、輕賤也」〔2153-3〕

とあって、標記語「ろく-もつ〔名〕【禄物】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ろく-もつ禄物】〔名〕禄として賜う物。特に、布帛(ふはく)または金銭をさす。禄。かずけもの。ろくもの」とあって、『大言海』が引用する『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
鹿嶋社神主、中臣親廣、親盛等、依召參上今日參營中、賜金銀禄物(ロクモツ)、剰當社、御寄進之地、永停止地頭非法、一向可令神主管領之旨、被仰含《訓み下し》鹿島ノ社ノ神主、中臣ノ親広、親盛等、召シニ依テ参上ス。今日営中ニ参ズ。金銀禄物(ロクモツ)ヲ賜ハル。剰ヘ当社、御寄進ノ地、永ク地頭ノ非法ヲ停止シ、一向ニ神主管領セシムベキノ旨、仰セ含メラル。《『吾妻鏡』元暦元年十二月二十五日の条》
 
 
2004年06月24日(木)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
被物(ヒブツ・ヒモツ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「飛」部に、

被物(ブツ) 。〔元亀二年本342四〕

被物(ヒブツ) 。〔静嘉堂本410五〕

とあって、標記語「被物」の語を収載し、訓みは「ヒブツ」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

但仏布施并被物禄物等用意輕賤也〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

但佛布施并被物禄物等用意輕賤也〔宝徳三年本〕

但佛布施并被物禄物等用意輕賤也〔山田俊雄藏本〕

仏布施并被物録物等用意軽賤(キヤウセン)〔経覺筆本〕

佛布施(フツフせ)被物(ヒフツ)禄物等用意(ヨウイ)軽賤(キヤウせン)〔文明四年本〕 

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「被物」と記載し、訓みは、文明四年本に「ヒフツ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「被物」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「被物」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

被物(ヒモツ)禄物(ロクモツ) 。〔言辞門227一〕

とあって、標記語「被物禄物」の語を収載し、訓みは「ヒモツ」とする。

 このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』と易林本節用集』に標記語「被物」の語を収載していて、各訓みが異なっている。これが古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。そして、この訓み方が注目されてくるのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

542但佛布施并被物 潅頂之時、児之黄作太刀素絹持出也。絹布之類トモ云也云々。〔謙堂文庫藏五一左C〕

※「被物―絹布ノ類也」左貫注庭訓(国会図書館蔵)書込。

とあって、標記語「被物」の語を収載し、訓は未記載にする。この語についての語注記は、「潅頂の時、児の黄作太刀に素絹持出すなり。絹布の類とも云ふなり云々」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

()ト云ハ。カフムル物ト書リ。俗儀(ソクギ)ナラバカケ物ト云ヘシ。譬(タト)ヘハ。兒(チゴ)ナンドヲ出スニコシラヒ綾羅錦繍(レウラキンシウ)ノ類ヒ衣()裳小袖ノ部類ヲ刷(カヒツクロフ)テ此兒ニ持せテヤル也。是ハ導師好士ノ引物ナリ。〔下28ウ二〜四〕

とあって、この標記語「被物」とし、語注記は「かふむる物と書り。俗儀(ソクギ)ならばかけ物と云べし。譬(タト)へば。兒(チゴ)なんどを出すにこしらひ綾羅錦繍(レウラキンシウ)の類ひ衣()裳小袖の部類を刷(カヒツクロフ)て此の兒に持せてやるなり。是は、導師好士の引物なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

(ならび)被物(ひもつ)録物等(ろくもつとう)用意(ようゐ)軽賤(けいせん)(なり)被物録物等用意軽賤也 被物禄物ハ何れも導師衆僧への引物なり。軽賤とハ手軽(てかる)にして少(すくなき)を云也。〔77オ六・七〕

とあって、この標記語「被物」の語をもって収載し、訓みは「ヒモツ」で語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(たゞし)し佛(ぶつ)布施(ふせ)(ならび)被物(ひもつ)録物等(ろくもつとう)用意(ようゐ)軽賤(けいせん)(なり)(たゞ)御助成(ごじよせい)に擬()して之(これ)を執行(しゆぎやう)せら被()()し。御讃嘆(ごさんたん)()に儀()に非(あら)ずと雖(いへども)啓白(けいびやく)(ばかり)を以(もつて)一磬(いつけい)を鳴()らさ被()()く候(さふら)ふ也(なり)。一向(いつかふ)に御哀憐(ごあいれん)を仰(あふ)ぐ恐惶(きやうくはう)敬白(けいはく)佛布施被物録物等用意軽賤也只擬シテ御助成セラズト御讃嘆之儀啓白許ラサ一磬一向御哀憐恐惶敬白▲被物ハ絹布(けんぷ)の類(るい)。禄物ハ金銭の類。共に僧衆(そうしゆ)への引物(ひきもの)也。〔56オ五〜八〕

(たゞし)(ぶつ)布施(ふせ)(ならび)被物(ひもつ)録物等(ろくもつとう)用意(ようい)軽賤(けいせん)(なり)(たゞ)(ぎして)御助成(ごじよせい)(べし)()(しゆ)(ぎやうせ)(これを)(いへども)(あら)ずと御讃嘆(ごさんたん)()(ぎに)(もつて)啓白(けいびやく)(ばかりを)(へく)()(ならさ)一磬(いつけい)(さふら)(なり)一向(いつかうに)(あふく)御哀憐(ごあいれんを)恐惶(きやうくはう)敬白(けいはく)▲被物ハ絹布(けんふ)の類(るゐ)。禄物ハ金銭(きんせん)の類。共に僧衆(そうしゆ)へ引物(ひきもの)也。〔100ウ六〜101オ五・六〕

とあって、標記語「被物」の語をもって収載し、その語注記は、「被物は、絹布(けんぷ)の類(るい)。禄物は、金銭(きんせん)の類。共に僧衆(そうしゆ)への引物(ひきもの)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Caburimooo.カブリモノ(被物) 頭にかぶる物.〔邦訳71r〕

とあって、標記語「被物」の語の意味は「頭にかぶる物」とし、訓みと意味を異にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「-ぶつ〔名〕【被物】」「-もつ被物】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-ぶつ被物】〔名〕「ひもつ(被物)」に同じ。*運歩色葉集(1548)「被物 ヒブツ」*志不可起(1727)「かづけものと云も其賜を頂(いただく)を以也。今は是を被物(ヒブツ)と云」」標記語「-もつ被物】〔名〕労をねぎらい、功を賞して与える衣服類など。かずけもの。ひぶつ。*吾妻鑑-文治四年(1188)正月八日「心経会也。<略>事訖賜御布施。導師分被物二重。馬一疋」*庭訓往來註(室町中-後)「被物灌頂時。児黄作大刀素絹添持出也」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にし、真字本『庭訓徃來註』を「ひもつ」の用例に引く。
[ことばの実際]
次請僧分、口別、色々被物三十重、絹五十疋、染絹五十端、白布百端、馬三疋〈一匹置鞍、〉也《訓み下し》次ニ請僧ノ分、口別ニ、色色ノ被物(カヅケモノ)三十重、絹五十疋、染絹五十端、白布百端、馬三疋〈一匹鞍ヲ置ク、〉ナリ。《『吾妻鏡』文治元年十月二十四日の条》
 
 
2004年06月23日(水)晴れ一時曇り。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
布施(フセ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「勢」部に、

布施() 。〔元亀二年本223五〕

布施(フせ) 。〔静嘉堂本255六〕〔天正十七年本中57オ二〕

とあって、標記語「布施」の語を収載する。語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

但仏布施并被物禄物等用意輕賤也〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

但佛布施并被物禄物等用意輕賤也〔宝徳三年本〕

但佛布施并被物禄物等用意輕賤也〔山田俊雄藏本〕

布施被物録物等用意軽賤(キヤウセン)〔経覺筆本〕

布施(フツフせ)并被物(ヒフツ)禄物等用意(ヨウイ)軽賤(キヤウせン)〔文明四年本〕 

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「布施」と記載し、訓みは、文明四年本に「フセ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

布施 フせ。〔黒川本・畳字門中107一〕

布施 〃薩。〃演。〔巻第七・畳字門86二〕

とあって、標記語「布施」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「布施」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

布施(ヌノ、・ホドコス)[去・平去] 又云?金(シンキン)范叔(ハンシユク)之。金剛經註云。布施亊行ナリ。盖三種。資生施。無畏施。法施也。資生施トハ者。施スニ財寳。資也。無畏者。持戒無寃忍辱有寃。法施者精進説法。一説布者普也。施者捨也。菩薩修六度梵行布施初度。又云。布者普也。施者散也。能盡心中妄念習氣煩惱。四相泯絶蘊積スル。是布施也(ナリ)。又説ニ。布施者由(ヨル)ルニ六塵境界。又不有漏分別。惟當清浄。了万法空寂ナル。若レハ此意。惟増諸業。故須貪愛。外布施内外相應スル無量ナリ。〔態藝門623二〕

とあって、標記語「布施」の語を収載し、詳細な語注記を記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

布施() 。〔・言語進退門183三〕

布施(フせ) 。〔・言語門149九〕〔・人名門137七・言語門139八〕

とあって、標記語「布施」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

布施(フセ) 。〔名字門150一〕

とあって、名字門にだけ標記語「布施」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「布施」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。とりわけ、広本節用集』の注記内容は特異なほど詳細な記述となっていて、これは他の資料からの引用と見なければ成るまい。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

542但佛布施并被物 潅頂之時、児之黄作太刀素絹持出也。絹布之類トモ云也云々。〔謙堂文庫藏五一左C〕

とあって、標記語「布施」の語を収載し、この語についての語注記は、「潅頂の時、児の黄作太刀素絹持出すなり。絹布の類とも云ふなり云々」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

非人施()行等也但布施非人ニ施行スト云ハ。毎日アラザル者ノ門乞(カトコイ)ヲソラサズ物ヲ引是也。布施ト書テ布ヲ施ストヨメリ。是ハ苑殊(ノンジユ)ト云者仕始タル事也。是ニ子細多シ。〔下28オ八〜ウ二〕

とあって、この標記語「布施」とし、語注記は「布施と書きて布を施すとよめり。是は、苑殊(ノンジユ)と云ふ者仕始たる事なり。是に子細多し」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

(たゞし)し佛(ぶつ)布施(ふせ)布施 仏事の布施なり。布施ハしきほとこすと讀。物を人にほとこす事なり。〔77オ五・六〕

とあって、この標記語「布施」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(たゞし)し佛(ぶつ)布施(ふせ)(ならび)に被物(ひもつ)録物等(ろくもつとう)用意(ようゐ)軽賤(けいせん)(なり)(たゞ)御助成(ごじよせい)に擬()して之(これ)を執行(しゆぎやう)せら被()()し。御讃嘆(ごさんたん)()に儀()に非(あら)ずと雖(いへども)啓白(けいびやく)(ばかり)を以(もつて)一磬(いつけい)を鳴()らさ被()()く候(さふら)ふ也(なり)。一向(いつかふ)に御哀憐(ごあいれん)を仰(あふ)ぐ恐惶(きやうくはう)敬白(けいはく)布施被物録物等用意軽賤也只擬シテ御助成セラズト御讃嘆之儀啓白許ラサ一磬一向御哀憐恐惶敬白▲仏布施ハ仏事(ぶつじ)ニ布く施物(せもつ)也。〔56オ五〜八〕

(たゞし)(ぶつ)布施(ふせ)(ならび)被物(ひもつ)録物等(ろくもつとう)用意(ようい)軽賤(けいせん)(なり)(たゞ)(ぎして)御助成(ごじよせい)(べし)()(しゆ)(ぎやうせ)(これを)(いへども)(あら)ずと御讃嘆(ごさんたん)()(ぎに)(もつて)啓白(けいびやく)(ばかりを)(へく)()(ならさ)一磬(いつけい)(さふら)(なり)一向(いつかうに)(あふく)御哀憐(ごあいれんを)恐惶(きやうくはう)敬白(けいはく)▲仏布施ハ仏事(ぶつじ)ニ布く施物(せもつ)也。〔100ウ六〜101オ五〕

とあって、標記語「布施」の語をもって収載し、その語注記は、「仏布施は、仏事(ぶつじ)に布く施物(せもつ)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Fuxe.フセ(布施) 何かのお勤めや法事などに対して,坊主(Bõzos)に与える寄付.Fuxeuo suru.(布施をする)上のような寄付をする.→Fuxemot;Rocufaramit.〔邦訳287l〕

とあって、標記語「布施」の語の意味は「何かのお勤めや法事などに対して,坊主(Bõzos)に与える寄付」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-〔名〕【布施】〔梵語、D?na.(檀那)の譯語。又、布襯捨施の略と。襯、?、皆同じ。増一阿含經「??、梵語、此云檀施」〕佛、及、僧に施し與ふるもの。品物を以て施すことを財施と云ひ、教法を以て施すことを法施と云ふ。法界次第「檀那、秦言布施大乘義章、十一「言布施者、以己財事、分布與他、名之爲布、名?己惠人、目之爲施」大智度論、三「以財寳布施、是名布施、以身布施、是名布施、種種施中心不著者、是名布施持統紀、八年五月、金光明經を讀めとありて「其布施(ヲクリモノハ)當國官物之」萬葉集、五40「布施置きて、吾は乞ひ?む、欺かず、ただに率()行きて、天道(あまぢ)知らしめ」源氏物語、三十七、鈴蟲6「御誦經のふせなど、いと所せきまで、俄になんことひろごりける」源平盛衰記、三、院女院嚴嶋御幸事「以此財施法施之功、能仰彼權化實化之納受」〔1751-3〕

とあって、標記語「-〔名〕【布施】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-布施】[]〔名〕(梵d?na.の訳語。施とも訳す。また、檀那と音訳し、檀とも略す)六波羅蜜の一つ。施しをすること。仏や僧・貧者などに、衣服、食物などの品物や金銭などを施し与えること。また、その財物。財施。教法を説くこと。僧が説法によって財施に報いること。法施。仏菩薩が一切の衆生から種々の恐怖を取り去って救うこと。無畏施。[]大阪府東大阪市西部の地域名。江戸時代からの河内木綿の産地で、鉄びん・鋳物の生産でも知られた。現在は金属・機械・繊維・化学工業が盛ん。昭和一二年(一九三七)市制。同四二年河内・枚岡の両市と合併して東大阪市となる」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
至門外之程、更召返之、世上無爲之時、於蛭嶋者、爲今月布施(フセ)之由、仰覺淵頻有喜悦之氣、退去〈云云〉《訓み下し》門外ニ至ルノ程ニ、更ニ之ヲ召シ返シ、世上無為ノ時、蛭島ニ於テハ、今日ノ布施(フセ)タルノ(タルベキノ)ノ由、覚淵ニ仰セラル。頻ニ喜悦ノ気有テ、退去スト〈云云〉。《『吾妻鏡』治承四年七月五日の条》
 
 
施行(セギヤウ)」ことばの溜池(2002.09.12)を参照。
 
2004年06月22日(火)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
非人(ヒニン)」 
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「飛」部に、

非人(ニン) 。〔元亀二年本341八〕〔静嘉堂本409六〕

とあって、標記語「非人」の語を収載する。語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

稱名念仏九旬供花一夏持斉禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也〔至徳三年本〕

稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也〔宝徳三年本〕

稱名念佛九旬供花一夏持齊禪律斗藪之行人等接待千僧供養非人施行等也〔建部傳内本〕

稱名念仏九旬供花一夏持齋(サイ)禪律抖藪(トソウ)行人等接待(セツタイ)千僧供養非人施行等也〔山田俊雄藏本〕

稱名念仏九旬供華一夏之持齋(チサイ)禪律斗藪(トソウ)行人等接待(せツタイ)千僧供養非人施行等也〔経覺筆本〕

(セウ)念佛九旬(シユン)供華(クウケ)()一夏( チケ)持齋(チサイ)禪律(せンリツ)斗藪(トソウ)行人等接待(せツタイ)千僧(ソウ)供養(クヤウ)非人(ヒニン)()行等也〔文明四年本〕 ※斗藪(トソウ)ヤフ 。稱名(せウミヤウ)

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「非人」と記載し、訓みは、文明四年本に「ヒニン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「非人」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「非人」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

非人(ニンアラズ、シン・ヒト)[○・平] 乞食。〔態藝門1039四〕

とあって、標記語「非人」の語を収載し、語注記に「乞食」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

非人(ヒニン) 。〔・人倫門252二〕〔・人倫門215五〕〔・人倫門200九〕

とあって、標記語「非人」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

非人(ヒニン) 。 〔人倫門222六〕

とあって、標記語「非人」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「非人」の語を収載していて、このうち広本節用集』だけに短い注記「乞食」が記載されている。そして古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語だが、この語注記は記載を見ないものとなっている。いわば、広本節用集』特有の注記語句となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

541接待(セツタイ)千僧供養--行等也。優王始也。日本ニハ嵯峨天王始。〔謙堂文庫藏五一左B〕

とあって、標記語「非人」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

非人()行等也但布施并非人ニ施行スト云ハ。毎日アラザル者ノ門乞(カトコイ)ヲソラサズ物ヲ引是也。布施ト書テ布ヲ施ストヨメリ。是ハ苑殊(ノンジユ)ト云者仕始タル事也。是ニ子細多シ。〔下28オ八〜ウ二〕

とあって、この標記語「非人」とし、語注記は「非人に施行すと云ふは、毎日あらざる者の門乞(カトコイ)をそらさず物を引く是れなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

非人(ひにん)施行(せきやう)(とう)非人施行等也 施行ハほとこしおこなふと讀。物をほとこし恵む事也。般若を轉讀しといふよりこゝ迄ハ非人乞食へ米銭の施行をし名僧?僧へ飲食の供養するをいふ。〔76ウ八〜77オ三〜五〕

とあって、この標記語「非人」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也非人施行ハ窮民(きうミん)乞児(こつじ)に米錢(べいせん)などを施(ほどこ)し行()るをいふ。〔55オ一〜56オ四・五〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)▲非人施行ハ窮民(きうミん)乞児(こつじ)に米錢(べいせん)などを施(ほどこ)し行()るをいふ。〔100オ四〜ウ一・二〕

とあって、標記語「非人」の語をもって収載し、その語注記は、「非人施行は、窮民(きうミん)乞児(こつじ)に米錢(べいせん)などを施(ほどこ)し行()るをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Finin.ヒニン(貧人) Madoxi fito.(貧しい人)貧乏な人.※訓注によれば“貧人”である.原本での配列位置から見ても,また,別条にFinho(貧女)があるのを考え合わせてもFinnin誤植とは見られない.別条のFinnin(貧人)と並んでFinnin(貧人)の形も存した.別条のFinnin(貧人)の形も存した.ぎやどぺかどるの字集に,“貧人”に“ひにん”のよみがつけてある.→Finnin.Cocuhinin.〔邦訳234l〕

とあって、標記語「非人」の語の意味は「Madoxi fito.(貧しい人)貧乏な人」として、この意味とは異にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-にん〔名〕【非人】〔元と貧人と書けり。非人とは、惡行ありて人閧ノあらぬ者の名なり。和訓栞に「梵書に、如人行惡、名曰非人」とあり〕(一)佛教の語。人に非ざるもの。即ち、天龍八部、夜叉、惡鬼などの稱。法華經、提婆品「天龍八部、人與非人藥師經「無非人其精氣」(二)身體の不完全なるもの。かたは。左傳、昭公七年「孟、非人也」杜注、「足跛非全人」(三)罪人、又は、罪人の遺種の稱。今昔物語集、一「此獄門を蹈破りて、入り給ひて利房を取りて奪ひ給ひぬ、云云、多くの非人、斯の如き獄の破れぬる時に、皆心のままに方方に逃げ去りぬ」續日本後紀、十二、承和九年七月「罪人橘逸勢、除本姓、賜非人」(四)乞食の稱。十訓抄、下、第十、五十條「壬生忠岑は舎人なれども、古今の撰者につらなり、山田法師は非人にして、同じく集をけがす」(五)賤民の一種。罪人を送致し、刑屍を埋葬するなどの賤業に從事するもの。江戸時代、平民の零落して袖乞うなどするものは、非人の羣に入り、非人頭の支配を受くるものとす。若し縁者より引上げたる旨、非人頭へ言出で、それよりゑたの長吏に證文を出せば、平民に復することを得しとぞ。(江戸の非人頭は、松右衛門、善七と云ひき)心中天網島(享保、近松作)上「私一人を頼の母樣、南邊に賃仕事して裏屋住、死んだ跡では袖乞非人の飢死もなされうかと是のみ悲さ、私とても命は一つ」〔1686-2〕

とあって、標記語「-にん〔名〕【非人】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-にん非人】〔名〕@仏語。人間でないの意で、鬼神などが、かりに人に姿を変えたもの。また、鬼神・阿修羅とも、天龍八部・夜叉。悪鬼などともする。Aつみびと。ざいにん。B世捨人。また、法師。僧。C非常に貧しい人。生活困窮者。乞食。D中世および近世のおける賤民身分の称。中世では社会的に賤視された人々の総称として用いられた。近世、江戸時代には幕藩体制の民衆支配の一環として、えた(穢多)とともに士農工商より下位の身分に位置づけられ過酷な差別を受けた階層。生産的労働に従事することは許されず、遊芸や物貰いなどで生活し、牢獄や処刑場での雑役などの役務に従事した。非人頭の支配に属し、主として非人小屋に居住した。明治四年(1871)太政官布告によって、法制上は身分、呼称とも廃止されたが、現在に至るも不当な差別は根絶されていない→穢多・部落解放運動」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
無縁非人、不及御制於親類者、一期之程、雖進退、不可及子孫相傳《訓み下し》無縁ノ非人(ニン)ハ、御制ニ及バズ。親類ニ於テハ、一期ノ程、進退スト雖モ、子孫相伝ニ及ブベカラズ。《『吾妻鏡』寛元二年二月十六日の条》
 
 
千僧供養(センゾウクヤウ)」は、ことばの溜池(2000.01.01)を参照。
《補遺》 古版庭訓徃来註』では、

千僧供養(クヤウ)ハ人数ヲ千人定テ攝スルナリ。其内羅漢(ラカン)ヲ一人供養せンガ爲ナリ。〔下28オ八〜ウ一〕

とあって、この標記語「千僧供養」とし、語注記は「人数を千人定めて攝するなり。其の内羅漢(ラカン)を一人供養せんが爲なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

千僧供養(せんそうくやう)千僧供養 千僧とハ僧千人也。〔77オ三〕

とあって、この標記語「千僧供養」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也千僧ハ千人の僧衆(そうしゆ)也。〔55オ一〜56オ四〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)▲千僧ハ千人の僧衆(そうしゆ)也。〔100オ四〜ウ六〕

とあって、標記語「千僧供養」の語をもって収載し、その語注記は、「千僧は、千人の僧衆(そうしゆ)なり」と記載する。
 明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、「千僧御讀經」の語を収載するが、標記語「せんそう-くやう〔名〕【千僧供養】」の語は、未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「せんそう-くよう千僧供養】〔名〕(「せんぞうくよう」とも)@「せんそうえ(千僧会)」に同じ。A(供養の功徳が著しい意から)すぐに成ること。たやすくできること」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
迎舊院御一廻忌辰、被修御佛事千僧供養(ゾウクヤウ)也《訓み下し》旧院御一廻ノ忌辰ヲ迎エ、御仏事ヲ修セラル。千僧供養(ゾウクヤウ)ナリ。《『吾妻鏡』建久四年三月十三日の条》
 
2004年06月21日(月)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
接待(セツタイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「勢」部に、

接待(せツタイ) 。〔元亀二年本352六〕〔静嘉堂本424五〕

とあって、標記語「接待」の語を収載する。語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

稱名念仏九旬供花一夏持斉禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也〔至徳三年本〕

稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也〔宝徳三年本〕

稱名念佛九旬供花一夏持齊禪律斗藪之行人等接待千僧供養非人施行等也〔建部傳内本〕

稱名念仏九旬供花一夏持齋(サイ)禪律抖藪(トソウ)行人等接待(セツタイ)千僧供養非人施行等也〔山田俊雄藏本〕

稱名念仏九旬供華一夏之持齋(チサイ)禪律斗藪(トソウ)行人等接待(せツタイ)千僧供養非人施行等也〔経覺筆本〕

(セウ)念佛九旬(シユン)供華(クウケ)()一夏( チケ)持齋(チサイ)禪律(せンリツ)斗藪(トソウ)行人等接待(せツタイ)千僧(ソウ)供養(クヤウ)非人(ヒニン)()行等也〔文明四年本〕 ※斗藪(トソウ)ヤフ 。稱名(せウミヤウ)

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「行人」と記載し、訓みは、文明四年本に「タラニ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「接待」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

接待(セツタイ) 。〔態藝門93五〕

とあって、標記語「接待」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

接待(せツタイマジワルヽ、マツ)[入・上]優填王。日本嵯峨天皇也。施於旅人之義也。〔態藝門1095五〕

とあって、標記語「接待」の語を収載し、『下學集』には語注記は無く、その語注記は「優填王より始る。日本は、嵯峨天皇より始るなり。旅人に茶を施すの義なり」と記載し、下記真字本の語注記に前半部が共通する。後半部は所謂増補か。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』にも、

接待(セツタイ) 施茶於旅人。〔・言語進退門266五〕

接待(セツタイ)茶於旅人。〔・言語門227三〕

接待(セツタイ)茶於旅人也。〔・言語門213九〕

とあって、標記語「接待」の語を収載し、語注記は「旅人に茶を施す(なり)」と広本節用集』の語注記後半部を継承するため、下記真字本の語注記とは合致しない。また、易林本節用集』に、

接待(セツタイ) 。〔言辞門237二〕

とあって、標記語「接待」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「接待」の語を収載していて、特に広本節用集』の語注記が下記真字本『庭訓徃來註』に共通する語となっていることを茲に指摘しておく。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

541接待(セツタイ)千僧供養-人施-行等也。優王始也。日本ニハ嵯峨天王始。〔謙堂文庫藏五一左B〕

とあって、標記語「接待」の語を収載し、語注記は、「王始るなり。日本には、嵯峨天王始る」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

攝待(せツタイ)トハ宿ヲ定テ徃來ノ僧衆ヲ一宿ヅヽサスル也。攝待トハ待テスクフト書也。〔下28オ八〕

とあって、この標記語「攝待」とし、語注記は「宿を定めて徃來の僧衆を一宿ずつさするなり。攝待とは、待ちてすくふ書くなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

抖藪(とそう)の行人(きやうにん)(とう)接待(せつたい)抖藪(トソウ)行人等接待 山に登り峯に入り樹下に宿し石上に坐して身をこらして行をする者を抖藪乃行人といふ。抖ハはらふと訓し藪ハ草木なとの生繁りたる所を云。草木の生ひ繁りて道なきをはらひのけて難所を渡るといふ義なるにや。接待ハあしらふ事也。禅律の僧行者の人/\へ飲食なと施す事を云なり。〔76ウ八〜77オ三〕

とあって、この標記語「接待」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也攝待ハ施物(せもつ)を攝(おさ)めて往来(ゆきゝ)の人を待請(まちうく)るの義なるべし。〔55オ一〜56オ四〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)▲攝待ハ施物(せもつ)を攝(をさ)めて往来(ゆきゝ)の人を待請(まちうく)るの義なるべし。〔100オ四〜ウ五・六〕

とあって、標記語「接待」の語をもって収載し、その語注記は、「攝待は、施物(せもつ)を攝(おさ)めて往来(ゆきゝ)の人を待請(まちうく)るの義なるべし」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xettai.セッタイ(接待) 巡礼や貧者などを招いて,茶(Cha)のもてなしをすること.§Xettaiuo tatçuru.(接待を立つる)それらの巡礼の茶(Cha)を飲む塲所,あるいは,家をしつらえる.〔邦訳756r〕

とあって、標記語「接待」の語の意味は「巡礼や貧者などを招いて,茶(Cha)のもてなしをすること」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

せっ-たい〔名〕【接待】〔施待(セタイ)の音便か急呼か〕(一)客を、あつかひ、待遇(もてな)すこと。あへしらひ。あしらひ。接伴。應接。晉書、胡奮傳「奮少好武事、宣帝之伐遼東也、以白衣從左右、甚見接待」(二)ふるまひ。ほどこし。施與佛祖統記「鑿義井於城南櫟社、云云、以飲行者、云云、施湯茗、無道俗、結屋數楹、創爲接待太平記、廿、結城入道堕地獄事「留るべき宿を尋ぬる處に、山伏一人、出來て、いざさせ給へ、此邊に、接待所の候ぞ、其處へ連れ進らせんと云ひける閨v後撰夷曲集(寛文、生白堂行風)八、雜、上「攝待に、たてる煎じ茶、焙じても、ほうじ難きは、父母の恩」(報じに、焙じを言ひかく、攝は、接に通ず)謡曲、攝待「佐藤の館に於て、山伏攝待の事は、我等が望む所なれども、佐藤の館が憚りにて候ふ程に」〔1113-1〕

とあって、標記語「せっ-たい〔名〕【接待】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「せっ-たい接待】[]〔名〕@客をあしらいもてなすこと。もてなし。接遇。A行脚僧、旅僧を布施する法の一つ。門前・往来に、清水または湯茶を出しておいて、通行の修行僧にふるまったり、宿泊させたりすること。また、寺で貧しい人や参詣人に無料で食物を与えること。門茶(かどちゃ)。B一般に、湯茶、酒、食事などをふるまうこと。[](摂待)謡曲。四番目物。観世・宝生・金剛・喜多流。宮増(みやます)作。奥州の佐藤継信の館に山伏姿の義経主従が立ち寄る。母の老尼と継信の遺児鶴若が一行のそれぞれの名を言い当てたので、弁慶は身分を明かし、老尼の求めに応じて継信・忠信兄弟の八島合戦における活躍を語る。幸若舞の「八島」と同じ題材」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
田左衛太郎給分之事、為副田湯接待料足可寄進也、限永代、右、此条〃、為後日所定如件《『入来院家文書』建徳二年十月十五日の条88・1/47》
接待(セツタイ)佛祖統記法師宗曉鑿義井於城南櫟社法華泉シム行者其上湯茗道俗屋數楹接待」《『常語藪』(寛政六年刊)巻下42オ四》
 
 
2004年06月20日(日)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
行人(ギヤウニン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「幾」部に、

行人(ニン) 。〔元亀二年本284一〕〔静嘉堂本325四〕

とあって、標記語「行人」の語を収載する。語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

稱名念仏九旬供花一夏持斉禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也〔至徳三年本〕

稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也〔宝徳三年本〕

稱名念佛九旬供花一夏持齊禪律斗藪之行人等接待千僧供養非人施行等也〔建部傳内本〕

稱名念仏九旬供花一夏持齋(サイ)禪律抖藪(トソウ)行人等接待(セツタイ)千僧供養非人施行等也〔山田俊雄藏本〕

稱名念仏九旬供華一夏之持齋(チサイ)禪律斗藪(トソウ)行人等接待(せツタイ)千僧供養非人施行等也〔経覺筆本〕

(セウ)念佛九旬(シユン)供華(クウケ)()一夏( チケ)持齋(チサイ)禪律(せンリツ)斗藪(トソウ)行人接待(せツタイ)千僧(ソウ)供養(クヤウ)非人(ヒニン)()行等也〔文明四年本〕 ※斗藪(トソウ)ヤフ 。稱名(せウミヤウ)

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「行人」と記載し、訓みは、文明四年本に「タラニ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「行人」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「行人」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

行人(ギヤウ・ヲコナウ、ニンカウ・ユク・ツラナル、ジン・ヒト)[平・平] 。〔態藝門852五〕

とあって、標記語「行人」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』は、標記語「行人」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

行者(ギヤウジヤ)―人(ニン)。〔人名門186一〕

とあって、標記語「行者」の熟語群として「行人」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』・『運歩色葉集』・易林本節用集』に「行人」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

540禪律斗藪(―ス)行人等 頭陀之行人。不期明日也。〔謙堂文庫藏五一左B〕

とあって、標記語「行人」の語を収載し、語注記は、「一夏之間亊なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

抖藪(トソウ)行人トハ難(ナン)行也。山ノ嶺(ミネ)ニ上リ獨住(ヒトリスミ)樹下()石上ニテ身ヲ凝ス。是ヲ抖藪ト云也。又アラ行者トモ云ヘリ。〔下28オ七〜八〕

とあって、この標記語「行人」とし、語注記は「難(ナン)行なり。山の嶺(ミネ)に上り獨住(ヒトリスミ)樹下()石上にて身を凝す。是れを抖藪と云ふなり。また、あら行者とも云へり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

抖藪(とそう)行人(きやうにん)(とう)の接待(せつたい)抖藪(トソウ)行人接待 山に登り峯に入り樹下に宿し石上に坐して身をこらして行をする者を抖藪乃行人といふ。抖ハはらふと訓し藪ハ草木なとの生繁りたる所を云。草木の生ひ繁りて道なきをはらひのけて難所を渡るといふ義なるにや。接待ハあしらふ事也。禅律の僧行者の人/\へ飲食なと施す事を云なり。〔76ウ八〜77オ三〕

とあって、この標記語「行人」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人接待千僧供養非人施行等也抖藪ハ世事(せじ)(たくハ)へなきの義。その行人とハ樹(しゆ)下石上(せきしやう)に身()をこらして難行苦行(なんぎやうくぎやう)を修(しゆ)する人をいふ。〔55オ一〜56オ三・四〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)▲抖藪ハ世事(せじ)(たくハ)へなきの義。その行人とハ樹下(じゆか)石上(せきじやう)に身()をこらして難行苦行(なんぎやうくぎやう)を修(しゆ)する人をいふ。〔100オ四〜ウ一・二〕

とあって、標記語「行人」の語をもって収載し、その語注記は、「その行人とハ樹下(じゆか)石上(せきじやう)に身()をこらして難行苦行(なんぎやうくぎやう)を修(しゆ)する人をいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Gui?nin.ギャウニン(行人) Vocon? fito.(行ふ人).すなわち,Gui?taiuo suru fito.(行体をする人)苦行をする人,または,善コの行ないや修行をする人.〔邦訳301r〕

とあって、標記語「行人」の語の意味は「Vocon? fito.(行ふ人).すなわち,Gui?taiuo suru fito.(行体をする人)苦行をする人,または,善コの行ないや修行をする人」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ぎゃう-にん〔名〕【行人】(一)僧の修行人。行者。古事談、六、亭宅諸道「晴明者乍俗、那智千日之行人也」(二)高野山の僧衆の稱。學侶の(三)の條を見よ。(三)乞食僧。寛文二年九月、町觸「出家、山伏、行人、願人、町屋に宿借り候はば、本寺より、弟子に無紛段、證文を取り、其上、請人を立て、裏店に差置可申候」(嬉遊笑覽、十一)「千日詣の行人」〔0494-5〕

とあって、標記語「ぎゃう-にん〔名〕【行人】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ぎょう-にん行人】〔名〕@修行者。行者(ぎょうじゃ)。A特に、比叡山延暦寺の堂衆(どうじゅ)。B高野山の僧で、密教修学のかたわら、大峰(おおみね)、葛城(かつらぎ)などの山々を修練、行法する者。また広義には、行人方(ぎょうにんがた)をいう。C乞食僧。D冨士詣でをする人」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
佛像經論、化煙炎、而昇天、學徒行人、溺涕涙、而投地《訓み下し》仏像経論、煙炎ニ化シテ、天ニ昇リ、学徒行人、涕涙ニ溺レテ、地ニ投ズ。《『吾妻鏡』元暦元年十一月二十三日の条》
 
 
2004年06月19日(土)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA→サレジオ大学
抖藪(トソウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「登」部に、標記語「斗藪」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

稱名念仏九旬供花一夏持斉禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也〔至徳三年本〕

稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也〔宝徳三年本〕

稱名念佛九旬供花一夏持齊禪律斗藪之行人等接待千僧供養非人施行等也〔建部傳内本〕

稱名念仏九旬供花一夏持齋(サイ)禪律抖藪(トソウ)行人等接待(セツタイ)千僧供養非人施行等也〔山田俊雄藏本〕

稱名念仏九旬供華一夏之持齋(チサイ)禪律斗藪(トソウ)行人等接待(せツタイ)千僧供養非人施行等也〔経覺筆本〕

(セウ)念佛九旬(シユン)供華(クウケ)()一夏( チケ)持齋(チサイ)禪律(せンリツ)斗藪(トソウ)行人等接待(せツタイ)千僧(ソウ)供養(クヤウ)非人(ヒニン)()行等也〔文明四年本〕 ※斗藪(トソウ)ヤフ 。稱名(せウミヤウ)

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「斗藪」と記載し、訓みは、文明四年本に「タラニ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

斗藪(ト ) 同(僧俗分)。トウソウ。 〔畳字門上49ウ五〕

斗藪(トソウ) ウチハラフ。〃?。〃拘。〃升。〃酒。〃儲。 〔巻二・畳字門428一〕

とあって、標記語「斗藪」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

抖?(トソウ) 頭陀也。 〔態藝門77四〕

とあって、標記語「抖?」の語を収載し、語注記に「頭陀なり」と記載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

抖?(トスウ/○、アグル)[去・上] 。頭陀新譯(ヤク)ニハ杜多(ヅタ)。此――。大般若経音訓(ヲンギ)修治(シユヂ)。〔態藝門138二〕

とあって、標記語「抖?」の語を収載し、訓みは「トスウ」とし、語注記に「頭陀新譯(ヤク)には、杜多(ヅタ)。此抖?。『大般若経音訓(ヲンギ)』に修治(シユヂ)と云ふ」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

斗藪 。〔・言語門45三〕 抖?(トスウ) 頭陀也。新譯ニハ杜多。此ニハ――。大般若経音義云。修治。〔・言語門47六〕

斗藪(トサウ) ―桶。―概。〔・言語門41八〕 抖?(トスウ) 頭陀也。新譯杜多。此ニハ――。大般若経音義云。〔・言語門43一〕

抖?(トスウ) 頭陀也。新譯杜多。此ニハ――。〔・言語門51二〕

とあって、標記語「斗藪」「抖?」の語を以て収載する。訓みは「トサウ」と「トスウ」。また、易林本節用集』に、

斗藪(トソウ)抖?(トソウ) 。〔言辞門46二〕

とあって、標記語「斗藪」「抖?」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「斗藪」「抖?」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

540禪律斗藪(―ス)行人等 頭陀之行人。不期明日也。〔謙堂文庫藏五一左B〕

とあって、標記語「斗藪」の語を収載し、語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

抖藪(トソウ)行人等トハ難(ナン)行也。山ノ嶺(ミネ)ニ上リ獨住(ヒトリスミ)樹下()石上ニテ身ヲ凝ス。是ヲ抖藪ト云也。又アラ行者トモ云ヘリ。〔下28オ七〜八〕

とあって、この標記語「抖藪」とし、語注記は「難(ナン)行なり。山の嶺(ミネ)に上り獨住(ヒトリスミ)樹下()石上にて身を凝す。是れを抖藪と云ふなり。また、あら行者とも云へり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

抖藪(とそう)の行人(きやうにん)(とう)の接待(せつたい)抖藪(トソウ)行人等接待 山に登り峯に入り樹下に宿し石上に坐して身をこらして行をする者を抖藪乃行人といふ。抖ハはらふと訓し藪ハ草木なとの生繁りたる所を云。草木の生ひ繁りて道なきをはらひのけて難所を渡るといふ義なるにや。接待ハあしらふ事也。禅律の僧行者の人/\へ飲食なと施す事を云なり。〔76ウ八〜77オ三〕

とあって、この標記語「抖藪」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也抖藪ハ世事(せじ)(たくハ)へなきの義。その行人とハ樹(しゆ)下石上(せきしやう)に身()をこらして難行苦行(なんぎやうくぎやう)を修(しゆ)する人をいふ。〔55オ一〜56オ三・四〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)▲抖藪ハ世事(せじ)(たくハ)へなきの義。その行人とハ樹下(じゆか)石上(せきじやう)に身()をこらして難行苦行(なんぎやうくぎやう)を修(しゆ)する人をいふ。〔100オ四〜ウ一・二〕

とあって、標記語「抖藪」の語をもって収載し、その語注記は、「抖藪ハ世事(せじ)(たくハ)へなきの義。その行人とハ樹下(じゆか)石上(せきじやう)に身()をこらして難行苦行(なんぎやうくぎやう)を修(しゆ)する人をいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Tosô.トソウ(抖?) Tosu.(抖?)と言う方がまさる.すなわち,Anguiano b?zu.(行脚の坊主)遍歴する坊主(Bonzo).〔邦訳670l〕

とあって、標記語「斗藪」の語の意味は「Tosu.(抖?)と言う方がまさる.すなわち,Anguiano b?zu.(行脚の坊主)遍歴する坊主(Bonzo)」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-そう〔名〕【?】〔梵語、Dh?ta.(頭陀、又は、杜多)の譯語。法苑珠林(唐、釋道世)一百「西云頭陀、此云抖?、能行此法、即能抖?煩惱、去離貪著、如抖?能去塵垢是故從臂爲名」即ち、諸の煩惱を拂ひ捨つる意〕(一)佛教の語。頭陀(ヅダ)の條を見よ。衣食住をも心に懸けず、拂ひ捨つること。又、貪、嗔、癡の三慾を拂ひ去ること。字類抄「斗藪、トソウ、ウチハラフ」謡曲、安達原「夫て捨身抖?の行體は、山伏修行の便りなり」同、朝長「出家の身をも許さねば、抖?行脚に身をやつし、忍びて下向仕り候」(二)轉じて、僧侶、又は、行脚。源平盛衰記、十八、文覺勸頼朝謀反事「座禪縄床の室の内には、本尊持經の外は物なし、角て抖?修行の後、再び高雄の邊に居住して」〔1407-1〕

とあって、標記語「-そう〔名〕【抖?】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-そう抖?斗藪】〔名〕(梵Dh?ta.頭陀の訳)仏語。@身心を修練して衣食住に対する欲望をはらいのけること。また、その修行。これに一二種を数える。とすう。ずだ(頭陀)。Aふりはらうこと。特に、雑念をうちはらって心を一つにすること。一つのことに集中して他のことを思わないこと」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
柱杖の頭辺に活路を通ずと、中峰和尚の作られし送行の偈、誠に由ありと御心に染みて、人工・行者の一人をも召し具せられず、ただ順覚と申しける僧を一人御供にて、山林*抖藪のために立ち出でさせ給ふ。まづ西国の方を御覧ぜんと思し召して、摂津国難波の浦を過ぎさせ給ふに、御津の浜松霞み渡りて、曙の気色もの哀れなれば、遥かに御覧ぜられて、 誰待ちて御津の浜松霞むらん我が日の本の春ならぬ世に とうち涙ぐませ給ふ。《土井本『太平記』巻第三十九・光厳院禅定法皇行脚の御事》
 
 
2004年06月18日(金)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
禪律(ゼンリツ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「知」部に、

× 。〔元亀二年本〕

禅律(リツ) 。〔静嘉堂本426六〕

とあって、標記語「禪律」の語を収載する。語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

稱名念仏九旬供花一夏持斉禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也〔至徳三年本〕

稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也〔宝徳三年本〕

稱名念佛九旬供花一夏持齊禪律斗藪之行人等接待千僧供養非人施行等也〔建部傳内本〕

稱名念仏九旬供花一夏持齋(サイ)禪律抖藪(トソウ)行人等接待(セツタイ)千僧供養非人施行等也〔山田俊雄藏本〕

稱名念仏九旬供華一夏之持齋(チサイ)禪律斗藪(トソウ)行人等接待(せツタイ)千僧供養非人施行等也〔経覺筆本〕

(セウ)念佛九旬(シユン)供華(クウケ)()一夏( チケ)持齋(チサイ)禪律(せンリツ)斗藪(トソウ)行人等接待(せツタイ)千僧(ソウ)供養(クヤウ)非人(ヒニン)()行等也〔文明四年本〕 ※斗藪(トソウ)ヤフ 。稱名(せウミヤウ)

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「禪律」と記載し、訓みは、文明四年本に「せンリツ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「禪律」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

喝食(カツジキ)行堂(アンダウ)行者(アンジヤ)聽叫(チンケウ) 以上四種禪律(センリツ)之使令(シレイ)ナリ。〔人倫門40六〕

とあって、標記語「喝食行堂行者聽叫」の語注記に「禪律」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』に、標記語「禪律」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

禪師(ぜンジ) ―衲(ナフ)。―僧(ソウ)―律(リツ)。―客(カク)。―宗(シウ)。―門(モン)。〔人倫門233七〕

とあって、標記語「禪師」の熟語群として「禪律」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』や易林本節用集』に「禪律」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

540禪律斗藪(―ス)ノ行人等 頭陀之行人。不期明日也。〔謙堂文庫藏五一左B〕

とあって、標記語「禪律」の語を収載し、語注記は、「一夏之間亊なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

九旬(シユン)供花(クケ)一夏()持齊(チサイ)禪律(せンリツ)九旬ノ供花ト云事ハ一夏()ノ中身ヲイマシムル時也。四月十五日ヨリ七月十五日マデ道ニ入リ勤行ヲ定ルナリ。是ハ九十日十日ヲ一旬(シユン)ト云ナリ。爰ヲ以テ九旬ト云也。抑(ソモ/\)釈尊霊鷲山(リヤウシユセン)ニ御座(ヲワ)せシ時御(ヲホン)母摩耶夫人(マヤフニン)ノ御爲(タメ)ニ?利(タウリ)天ニ摩耶(マヤ)經ヲ説(トキ)給フ也。是ヲ安居ノ御法(ミノリ)ト申也。四月十四日ニ諸(モロ/\)大ラカンヲ引具?利(タ リ)天ニ上ラせ給フ也。七月十六日ノ朝(アシタ)下界ヘクダリ給フ也。サテコソ十六日六トテ開夏( イゲ)僧ハ立去リ此夏中ヲ持齋ト云フナリ。〔下28オ三〜七〕

とあって、この標記語「禪律」とし、語注記は「九旬の供花と云ふ事は、一夏()の中身をいましむる時なり。四月十五日より七月十五日まで道に入り勤行を定るなり。是は、九十日、十日を一旬(シユン)と云ふなり。爰を以って九旬と云ふなり。抑(ソモ/\)釈尊霊鷲山(リヤウシユセン)に御座(ヲワ)せし時御(ヲホン)母摩耶夫人(マヤフニン)の御爲(タメ)に?利(タウリ)天にして摩耶(マヤ)經を説(トキ)給ふなり。是を安居の御法(ミノリ)と申すなり。四月十四日に諸(モロ/\)大らかんを引具して?利(タ リ)天に上らせ給ふなり。七月十六日の朝(アシタ)下界へくだり給ふなり。さてこそ、十六日六とて開夏( イゲ)僧は、立ち去り此の夏中を持齋と云ふなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

禪律(ぜんりつ)禅律 禅宗律宗の僧なり。上の盤水を轉讀し經王を讀誦しと云より下の三十三字を此二字にかけて見るべし。言こゝろハ読経を誦し勤行をしとけたる禅律両宗の僧といふ事なり。〔76ウ四〜六〕

とあって、この標記語「禪律」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也禪律ハ四月の進状に見ゆ。〔55オ一〜56オ三〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)一輻(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)▲禪律ハ四月の進状にミゆ。〔100オ四〜ウ一・二〕

とあって、標記語「禪律」の語をもって収載し、その語注記は、「禪律は、四月の進状に見ゆ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「禪律」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ぜん-りつ〔名〕【禪律】(一)佛教の語、禪宗にての戒律。(出典を見よ)出家大綱「護齋戒法、有二門、一者衣食、二者行儀、初、衣食者、衣謂身、食謂身、次行儀者、行謂戒行、儀調律儀、衣有二、俗衣、法衣、食有二、請食、乞食、戒有二、比丘戒、菩薩戒、律有二、俗律、道律」元亨釋書、七、淨禪「釋辨圓、云云、大相國(道家)於光明峯別墅、云云、受禪門大戒律兼秘密灌頂、正嘉元年寛元上皇(後嵯峨)於龜山宮、受禪門菩薩戒」(二)禪宗と、律宗と。太平記、一、後醍醐天皇御治世事「凡、諸道の廢れたるを興し、一事の善をも賞せられしかば、寺社、禪律の繁昌、爰に時を得、顯密、儒道の碩才も、皆望を達せり」〔1134-1〕

とあって、標記語「ぜん-りつ〔名〕【禪律】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ぜん-りつ禅律】〔名〕禅と律。坐禅思索と戒行の研究」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
すべて諸道の廃れたるを興し、一事の善をも賞せられしかば、寺社禅律の繁昌、ここに時を得、顕密儒道の碩才も皆望みを達せり。《土井本『太平記』巻一・後醍醐天皇御治世の事付けたり武家繁昌の事》
一宝厳院権僧正御門跡連々御参次、被仰出趣、近日関東静謐御礼、諸門跡并禅律寺庵悉成申間、東寺へ可成申由及度々被仰出間、令披露間為御門跡如此被仰出上者、作事皆々已下等可有治定旨、去月十一日評儀時治定畢、仍去月廿六日、為御門跡ξ被伺申、御成日次、八月廿日御治定云々《『東寺百合文書』ち、永享十一年八月一日・13-52 ・4/123》
 
 
2004年06月17日(木)曇り後晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
持齋(ヂサイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「知」部に、

持斉(サイ) 。〔元亀二年本63九〕

持齋(サイ) 。〔静嘉堂本74二〕

() 。〔天正十七年本上37オ八〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「持齋」の語を収載する。語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

稱名念仏九旬供花一夏持斉禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也〔至徳三年本〕

稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也〔宝徳三年本〕

稱名念佛九旬供花一夏持齊禪律斗藪之行人等接待千僧供養非人施行等也〔建部傳内本〕

稱名念仏九旬供花一夏持齋(サイ)禪律抖藪(トソウ)行人等接待(セツタイ)千僧供養非人施行等也〔山田俊雄藏本〕

稱名念仏九旬供華一夏之持齋(チサイ)禪律斗藪(トソウ)行人等接待(せツタイ)千僧供養非人施行等也〔経覺筆本〕

(セウ)念佛九旬(シユン)供華(クウケ)()一夏( チケ)持齋(チサイ)禪律(せンリツ)斗藪(トソウ)行人等接待(せツタイ)千僧(ソウ)供養(クヤウ)非人(ヒニン)()行等也〔文明四年本〕 ※斗藪(トソウ)ヤフ 。稱名(せウミヤウ)

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「持齋」と記載し、訓みは、文明四年本に「タラニ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

(イタス)(モノイミヲ) 神社部/チサイ/イミサスヲ云也。〔黒川本・畳字門上55オ五〕

持戒 〃佛。〃經。〃節。〃齊。〃病。〃律。〃疑。〔巻二・畳字門474二〕

とあって、標記語「持齋」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「持齋」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

持齋(チサイモツ、モノイミ)[平・平] 。〔態藝門174四〕

とあって、標記語「持齋」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

持齋(ヂサイ) 。〔・言語進退門52六〕

持齋(ヂ サイ) ―律(チリツ)。―病(ヒヤウ)。―物(モツ)。―疑()。―参(サン)。〔・言語門53三〕

持齋 ―律。―病。―物。―疑。―参。〔・言語門48四〕

持齋(ヂ サイ) ―律。―病。―物。〔・言語門57三〕

とあって、標記語「持齋」の語を収載する。また、易林本節用集』は標記語「持齋」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「持齋」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

539一夏持齋 徃来‖-行食、又齊形護持スルヲ云也云々。〔謙堂文庫藏五一左A〕

とあって、標記語「持齋」の語を収載し、語注記は、「徃来の者に食を施行し、又齊形を護持するを云ふなり云々」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

九旬(シユン)供花(クケ)一夏()持齊(チサイ)禪律(せンリツ)九旬ノ供花ト云事ハ一夏()ノ中身ヲイマシムル時也。四月十五日ヨリ七月十五日マデ道ニ入リ勤行ヲ定ルナリ。是ハ九十日十日ヲ一旬(シユン)ト云ナリ。爰ヲ以テ九旬ト云也。抑(ソモ/\)釈尊霊鷲山(リヤウシユセン)ニ御座(ヲワ)せシ時御(ヲホン)母摩耶夫人(マヤフニン)ノ御爲(タメ)ニ?利(タウリ)天ニ摩耶(マヤ)經ヲ説(トキ)給フ也。是ヲ安居ノ御法(ミノリ)ト申也。四月十四日ニ諸(モロ/\)大ラカンヲ引具?利(タ リ)天ニ上ラせ給フ也。七月十六日ノ朝(アシタ)下界ヘクダリ給フ也。サテコソ十六日六トテ開夏( イゲ)僧ハ立去リ此夏中ヲ持齋ト云フナリ。〔下28オ三〜七〕

とあって、この標記語「持齋」とし、語注記は「九旬の供花と云ふ事は、一夏()の中身をいましむる時なり。四月十五日より七月十五日まで道に入り勤行を定るなり。是は、九十日、十日を一旬(シユン)と云ふなり。爰を以って九旬と云ふなり。抑(ソモ/\)釈尊霊鷲山(リヤウシユセン)に御座(ヲワ)せし時御(ヲホン)母摩耶夫人(マヤフニン)の御爲(タメ)に?利(タウリ)天にして摩耶(マヤ)經を説(トキ)給ふなり。是を安居の御法(ミノリ)と申すなり。四月十四日に諸(モロ/\)大らかんを引具して?利(タ リ)天に上らせ給ふなり。七月十六日の朝(アシタ)下界へくだり給ふなり。さてこそ、十六日六とて開夏( イゲ)僧は、立ち去り此の夏中を持齋と云ふなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

一夏(いちけ)持齋(じさい)一夏持齋 一夏といえるも上の句に九旬といえると同し。四月十五日より七月十五日迄の間秋の日十五日あれとも夏の日数多くしてしかも一季三月の日数なれは一夏とハいふなり。持齋とハ身をいましめつゝしみ心を清浄(しやう/\)にして勤行するをいふ也。〔76ウ四〜六〕

とあって、この標記語「持齋」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)を尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也一夏持齋ハ一夏九十日の間齋(ものいミ)を持(たも)ちて不浄(ふじやう)にふれざるをいふ。俗(そく)に夏断(げたち)といふも即(すなハち)是也。夏を修すること日本にてハ人皇卅四代推古天皇十四年初て四月八日より七月十五日まで寺ことに斎を設く。是其始也。〔55オ一〜56オ二・三〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)一輻(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)一夏持齋ハ一夏九十日の間齋(ものいミ)を持(たも)ちて不浄(ふじやう)にふれざるをいふ。俗(ぞく)に夏断(げだち)といふも即(すなハち)(これ)也。夏を修(しゆ)すること日本にてハ人皇卅四代推古天皇(すいこてんわう)十四年初て四月八日より七月十五日まで寺ことに斎を設(まう)く。是其始也。〔100オ四〜ウ一・二〕

とあって、標記語「持齋」の語をもって収載し、その語注記は、「一夏持齋は、一夏九十日の間齋(ものいミ)を持(たも)ちて不浄(ふじやう)にふれざるをいふ。俗(ぞく)に夏断(げだち)といふも即(すなハち)(これ)なり。夏を修(しゆ)すること日本にては、人皇卅四代推古天皇(すいこてんわう)十四年初て四月八日より七月十五日まで寺ごとに斎を設(まう)く。是れ其の始めなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「持齋」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「-さい〔名〕【持齋】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-さい持齋】〔名〕@仏語。仏門にはいった人が、午後、食事をしないこと。すなわち非時食戒をたもつこと。在家では六斎日にこれをまもる。A他との交りを断って、もっぱら自分の後生のために戒律を守る生活をすること。また、その人」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
亦、日夜ニ阿弥陀ノ念佛ヲ唱フ、亦、常ニ持斉ス。《『今昔物語集』第十七,紀用方、仕地蔵菩薩蒙利益語第二》
 
 
2004年06月16日(水)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
一夏(イチゲ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「伊」部に、

一夏() 。〔元亀二年本19一〕〔静嘉堂本14五〕

一夏() 。〔天正十七年本上8ウ二〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「一夏」の語を収載する。語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

稱名念仏九旬供花一夏持斉禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也〔至徳三年本〕

稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也〔宝徳三年本〕

稱名念佛九旬供花一夏持齊禪律斗藪之行人等接待千僧供養非人施行等也〔建部傳内本〕

稱名念仏九旬供花一夏持齋(サイ)禪律抖藪(トソウ)行人等接待(セツタイ)千僧供養非人施行等也〔山田俊雄藏本〕

稱名念仏九旬供華一夏之持齋(チサイ)禪律斗藪(トソウ)行人等接待(せツタイ)千僧供養非人施行等也〔経覺筆本〕

(セウ)念佛九旬(シユン)供華(クウケ)()一夏( チケ)持齋(チサイ)禪律(せンリツ)斗藪(トソウ)行人等接待(せツタイ)千僧(ソウ)供養(クヤウ)非人(ヒニン)()行等也〔文明四年本〕 ※斗藪(トソウ)ヤフ 。稱名(せウミヤウ)

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「一夏」と記載し、訓みは、文明四年本に「(イ)チケ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「一夏」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「一夏」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』に標記語「一夏」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

539一夏之持齋 徃来‖-行食、又齊形護持スルヲ云也云々。〔謙堂文庫藏五一左A〕

とあって、標記語「一夏」の語を収載し、語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

九旬(シユン)供花(クケ)一夏()持齊(チサイ)禪律(せンリツ)九旬ノ供花ト云事ハ一夏()ノ中身ヲイマシムル時也。四月十五日ヨリ七月十五日マデ道ニ入リ勤行ヲ定ルナリ。是ハ九十日十日ヲ一旬(シユン)ト云ナリ。爰ヲ以テ九旬ト云也。抑(ソモ/\)釈尊霊鷲山(リヤウシユセン)ニ御座(ヲワ)せシ時御(ヲホン)母摩耶夫人(マヤフニン)ノ御爲(タメ)ニ?利(タウリ)天ニ摩耶(マヤ)經ヲ説(トキ)給フ也。是ヲ安居ノ御法(ミノリ)ト申也。四月十四日ニ諸(モロ/\)大ラカンヲ引具?利(タ リ)天ニ上ラせ給フ也。七月十六日ノ朝(アシタ)下界ヘクダリ給フ也。サテコソ十六日六トテ開夏( イゲ)僧ハ立去リ此夏中ヲ持齋ト云フナリ。〔下28オ三〜七〕

とあって、この標記語「一夏」とし、語注記は「九旬の供花と云ふ事は、一夏()の中身をいましむる時なり。四月十五日より七月十五日まで道に入り勤行を定るなり。是は、九十日、十日を一旬(シユン)と云ふなり。爰を以って九旬と云ふなり。抑(ソモ/\)釈尊霊鷲山(リヤウシユセン)に御座(ヲワ)せし時御(ヲホン)母摩耶夫人(マヤフニン)の御爲(タメ)に?利(タウリ)天にして摩耶(マヤ)經を説(トキ)給ふなり。是を安居の御法(ミノリ)と申すなり。四月十四日に諸(モロ/\)大らかんを引具して?利(タ リ)天に上らせ給ふなり。七月十六日の朝(アシタ)下界へくだり給ふなり。さてこそ、十六日六とて開夏( イゲ)僧は、立ち去り此の夏中を持齋と云ふなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

一夏(いちけ)持齋(じさい)一夏持齋 一夏といえるも上の句に九旬といえると同し。四月十五日より七月十五日迄の間秋の日十五日あれとも夏の日数多くしてしかも一季三月の日数なれは一夏とハいふなり。持齋とハ身をいましめつゝしみ心を清浄(しやう/\)にして勤行するをいふ也。〔76ウ四〜六〕

とあって、この標記語「一夏」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也一夏持齋ハ一夏九十日の間齋(ものいミ)を持(たも)ちて不浄(ふじやう)にふれざるをいふ。俗(そく)に夏断(げたち)といふも即(すなハち)是也。夏を修すること日本にてハ人皇卅四代推古天皇十四年初て四月八日より七月十五日まで寺ことに斎を設く。是其始也。〔55オ一〜56オ二・三〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)▲一夏持齋ハ一夏九十日の間齋(ものいミ)を持(たも)ちて不浄(ふじやう)にふれざるをいふ。俗(ぞく)に夏断(げだち)といふも即(すなハち)(これ)也。夏を修(しゆ)すること日本にてハ人皇卅四代推古天皇(すいこてんわう)十四年初て四月八日より七月十五日まで寺ことに斎を設(まう)く。是其始也。〔100オ四〜ウ一・二〕

とあって、標記語「一夏」の語をもって収載し、その語注記は、「一夏持齋は、一夏九十日の間齋(ものいミ)を持(たも)ちて不浄(ふじやう)にふれざるをいふ。俗(ぞく)に夏断(げだち)といふも即(すなハち)(これ)なり。夏を修(しゆ)すること日本にては、人皇卅四代推古天皇(すいこてんわう)十四年初て四月八日より七月十五日まで寺ごとに斎を設(まう)く。是れ其の始めなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Ichigue.イチゲ(一夏) Fito natçu.(一夏) 一夏.*原文はverão,ou estio.〔Natçuの注〕〔邦訳325l〕

†Ichigue.イチゲ(一夏) あるゼンチョ(gentios異教徒)が,救霊を得るためにいろいろな善コの行をする,〔陰暦〕四月八日から七月八日に至る期間.例,Ichigueuovocuru. (一夏を送る)上述のような行をしながら,この期間を過ごす.〔邦訳325l〕

とあって、標記語「一夏」の語の意味は「 あるゼンチョ(gentios異教徒)が,救霊を得るためにいろいろな善コの行をする,〔陰暦〕四月八日から七月八日に至る期間」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

いちげ-あんご〔名〕【一夏安居】〔出典の盛衰記に、一夏安居とあり、是れ成語にて、他の異稱は、皆略語ならむ、けは、夏()の呉音、(上下(シヤウカ)、ジヤウゲ)一夏とは、夏中(なつヂユウ)の意(一年中)こは、居(キヨ)の呉音、(去年(キヨネン)、過去(クワコ)、御寢(ギヨシン)、御覽(ゴラン))天竺にて、夏期は、霖雨多く、旅行に適せざるのみならず、地に無數の蟲類あり、蹈み傷(いたむ)ることあれば、釋迦、其徒弟をして蟄居、修道せしめたるなりと云ふ、飜譯(ほんやく)名義集、四、安居の條に「無事游行、妨修出業、損傷物命、違慈寔深」とあり、安居とは、安隱、靜居の意、一處に定住して、道心を修養するなり、隱坐道(ヲンザダウ)などとも云ふ〕佛道に云ふ語。又、夏安居(ゲアンゴ)、夏籠(ゲごもり)、夏行(ゲギヤウ)などとも云ひ、下略して、一夏、又、夏とのみも云ふ。僧の、四月十六日(陰暦の)より七月十五日まで、外出せず、講經、修道して居ることにて、即ち、太陰暦の全夏期なり。四月に始むるを、結夏(ケチゲ)と云ひ、七月に解散するを、解夏(ゲゲ)、又、夏明(ゲあけ)と云ひ、七月十六日、自由となるを、自恣(ジシ)と云ふ。(行事抄、上、尚、自恣の條を見よ)安居に參ずる者を、夏衆(ゲシユウ)と云ひ、參會の囘數の多きを、長老とし、夏臈(ゲラフ)と云ひ、此閨A經文を讀誦するを、夏經(ゲギヤウ)と云ひ、供養のために、經文を寫すを、夏書(ゲがき)と云ふ。精進の意、通常には、佛像に向ひて、定時に回向する誦經、禮拝、燒香、等の儀式を云ふ。天武紀、下、十二年七月「是夏、始請僧尼、安居于宮中」此後、奈良朝、平安朝に亘りて、十五大寺、其他に於て、安居の事ありしこと、玄蕃寮式等に、?見ゆ。源平盛衰記、十八、文覺清水?天~金事「如何に殿原、自今以後は、知るべし、一夏、精進の在俗よりは、無智無行の比丘は勝りたり」禪宗にては、安居を、江湖會(ゴウコヱ)と云ひ、又、別に、十月十六日より、一月十六日まで安居するを、雪安居(ゆきアンゴ)と云ふ。源平盛衰記、九、山門堂塔事「堂衆と申すは、云云、座主覺尋僧正、御治山の時より、三塔に結審して、夏衆と號して、佛に花奉りし輩也」同、十六、三井寺燒失事「佛閣、一宇も殘らず燒けにけり、云云、一夏安居の佛前も無ければ、供花の薫も絶えにけり」義經記、三、書冩山炎上事「このげと申すは、諸國の修行者、充滿して、餘念もなく勤めける」謡曲、通小町「是れは、八瀬の山里に、一夏(イ ゲ)を送る僧にて候」心中天網島(享保、近松作)下、名殘の橋づくし「一夏三部、夏書(げがき)せし、大悲大悲の普門品」〔0168-2〕

とあって、標記語「いち-〔名〕【一夏】」の語でなく、いちげ-あんご〔名〕【一夏安居】の悟を以て収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「いち-一夏】〔名〕(一夏九旬(いちげくじゆん)の略)仏語。安居(あんご)を行なう、四月十六日から七月十五日までの夏の九十日間。また、安居のこと。ひとなつ。@努力して仏道修行すること。A仏前で時を定めて読経、礼拝、焼香などをする儀式をいう。おつとめ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
四月七日神吾当来導師弥勒尊乎欲崇布、遷立伽藍奉安慈尊利、一夏九旬乃間毎日奉拝慈尊牟、文、始自五月十五日移来足禅院ヲ、建立ス宮ノ之西ニ、 《『石清水文書・田中』承和十一年六月十七日の条403・2/83》
 
 
2004年06月15日(火)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
供花(クゲ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「久」部に、「供御(クゴ)。供奉()。供養(ヤウ)。供嚮(ギヤウ)。供具(クク)。供僧(ゾウ)。供米(マイ)」の七語を収載しているが、この標記語「供花」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

稱名念仏九旬供花一夏持斉禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也〔至徳三年本〕

稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也〔宝徳三年本〕

稱名念佛九旬供花一夏持齊禪律斗藪之行人等接待千僧供養非人施行等也〔建部傳内本〕

稱名念仏九旬供花一夏持齋(サイ)禪律抖藪(トソウ)行人等接待(セツタイ)千僧供養非人施行等也〔山田俊雄藏本〕

稱名念仏九旬供華一夏之持齋(チサイ)禪律斗藪(トソウ)行人等接待(せツタイ)千僧供養非人施行等也〔経覺筆本〕

(セウ)念佛九旬(シユン)供華(クウケ)()一夏( チケ)持齋(チサイ)禪律(せンリツ)斗藪(トソウ)行人等接待(せツタイ)千僧(ソウ)供養(クヤウ)非人(ヒニン)()行等也〔文明四年本〕 ※斗藪(トソウ)ヤフ 。稱名(せウミヤウ)。

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、山田俊雄藏本の古写本は、「供花」と記載し、経覺筆本・文明四年本は「供華」とし、そのうち、文明四年本は小表記にて「花」の文字を添えている。訓みは、文明四年本に「クウケ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「供花」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「供花」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

供御(クコ) ―米(マイ)。―具()。―華()。〔衣服門131二〕

供養(クヤウ) ―物(モツ)。―給(キフ)。―奉()。〔言辞門132六〕

とあって、衣服門の標記語「供御」の熟語群として「供華」の語を以て収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、易林本の「供華」のみであり、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

538九旬供花 一夏之間亊也。〔謙堂文庫藏五一左A〕

とあって、標記語「供花」の語を収載し、語注記は、「一夏之間亊なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

九旬(シユン)供花(クケ)一夏()持齊(チサイ)禪律(せンリツ)九旬ノ供花ト云事ハ一夏()ノ中身ヲイマシムル時也。四月十五日ヨリ七月十五日マデ道ニ入リ勤行ヲ定ルナリ。是ハ九十日十日ヲ一旬(シユン)ト云ナリ。爰ヲ以テ九旬ト云也。抑(ソモ/\)釈尊霊鷲山(リヤウシユセン)ニ御座(ヲワ)せシ時御(ヲホン)母摩耶夫人(マヤフニン)ノ御爲(タメ)ニ?利(タウリ)天ニ摩耶(マヤ)經ヲ説(トキ)給フ也。是ヲ安居ノ御法(ミノリ)ト申也。四月十四日ニ諸(モロ/\)大ラカンヲ引具?利(タ リ)天ニ上ラせ給フ也。七月十六日ノ朝(アシタ)下界ヘクダリ給フ也。サテコソ十六日六トテ開夏( イゲ)僧ハ立去リ此夏中ヲ持齋ト云フナリ。〔下28オ三〜七〕

とあって、この標記語「供花」とし、語注記は「九旬の供花と云ふ事は、一夏()の中身をいましむる時なり。四月十五日より七月十五日まで道に入り勤行を定るなり。是は、九十日、十日を一旬(シユン)と云ふなり。爰を以って九旬と云ふなり。抑(ソモ/\)釈尊霊鷲山(リヤウシユセン)に御座(ヲワ)せし時御(ヲホン)母摩耶夫人(マヤフニン)の御爲(タメ)に?利(タウリ)天にして摩耶(マヤ)經を説(トキ)給ふなり。是を安居の御法(ミノリ)と申すなり。四月十四日に諸(モロ/\)大らかんを引具して?利(タ リ)天に上らせ給ふなり。七月十六日の朝(アシタ)下界へくだり給ふなり。さてこそ、十六日六とて開夏( イゲ)僧は、立ち去り此の夏中を持齋と云ふなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

九旬(くしゆん)供花(くけ)九旬供花。十日を一旬といへハ九旬は九十日也。四月十五日より七月十五日迄をいふ。むかし釈迦(しやか)如来?鷲山(れうしゆせん)におハせし時四月十五日に?利天(とうりてん)に登り七月十六日の朝帰り玉ふ。此九十日の間ハ釈尊の御留守なりしゆへ羅漢達(らかんたち)別(わけ)て懈怠なく勤行ありしといえり。是によりて今の世に至るまて此勤行をなすなり。九旬の供花とハ此日限の内前日仏に能つかへ香花をそなへる事をいふなり。〔76ウ一〜四〕

とあって、この標記語「供花」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也。▲九旬供花旬ハ十日也。爰(こゝ)に四月十五日より七月十六日まで九十日を指()す。又一夏と名く。其間(そのあいた)花を仏に供ふる也。是を夏花(げばな)を摘()むといふ。〔55オ一〜56オ一・二〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)。▲九旬供花旬ハ十日也。爰(こゝ)に四月十五日より七月十六日まて九十日を指()す。又一夏(いちげ)と名(なづ)く。其間(そのあいた)(はな)を仏(ほとけ)に供(そな)ふる也。是(これ)を夏花(げばな)を摘()むといふ。〔100オ四〜ウ一・二〕

とあって、標記語「供花」の語をもって収載し、その語注記は、「九旬供花旬ハ十日也。爰(こゝ)に四月十五日より七月十六日まで九十日を指()す。又一夏(いちげ)と名(なづ)く。其間(そのあいた)(はな)を仏(ほとけ)に供(そな)ふる也。是(これ)を夏花(げばな)を摘()むといふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「供花」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

くう-〔名〕【供花】佛前に、花を供(そな)ふる儀。五月、九月の、兩度に行はれしと云ふ。増鏡、第十二、老波「九月の供花(クウゲ)には、新院さへわたりものしたまへば」〔0513-2〕

とあって、標記語「くう-〔名〕【供花】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「くう-〔名〕【供花】「くげ(供花)@」に同じ*塵芥(1510-50頃)「供花 クウケ」」と「-供花】〔名〕@死者や仏前に、花をそなえて供養すること。または、そなえる花。くうげ。A「くげえ(供花会)」の略」とが収載されていて、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
依將軍家之仰、神宮寺始結一夏九旬安居是當寺供華最初也鶴岳供僧等、奉仕之。《訓み下し》将軍家ノ仰セニ依テ、神宮寺ニ始メテ一夏九旬ノ安居ヲ結ブ。是レ当寺供花ノ最初ナリ。鶴岡ノ供僧等、之ヲ奉仕ス。《『吾妻鏡』承元三年四月十四日の条》
 
 
2004年06月14日(月)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
九旬(クシユン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「久」部に、「九里(クリ)。九()(コン)酒名。九月季・秋暮・秋菊日・玄月・無射(シヤ)。九曜(ユウ)・羅・?・水・金・日・火・計・月・木。九宮(キウ)伏門・生門・陽門・社門・死門・宗門・驚門・開門・東・馬・南・酉・西・卯。北・鼠校之可知方吉凶也。九輪(リン)塔―」の六語を収載し、標記語「九旬」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

稱名念仏九旬供花一夏持斉禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也〔至徳三年本〕

稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也〔宝徳三年本〕

稱名念佛九旬供花一夏持齊禪律斗藪之行人等接待千僧供養非人施行等也〔建部傳内本〕

稱名念仏九旬供花一夏持齋(サイ)禪律抖藪(トソウ)行人等接待(セツタイ)千僧供養非人施行等也〔山田俊雄藏本〕

稱名念仏九旬供華一夏之持齋(チサイ)禪律斗藪(トソウ)行人等接待(せツタイ)千僧供養非人施行等也〔経覺筆本〕

(セウ)念佛九旬(シユン)供華(クウケ)()一夏( チケ)持齋(チサイ)禪律(せンリツ)斗藪(トソウ)行人等接待(せツタイ)千僧(ソウ)供養(クヤウ)非人(ヒニン)()行等也〔文明四年本〕 ※斗藪(トソウ)ヤフ 。稱名(せウミヤウ)。

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「九旬」と記載し、訓みは、文明四年本に「(ク)シユン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「九旬」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「九旬」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「九旬」の語を未収載にあって、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

538九旬供花 一夏之間亊也。〔謙堂文庫藏五一左A〕

とあって、標記語「九旬」の語を収載し、語注記は、「一夏之間亊なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

九旬(シユン)供花(クケ)一夏()持齊(チサイ)禪律(せンリツ)九旬ノ供花ト云事ハ一夏()ノ中身ヲイマシムル時也。四月十五日ヨリ七月十五日マデ道ニ入リ勤行ヲ定ルナリ。是ハ九十日十日ヲ一旬(シユン)ト云ナリ。爰ヲ以テ九旬ト云也。抑(ソモ/\)釈尊霊鷲山(リヤウシユセン)ニ御座(ヲワ)せシ時御(ヲホン)母摩耶夫人(マヤフニン)ノ御爲(タメ)ニ?利(タウリ)天ニ摩耶(マヤ)經ヲ説(トキ)給フ也。是ヲ安居ノ御法(ミノリ)ト申也。四月十四日ニ諸(モロ/\)大ラカンヲ引具?利(タ リ)天ニ上ラせ給フ也。七月十六日ノ朝(アシタ)下界ヘクダリ給フ也。サテコソ十六日六トテ開夏( イゲ)僧ハ立去リ此夏中ヲ持齋ト云フナリ。〔下28オ三〜七〕

とあって、この標記語「九旬」とし、語注記は「九旬の供花と云ふ事は、一夏()の中身をいましむる時なり。四月十五日より七月十五日まで道に入り勤行を定るなり。是は、九十日、十日を一旬(シユン)と云ふなり。爰を以って九旬と云ふなり。抑(ソモ/\)釈尊霊鷲山(リヤウシユセン)に御座(ヲワ)せし時御(ヲホン)母摩耶夫人(マヤフニン)の御爲(タメ)に?利(タウリ)天にして摩耶(マヤ)經を説(トキ)給ふなり。是を安居の御法(ミノリ)と申すなり。四月十四日に諸(モロ/\)大らかんを引具して?利(タ リ)天に上らせ給ふなり。七月十六日の朝(アシタ)下界へくだり給ふなり。さてこそ、十六日六とて開夏( イゲ)僧は、立ち去り此の夏中を持齋と云ふなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

九旬(くしゆん)供花(くけ)九旬供花。十日を一旬といへハ九旬は九十日也。四月十五日より七月十五日迄をいふ。むかし釈迦(しやか)如来?鷲山(れうしゆせん)におハせし時四月十五日に?利天(とうりてん)に登り七月十六日の朝帰り玉ふ。此九十日の間ハ釈尊の御留守なりしゆへ羅漢達(らかんたち)別(わけ)て懈怠なく勤行ありしといえり。是によりて今の世に至るまて此勤行をなすなり。九旬の供花とハ此日限の内前日仏に能つかへ香花をそなへる事をいふなり。〔76ウ一〜四〕

とあって、この標記語「九旬」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也。▲九旬供花旬ハ十日也。爰(こゝ)に四月十五日より七月十六日まで九十日を指()す。又一夏と名く。其間(そのあいた)花を仏に供ふる也。是を夏花(げばな)を摘()むといふ。〔55オ一〜56オ一・二〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)。▲九旬供花旬ハ十日也。爰(こゝ)に四月十五日より七月十六日まて九十日を指()す。又一夏(いちげ)と名(なづ)く。其間(そのあいた)(はな)を仏(ほとけ)に供(そな)ふる也。是(これ)を夏花(げばな)を摘()むといふ。〔100オ四〜ウ一・二〕

とあって、標記語「九旬」の語をもって収載し、その語注記は、「九旬供花旬ハ十日也。爰(こゝ)に四月十五日より七月十六日まで九十日を指()す。又一夏(いちげ)と名(なづ)く。其間(そのあいた)(はな)を仏(ほとけ)に供(そな)ふる也。是(これ)を夏花(げばな)を摘()むといふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「九旬」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「-しゅん〔名〕【九旬】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-じゅん九旬】〔名〕@「きゅうじゅん(九旬)」に同じ。A仏語。夏安居(げあんご)の期間。一夏九旬(いちげくじゅん)。また、安居をいう。*大日本国法華経験記(1040-44)上・一六「籠居深山、作九旬勤数十余度」*正法眼藏(1231-53)安居「九旬坐夏しつれば、すでに夏法を正伝するなり。*庭訓往来(1394-1428頃)「念誦真言、称名念仏、九旬供花、一夏持齋」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
依將軍家之仰、神宮寺始結一夏九旬安居是當寺供華最初也鶴岳供僧等、奉仕之。《訓み下し》将軍家ノ仰セニ依テ、神宮寺ニ始メテ一夏九旬(ジユン)ノ安居ヲ結ブ。是レ当寺供花ノ最初ナリ。鶴岡ノ供僧等、之ヲ奉仕ス。《『吾妻鏡』承元三年四月十四日の条》
 
 
2004年06月13日(日)晴れ一時曇り。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
念佛(ネンブツ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「禰」部に、

念佛(ネンブツ) 。〔元亀二年本163二〕〔静嘉堂本180二〕

念佛(フツ) 。〔天正十七年本中21オ二〕

とあって、標記語「念佛」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

稱名念仏九旬供花一夏持斉禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也〔至徳三年本〕

稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也〔宝徳三年本〕

稱名念佛九旬供花一夏持齊禪律斗藪之行人等接待千僧供養非人施行等也〔建部傳内本〕

稱名念仏九旬供花一夏持齋(サイ)禪律抖藪(トソウ)行人等接待(セツタイ)千僧供養非人施行等也〔山田俊雄藏本〕

稱名念仏九旬供華一夏之持齋(チサイ)禪律斗藪(トソウ)行人等接待(せツタイ)千僧供養非人施行等也〔経覺筆本〕

(セウ)念佛九旬(シユン)供華(クウケ)()一夏( チケ)持齋(チサイ)禪律(せンリツ)斗藪(トソウ)行人等接待(せツタイ)千僧(ソウ)供養(クヤウ)非人(ヒニン)()行等也〔文明四年本〕 ※斗藪(トソウ)ヤフ 。稱名(せウミヤウ)。

と見え、至徳三年本・山田俊雄藏本・経覺筆本は、「念仏」とし、宝徳三年本・建部傳内本・文明四年本の古写本は、「念佛」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「念佛」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「念佛」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

念佛(―ブツヲモフ・ホトケ)[去・入] 。〔態藝門428一〕

とあって、標記語「念佛」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

念佛(ネンフツ) 。〔・言語進退門135一〕

念誦(ネンジユ) ―願。―仏/―力。〔・言語門98七〕

念誦(ネンジユ) ―願。―佛/―力。〔・言語門120七〕

とあって、弘治二年本が標記語「念佛」の語を収載し、他本は標記語「念誦」の巻頭字「念」の熟語群として収載する。訓みは「ネンフツ」。また、易林本節用集』には、標記語「念佛」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』・『運歩色葉集』・弘治二年本節用集』に標記語「念佛」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。但し、語注記はいずれも未記載にする。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

537稱名念佛 説多。南无阿弥陀佛觀無量壽經云曰、惣シテ念佛、至城信深信回向發願信、三種説、宝積經曰、高声念佛スルハ魔軍退散也。般若經曰、乱心ナレトモ念-佛スレハ乃至畢苦。其us尽也。宝王論曰、浴大海百川有。浴トハ一枚(アフル)ナラハ百川浴也云々。〔謙堂文庫藏五一右H〕

とあって、標記語「念佛」の語を収載し、此の語の語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

稱名(せウミヤウ)念佛ハ阿弥陀ノ御名ヲトナフ故ニ稱名ト云也。名ニカナフトヨムナリ。〔下28オ三〕

とあって、この標記語「念佛」とし、語注記は「觀念を以って本とするが故に念誦と云ふ」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)稱名念佛。皆佛名をとなへ參する事なり。〔75ウ八〜76オ一〕

とあって、この標記語「念佛」の語をもって収載し、語注記は、「皆佛名をとなへ參する事なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也稱名念仏ハ弥陀(ミた)の名号(ミやうがう)を念(ねん)し稱(とな)ふる也。〔55オ一〜56オ一〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)▲稱名念仏ハ弥陀(ミだ)の名号(ミやうがう)を念(ねん)じ稱(とな)ふる也。〔100オ四〜ウ一〕

とあって、標記語「稱名」の語をもって収載し、その語注記は、「稱名は、弥陀(ミだ)の名号(ミやうがう)を念(ねん)じ稱(とな)ふるなり」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Nenbut.ネンブツ(念佛) Fotoqeuo nenzuru.(仏を念ずる) 仏(Fotoque)の名を唱えること,すなわち,称名念仏すること.〔邦訳458l〕

とあって、標記語「念佛」の語の意味は「Fotoqeuo nenzuru.(仏を念ずる) 仏(Fotoque)の名を唱えること,すなわち,称名念仏すること」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ねん-ぶつ〔名〕【念佛】〔念は口に唱ふる意〕佛教の語。佛名を唱ふること。南無阿彌陀佛の六字の名號を唱へて祈ること。ねぶつ。寳積經「高聲念佛、魔軍退散」起心論「以專心念佛因縁、隨願得他方淨土李商隱雜纂、朱本體「不早晩禮拝念佛選擇本願念佛集(法然上人)二「稱名念佛、是彼佛本願行也、故修之者、乗彼佛願、必得往生也」玉葉(藤原兼實)建久元年七月廿三日「先講法然房源空上人戒、次始恒例念佛榮花物語、十二、玉村菊「念佛、懺法など聞かまほしうせさせ給へば、さるべき僧どもして、聲絶えず行はせ給ふ」源平盛衰記、十、赤山大明神事「赤山大明神と申すは、慈覺大師渡唐時、清涼山の引聲の念佛を傳へ給しに、此念佛を爲守護とて、大師に成芳契給ひ、忽異朝の雲を出でて、正に叡山の月に住給ふ」〔1529-2〕

とあって、標記語「ねん-ぶつ〔名〕【念佛】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ねん-ぶつ念佛】〔名〕仏語。@仏を憶念すること。三念・六念などの一つ。A特に、阿彌陀仏を念ずるもので、これに理観と事観と口称の三つが含まれるが、通常、南無阿彌陀仏の六字を口に唱える口称の意に用いられる。ねぶつ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
故左典厩〈義朝〉墳墓、在尾張國野間庄無人于奉訪没後、只荊棘之所掩也而此康頼任中赴其國時、寄附水田三十町、建小堂、令六口僧、修不断念佛〈云々〉《訓み下し》故左典厩ノ〈義朝〉墳墓、尾張ノ国野間ノ庄ニ在リ。没後ヲ訪ヒ奉ルニ人無シ、只荊棘ノ掩フ所ナリ。而ルニ此ノ康頼任中ニ其ノ国ニ赴ク時、水田三十町ヲ寄附シ、小堂ヲ建テ、六口ノ僧ヲシテ、不断念仏ヲ修セシムト〈云云〉。《『吾妻鏡』文治二年閏七月二十二日の条》
 
 
2004年06月12日(土)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
稱名(シャウミャウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、標記語「稱名」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

稱名念仏九旬供花一夏持斉禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也〔至徳三年本〕

稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也〔宝徳三年本〕

稱名念佛九旬供花一夏持齊禪律斗藪之行人等接待千僧供養非人施行等也〔建部傳内本〕

稱名念仏九旬供花一夏持齋(サイ)禪律抖藪(トソウ)行人等接待(セツタイ)千僧供養非人施行等也〔山田俊雄藏本〕

稱名念仏九旬供華一夏之持齋(チサイ)禪律斗藪(トソウ)行人等接待(せツタイ)千僧供養非人施行等也〔経覺筆本〕

(セウ)念佛九旬(シユン)供華(クウケ)()一夏( チケ)持齋(チサイ)禪律(せンリツ)斗藪(トソウ)行人等接待(せツタイ)千僧(ソウ)供養(クヤウ)非人(ヒニン)()行等也〔文明四年本〕 ※斗藪(トソウ)ヤフ 。稱名(せウミヤウ)。

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「稱名」と記載し、訓みは、文明四年本に「タラニ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「稱名」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「稱名」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

唱名(シヤウミヤウトナヱ、メイ・アキラカナリ)[去・平] 。或唱聲非(ヲン)也。〔態藝門690一〕

とあって、標記語「唱名」の語を以て収載し、語注記には「或唱を聲に作る。音(ヲン)曲にあらざるなり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

唱名(シヤウメヤウ) 音曲唱作色非也。〔・言語進退門248七〕

唱名(シヤウミヤウ) 唱作声非也。〔・言語門211八〕

唱名(シヤウミヤウ) 唱作声非也。〔・言語門195八〕

とあって、標記語「唱名」の語を以て収載する。また、易林本節用集』に、

稱念(シヨウネン) ―嘆(タン)。―揚(ヤウ)。―美()。―讃(サン)―名(ミヤウ)。―号(ガウ)。〔言辞門215三〕

とあって、標記語「稱念」巻頭字「稱」の熟語群として「稱名」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、易林本節用集』が標記語「稱名」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

537稱名念佛 説多。南无阿弥陀佛觀無量壽經云曰、惣シテ念佛、至城信深信回向發願信、三種説、宝積經曰、高声念佛スルハ魔軍退散也。般若經曰、乱心ナレトモ念-佛スレハ乃至畢苦。其us尽也。宝王論曰、浴大海百川有。浴トハ一枚(アフル)ナラハ百川浴也云々。〔謙堂文庫藏五一右H〕

とあって、標記語「稱名」の語を収載し、語注記は、「説多し。南无阿弥陀佛觀無量壽經云に曰く、惣じて念佛、至城信深信回向發願信、三種説を立る、宝積經曰く、高声念佛するは、魔軍退散なり。般若經曰く、乱心なれども念-佛すれば乃至苦しく畢んぬ。其のpsきざるなり。宝王論曰く、大海を浴す者は、已に百川用ゆこと有り。浴とは、一枚(アフル)ならば百川浴するなり云々」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

稱名(せウミヤウ)念佛ハ阿弥陀ノ御名ヲトナフ故ニ稱名ト云也。名ニカナフトヨムナリ。〔下28オ三〕

とあって、この標記語「稱名」とし、語注記は「阿弥陀の御名をとなふ故に稱名と云ふなり。名にかなふとよむなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)稱名念佛。皆佛名をとなへ参する事なり。〔75ウ八〜76オ八・ウ一〕

とあって、この標記語「稱名」の語をもって収載し、語注記は、「皆佛名をとなへ参する事なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也。▲稱名念仏ハ弥陀(ミた)の名号(ミやうがう)を念(ねん)し稱(とな)ふる也。〔55オ一〜56オ一〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)。▲稱名念仏ハ弥陀(ミだ)の名号(ミやうがう)を念(ねん)じ稱(とな)ふる也。〔100オ四〜ウ一〕

とあって、標記語「稱名」の語をもって収載し、その語注記は、「稱名は、弥陀(ミだ)の名号(ミやうがう)を念(ねん)じ稱(とな)ふるなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xo>mio<.シャウミャウ(稱名) デウス(Deos神)やサントス(Sanctos聖人たち)の頌歌などを,調子を合わせて歌いながら,ほめたたえること.〔邦訳793r〕

とあって、標記語「稱名」の語の意味は「デウス(Deos神)やサントス(Sanctos聖人たち)の頌歌などを,調子を合わせて歌いながら,ほめたたえること」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しゃう-みゃう〔名〕【唱名】佛の名號を、となふること。南無阿弥陀佛と云ふが如し。念佛。承久記「一人、御供にさぶらひけるが、小賢しく、しゃうみゃうを勸め奉る」〔0972-4〕

とあって、標記語「しゃう-みゃう〔名〕【唱名】」の語を以て収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しょう-みょう称名唱名】〔名〕@仏語。仏菩薩の名をとなえること。「南無釈迦仏」「南無阿彌陀仏」「南無観世音菩薩」などととなえること。念仏。Aその名が広く知られていること。名高いこと。有名。著名」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
聲聞の人におきて、また、なを稱して、その過悪をとかざれ。また、なを稱して、そのよきことを讃歎せざれ。《訓み下し》於聲聞人。亦不稱名。説其過惡。亦不稱名。讚歎其美。《『妙法蓮華經』勸持品・第十三》
 
 
2004年06月11日(金)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
真言(シンゴン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

真言 。〔元亀二年本305八〕

真言(  ゴン) 。〔静嘉堂本356一〕

とあって、標記語「真言」の語を収載する。語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

細金彩色絵像各一輻薄濃墨畫一對摺写摺冩御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔至徳三年本〕

細金彩色繪像各一鋪([輻])薄濃墨繪()一對書寫摺寫御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念眞言〔宝徳三年本〕

細金彩色畫像各一輻薄濃墨畫一對書冩摺冩御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念真言〔建部傳内本〕

細金彩色繪像各一(フク)薄濃(ダミ)墨畫一對書冩摺写妙典轉讀般若讀誦經王(ワウ)勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔山田俊雄藏本〕

(ホソ)金彩(サイ)絵像各一輻薄濃(ダミ)墨畫(スミヱ)一對書寫御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔経覺筆本〕

細金(ホソカネ)彩色(サイシキ)繪像(エサウ)一鋪(フク)薄濃(ウスタミ)墨畫(スミエ)一對(ツイ)書寫(シヨシヤ)摺写(シツシヤ)御經轉讀(テントク)般若(ハンニヤ)讀誦(ドクシユ)經王(コン)()唱滿(シヤウマン)陀羅尼(タラニ)念誦(シユ)(シン)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「真言」と記載し、訓みは、文明四年本に「タラニ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

眞言 シンコン。〔三巻本(黒川本)・畳字門下77ウ二〕

真偽 〃實。〃如。〃諦。〃金。〃説。〃珠。〃珠。〃圖。〃言。〔十巻本・言語門155八〕

とあって、標記語「真言」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「真言」の語は未収載にする。易林本節用集』に、

眞實(シンジツ) ―信(ジン)。―俗(ソク)。―讀(ドク)/―如(ニヨ)―言(ゴン)。―草行(サウギヤウ)。〔言辞門159四〕

とあって、標記語「眞實」の巻頭字「眞」の熟語群として「真言」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集易林本節用集』に、標記語「真言」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

536念誦真言 方等部出也。東寺真言初祖大日如来也。天武天王時智鳳渡之也。天台・法花經ヨリ出也。天台章安妙楽傳教傳也。真言中天竺傳法スト也云々。〔謙堂文庫藏五一右F〕

とあって、標記語「真言」の語を収載し、語注記は、「真言は、中天竺より傳法すとなり云々」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

真言(シンゴン)等ハ觀念ヲ以テ本トスルガ故ニ念誦ト云フ〔下28オ二〕

とあって、この標記語「真言」とし、語注記は「觀念を以って本とするが故に念誦と云ふ」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

眞言(しんごん)を念誦(ねんじゆ)真言念誦とハ念じて唱る事也。真言ハ眞言宗の呪なり。不動乃真言大日の真言なとゝて色々在。〔75ウ八〜76オ七・八〕

とあって、この標記語「真言」の語をもって収載し、語注記は、「陀羅尼といふも經の名なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也。▲念誦ハ心に祈念(きねん)してよむをいふ。真言ハ呪文(じゆもん)也。梵語(ぼんご)のまゝにて唱(とな)ふ。〔55オ一〜55ウ八・56オ一〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)。▲念誦ハ心に祈念(きねん)してよむをいふ。真言ハ呪文(じゆもん)也。梵語(ぼんご)のまゝにて唱(とな)ふ。〔100オ四〜六、ウ一〕

とあって、標記語「真言」の語をもって収載し、その語注記は、「真言は、呪文(じゆもん)なり。梵語(ぼんご)のまゝにて唱(とな)」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xingon.シンゴン(真言) Faxx?no vchino x?.(八宗の中の宗)大日(Dainichi)を信仰する真言宗徒(Xingonxus)の宗派.→Faxxù〔邦訳770l〕

とあって、標記語「真言」の語の意味は「Faxx?no vchino x?.(八宗の中の宗)大日(Dainichi)を信仰する真言宗徒(Xingonxus)の宗派」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しん-ごん〔名〕【真言】〔眞實言説の義〕大日如來の三密中の、語密に屬す、即ち、大日如來、自らの眷屬のために、如義眞實の語を以て説きたまふ所の、唯佛與佛の法門を云ふ。(佛教辭林)源氏物語、十九、薄雲22「更に、佛の諫め守り給ふ、しんごむの深き道をだに、隱しとどむる事なく、弘め仕うまつり侍り」〔0940-4〕

とあって、標記語「しん-ごん〔名〕【真言】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しん-ごん真言】〔名〕仏語。@(梵 mantraの訳語)仏菩薩などの、いつわりのない真実のことば。種々の異名があり、明(梵 vidy?の訳語)・陀羅尼(梵 dh?ra??の訳語)・呪などともいう。明は真言のはたらきが無明煩悩を破するに比したもの。また身に現ずるものを明、口に説くものを真言陀羅尼、短いものを真言といい、一字二字などのものを種子という。ただし普通は互いに混用する。呪はこれを誦するとき、霊験が現われるところからいう。A「しんごんしゅう(真言宗)」の略。[語誌]@は総じてインドの婆羅門の祭祀に用いられる、神々への讃頌や呪文などをいうところから、神仏に対して発する神聖な語句、祈?の際に唱える呪文をもいい、現世利益的な所願に対しても用いられた。例えば、「大日経−七」によれば、初めに「?」、終わりに「莎訶」のある真言は息災法(災いを防ぐ法)を意味し、初めに「」、終わりに「吽発?」のある真言は降伏法(真言の威力で悪魔・鬼を押えつけ、鎮める法)を意味するなど、一定の形式によって真言の唱えられたことが知られる。また、「総釈陀羅尼義讃」には真実の字数について「或有一字真言乃二字三字乃至百字千字万字、復過此数乃無量無辺」と説く」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
故城介入道願智周關期、立塔婆遂供養導師、右大臣法印嚴惠眞言、供養也布施、南庭十馬一疋〈銀鞍、厚総〉銀劔〈入袋、〉單重一領、加布施錦被物一重、〈布衣、顕方卿取之〉布施取廿五人〈云云、〉《訓み下し》故城ノ介入道願智ノ周関ノ期ニ(周闕)、塔婆ヲ立テ供養ヲ遂グ。導師ハ、右大臣法印厳恵(左大臣)、真言(シンゴン)ノ供養ナリ、布施、南庭十馬一疋〈銀ノ鞍、厚総〉銀剣〈袋ニ入ル、〉単重一領(厚総鞦)、加布施ニ錦ノ被物一重、〈布衣、顕方卿之ヲ取ル〉布施取リ二十五人ト〈云云〉。《『吾妻鏡』建長六年六月三日の条》
 
 
2004年06月10日(木)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
念誦(ネンジユ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「禰」部に、

念誦(ジユ) 。〔元亀二年本163二〕〔静嘉堂本180二〕

念誦(シユ) 。〔天正十七年本中21オ二〕

とあって、標記語「念誦」の語を収載する。語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

細金彩色絵像各一輻薄濃墨畫一對摺写摺冩御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔至徳三年本〕

細金彩色繪像各一鋪([輻])薄濃墨繪()一對書寫摺寫御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦眞言〔宝徳三年本〕

細金彩色畫像各一輻薄濃墨畫一對書冩摺冩御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼真言〔建部傳内本〕

細金彩色繪像各一(フク)薄濃(ダミ)墨畫一對書冩摺写妙典轉讀般若讀誦經王(ワウ)勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔山田俊雄藏本〕

(ホソ)金彩(サイ)絵像各一輻薄濃(ダミ)墨畫(スミヱ)一對書寫御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔経覺筆本〕

細金(ホソカネ)彩色(サイシキ)繪像(エサウ)一鋪(フク)薄濃(ウスタミ)墨畫(スミエ)一對(ツイ)書寫(シヨシヤ)摺写(シツシヤ)御經轉讀(テントク)般若(ハンニヤ)讀誦(ドクシユ)經王(コン)()唱滿(シヤウマン)陀羅尼(タラニ)念誦(シユ)(シン)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「念誦」と記載し、建部傳内本だけが「念珠」と記載する。訓みは、文明四年本に「(ネン)シユ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

念誦 佛法部/ネンシユ/僧侶分。〔三巻本・畳字門中31ウ二〕

念佛 〃誦。〃念。〃人。〃珠。〔・言語門145八〕

とあって、標記語「念誦」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「念誦」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

念誦(ジユ/ヲモフ、シヨウ・ヨム)[去・去] 佛亊。〔態藝門428一〕

とあって、標記語「念誦」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

念誦(ネンジユ) 。〔・言語進退門135一〕

念誦(ネンジユ) ―願(グハン)。―力(リキ)。〔・言語門107九〕

念誦(ネンジユ) ―願。―仏/―力。〔・言語門98七〕

念誦(ネンジユ) ―願。―佛/―力。〔・言語門120七〕

とあって、標記語「念誦」の語を収載する。訓みは「ネンジユ」と記載する。また、易林本節用集』に、

念誦(ネンジユ) ―願(グワン)。―珠(ジユ)。―想(サウ)/―力(リキ)。―者(ジヤ)。―比(ゴロ)。〔言辞門108三〕

とあって、標記語「念誦」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「念誦」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。そして、語注記については、共通性を見ない語でとなっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

536念誦真言 方等部出也。東寺真言初祖大日如来也。天武天王時智鳳渡之也。天台・法花經ヨリ出也。天台章安妙楽傳教傳也。真言中天竺傳法スト也云々。〔謙堂文庫藏五一右F〕

とあって、標記語「念誦」の語を収載し、語注記は、「方等部より出るなり。東寺真言初祖は、大日如来なり。天武天王の時智鳳之渡るなり。天台・法花經より出るなり。天台は、章安妙楽傳教傳ふるなり。真言は、中天竺より傳法すとなり云々」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

勤行(ゴンギヤウ)秘法(ヒボウ)唱滿(シヤウマン)陀羅尼(タラニ)念誦(ネンジユ)〔下28オ二〕

とあって、この標記語「念誦」とし、語注記は「常の如し」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

眞言(しんごん)念誦(ねんじゆ)真言念誦とハ念じて唱る事也。真言ハ眞言宗の呪なり。不動乃真言大日の真言なとゝて色々在。〔75ウ八〜76オ七・八〕

とあって、この標記語「念誦」の語をもって収載し、語注記は、「念誦とは、念じて唱る事なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也。▲念誦ハ心に祈念(きねん)してよむをいふ。真言ハ呪文(じゆもん)也。梵語(ぼんご)のまゝにて唱(とな)ふ。〔55オ一〜55ウ八・56オ一〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)。▲念誦ハ心に祈念(きねん)してよむをいふ。真言ハ呪文(じゆもん)也。梵語(ぼんご)のまゝにて唱(とな)ふ。〔100オ四〜六、ウ一〕

とあって、標記語「念誦」の語をもって収載し、その語注記は、「念誦は、心に祈念(きねん)してよむをいふ」と記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Nenju.ネンジュ(念誦) 信仰の心をもって或る経を読むこと.すなわち,読誦すること.例,Nenju suru.(念誦する)同上.〔邦訳458r〕

とあって、標記語「念誦」の語の意味は「信仰の心をもって或る経を読むこと.すなわち,読誦すること」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ねん-じゅ〔名〕【念誦】〔念佛誦經の略。普賢觀行經記「在心曰念、發言曰誦、言由於心、故曰念誦〕佛教の語。心に佛を念じ、口に經を讀むこと。又、禪林にては、十佛名を念誦することを云ふ。ネンズ。盂蘭盆經疏記、上「念誦、即通佛名經呪大日經演密鈔「梵語、羅醯、此云念誦」」易林本節用集(慶長)上、言辭門「念誦、ネンジユ」續日本紀、廿一、天平寳字二年八月「宣天下諸國云云、摩訶般若波羅密榮花物語、十八、玉臺「御念佛の志、絶えさせ給ふ可きにもあらず、御念誦の時に控へさせ給ひて」義經記、五、靜吉野山に被捨事「藏王權現、云云、勤も果てしかば、靜も起き居て、念誦してぞ居たりける」〔1528-3〕

とあって、標記語「ねん-じゅ〔名〕【念誦】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ねん-じゅ念誦】〔名〕仏語。仏の加護を祈り、経文や仏の名号または真言などを口に唱えること。密教では、念は心、誦は口のはたらきであるが、広く身・口・意にわたる三密の行と解する。念仏誦経。念珠(ねんじゅ)。ねんず」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
迎法皇初七日忌景、於幕府、被修御佛事義慶房阿闍梨、爲御導師請僧七口也幕下、毎七々日、御潔齋、有御念誦〈云云〉《訓み下し》法皇初七日ノ御忌景ヲ迎ヘテ、幕府ニ於テ、御仏事ヲ修セラル。義慶房阿闍梨、御導師タリ。請僧七口ナリ。幕下、七七日毎ニ、御潔斎シタマヒ、御念誦(ネンジユ)等有リト〈云云〉。《『吾妻鏡』建久三年三月十九日の条》
 
 
2004年06月09日(水)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
護摩(ゴマ)の壇(ダン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部に、

護摩(ゴマ) 天竺曰。〔元亀二年本233四〕

護摩(ゴマ) 天竺曰焼。〔静嘉堂本268四〕

護摩(コマ) 天竺曰焼。〔天正十七年本中63オ三〕

とあって、標記語「護摩」の語を収載する。語注記は「天竺に焼と曰ふ」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本には、「護摩の壇」という記載は見られないのである。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本護持色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

護摩 コマ。〔畳字門下8ウ七〕

護持 〃身。〃法。〃命。〃摩。〃惜。〔巻七・畳字門168二〕

とあって、標記語「護摩」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

護摩(ゴマ) ニハ護摩此(コヽ)ニハ焚(ハン)言(イフコヽロ)燒滅(メツ)スル一切悪事之根本。〔態藝門84三〕

とあって標記語「護摩」の語を収載し、語注記に「梵には、護摩此(コヽ)には、焚(ハン)と言(イフコヽロ)は、一切の悪事の根本を燒滅(メツ)するを云ふなり」と記載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

護摩(ゴママボル、ナヅル)[去・平] ――梵語也。此スル一切魔悪故也。〔態藝門690一〕

とあって、標記語「護摩」の語を収載し、語注記に「護摩は梵語なり。此に燒と翻し言は、一切の魔悪の亊を焼滅する故なり」とあって、『下學集』の語を幾分置換して記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

護摩(ゴマ) 護摩梵語也。此ニハ滅一切悪魔之根本。〔・言語進退門190四〕

護摩(ゴマ) ――梵語也。此ニハ(ホン)ス也一切魔悪之根本。〔・言語門155九〕

とあって、標記語「護摩」の語を収載し、語注記は、「護摩梵語なり。此には、燒と翻ず。言は一切の悪魔の根本を焼滅す」と記載する。また、易林本節用集』に、

護摩(ゴマタウ) 。〔乾坤門153六〕

とあって、標記語「護摩」の語を収載するのみである。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「護摩」の語を収載していて、下記真字本には見えている語となっている。だが、語注記は大いに異なりを見せていることが判明する。この語については、古辞書と没交渉と云うことになる。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

535護摩檀 真言護摩宮人湯立大亊佛従子(イトコ)阿若?陳如名大器云。是人先世外道婆羅門火祠類俗也。今真言護摩之。此火天使ルノ亊亦宮人火自在ニスル也。仍亊火謂也。護摩壇ハ四樣也。息災増益敬愛調伏也。異本ニ護摩壇之三字無之也。能々見合可之也。〔謙堂文庫藏五一右C〕

とあって、標記語「護摩」の語を収載し、その語注記には「真言護摩は、宮人湯立大亊佛従子(イトコ)阿若?陳如名大器云ふ。是の人は先世に外道婆羅門火祠の法を作の類俗なり。今の真言の護摩は、之れに准らふ。此の火天に使ふるの亊、亦宮人火の亊を自在にするなり。仍って火の亊を謂ふなり。護摩壇は、四樣なり。息災、増益、敬愛、調伏なり。異本に護摩壇の三字之れ無きなり。能々見合せ之れを用ゆべきなり」と記載し、「護摩壇」の三字は、異本に無いとしている点が真字本の典拠となる『庭訓往來』の古本を考えていく上で注目されよう。

 古版庭訓徃来註』では、

勤行(ゴンギヤウ)秘法(ヒボウ)唱滿(シヤウマン)陀羅尼(タラニ)念誦(ネンジユ)〔下28オ二〕

とあって、この標記語「護摩」は未収載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)・頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』にも、標記語「護摩壇」の語は未収載にすることから、現況では真字本のみの標記語となっている。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Goma.ゴマ(護摩) 眞言宗僧(Xingonjùs)が悪魔に対して祈祷しながら行なうある種の儀式.例,Gomauo taqu.(護摩を焚く).胡麻(Coma)の油と樒(しきみ)の皮などを火にくべながら、この儀式を行なう. ※原文はloureiro.〔Xiqimi(樒)の注〕→Gomagui.〔邦訳306r〕

とあって、標記語「護摩」の語の意味は「眞言宗僧(Xingonjùs)が悪魔に対して祈祷しながら行なうある種の儀式」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-〔名〕【護摩】〔梵語、護摩(ホオマ)(Homa.)焚燒、又、火祭と譯す、希麟音義「護摩二字、或云呼麼、梵語也、唐云火祭」一切煩惱の根本を燒滅する意)〕けしやき。けしたき。眞言宗にて修する行法。護摩の法に、息災、増益、降伏、鉤召、敬愛、の五種あり、各、其目的に因りて行ふ、多くは、不動尊を本尊として、安置し、其前に、護摩壇と云を設け、中央に、火爐あり、護摩木(ごまぎ)とて、檀木、乳木(ニユウボク)(ぬるでの木)と云ふ、長、短、二種の薪木を焚き、香、五穀、芥子、蘇油、等の供養物を捧げて、修法す。護摩を修するに設けたる建物を、護摩堂と云ふ。大日經疏、十五「護摩、是、燒義也、由護摩、能燒除諸業」〔0723-4〕

ゴマ-だん〔名〕【護摩壇】護摩の條を見よ。〔0725-1〕

とあって、標記語「-〔名〕【護摩】」「ゴマ-だん〔名〕【護摩壇】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-護摩】〔名〕(梵、homa 焚焼、火祭の意)仏語。真言密教の修法の一つ。不動明王または愛染明王の前に護摩壇を設け、護摩木を焚(た)いて、息災、増益(ぞうやく)、降伏(ごうぶく)などを祈るもの。しかし護摩には内外の二種があって、実際に護摩檀を設けて行なう修法を外護摩といい、内心に智火をもやして煩惱(ぼんのう)を焼除するのを内護摩という。[語誌](1)元来、バラモン教で火神アグニを供養するために、供物を焚焼する儀礼があり、これが密教にとり入れられたもの。(2)密教の護摩は人間の煩惱を智慧の火で焼尽する修法である。祈願を書いた板や紙を護摩札といい、護符として用いられた。また、護摩木の燃え残りや灰を服用したり、お守りとすることがあり、高野山奥院の護摩の灰は有名であった。(3)修験道や神道でも行なわれ、修験道では、屋外で火を焚く採燈護摩(本山系修験)・柴燈護摩(当山系修験)が行なわれた」「ごま-だん〔名〕【護摩壇】護摩をたく炉をすえる壇。大壇、水壇、木壇の三種類がある。火壇。炉壇」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
十一面護摩鳥羽法印大白衣、法眼承證北斗護摩、法印明辨御當年星供法橋珎譽等也《訓み下し》十一面ノ護摩ハ鳥羽ノ法印。大白衣(大白祭)ハ、法眼承証(承澄)。北斗ノ護摩(ゴマ)ハ、法印明弁。御当年ノ星供ハ法橋珍誉等ナリ。《『吾妻鏡』嘉禎元年十二月二十六日の条》
 
 
2004年06月08日(火)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
陀羅尼(ダラニ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「多」部に、

陀羅尼(ダラニ) 。〔元亀二年本143四〕〔静嘉堂本153七〕

× 。〔天正十七年本中63オ二〕

とあって、標記語「陀羅尼」の語を収載する。語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

細金彩色絵像各一輻薄濃墨畫一對摺写摺冩御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔至徳三年本〕

細金彩色繪像各一鋪([輻])薄濃墨繪()一對書寫摺寫御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦眞言〔宝徳三年本〕

細金彩色畫像各一輻薄濃墨畫一對書冩摺冩御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼真言〔建部傳内本〕

細金彩色繪像各一(フク)薄濃(ダミ)墨畫一對書冩摺写妙典轉讀般若讀誦經王(ワウ)勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔山田俊雄藏本〕

(ホソ)金彩(サイ)絵像各一輻薄濃(ダミ)墨畫(スミヱ)一對書寫御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔経覺筆本〕

細金(ホソカネ)彩色(サイシキ)繪像(エサウ)一鋪(フク)薄濃(ウスタミ)墨畫(スミエ)一對(ツイ)書寫(シヨシヤ)摺写(シツシヤ)御經轉讀(テントク)般若(ハンニヤ)讀誦(ドクシユ)經王(コン)()唱滿(シヤウマン)陀羅尼(タラニ)念誦(シユ)(シン)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「陀羅尼」と記載し、訓みは、文明四年本に「タラニ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「陀羅尼」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「陀羅尼」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、唯一『運歩色葉集』に標記語「陀羅尼」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

534勤行秘密法唱滿陀羅尼 々々々梵語也。即総持之義也。〔謙堂文庫藏五一右B〕

とあって、標記語「陀羅尼」の語を収載し、語注記は、「陀羅尼は、梵語なり。即ち、総持の義なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

勤行(ゴンギヤウ)秘法(ヒボウ)唱滿(シヤウマン)陀羅尼(タラニ)念誦(ネンジユ)〔下28オ二〕

とあって、この標記語「陀羅尼」とし、語注記は「常の如し」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)滿陀羅尼唱滿とハ一部の經をこと/\く讀終る事をいふにや疑し。陀羅尼といふも經乃名なり。〔75ウ八〜76オ六・七〕

とあって、この標記語「陀羅尼」の語をもって収載し、語注記は、「陀羅尼といふも經の名なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也。▲唱滿( ― )(こゝ)にハ陀()羅尼經全部(せんふ)を讀果(よミはつ)るをいふとぞ。〔55オ一〜55ウ八〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)一輻(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)。▲唱滿( ― )(こゝ)にハ陀羅尼(だらに)經全部(せんふ)を讀果(よミはつ)るをいふとぞ。〔100オ四〜五〕

とあって、標記語「陀羅尼」の語をもって収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「陀羅尼」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

だら-〔名〕【陀羅尼】〔梵語、Dh?ra?i.能持、又、總持多含、等の義。善法を持して散ぜざらしめず、惡法を持して起こらざらしめざる力用を云ふ。智度論、五「陀羅尼者、秦曰能持、云云、能持トハ種種善法、能持令散不一レ失」) 諷詠すべき經文の名。其用、聲音にあり。これ佛、菩薩の説ける呪語にして、萬コを包藏す。呪は、如來眞實の語なれば眞言と言ひ、呪語なれば、誦すべく解すべからず、故に翻譯せず。初に那謨(ナモ)、或は?(オン)の如き、敬禮を表する語を置き諸佛の名號を列ね、二三の秘密語を繰返し、末に娑縛訶(ソハカ)の語を以て結ぶを常とす。又、阿鑁覽?欠(アバラガンケン)の五字は、大日如來の眞言にて、五字陀羅尼とも云ひ、この五字は阿鼻羅吽(アビラウンケン)の如く、池、水、火、風、空の五大にして、大日如來の自證となす。秘藏記「諸經中説陀羅尼、或陀羅尼、或明、或呪、或密語、或眞言、如是五義、其義如何、陀羅尼者、佛放光、光之中所説也、云云、今持陀羅尼人、能發~通災患、與呪禁法相似、是故曰呪、云云」源氏物語、五、若紫十九「功(ぐう)づきてだらによみたり」〔1253-3〕

とあって、標記語「だら-〔名〕【陀羅尼】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「だら-陀羅尼】〔名〕(梵、Dh?ra??.の音訳。総持または能持と訳す。よく種々の善法を固くたもつこと、また、種々のさわりをさえぎることの意)仏語。すべてのことを心に記憶して忘れない力、それを得る技法、または修行者を守護する力のある章句。特に密教で、一般に長文の梵語を訳さないで、原語ののまま音写されたものをいう。陀羅尼経。陀羅尼呪(じゆ)。秘密呪。呪。だらり。[語誌](1)術としての「陀羅尼」の形式が呪文を唱えることに似ているところから、呪文としての「真言」そのものと混同されるようになった。区別する際には、長文のものを「陀羅尼」、数句からなるものを「真言」、一字二字のものを「種字」とするのが一般的。(2)日本における「陀羅尼」は、形式的に見ると、原語の句を訳さずに漢字の音を写したまま読誦するが、中国を経たために発音が相当に変化し、また意味自体も不明なものが多い」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
又於御所、有尊勝陀羅尼書寫供養導師、岡崎僧正成源《訓み下し》又御所ニ於テ、尊勝(ソンシヨウ)陀羅尼(ダラニ)書写ノ供養有リ。導師ハ、岡崎ノ僧正成源。《『吾妻鏡』延応二年三月九日の条》
 
 
2004年06月07日(月)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
唱滿(シヤウマン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、標記語「唱滿」の語は、未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

細金彩色絵像各一輻薄濃墨畫一對摺写摺冩御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔至徳三年本〕

細金彩色繪像各一鋪([輻])薄濃墨繪()一對書寫摺寫御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦眞言〔宝徳三年本〕

細金彩色畫像各一薄濃墨畫一對書冩摺冩御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念真言〔建部傳内本〕

細金彩色繪像各一(フク)薄濃(ダミ)墨畫一對書冩摺写妙典轉讀般若讀誦經王(ワウ)勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔山田俊雄藏本〕

(ホソ)金彩(サイ)絵像各一薄濃(ダミ)墨畫(スミヱ)一對書寫御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔経覺筆本〕

細金(ホソカネ)彩色(サイシキ)繪像(エサウ)一鋪(フク)薄濃(ウスタミ)墨畫(スミエ)一對(ツイ)書寫(シヨシヤ)摺写(シツシヤ)御經轉讀(テントク)般若(ハンニヤ)讀誦(ドクシユ)經王(コン)()唱滿(シヤウマン)陀羅尼(タラニ)念誦(シユ)(シン)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「唱滿」と記載し、訓みは、文明四年本に「シヤウマン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「唱滿」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「唱滿」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「唱滿」の語は未収載にして、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

534勤行秘密法唱滿陀羅尼 々々々梵語也。即総持之義也。〔謙堂文庫藏五一右B〕

とあって、標記語「唱滿」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

勤行(ゴンギヤウ)秘法(ヒボウ)唱滿(シヤウマン)陀羅尼(タラニ)念誦(ネンジユ)〔下28オ二〕

とあって、この標記語「唱滿」とし、語注記は「常の如し」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

陀羅尼(だらに)唱滿(しやうまん)滿陀羅尼唱滿とハ一部の經をこと/\く讀終る事をいふにや疑し。陀羅尼といふも經乃名なり。〔75ウ八〜76オ六・七〕

とあって、この標記語「唱滿」の語をもって収載し、語注記は、「唱滿とハ一部の經をこと/\く讀終る事をいふにや疑し」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)し陀羅尼(だらに)唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也。▲唱滿( ― )(こゝ)にハ陀()羅尼經全部(せんふ)を讀果(よミはつ)るをいふとぞ。〔55オ一〜55ウ八〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)。▲唱滿( ― )(こゝ)にハ陀羅尼(だらに)經全部(せんふ)を讀果(よミはつ)るをいふとぞ。〔100オ四〜五〕

とあって、標記語「唱滿」の語をもって収載し、その語注記は、「唱滿( ― )(こゝ)には、陀羅尼(だらに)經全部(せんふ)を讀果(よミはつ)るをいふとぞ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「唱滿」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』にも、標記語「しょう-まん唱滿】〔名〕」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しゃう-まん〔名〕【誦満唱満】神仏を供養するためなどに経文か陀羅尼を読誦(どくじゅ)して、予定の巻数を完了すること。*古今著聞集(1254)一五・四八四「前生に、法花経六万部読奉らんと願をおこして<略>其願を誦満せむがために、猶誦する也。*庭訓往来(1394-1428頃)「勤行秘法、唱満陀羅尼、念誦真言、称名念仏」*玉かがみ(1662)「いはんや唱満(シャウマン)の人においてをや」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
十七日被果之□、一於西院可奉唱満尊勝陀羅尼一千遍事、文亀三年九月十七日被果□一於不動堂可奉誦満慈救呪可奉誦満慈救呪一洛叉事、同日被果畢、右三ケ条立願志趣者、為社頭繁栄、庄家無事、寺内安全、人法紹隆、所奉立願如件。《『東寺百合文書・を函』文亀元年九月吉日の条499・7/147》
 
 
2004年06月06日(日)晴れ一時雷雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA→VIA SALARIA(?)。
秘法(ヒホウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「飛」部に、「秘計(ヒケイ)。秘事(ヒジ)。秘曲(キヨク)。秘術(ジユツ)。秘蔵(サウ)。秘密(ミツ)。秘書(シヨ)。秘本(ホン)。秘藥(ヤク)。秘方(ハウ)。秘傳(デン)。秘鍵(ケン)心經之秘ノ弘法作」の十二語を収載するが、標記語「秘法」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對摺写摺冩御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔至徳三年本〕

細金彩色繪像各一鋪([輻])薄濃墨繪()一對書寫摺寫御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦眞言〔宝徳三年本〕

細金彩色畫像各一薄濃墨畫一對書冩摺冩御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念真言〔建部傳内本〕

細金彩色繪像各一(フク)薄濃(ダミ)墨畫一對書冩摺写妙典轉讀般若讀誦經王(ワウ)勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔山田俊雄藏本〕

(ホソ)金彩(サイ)絵像各一薄濃(ダミ)墨畫(スミヱ)一對書寫御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔経覺筆本〕

細金(ホソカネ)彩色(サイシキ)繪像(エサウ)一鋪(フク)薄濃(ウスタミ)墨畫(スミエ)一對(ツイ)書寫(シヨシヤ)摺写(シツシヤ)御經轉讀(テントク)般若(ハンニヤ)讀誦(ドクシユ)經王(コン)()唱滿(シヤウマン)陀羅尼(タラニ)念誦(シユ)(シン)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「秘法」と記載し、訓みは、文明四年本に「コン(ギヤウ)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「秘法」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「秘法」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

秘法(ヒホフヒソカ・カクス・ノリ)[平・去] 。〔態藝門1039一〕

とあって、標記語「秘法」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

秘法(ヒハウ) 。〔・言語進退門256四〕

秘蔵(ヒサウ) ―計(ケイ)。―術(ジユツ)。―事()。―藥(ヤク)/―密(ミツ)―法。―曲(キヨク)。〔・言語門218五〕

秘蔵 ―計。―術。―事。―曲/―藥。―蜜。―法。〔・言語門203七〕

とあって、弘治二年本に標記語「秘法」の語を収載し、他本は熟語群として此の語を収載する。訓みは「ヒハウ」とする。また、易林本節用集』に、

秘密(ヒミツ) ―計(ケイ)。―要(ヨウ)。―傳(デン)。―術(ジユツ)/―曲(キヨク)。―書(シヨ)。―事()。―藏(サウ)。〔言辞門226三〕

とあって、標記語「秘法」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「秘法」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

534勤行唱滿陀羅尼 々々々梵語也。即総持之義也。〔謙堂文庫藏五一右B〕

※国会図書館蔵『左貫注庭訓往来』・天理図書館蔵『庭訓往來註』は、古写本と同じく「秘法」と記載する。

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

勤行(ゴンギヤウ)秘法(ヒボウ)唱滿(シヤウマン)陀羅尼(タラニ)念誦(ネンジユ)〔下28オ二〕

とあって、この標記語「秘法」とし、語注記は「常の如し」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

秘法(ひほう)を勤行(こんぎやう)[「勤」の訓書込に「キン」]秘法勤行とハ精力を盡して執行する也。秘法とハ秘密の法也〔75ウ八〜76オ五・六〕

とあって、この標記語「秘法」の語をもって収載し、語注記は、「秘法とは、秘密の法なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)(ひほふ)を勤行(こんぎやう)し陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也。▲勤行ハ精力(せいりき)を励(はけ)まして執行(しゆきやう)するをいふ。秘法ハ秘密(ひみつ)の法(ほふ)也。〔55オ一〜55ウ八〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)。▲勤行ハ精力(せいりき)を励(はげ)まして執行(しゆぎやう)するをいふ。秘法ハ秘密(ひミつ)の法(ほふ)也。〔100オ四〜五〕

とあって、標記語「秘法」の語をもって収載し、その語注記は、「秘法は、秘密(ひミつ)の法(ほふ)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Fifo>.ヒホウ(秘法) 人間の力では及ばないような奇蹟的なわざ.〔邦訳230r〕

とあって、標記語「秘法」の語の意味は「人間の力では及ばないような奇蹟的なわざ」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-ほう〔名〕【秘法】(一)秘密の方法。用明天皇職人鑑(寳永、近松作)一「これ究竟の時節たり、我我が秘法を以て毒氣を吹きこみ」(二)密教にて行ふ秘密の祈?。源平盛衰記、廿五、西京座主祈?事「やや暫くありて、御返事申されけるは、何れの大法、秘法と申し候とも、是れに過ぎたる御祈?侍るまじ」古今著聞集、二、釋教「三部の大法會、諸尊別行護摩秘法を受け、秘密灌頂を傳へ給へり」太平記、一、中宮御産御祈之事「事を中宮の御産に寄せて、かやうに秘法を修せられけると也」〔1693-2〕

とあって、標記語「-ほう〔名〕【秘法】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-ほう秘法】〔名〕[一](―ハフ)秘密の方法。また、ふしぎなやり方。[二](―ホフ)@広義には眞言密教で行なう、護摩などの秘密の修法。A狭義には、密教の修法を三類に分けるその一つ。相伝によってその内容を異にするが、如法愛染・如法尊勝・如意法輪の四法を挙げるものはその一つ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
爲平家追討御祈請於鶴岡寳前聚鎌倉中僧徒、被轉讀大般若經京都又被行廿壇之秘法〈云云〉《訓み下し》。平家追討ノ御祈請ノ為ニ鶴岡ノ宝前ニ於テ鎌倉中ノ僧徒ヲ聚メ(召シ聚メ)、大般若経ヲ転読セラル。京都ニモ又二十壇秘法行ハルト〈云云〉(始行セラルト〈云云〉)。《『吾妻鏡』元暦二年二月十三日の条》
 
 
2004年06月05日(土)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
勤行(ゴンギヤウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部に、

勤行(コンギヤウ) 。〔元亀二年本233三〕

勤行(ゴンギヤウ) 。〔静嘉堂本268三〕

勤行(コンキヤウ) 。〔天正十七年本中63オ二〕

とあって、標記語「勤行」の語を収載する。語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對摺写摺冩御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔至徳三年本〕

細金彩色繪像各一鋪([輻])薄濃墨繪()一對書寫摺寫御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦眞言〔宝徳三年本〕

細金彩色畫像各一薄濃墨畫一對書冩摺冩御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念真言〔建部傳内本〕

細金彩色繪像各一(フク)薄濃(ダミ)墨畫一對書冩摺写妙典轉讀般若讀誦經王(ワウ)勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔山田俊雄藏本〕

(ホソ)金彩(サイ)絵像各一薄濃(ダミ)墨畫(スミヱ)一對書寫御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔経覺筆本〕

細金(ホソカネ)彩色(サイシキ)繪像(エサウ)一鋪(フク)薄濃(ウスタミ)墨畫(スミエ)一對(ツイ)書寫(シヨシヤ)摺写(シツシヤ)御經轉讀(テントク)般若(ハンニヤ)讀誦(ドクシユ)經王(コン)()唱滿(シヤウマン)陀羅尼(タラニ)念誦(シユ)(シン)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「勤行」と記載し、訓みは、文明四年本に「コン(ギヤウ)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「勤行」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「勤行」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

勤行(ゴンギヤウ、ヲコナウキンカウ・ツトム、ユク・ツラナル)[平・去] 。〔態藝門690一〕

とあって、標記語「勤行」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

勤行(ゴンギヤウ) 。〔・言語進退門190二〕〔・言語門145八〕

勤行(ゴンキヤウ) 。〔・言語門155八〕

とあって、標記語「勤行」の語を収載する。訓みは「ゴンギャウ」と「ゴンキャウ」。また、易林本節用集』に、

勤行(ゴンキヤウ) ―修(シユ)。―苦()。〔言辞門159四〕

とあって、標記語「勤行」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「勤行」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

533讀誦勤行 看文曰讀也。不忘曰誦也。〔謙堂文庫藏五一右A〕

とあって、標記語「勤行」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

勤行(ゴンギヤウ)秘法(ヒボウ)唱滿(シヤウマン)陀羅尼(タラニ)念誦(ネンジユ)〔下28オ二〕

とあって、この標記語「勤行」とし、語注記は「常の如し」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

秘法(ひほう)勤行(こんぎやう)[「勤」の訓書込に「キン」]秘法勤行とハ精力を盡して執行する也。秘法とハ秘密の法也〔75ウ八〜76オ五・六〕

とあって、この標記語「勤行」の語をもって収載し、語注記は、「勤行とは、精力を盡して執行するなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)勤行(こんぎやう)し陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法