2001.06.27[国語史]

13.後宮の光と影『源氏物語』(53頁〜55頁)

―光源氏は年金受給者・落ちにくい女・宮内庁にある完本―

光源氏は年金受給者 インターネット古典

源氏物語五十四帖(じょう)には、お金の話しがまるっきり出てきません。たいていの書物には必ずといっていいくらい、男女の色気のことがあり、同時に必ず金銭のことも出てくるのに、源氏は色気ばかりです。あれだけ遊んだ光源氏のことだから、お金もずいぶんかかっているでしょうにね」

 庶民経済史という一風変わった分野の権威・冨子(とみこ)勝久氏(東京女子大・資料室)は、父祖の家業が大阪の両替商だったところから、お金の歴史に興味をもつようになり、いかなる本を読むときにも作者や登場人物がどうしてお金をもうけたか、どうして生計を立てたかを気にしながら読むクセがついてしまったという。たとえばが風景画を描けたのは、女房が着物やかんざしを売って旅行費用を工面したからであり、「東海道五十三次」のごときも官費旅行だから可能だったのだ、という調子だ。

「光源氏は、大宝律令による皇親(皇族)だから、位階と俸給が与えられます」と、冨子氏は説明する。「さらに皇族としての体面維持のため、王禄という特別手当が支給されるので、裕福だったんですね。いうなれば、高額年金受給者です」

 皇族は天皇から五代の間であるが、藤原政権はしだいに受給資格者の増加に悩まされるようになり、対策として早目に臣籍に降下させて源氏または平氏の姓を与え、支給を停止してしまった。しかし、光源氏のような初代の臣(一世源氏)だけは終身皇族待遇とした。そのうえに荘園からの収入も保証されたから、彼としても十数人の女性のめんどうを、生涯みてやることが可能だったのである。

 もっとも、彼の愛した女性たちも、おおむね経済生活には恵まれていた。英国人で平安朝時代の研究家アイヴァン・モリス博士は、当時の上流女性の多くが荘園の相続権をもっていたおかげで、経済的な自立も不可能ではなかったと指摘している。

 要するに光源氏の場合、死ぬまでお金の心配がなかったので、もっぱら女遊びに精を出したのだ――と、冨子氏は結論する。ずいぶん散文的な読み方のようだが、日常の生活感覚をたいせつにするのは正しい。文学は人間生活の一面だが、それはまた生活全体と有機的につながっているからである。

落ちにくい女

「いづれの御時(おほんとき)にか、女御(にようご)・更衣(かうい)あまたさぶらひ給ひけるなかに、いとやんごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり」(『源氏物語』冒頭文章)

 女御は后の下で当時四、五人、更衣はさらにその下の階級で二十人前後。要するにハーレムである。前者は大臣の姫、後者は大納言の姫という出身だが、そのなかにも家格の差がある。問題の更衣〔桐壷(きりつぼ)〕は、家柄はさほどではなかったが、すぐれて寵愛(ちよう―)を受けていたというのである。

 それにしても閉鎖的な女性社会だから、陰湿なことはおよその見当がつく。

「参(ま)うのぼり給ふにも、あまりうち頻(しき)る折々は、打橋(うちはし)、橋殿、ここかしこの道に、あやしきわざをしつつ、御送り迎への人の衣(きぬ)の裾(すそ)堪へがたう、まさなきことゞもあり」

 桐壷が帝の寝所へ通う廊下に、汚物をまきちらして妨害したというのである。そればかりか、中廊下の出入口に錠をおろして閉じこめてしまったことすらある。「みやび」などとは縁遠い、重苦しい人間関係である。

 重苦しいといえば、瀬戸内晴美さんが、当時の女性たちが身長を一尺も越すような髪をどう扱っていたのか、という疑問を呈していた。洗髪しようものなら、重くて痛くていられない。男と寝るときも、興奮したらしわくちゃになって、躰(からだ)にまきついてしまうだろうというのである。このようなことを調べた歴史家も、一人もいないらしい。

 長い長い黒髪が裸身にまとわりついているさまは、なかなかエロチックにはちがいないが、女性の立場からすればわずらわしかろう。昼の装束にしても、極端な場合は二十枚も重ね着をするなど、きわめて非活動的なものだった。およそこうした生活様式から想像されるものは、発散の機会もなく内へ内へとこもっていく感情であろう。単純な嫉妬(しつと)は怨恨(えんこん)となり、燃え盛るような瞋恚(しんい)に成長する。内裏の女官が皇太后宮の下人と大乱闘を演じるなどという事件もあったいうから、嫉妬に目がくらんで廊下に糞尿(ふんにょう)をまきちらすなどは、さして異常なことでもなかったのだろう。桐壷はこのような恨みの総攻撃を浴びて、光源氏を産み落とすと間もなく死んでしまう。

 ――作者の紫式部もそうした女性社会の一員である。ただ、彼女はその社会に埋没しきれない醒(さ)めた意識をもっていた。女房〔侍女格〕としての同輩・清少納言のことを、「高慢ぶった軽薄な女」と酷評しているように、彼女自身は一見なにを考えているかわからない、陰険なムッツリ型で、周囲の反感を買っていた。ただし、異性の見る目は別で、好色な男たちの注目を十分ひくだけの魅力を備えていた。時の権力者である御堂関白藤原道長に求愛され、一度はハネつけたほどである。

 貧しい貴族の家に生まれ、愛する夫に死別したが、文才を見込まれて宮仕えに入る。すでに三十歳に近い。貴族の娘にとって、後宮は憧(あこが)れのスターダムであったが、いざ入ってみると、そこは権謀術数の渦巻く政治的な社会であり、そのうえに「はじめより『われは』と思ひあがり給へる御かたがた」の暗闘がくりひろげられていた。

 要領のよい女ならば、適当に権力者にとりいるところを、誇りが許さない。ふだんが緊張状態なのである。そうした緊張からのがれるためにも、彼女は“もう一つの世界”――フィクションの世界をつくりあげねばならなかった。

 舞台は彼女の現に住むところの宮廷であり、方法は写実である。それでいてフィクションなのだ。物語を執筆しているとき、彼女は明らかに二つの世界に生き、その間を徃(い)きつ戻りつしていたのだろう。現実は夢に似、夢はしばしば現実以上の迫真性を帯びて彼女のまわりにひろがっていく。醒めた人間が夢を見るには、それしかないのである。

 紫式部は長和三(一〇一四)年ごろ、『源氏物語』の完成後まもなく死んだと推定されている。三十七、八歳だろう。二つの世界のどちら側で死んだのだろうか。

宮内庁にある完本

源氏物語』五十四帖、原稿用紙にして二千六百枚。その時代までに、海外ではギリシャ文学と中国の詩文以外には、ろくなものは生まれていない。なにはなくとも日本が、これだけは世界に誇ることのできる文化遺産だ。欧米での評価も高く、英訳本が出ている。

 全体は三部に分かれるとされ、第一部は光源氏の誕生、桐壷の死、継母藤壷との成さぬ恋、空蝉(うつせみ)や夕顔など人妻との恋愛遍歴を経て、光源氏が准太上(じゆんだじやう)天皇の地位につくまで。第二部は正妻紫の上の苦悩、朱雀院(すざくゐん)の寵妃〔女三宮〕をめぐる葛藤(かつとう)、光源氏の出家までを扱う。第三部は源氏関係者の後日譚で、宇治十帖といわれる。浮舟(うきふね)という女性の悲劇的な末路には、王朝の女性の衰亡が予見されている。

 紫式部自筆の原本は伝わっていない。当時は彼女が書くそばから筆写され、争い読まれた。このためいくつかの異本が生まれたが、鎌倉時代に源親行の校訂した河内本と、藤原定家による青表紙本が代表的なものだ。現在宮内庁書陵部にある一揃(そろ)いは青表紙本の系統で、室町中期に三条西実隆により筆写されたものと推定され、縦横十七・四pの升型胡蝶装(こてふそう)〔粘葉装に同じ。紙を一枚ごとに本文を内にして両切りし、折目の外側にノリをつけて重ね合わせる〕、本文は鳥の子紙だ。

源氏物語』の文章は、平易とはいいがたい。そこで口語訳が出ている。明治四十五年の与謝野晶子いらい、谷崎潤一郎、窪田空穂、吉沢義則、円地文子その他の業績が知られている。口語訳で読むと現代小説と錯覚するほど、めざましくも新鮮な作品である。

補遺》『源氏物語』諸本とHP

 『源氏物語』対訳

 『源氏物語』(Browse by chapter of Genji Monogatari:)

 『源氏物語』

 『源氏物語』アカデミー

 『源氏物語』〜十四人の姫〜 『源氏物語』六條院の生活

補遺》人物像 紫式部のHP

紫式部・源氏物語作中人物のエピソード 紫式部の世界(金子享佳さん)  紫式部の生涯

仙人万首紫式部 紫式部像をさぐる 紫式部の墓

紫式部 紫式部 紫式部 紫式部 紫式部 紫式部 紫式部『源氏物語』

補遺》ゆかりの地

平安ロマンを綴った紫式部の邸宅址を訪ねる 廬山寺

補遺》博物館展示資料関係 国宝源氏物語絵巻

へのアクセス

《その他》千年の恋 ひかる源氏物語ホームページ