2000.05.01入力

17『堤中納言物語』―王朝人のいぶき―[98頁]

古代⇒「男の“色香”」「近代的性格の女人」「写本は五十部以上

男の“色香”」成立年代は、平安中期から後期。作者は未詳(単数か複数か、はたまた男か女か?近世以前までは、堤中納言なる人物を想定し、延喜時代の堤中納言兼輔と考えてきたが、明治時代の研究が進むによって、この説は否定され、昭和14年、平安歌合の集成である『類聚歌合(ルイジュウうたあわせ)なる書物のなかに、本書の一編の題名とその作者が記述されていることが発見され、「逢坂越えぬ権中納言」の一編は、六条斎院?(バイシ)内親王(1039年生)に宮仕えをしていた女房小式部(こしきぶ)の作ということが判明した。このことから、最近の通説では、その他何人かの複数による短編集アンソロジーというのが通説になっている。この作品の特徴は、世界初の短編小説集。その洗練された作家的技巧が話題を呼ぶ。さて、小式部の作である「逢坂越えぬ権中納言」は、当時貴族社会に流行していた根合(ねあわせ)《菖蒲の根の長さを競い合うゲーム》を背景に、心密かに思いをよせる姫君に接近しながらも、最後の一線である“逢坂”を越えられぬ男権中納言の心理を描いた作品である。歌を贈って近づこうと試みるのだが、色よい返事がもらえない。とうとう恋の狂おしさに耐え切れずに六月の宵に姫君の邸に押しかけて行く。姫君はためらいがちに、「さりとてもののほど知らぬやうにや」(逢ってあげなくては、情け知らずの女と思われまいか)と心を砕き、妻戸をあけて男に対面する。その瞬間中納言の衣服に焚きこめていた香が匂って、離れたところからでも、うつる心地がする。原文「うちにほひ給へるに、よそながらうつる心ちぞする」――という“男の色香”の描写に、作者小式部のもつ女性特有の官能がこめられている気がする。「なまめかしう心ふかげに聞えつゞけ給ふことゞもは、奥のえびす(陸奥の蝦夷)も思ひ知りぬべし」

近代的性格の女人」男はとにかく真剣なのだ。「たゞ一言(ひとこと) 聞え知らせまほしくてなむ。野にも山にも」{たった一言胸の思いをうちあけたくってまいりました。いまは、野や山に迷うような気持ちです}といい、涙ぐむ。

 姫も男の真情にふれて困惑するが、「心つよくて」夜明けまでついに肌を許さなかった。そののき男が詠んだ歌一首。

うらむべき かたこそなけれ 夏ごろも うすきへだての つれなきやなぞ

《誰も恨むべくもないが、夏衣のごときこの薄い隔てが、とりのけられないのはなぜなのでしょうか?》というのである。話はこれでお仕舞なのだが、「うすきへだて」という表現が鮮やかな残像として訴えてくる。もともとこの権中納言自身が“色好み”にすぎないのならば、かくも「夏ごろものような薄き隔て」を感受するデリカシーはなかろう。無意識にせよ、女人の主体性を重んじ、決定的な行動をためらうのが恋愛と言うものである。彼はこうした女人の感情を理会しうる知性と自己抑制の心とを兼ね持ち合わせた貴人(あてひと)なのである。そして、姫君もその場の雰囲気に押し流されるようなひ弱な心の持ち主ではない。「心つよくて」という一句には、この姫君の女人の有する内面的な厳しさが簡潔に表現されていると見る。

 このような女人の強靭な心の機微を描いた譚(はなし)に、有名な「虫めづる姫君」があり、『堤中納言物語』といえば、この作品が示される。

ヒロインである按察使(あぜち)大納言の姫君は、年ごろになっても身なりをかまわず、おまけに気味のよくない虫どもをこよなく可愛がっている。決して好奇色のなせる業ではなく、あくまでも科学的探究心に心寄せるからだ。「人々の花蝶(てふ)やとめづるこそ、はかなくあやしけれ。人はまことあり、本地(ほんち)たづねたるこそ、心ばへをかしけれ」《人々が花や蝶などきれいなものばかりもてはやすのは浅薄なことだ。人間と言うものは、もっと誠実さがあるべきで、物事の本体を究明することこそ尊い》というのである。

 私は、この一節を読んで、いきなり近代小説に接したような驚きを感じた。当時、すでにこのような考え方をする女人が本統にいたかどうかは、あえて問わない。作者がこうした認識型の女人を創造し、これに血肉を与えたということに、この平安朝文化の広がりを見るのである。そのことは、ある上達部(かんだちめ)の御曹司(おんぞうし)が姫の個性に興味を抱き、帯を蛇そっくりにこしらえて、動く仕掛けにし、文(ふみ)をつけて贈るところではっきり見えてくる。女房たちが驚き騒ぐのを、姫は外見上は落ち着いた面持ちで念仏を唱え、「生前のおや()ならん、な騒ぎそ《お騒ぎでない》」と窘めるのだが、その声は震え、顔はそっぽを向いている。「立ち処(どころ)居処蝶のごとく(落ち着かず)、せみの声(蝉声)にのたまふ声の、いみじうをかしければ、……」という作者の表現描写は的確そのものである。気味のよくない生き物に、感性ではなく、知性で接していた女人としての限界が、微妙なタッチで描かれている。とどのつまり、姫はこの男に「契(ちぎり)あらばよき極楽にゆきあはむまつはれにくし虫のすがたは」《ご縁があれば極楽で逢いましょう。その長虫の姿ではまつわりにくいですからね、》と返書を送る。しかも、ゴワゴワの紙にしたためて……。

写本は五十部以上」「虫めづる姫君」の作者は、この主題の斬新さといい、女人に対する鋭角的な観察といい、どうも男性ではなかろうか?姫君の容姿も、「口つきも愛敬(あいぎやう)づきてきよげなれど、歯ぐろめつけねば、いと世づかず《世間並みではない》。化粧したらばきよげにありぬべし」とか、「かくまでやつしたれど《身なりはかまわぬが》、みにくゝなどはあらで、いと樣異(さまこと)に、あざやかに気高く、はれやかななるさまぞあたらしき」などとある。男はかえって、こういう女人に色気を感じるのだ。

 その他の作品は、まず筆の立つ女房が書いたのであろう。たとえば、姫君とまちがえて老尼を盗み出す男の失敗談「花桜折る少将」、姉妹が偶然の過ちから、互いに男をとりかえてしまう話「思はぬ方にとまりする少将」、新しい女ができて妻を捨てようとした男が、つい哀れになって再び元の鞘におさまるという話「はいずみ」などである。とりわけ、この「はいずみ」は、『伊勢物語』第23段「筒井筒(つついづつ)」のエピソード、つまり浮気な男が女人のもとに行こうとすると、妻が「風吹けば沖つ白浪たつた山夜半には君がひとり越ゆらん」と詠むのを聞いて胸がしめつけられ、妻のいとおしさをあらためて知るという挿話と同系統のもので、いかにも女人好みの主題作品である。

堤中納言物語』の原型は定かではない。現在伝わるところの五十点以上の古写本にも、これは最善本というものはない。故池田亀鑑博士の所蔵本は、近世初期の姫路侯榊原忠次の旧蔵で、二冊本、藍色の市松模様の表紙中央に、『堤中納言物語』とあって、大きさは縦271×横201センチである。もう一つ元浅野侯爵の所蔵本で現在広島大学付属図書館に伝わる十冊本で、黄褐色表紙に薄褐色の雲形模様が入っている。本文の紙質は、薄い美濃紙、大きさは縦28×205センチである。

 王朝文学作品は、『源氏物語』や『宇津保物語』などを例にとるまでもなく、長編が主流である。そうした作品群のなかで、人生の断片を一つの限られた時間や視覚のなかに切り取ってみせる短編ならではの魅力あふれる文体は、まさに異色作品と呼ばれるにふさわしく、なぜこのような構成形態が編まれたのか興味を持たないではいられない。福永武彦氏は、これが絵巻物の短い詞書から成長したものであろうと、という説を立てている。

 それはともかくこの書物、心閑かに一夜に一編ずつ味わえば、王朝人の生活とその息吹にふれる思いがすることだろう。