2001.05.28[文献資料を読む]

古典作品とその原典

―その1 紀貫之『土左日記』のばあい―

原典とは

 現在の私たちが古典作品を読む場合、どのような形態のテキストを用いているのであろうか。一般的な趣味として「日本古典」とつきあっていくとき、現代語訳の原文が両方記載されているテキストをまず選ぶであろう。その拠り所としては、小学館『日本古典文学全集』や新潮社『日本古典集成』を用いたりする。そして、古典作品を原典にもっとも近い形態で読みたいと考えたとき、岩波書店『日本古典文学大系』、『新日本古典文学大系』を選択する。

 さらに、日本古典文学作品を研究しようとする学問の徒にとっては、特殊なテキストを読むことになる。それは、原典により近づくことにもなる。その原典が写本乃至版本という状態にあるものの場合、その影印資料を用いるのである。その原典に最も近いとされる資料を現在の文字に復元し、学問的方向性と結論を導きだすことをめざす。

 その原典資料は、天下の孤本と呼ばれるものもあるが、その多くは数多い転写本版本類が存在している。その最大なるものが流布本と呼ばれるもので、平安時代に成立したとされる『源氏物語』では、『国書総目録』(岩波書店刊)を繙くに、なんと百数十部もの伝存本の資料があることに気づく。この多くのなかから最良の善本と呼ばれるものを選択し、原典遡源のクリティークを施し底本にして、他伝存本との校合を示す。こうした証本研究をもとに古典文学作品の研究がなされてきているのである。

 今日、その資料の多くは、電子化テキストとかテキストデータベースという形態で、その原型をすべて示したものが誕生しつつある。その一つに、『源氏物語』の電子化テキストがあり。市販されているものとインターネットを通じて無料公開されているものとが存在する。

 前者では、

    1. 源氏物語本文研究データベース〔統計数理研究所・村上研究室編〕勉誠出版 CD版 ¥9800E
    2. 古活字版 源氏物語 九州大学所蔵本〔九州大学附属図書館研究室開発室編・監修,解説 今西祐一郎さん〕勉誠出版 CD版 ¥9800E
    3. 古典大観 源氏物語 〔伊井春樹さん〕角川書店
    4. 大正大学附属図書館 源氏物語写本〔公開資料〕

復原のみちのり

 日本最初の勅撰和歌集である『古今和歌集』の編者、紀貫之をかな文藝の創始者と表現する『土左日記』については、江戸時代以来、本文研究が続けられてきている。この研究手続き情報を確認するに、鎌倉時代にあっては、御物として蓮華王院(現在の三十三間堂)に著者紀貫之の自筆『土左日記』(原本)が秘蔵されていて、これを当時の藤原定家が書写した。いわゆる定家本で加賀前田家尊経閣文庫(日本古典全集に与謝野寛・正宗敦夫対校した翻刻がある)に現存しているということである。

 その奥書に、

    1. 文暦二年乙未五月十三日乙巳、老病中、雖眼如盲、不慮之外、見紀氏自筆夲蓮華王院宝蔵本
    2. 艸紙白紙不打無堺高一尺一寸三分許、廣一尺七寸二分許紙也。廿六枚、無軸。
    3. 表紙續白紙一枚。端聊折返。不立竹無紐
    4. 有外題、土左日記貫之筆※「土」の字増画の点あり
    5. 其書様、和歌非別行、定行に書之。聊有闕字、歌下無闕字、而書後詞。
    6. 不堪感興、自筆写之、昨今二ケ日終功         桑門明靜
    7. 紀氏
    8. 延長八年任土左守、在國載五年六年之由。
    9. 承平四甲午五乙未年事歟。
    10. 今年乙未暦三百一年、紙不朽慎、其字又鮮明也。
    11. 不讀得所所多、亦任本書也。

  国宝『土左日記』(「土」の字は、正しくは増画の点を付す「つち/ト」、因みに「左」の字を人偏のついた「佐」と書かないことも知られるところだが、近年の岩波書店から発行されている新古典文学大系において、『土佐日記』と標記していること、これが何を根拠としているのかを考えておく必要があるまいか)である。参考として

 

 文暦二年は西暦一二三五年定家七十四歳、不慮すなわち思いがけなくも蓮華王院に秘蔵されてきた紀貫之自筆『土左日記』を見ることができ、老病のこともあってか眼を患っていたが、「不堪感興」あまりの珍しさに、感極まり、自らの手でそれも二日を費やして書き写したというのである。だが、定家が書写したところの原本は、室町時代の応仁の乱を契機にその行方があきらかでなくなってしまうのである。そのため、江戸時代の『土左日記』の研究は、この定家本を元にその転写がなされていく。

 この経緯をつぶさに見ておく必要もあろう。

江戸時代の『土左日記』研究書としては、北村季吟『土左日記抄』、冨士谷御杖『土左日記燈』、香川景樹『土左日記創見』が知られ、定家本を主たるものとしている。

近代の『土左日記』研究書としては、山岸徳平博士校訂『校註日本文学大系』、池田亀鑑博士校訂『土左日記』(岩波文庫)、が知られ、定家本を主たるものとしている。

専門分野における影印本(写真複製した本)では、

 松尾聡博士校訂、三条西家旧蔵三条西実隆筆本、天文二十二年書写本『土左日記』武蔵野書院

 萩谷朴博士校訂、青谿書屋本、藤原爲家筆本近世初期模写本『土左日記』新典社

 鈴木知太郎博士校訂、延徳本、松木宗綱筆本、慶長五年書写本『土左日記』笠間書院

の三種が知られ、いずれも定家本を用いていない点に注意されたい。なぜ、定家本を用いていないのだろうかというのだが、原典に最も近い系統の書写夲を最良とする傾向を見て取れよう。そして、そのなかでも書写年代の古いものを選択するのが通例となっている。常識的に考えれば、この選択条件をクリアしている定家自筆本『土左日記』を近代の影印校訂者すなわち、『土左日記』研究の専門学者の眼でとらえたとき、その価値が上記三書に劣るものであることを示唆しているにほかならない。そして、その翻刻としては爲家自筆本は、川瀬一馬校注『土左日記』(講談社文庫)、鈴木知太郎校注『土左日記』(岩波文庫)などが知られている。

 それと同時に、近年幻の書とされていた原本に近い爲家筆本がふたたびこの世に公開された。現在、大阪青山学院大学附属図書館が所持するところの国宝『土左日記』である。

復原のすすめ

 ここで、三条西実隆筆本藤原爲家筆本松木宗綱筆本が転写本でありながら、定家自筆模写本(引き写し本)を勝っているのかということである。書写者定家の体調も考慮せねばなるまい。すなわち、書写態度(書写者の教養・厳密性と精緻性・本文の理会度・書写の意図目的・作品資料への価値的判断能力など)をもって、その証本性が問われているのである。このことは、定家が書写したすべての作品資料について再吟味されるべきもであることをも示唆している。

定家の書写と同じく、松木宗綱筆本は、貫之自筆原本から延徳二年(一四九〇)に松木宗綱が書写していたことが判明した第四の発見本である。延徳本と呼称され、宮内庁書陵部所蔵本(「大日本史料」第一編之六に所収)である。

 

<已下続行>