礼文島(れぶんとう)の地名
1.レブンシリ「沖島」:モシリトウとある島である。
周囲十六里(約62Km88m)或十一里三十五間(約43Km644m)]とある。(D)
2.[〔町名の由来〕アイヌ語の『レプンシリ』(「沖の島」の意)の転訛による。(C)
3.沖の(レブン)、島(シリ)意味のレブンシリというアイヌ語から。(H)
参考資料一覧
(A)栃木義正 「北海道地名一覧」 自費出版
序8より.「地名の起源」については諸説のある場合があるので、その一説を記して、できる限りその出所を各項目の末尾に( )で示した。
(1) 山田秀三 「北海道の地名」
昭和59年,北海道新聞社(2) 「北海道駅名の起源」
昭和48年,日本国有鉄道北海道総局
(3) 更科源蔵 「アイヌ語地名解」
昭和57年,みやま書房(4) 永田方正 「北海道蝦夷語地名解」
昭和47年,国書刊行会(5) NHK北海道本部
「北海道地名誌」 昭和50年,北海道教育評論社
(6) 「道内の地名誌」 北海道新聞に掲載
(B)角川 日本地名大辞典 1 北海道 上巻
(C)角川 日本地名大辞典 1 北海道 下巻
(D)松浦竹四郎 東西蝦夷「山川地理取調圖」(草風館版)
「緯四十五度 経六度
從西部テシホ領ホロヌフ
到ソウヤ領ヲン子ヲマナイ 併リイシリ レフンシリニ島」
(E)小田桐清実 「島の風土記 礼文・利尻」 自費出版
(F)高津信行(編纂)「礼文町史」
(G)大場利夫・江村稔(編) 「オホーツク文化の研究3 香深井遺跡 下」
東京大学出版会
(H)更科源蔵 「アイヌ語地名解」(アイヌ語関係著作集Y) みやま書房
(I)山田秀三 「北海道の地名」
北海道新聞社(J)礼文村役場 「礼文村名称図」
(K)天保5年(一八三四年)今井八九郎信名(のぶかた)測量図六万分の一縮図
(東京国立博物館所蔵)
(L) 礼文島明細地図(明治三六年・屋号解説図付)
「山川地理取調圖」
しれとこ 「知床」 シレトコヲマナイ
◆地名はアイヌ語のシレトコ(『大地の行きづまり』の意)に由来する。 〈斜里町〉(B/3)
◆シリ・エトク=地の・突出部〈礼文島南部〉(A/1)
マナイとあるように、岬そのものの地名ではなく、シレト【ク】・オマ・ナイという川の名の下部を切り捨てて、知床と当て字とした。意味は、岬にある川、で知床にあった唯一の川に名付けられていた。(H)
ふんべ
「奮部」 フンベネフ(B/4)
◆フンベ・オマ・ナイ=死んだ鯨の寄ってくるところ〈広尾町〉(A/3)
◆フンベ=鯨〈礼文島南部〉(3)
◆フンベとは、鯨のことで、昔の生活では鯨海の大きな穀倉のようなものであった。(H)
い。(H)
◆古い地図ではフンペネプとなっている。鯨のようなもの、と言う意味。(H)
(H)
さしとじ 「差閉」 シャントシホ(ホ?)
◆チャシ・トンチ=竪穴のある城跡〈礼文島南部〉(A/F)
◆もとは、差閉と書いてチャントシスと読ませたらしい。(H)
◆地名は元・チャシュトンツらしいが、松浦武四郎は、シャントシトと記している。(H)
トの間違いならば、砦岬の意味になる。しかし、シレトがトンツになるとは考えにくい。(H)
モエンルーホ?
フウシ
?トンナイ
ウケトンナイ
カムインヤバ
ヘンヘヤントマリ
ヲシフルシコマ
ヲタントヲ
キナウシ
ヱコキネナイ
チャンウシ ?
エナオウシエンルハ
しゃくにん 「尺忍」
んむら」〈礼文町〉(B/3)
◆サク・ニン=夏に・消える?〈礼文島南部〉(A/3)
◆明治中頃の地図で「シャクニン」
であり、ニシは(空)の意味。
いりふね 「入舟」
◆水産業に従事している人が多い。〈釧路市〉(A/3)
◆明治以前に入船川近くの運上屋の沖合いに多くの船が停舶した。〈小樽市〉(A/6)
*礼文町も船に関係するのだろうか?(西村)
かいしょまえ 「会所前」
かふか
「香深」といわれる。「かふかむら」〈礼文町〉(B/3)
◆カプ・カイ=波・くだける?〈礼文島南部〉(A/1)
べきである。(H)」
◆古い地図では、いずれもカフカイだが、意味ははっきりしない。(H)
つがるちょう
「津軽町」◆津軽関係の漁場からか?〈礼文島南部〉(A/3)
◆津軽関係の漁場があったことから俗称され、今日の字名となったらしい。(H)
香深港の古名(トンナイ)と同じトーウンナイのつまったもの。(H)
したらしい。「ヘ」は頭で川上の意味。「ウケ」 は「ウ【ク】」でからまりあうの意味かと思われる。(H)
てしかり
「手然」◆てしかりしゆま テシカリシユマ(B)〈礼文町〉
◆語源は古地図によるとテシカリシュマとなっている。(H)
か、簗(テシ)を作る(カリ)という意味。礼文島ではどちらか不明。(H)
◆釧路地方に従えば、岩盤(テシカ)の、高い(リ)、石(シュマ)、 となる。(H)
かぶかい
「香深井」 カフカイ◆香深参照のこと
◆香深参照〈礼文島南部、礼文島北部〉(A/1)
チルラツハイ
トヱホエワキ
きとうす
「起登臼」 キトウシにんにく・群生する〈礼文島北部〉(A/1)
この近くにキトタトマリがあり、行者【ニンニク】をとる入江と言う意味だから、この辺一帯はキト(ト=にんにく)が多かったのであろう。(H)
キトタトマリ
チヨヘヲチナイ
ヲヘシトロヲマンナイ
ヲフカルニナイ
トコタン
ないろ
「内路」 ホンナイヲロ◆ポロ・ナイ・オロ=大きい・川・→ナイオロ→ないろ〈礼文島北部〉 (A/3)
◆内路市街のところを流れている小川の名前がポロナヨロ(おおきい川の所、の意)、
小川の出口にある入江をポロナイオロといっていたらしい。(H)
ホロナイヲロ
チセアヘシベ
ヲントカフレナイ
ヱカナイ
チエヘナイウシ
あかいわ
「赤岩」◆地名の由来は、アイヌ語の『フレチシ』(赤い岩)による。(B/4) 〈小樽市〉
うえどまり
「上泊」 ウエンドマリ◆ウエン・トマリ=船掛りの悪い港〈礼文島北部〉(A/3)
◆ウェン・トマリというアイヌ語に上泊の漢字を当てたもの(H)。
◆西海岸にも同じウェントマリがあるので、西上泊と区別して呼んでいる。(H)
◆船掛りの悪い港という意味で、岩礁があり、うっかり舟をこわしてしまう危険地帯である。(H)
チセホヤントマリ
サンヲマトマリ
リイホキ
トホサンナイ
チカルヘシベ
ヱーカル
ヤフネトマリ
たかやま
「高山」◆釧路市内の最も高地にあることから高山とつけられた。(B改・礼文島では?!)
◆高見の山から〈釧路市〉(A/6)
◆リポーチという地名があったので、それを高山と訳したものか。(H)
◆全くの日本語であるかどうか分からない。(H)
図では、サンオマトマリとチセポヤントマリという船の中間のあたりなので、チイサントマリはチセポヤントマリのなまったものと思われる。(H)
ほろとまり
「幌泊」 ホロドマリ◆地名は、アイヌ語のポロトマリ(『大きな碇泊地』の意)に由来する。(B/3)
◆ポロ・トマリ=大きい・泊地
★ほろとまりと表記〈礼文島北部〉(A/3)
かねたのみさき「金田ノ岬」 ウカウシユマ
ウカ・ウ【シ】・シュマは、岩石が積み重なっている岩、という意味。(H)
◆金田ノ岬は全くの日本語で、『金田』という人物と関係がある命名と思われる。(H)
ヘシホウシ
ヘンサイマ(所在不明!!!)
フトウシ
ヲンヨシナイホ
ウエンナイホ
ホロナイ
ヲチヤラセナイ
シヨナイ
?ヤンヘヲマナイ
タリヲタ ?
ふなどまり
「船泊」 シュトントマリ〈羅臼町〉
ヲショナイは大備の漢字表記があり、現在も大備川の河川名などに残る。船泊の地名の由来は当地がスコトン岬および金田ノ岬に抱かれた地形で、地内にベンザイ泊と呼ばれるかつての北前船の寄港があったことなどから、船泊りのから船泊へと転訛したものと思われる。「ふ などまりむら」〈礼文町〉(B)
◆船の泊場〈礼文島北部〉(A/3)
と記入していた。オションナイは河口(オ)に、滝(ソ)、のある(ウン)、川(ナイ)という言葉のつまったもの。今の久種湖と呼んでいる湖から出る川への落口が滝になっているからと思われる。(H)(←→子焚場)
こたきば 「子焚場」
◆この地名は、豊漁で鰊を魚粕にたいたのに名付けられた地名かと思われる。(H)
トマリで親のような大事な場になる。(H)(←→幌泊)
べんざいとまり「弁財泊」
えんとや 「エントヤ」
シフネトマリ
かんざき 「神崎」 カムイコタン
西海岸に突き出でいる。絶壁つづきの崎を神の崎と呼んだものかと思われる。(H)
半島の神威岬がその例)(H)
◆鮑古丹の南の絶壁の突端(H)
れる。(H)
ラフネフ
ユナンフラ
ニヲトマリ
はまなか 「浜中」
◆曲がった浜の中ごろであるから日本人が名付けたものらしい。(H)
◆他の地方にあるオタノシゲ(砂浜の中央)と呼んだのを訳したのではない。(H)
えどや 「江戸屋」
◆漁場の親方の屋号より〈礼文島北部〉(A/3)
(H)
◆大正12年の五万分の一地図ではエンドヤとなっている。(H)
◆明治30年にはカンペオトマリという地名が付いている。(H)
地名があり、最初の五万分の一地図がヤンヘヲマナイをカンペオトマリと間違えたと思われる。(H)
かったために名付けられたのであろう。(H)
しらはま 「白浜」
◆地名は砂浜があることによる。〈羽幌町〉
◆地名は海岸線の美しい景観にちなみ命名。〈厚岸町〉(B)
◆レタル・オタ=白い浜の意訳〈礼文島北部〉(A/3)
◆貝殻の浜から?〈羽幌・焼尻島〉(A/藤島範孝)
◆明治30年の5万部の1地図では、アイヌ語レタロオタとある。(H)
◆松浦地図ではレタリヲ【タ】とある。(H)
◆レタ【ル】・オタを直訳すると「白い・浜」となる。(H)
すことん 「須古屯」
◆シコトントマリ=大谷のある入江〈礼文島北部〉(A/3)
ン岬と呼んだ。→実際は、前述の二例のどちらでもなく、古い地図では、スコトン岬の西側の船入についた地名らしい。(H)
となっている。(H)
のある入江」ということになる。(H)
あわびこたん 「鮑古丹」 レフタトマリ
◆鮑を採る人々の部落〈礼文島北部〉(A/3)
◆鮑が沢山採れるので、自然鮑を採る人々の部落(コタン)ができたので名付けられた。(H)
図にはシフネトマリとある。(H)
◆沖の方にある泊地(F)
てっぷ 「鉄府」 テツブネフ
◆古名=「プネレップ」沖の方へある所(F)
フネップとなり、鉄府の字があてられたらしい。(H)
(=テフネ)もの(=【プ】」となる。 (札幌郊外の手稲と同じ。)(H)
にしうえどまり「西上泊」 ウエントマリ?
うえどまり参照
フンヘヲマナイ
チフヌカンラウシ
カムイアハ
カムイアパトマリ(H)
めしくに
「召国」 メシユナイ◆ネシコ・ウシ=胡桃の林〈礼文島北部〉
(メシコナイ?) (A/3)
or
メシコウシ
メシコニ ◆オニ胡桃のある所(F)
林)と呼んだ。ネ【シ】コニと呼ぶこともあった。これが召国となってしまった。(H)
タンネトンナイ
ルフシヤトマリ
ヲンネロキ
ささどまり
「笹泊」◆ルシャニ・トマリ=浜へ下っていく道・泊か。
★ササトマリ(漢字未表記)〈礼文〉(A/3)
◆古い地図にササトマリはない。(H)
く、舟の便しかない集落。(H)
あるということであり、絶壁から降りられる路のあったことを示す地名となる。(H)
うえんない
「宇遠内」 ウエンナイ◆ウエンベツともいった。
のぼらないことによる。〈稚内市〉(B/4)
この名があるとされる。〈抜幸町〉(B/抜幸町史)
◆またウエンナイ川は「小川船渡」とも見える。(蝦夷日記)〈抜幸町〉(B)
◆「雨煙内」〈幌加内町〉(B)
◆ウエンナン=悪い川〈抜幸町〉(A/1)
◆ウエン・ナイ(雨煙内)=悪い川〈幌加内町〉(A/1)
◆ウエン・ナイ(宇遠内)=悪い川〈礼文島〉(A/3)
◆裂け目に流れている小川の名がウエンナイである。「悪い川」の意味である。(H)
◆悪いという意味は、水質が悪くて飲料水にならないという説あり。(H)
◆人が楽に通れないという説あり。(H)
後説が正しいのではと思われる。(H)
シウシヘシ
ヲチヤラヤヤナイ ?
シユマチヤ
おばたはま
「おばた浜」
ぬまのさわ
「沼の沢」◆地名は沼があることによる。「沼ノ沢」〈夕張市〉(B)(礼文町は!)
◆沼があり、養魚池〈当別
>(A/5)◆付近の沢の中に沼があった。<夕張>(A/2)
もとち
「元地」 モトチ◆モ・トー・チャ=小さい・沼・岸?〈礼文島南部〉(A/3)
◆最も日本語的な地名。日本語であるか、アイヌ語であるかはっきりとしない。(H)
深港の所であって、元地にあった記録はない。(H)
トーチャと呼んでいたのに、元地の漢字をあてたかと思われるが、この付近に沼はない。(H)
チセツホンナイ
トヱトマリ
ヤエリリヌカシウシ
チヤシユシトマリ
ヒイサ
シユウヘシ
ウエンケフヌカ
サニナウシ
礼文町の川
知床川
トンナイ川 ◆ト・ウン・ナン=沼・がある・川(A/1)
竹岡川
香深井川
エコキナイ川
フタマタ川
トコタン川 ◆ト・コタン=沼・村「床潭」〈厚岸〉(A/3)
山本川
内路川
オチカワナイ川
沼沢川
苗圃の沢川
重兵衛川
大沢川(ホロナイ川) ◆大きい川または大切な川(F)
ア□マ川
オショナイ川(大備川) ◆オ・ソ・ウン・ナイ=川尻に・滝のある・川?〈礼文〉(A/3)
礼文島の山
オショナイ山
礼文岳
礼文島の湖
久種湖〔くしゅこ〕:オショナイ山西麓
礼文島の主要観光地名称
桃岩
断崖となって、多数の柱状およ板状節理が発達し、皮殻状を呈し、中心部付近は板状節理が著しく玉葱状をなして一大奇観を呈す。下駄履きでも容易に登ることができ、展望台からは稚内、天塩が望め、男性的な利尻島の利尻富士の姿も見え、その姿は素晴らしい。(F)
猫岩
周囲の風光に一種のユーモアを添え和やかな雰囲気を醸している。(F)
地蔵岩
が流れ込むこともあり、岩塔は割列断層がはっきりと目に入り、人工造形の感を持つほどである。(F)
礼文滝
訪れる観光客は少ない。(F)
アナマ岩
けられた。足場直下では一五メートル黒ずんだ波が大音響をたてて壮観。(F)
海馬島(トド島)
棲息していたと言うが、現在はさらに沖にある種島に冬季に現れ、時々海馬島にも上陸するトドをねらって、島のハンターが掃蕩戦を行う。現在は燈台も建設され、周辺海域は海産の宝庫と言われるだけあって、昆布、ウニ、魚族の豊富なことこの上ない。番屋は十戸ほどあって、夏期漁業の根拠地となるが、シーズン・オフは無人。最近、6月初旬ごろ島開き祭りを催すが、これは島民のレクリエーションの意味もある。昭和39年船泊港から不定期観光線が運航していたが、最近はほとんど利用されない。(F)
ロゴタノ岬
ゴロタ岬
高い。アワビコタン側、鉄府側はすべて断崖になっていて、先端に行くのも容易でない。ポンモシリの黒い岩と緑青の海の色彩は鮮やか。(F)
イナホ岬、西上泊岬
白い波と面白い対照を示し、その景観は島内においても異色とされている。(F)
久種湖、上泊山道
アイヌ青年の恋物語りを秘め、湖には明治の中頃船泊小学校の生徒が養殖したという鯉も増えフナ、雨マスなども多い。
地点不明ポイント
メノウ浜(元地付近)
澄海岬(=すかいみさき)(西上泊)
(文責:樋口敦・西村)
西村君のアドレスは、
orange@po.jah.or.jpです。礼文情報に戻る MAIN MENU