時事会計No.11

金庫株解禁と会計問題

:経済政策と会計理論

 

 02年10月27日 日経新聞

 

Key words: 金庫株、自己株式、資産説、資本控除(減少)説、自己株式処分差益、証券市場活性化対策、財務戦略、ROE・株価対策、持ち合い株の解消

 

上場企業による自社株買いが、2002年4月〜9月の半期ベースで初めて1兆円を突破した。金額の大きなところは、NTTドコモが2300億円、トヨタ自動車が1600億円で、この2社で全体の1/3になっている。購入上限の設定枠の合計額は(新興3市場を含めて)9兆5千億ほどで、2002年度に実際に自社株を購入する金額は3兆円まで膨らむとの予想もある。ちなみに、この自社株の設定枠の株式時価総額に対する比率をみると、日本は2001年から3%に急上昇し米国の1%を逆転しているのが注目されるが、市場の関心は実際の実施率にある。

いずれにしても、その背景には買った自社株を手元に置いておける金庫株(treasury stock)が2001年の10月から解禁になったことに起因する。いったん手元に置いて(金庫にしまう)、あとで様々な目的に利用できるという利便性(機動性)があるわけだが、マクロ的には証券市場活性化対策(株価対策)、またミクロ的には財務戦略(ROEの向上)、持ち合い株の解消の受け皿になるなどの背景が指摘される。

ただ、一連の商法改正およびそれに伴う新たな会計処理はそれらのマクロ・ミクロの政策(ないしは政争)の具と化しているのもまた事実であり、ここに商法改正の意義と問題点、および会計理論上の問題点を検討しておく必要があるといえる。ちなみに2001年6月の商法改正(金庫株の解禁)は経済界(経団連)の要請を受けた議員立法によって急ピッチに成立したものである。この点で、以前に取り上げた土地再評価法(時事会計No.7参照)と軌を一にしているといえる。

煎じて言えば、経済政策(株価対策)→商法改正→会計・監査という一連のながれで、その逆方向の力が作用しないのが気がかりである。商法学者、会計学者の力量ないし姿勢が問われるわけである。そのことを意識して、とくに会計理論からの問題点について考えてみたい。

 

関連記事:7/18〜20、6/6、5/13(夕刊)、4/28,2/5など(いずれも日経新聞)

 

@自己資本の変動化と資本と利益の区分の曖昧さ:今日の企業会計のあり方をみるとき、貸借対照表貸方の「資本の部」にその特質が如実にでていることに気づくだろう。それは、端的に言えば、今日の時価会計の影響を受けた「(自己)資本の変動性」という特徴である。そして、その内容を吟味すれば、資本(資本金および資本準備金)と利益(留保利益)の他に、つまりT資本金、U資本剰余金、V利益剰余金の他に、持ち合い株の時価評価に代表されるWその他有価証券評価差額金、土地再評価法によるW土地再評価差額金が独立項目で表示されているところにその特質がでているといえる。いずれも借方の特定資産の時価評価による時価変動差額が貸方側の資本に計上されているのである。ちなみにいえば、この点ではでは大手銀行の巨額の「繰延税金資産」にみあう「税効果資本」(時事会計No.12参照)も同じである。

ここで、それらが独立項目として表示されていることにどのような意味合いがあるか、このことを吟味する必要がありそうだ。「資本と利益の区分」という企業会計のもっとも重要な原則からすれば、T資本金、U資本剰余金(以上が資本)、V利益剰余金(利益)以外の独立項目をたてる根拠はみあたらないはずだからである。その意味で、この2つの独立項目は資本と利益の区分の曖昧さを象徴しているといえる。

そして、それが今日の(本来的に資本・利益計算として出てきたものでない)ストックの価値評価を志向する「時価会計」に起因していることにも十分注意する必要がある。さらにいえば、それらは純然たる会計理論(それがいかなるものかが問題なのだが)に基づくものではなく、時々の経済政策の要請を受けたものとして出てきていることにも十分注意しなければならない。

ちなみに、証券市場活性化策とか株価対策といっても、現実の株価は低迷したままであり、その点で何の効果もあがってはいない。目に付くのは、そうしたアドホックで短期的な対策に翻弄されて続けている会計である。証券市場を活性化させる本筋は、そうした小手先の策ではなく、実物資本の方を活性化させることではないか。実物から遊離したものをいくらいじってみても、本来の目的はたっせられないように思える。会計の側もその本来の目的にてらして、より主体性をもつ必要があるといえる。

A自己株式処分差益の性格:この資本と利益の曖昧さは、自己株式を処分したときにも現れる。すなわち、従来(2001年の商法改正以前)、自己株式は他会社の株式と同様に資産であり、その売却損益は営業外損益として会計処理されてきた(「資産説」)。ところが、商法改正後に資本の減少(減資)と考えるようになり(「資本控除(減少)説」)、その処分に伴う処分差益は資本剰余金(U資本剰余金のなかの「その他の資本剰余金」の1項目)となった。資産→処分→利益(損益取引)が、一転して資本→処分→資本剰余金(資本取引)となったわけである。

この損益取引か資本取引かということでいえば、先の「その他有価証券評価差額金」はそもそもその2つの取引のいずれかには答えにくい、つまりそのいずれでもないような実に曖昧な性格をもっている。自己株式処分差益が損益取引か資本取引かのいずれか、という曖昧さ以上に曖昧なのである。この点については、たとえば拙著『時価会計の基本問題』での「資本と利益のグレーゾーン」(61頁)、あるいは「第2の利益か」(142、282頁)、「暫定的・経過的利益」(86、143頁)などを参照されたい。いずれにしても、この自己株式処分差益は処分価格(時価)の変動の影響をうけることは先の2つの独立項目と同じであり、やはり資本の変動性の要因となる項目といえる。

では、会計理論としていずれの説が妥当か。これが論点になる。そして、その理論→政策の逆方向の作用が重要になる。もともと会計は商法の見解とは異なって資本控除説の立場にたっていた。そうであれば、改正前の商法の見解(資産説)に対しいかほどの異議が示されていたのか。そして、今日、少なくとも表示上は資本控除説の形をとっているが、それがどこまで理論的作業の帰結なのか。「先に政策ありき」のきらいはまぬがれないだけに、しっかりした理論的検討がなによりも重要である。

B概念枠組みの必要性と剰余金概念の曖昧さ:自己株式は資産か資本控除かというとき、この論点にとっての判断基準はなんであろうか。それは、「資産とは何か」、「資本とは何か」という概念規定、より大きくは概念枠組みであろう。いかなる要件を満たしたとき「資産」なのか、そうした全体的な概念枠組みに照らして判断されるべきであろう。例えば米国FASBの「財務会計の諸概念に関するステートメント」第6号での資産の定義は「過去の取引または事象の結果として、特定の実体により取得または統制されている、発生の可能性の高い将来の経済的効益である」(下線は引用者)となっている。はたして、この定義はここでの論点の判断基準になるであろうか。また、損益取引か資本取引かというとき(取引の分類概念)、その論点もそれに関する概念規定から判断されなければならないだろう。しかし、それが必ずしも明確に示されているわけではない。

いずれにしても、理論の整合性という理論の核心にかかわるものを放棄しないかぎり、強固な理論ないし概念枠組みの議論が必要となる。そして、今日の企業会計のあり方を考えるには、剰余金とりわけその区分に焦点を当ててみるがよい。資本と利益の区分の曖昧さは「剰余金」概念の曖昧さに現れているからである。ちなみに、IASBによる業績報告書案(前回の時事会計入門No.10参照)での包括利益の4区分は、貸借対照表の自己資本ないしは株主持分(変動表)の区分表示ともリンクするはずだから、業績報告書での包括利益と貸借対照表での自己資本ないし株主持分変動表とのリンク関係において、剰余金概念の概念区分がもっと理論的に検討されなければならない。

 

新聞紙上で話題にことかかない金庫株の解禁であるが、そこには会計理論上きわめて重要な問題が潜んでいる。それをここでは(留保利益の変動要因以外による)「自己資本の変動性」、「資本と利益の区分の曖昧性」、および「剰余金概念の曖昧性」としてみたわけである。学生諸氏のさらなる学習を期したい。

2002年10月)