時事会計No.14

退職給付債務と株安・金利安

:割引率の引下げ問題と負債の時価会計

 

 02年12月7日 日経新聞(夕刊)

 

Key words: 時価会計、退職給付会計、退職給付債務(年金債務)、年金費用、退職給付引当金、年金資産、積立不足、未認識債務(隠れ債務)、数理計算上の差異(未認識債務の主要項目の1つ)、年金制度の見直し

 

退職給付会計(わが国では2001年3月期から導入)の今一番のトピックは、「割引率の引き下げ問題」および「年金資産の運用悪化」とそれに伴う「積み立て不足問題」である。アメリカおよび日本の資本市場は、この「年金債務問題」がくすぶっている。@株安・金利安→Aイ)割引率の引下げ、ロ)年金運用収益の悪化→B年金債務の増大→C企業業績を圧迫、という構図である。イ)超低金利(割引率の見直し)で給付債務が膨らみ、ロ)株安で年金資産が目減りする、というダブルパンチで積立不足額が急速に拡大しているわけだ。

退職給付債務(PBO)は現時点までに支払義務が発生した金額の割引現在価値であるので、割引率の設定が債務金額を大きく左右する。その設定の基準は、一般に安全性の高い長期債の利回りが目安となり、具体的には20年国債の利回りが用いられるケースが多い。この利回りがアメリカ市場では株式から国債への資金シフトで急低下しているわけだ。そして、年金資産の方もNYダウが8,000ドルを割り込んでおり、その運用成績の悪化が年金問題に波紋をなげかけるもう1つの大きな要因となっている。

わが国でも、割引率の引き下げ(3%から2.5%が多い)が相次いでいる。例えば、旭化成は2003年3月期から4.0%から2.5%に引き下げ、それによるPBO710億円の増加を10年で均等償却する(5/27日経金融新聞)。しかし、その引き下げ幅は企業によってまちまちであり、現在2.5%割れも起きているなか、割引率見直しのより一貫した指針が求められよう。

 

関連記事:5/1、6/27、7/30、10/16 、11/15(以上、日経)、5/27(日経金融)など

 

〈さらなる学習〉

ところで、退職給付会計の会計理論上の意義は何か。それは、一言でいえば、負債の時価(割引現在価値)会計の典型例であるという点にあるが(年金資産の方も時価)、しかし退職給付会計はそういうほど単純ではなく、いろいろ複雑な要素がからんでいる。その論点について、若干ふれておこう。

 

@負債の時価会計:まず、割引率の見直しによる退職給付債務の見直しが、伝統的な原価主義会計とは異なって、当初認識時から分離切断された特定時点での再測定(フレッシュ・スタート測定)に基づいている点が重要である。割引率の見直し→負債の現在価値(PBO)の見直し、というストックの価値(ここでは負債の評価額)を洗い直す点が時価会計の特徴なのである。

そしてフロー(ここでは費用)がそのストック価値の期間差額でとらえられるという点が重要である(すなわち、ストック→フロー)。資産であれ負債であれ、ストックの価値評価が先に決まって、利益・損失(収益・費用)はその変動差額としてとらえられる。これが伝統的な収支を基礎にした期間損益計算によって規定されるストック評価(すなわち、フロー→ストック)、という考え方(典型的には動態論思考)と基本的に異なる点である。その点で、退職給付債務は負債の時価会計の典型例といえる。

負債の時価測定はその測定基礎が現時点での新たな情報によって見直しされる(再測定あるいはフレッシュ・スタート)。これがすでに述べたように時価会計の測定上の特徴である。以下、退職給付会計におけるフレッシュ・スタート測定の例をみておこう。

A時価会計(各基礎率の見直し)と数理計算上の差異:基礎率(割引率、年金資産の期待運用収益率、退職率など)、とりわけ割引率の改訂によるPBOの改訂は、年金資産の期待運用収益率の改訂とともに、いわゆる「数理計算上の差異」の主要なものである。この数理計算上の差異は、次にみる「過去勤務債務」とともに「未認識債務」(隠れ負債)を構成する主要項目となる。

例えば、先の旭化成のケースでは割引率を4.0%(2002年3月期まで)から2.5%(2003年3月期から)に引き下げているが、それによってPBOは710億円も増大している。これを10年にわたって「均等償却」するわけだ。償却という用語は(将来収益に対応する)費用配分のようなイメージを与えてしまうが、事実、給付規定の改定は勤務意欲に寄与するので将来収益に負担させるという説明がなされるが、はたしてそうなのか。他方で、それは(配分思考とは異なって)実質的には積み立て不足額の制度的分割処理であるともいえる。

とはいえ、たとえ1/10づつであっても、毎期71億円の営業費用が計上されるわけだから、年度利益に与える影響は大きい。したがって、超低金利の状況が続くなか、年金制度自体の見直し(確定給付型から確定拠出型へ)が検討されるわけである。

B時価会計(規定の改定)と過去勤務債務:「未認識債務」を構成する主要項目のもう1つが過去勤務債務である。この過去勤務債務は、退職金規定等の改訂(支給水準の引き上げ、あるいは引き下げ)前後の現在価値の差額としてとらえられる。先の数理計算上の差異との共通点は、負債(退職給付債務)をその時点での新たな情報に基づいて再測定するという点である。その点が、すでに述べたように、伝統的な配分思考に基づく資産・負債の簿価決定と決定的に異なる点である。

両者の重要な相違点は、簿価決定の計算基点の相違、すなわち 当初認識時vs.特定時点(フレッシュ・スタート)という相違点である。この簿価決定(および簿価変動)の相違を、より大きくは異なる計算枠組み(計算系)の相違として示せば次のとおりである。

 

系T…計算基礎を当初認識時におき、会計配分によって簿価が決定される(「連続・フロー配分型」)。典型例:減価償却(フロー)と未償却残高(ストック)としての資産評価。

系U…当初認識時から分離切断され、その時点での新たな情報によって簿価が決定される(「非連続(離散)・ストック評価型」)。典型例:有価証券の時価測定(ストック)と時価変動差額損益(フロー)。

 

C時価会計と費用の計算:退職給付費用(@勤務費用+A利息費用−B期待運用収益+C未認識債務の償却費用)の主要項目である@勤務費用およびA利息費用は期末のPBOと期首のPBOとの差額として計算される(@+Aは従業員からみて“貸付金”の元利合計額)。つまり、割引現在価値の期間差額(増価額)としてとらえられる。

重要なことは、時価会計での損益計算がストック価値の増減額として計算されるという点である。フロー計算としての損益がストック価値の測定に規定されるという点が、先の系Tとは異なる特徴点である。ちなみに退職給付会計のB/SとP/Lを示せば次のとおりである。両者の対応関係に注意されたい。B/Sでの右辺かっこは本来の負債額であることを、P/Lの右辺かっこはB/Sの退職給付債務に関わることを、それぞれ示す。また、B/SのBの分割処理ないしは期間配分(例えば10年間にわたる均等償却)がP/LでのCである。

 

B/S:退職給付引当=(@退職給付債務−A年金資産)−B未認識債務

P/L:退職給付費用=(@勤務費用+A利息費用)−B期待運用収益+C未認識債務の償却費用

 

DIASB案の業績報告書での退職給付債務の見方:将来の業績報告(損益計算書の全面見直し)に関するIASB案については前に取り上げたが(時事会計No.10)、そこでは年金費用についてもふれている。とりわけ筆者の関心は、それと包括利益の4つのカテゴリーとのかかわりである。IASBのサイトで公開されているProject Summary(October 2002)によれば、年金費用を構成する項目がこの4つのカテゴリーすべてに関わっているからである。すなわち、そこでの説明を筆者なりに図表で示せば、次のようになる。

 

 

ここで特に注意すべきは評価調整の欄である。いずれも退職金規程の改定(B)や基礎率の見直し(C)による負債の再測定(フレッシュ・スタート)に起因している。それは、先の計算枠組みでいえば、系Uに固有のものである。

したがって、包括利益が「何を包括するものか」という問いかけをすれば、その1つの答えは、枠組み論でいえば、それぞれ異なる系Tと系Uからでてくる利益を包括するといえる。つまり、それは一言でいえば、異なる計算枠組みのハイブリッド(異種併存)の業績報告への1つの現れであるといえる。

 

〈付記〉ちなみに、Project Summaryの改訂(December 2002)での様式では、各行列の名称がそれぞれ、Tビジネス(business)、U金融、(1)再測定前の利益(income before re-measurement)、(2)再測定(re-measurement)、と変更になっているが内容は特に変わってはいない。

 

〈参考〉@拙稿「割引現在価値と会計配分」(『経営研究』第53巻第3号)、A拙稿「割引現在価値と価値評価」(@の続編、予定稿)。B拙稿「企業会計のハイブリッド構造」(『会計』2003年1月号)

(以上、2002年12月)

 

〈追記〉年金債務の実証分析の1つの典型例が日経03/1/29の「デフレが蝕む」にみられる。そこでは、東証一部上場会社(金融を除く)428社の積立不足額(合計で16兆円)の処理の相違と株価との関係が分析されている。

すなわち、積立不足額/株主資本の比率に応じて4つのグループに分類しているが、それぞれの株価の変動パターンが特徴的にでているのが興味深い。特にデフレの兆候が現れ始めた98年以降、4つのグループ間に顕著な格差が出ている点がきわめて特徴的である。@デフレ経済→A会計処理(例えば退職給付債務)の相違→B企業価値の格差、という点での実証分析の好例といえる(販売用不動産についても@→A→Bと同様のプロセスがみられる。だいぶ前に書いた★コラムを参照)。

こうした実証分析は現場のアナリスト(ゴールドマン・サックス証券調査部の資料に基づいている)のお手のものであり、研究者(とりわけ会計研究者)の力量がそれとの比較において問われる1つの例であるといえる。

2003年1月)

 

★コラム 会計ビッグバンと「会計デバイド」

会計ビッグバン(会計制度の一大変革)にともない、それに対処する企業間で体力の格差が顕在化している。退職給付債務の前倒し償却、持ち合い株式の時価評価、販売用不動産の強制評価減など体力のある企業は積極的に対処しているのに対し、体力のない企業は「時価会計ショック」といった言葉に象徴されるようにビッグバンの大波を受けてその防衛策に右往左往している。

こうした会計制度の一大改革を契機に、それに十分耐えうる企業と耐えられない企業との格差が顕在化している。これをIT技術の活用格差を意味する「デジタル・デバイド」になぞらえて「会計デバイド」といったりするが、それは会計ビッグバンの実態経済に対するインパクトがいかに大きいものであるかを物語っているといえる。

会計はともすれば過去に行われた経済活動の記録・計算・報告にすぎないといった印象を受けがちであるが、「会計デバイド」といった言葉の登場は、会計制度がIT技術に匹敵するほど現実経済へのインパクトをもつということにほかならない。書店のビジネスコーナーに行けば、時価会計、退職給付会計、連結会計、税効果会計、減損会計、キャッシュフロー会計など会計ビッグバンの一連の解説書が平積みになっており、飛ぶように売れているという。これほど財務会計が世の中の表舞台に登場したことはないといっても過言ではないだろう。

世の中がめっぽう不景気なのに、財務会計だけまことに好景気というわけである。

2001年4月)