時事会計No.16

生保時価会計の波紋

:IASBの試金石

 

 03年2月26〜28日 日経金融新聞

 

Key words: 責任準備金(負債)の積立不足、負債の時価会計、見込み運用益、財務の透明性、会計と財務の交錯、「リセット会計」と「ノン・リセット会計」

 

 国際会計基準理事会(IASB)は1月23日の会合で、保険会社に時価会計を適用する方針を決定した。2007年の実施を目指すとしている。これに対して日米欧の生命保険業界が一斉に猛反対をおこしている。焦点は責任準備金(負債)の時価評価である。このIASB案が採択されれば、すでに資産の方(運用している国債・株式・社債など)には時価会計が部分適用されているが、負債にも時価会計が適用されることになる。

後述するように、契約当初の高利回りを前提に設定された責任準備金は、今日の低金利を前提にして再測定すればより多くの準備金を設定せねばならなくなる。会社によっては資産側の評価損とも相まって債務超過になるおそれさえある。負債の時価会計→経営の不安定化→業界の猛反対、というわけだ。この業界の猛反対の構図は、前に取り上げたいくつかのトピックス、例えば時事会計No.12での銀行の税効果会計とも共通する。

ここで筆者が注目したいのは、論文などでわれわれにも名前になじみのあるトーマス・ジョーンズ氏(IASB副議長)が「財務の透明性こそ競争力」と述べている点である。この点は後述するが、今日の時価会計が志向しているのは、利益計算それ自体ではなく財務の透明性であるという点である。財務透明性のためにバランスシートが重視され、さらにその評価が公正価値でもってなされる。そのことが結果的・派生的に利益計算にも影響するが、そこでははじめから利益計算が志向されているわけではない。IASBの業績報告の様式(時事会計No.10を参照)にもこの利益計算と財務透明性の2つの志向が入り交じっているのである。 

もうひとつ注目される点がある。その1つめはこの業界の猛反対にどう対応するかという点、2つめは解説記事にも指摘されているように、今回の保険時価会計にはこれまでと異なり「お手本」がないという点である。この2つの点で、IASBの力量が試される。IASBの威信がかかっていること、そして保険時価会計の独自案がだせるか、この2点で大きな試金石といえるわけだ。

 

〈関連事項〉

@IASBの時価主義と一線:米国の保険政策の立案を左右するといわれるダグラス・バーナート氏のインタビュー記事がある(2月27日の日経金融新聞)。そこではIASBとは異なる代替案を提出しようとしており、それがいかなるものかが注目される。ただ、それは明らかにされていないのでここではふれられないが(「繰り延べ法」と言っているのがヒントになりそう)、そのインタビューで1つ気になる点がある。

それはIASBの採決の仕方にかんする発言、すなわち「ところが一月にいきなり方針が変わり(企業固有アプローチから−引用者)『公正価値アプローチ』が提示され、満足な議論もなしに採決に持ち込まれてしまった。なぜそうなったかはよく分からない。会計理論の問題ではなく、IASBの内部で何か政治的な判断が働いたような気もする」(下線は引用者)と述べている。同じく、IASBを「会計の議論というより政治的な外交の場」という学者肌の会計士の意見が紹介されているが、それも気になる。わが国の会計基準委員会(ASBJ)の斎藤委員長も、IASBの「議論の進め方に問題がある」、さらには「金融庁にしかるべき対応を」とまで発言している(2/28日経)。もし、これらが本当なら、IASBの組織運営のあり方ともかかわって気がかりなところではある。

もっともIASB案には各国の業界団体からの圧力・批判もあいまって、IASBには昨今いろいろ風当たりが強いわけだ。こうした圧力・批判にIASBがどれだけ毅然とした態度を示せるか、その意味でも1つの試金石である。

AIASBの方向性支持−会計の新たな役割期待−:英保険協会(ABI)の責任者のピ−ター・バイポンド氏のインタビューでは、各国の生命保険団体がIASBの保険時価会計に反対を表明しているなか、「われわれは原則としてIASBの掲げる時価主義を支持している」と発言している。問題は、その支持の理由である。それが筆者の問題認識からの関心事である。

端的に言えば、「契約者に実態を」、「経営難の早期発見」といった言葉にみられるように、そこには本来的に新たな利益計算を志向するのではなく、実態開示あるいは財務透明性を志向する理由付けがみられる。これは先の時事会計No.15(会計改革と司法改革)で述べた会計の役割、すなわち「転ばぬ先の杖」としての会計と相通じている。そこには企業会計がこれまで担ってきた資本利益計算という役割とはまた別な役割が期待されている。

今日の国際的な時価会計のうねりは、けっしてこれまでの利益計算の延長上で議論できるものではなく、あらたな社会経済の動態をふまえたうえで、その上にたった新たな会計への役割期待と密接にかかわっているのである。

B金融庁、ASBJの対応:銀行の不良債権問題で頭がいっぱいだろうが、それに加えて保険業界に時価会計が導入されれば、銀行と保険会社との持ち合いからして、銀行にさらなる問題が生じる。金融庁は今のところ静観するとの姿勢だろうが、少なくとも積極的に動くはずはないだろう。ASBJはどうか。ここも、多くの課題が山積であり、保険会計はまだこれからというところだろう。しかし、IASBは2007年をめどにしているわけだから、いずれも安穏と静観してはおられない状況である。

 

〈さらなる学習〉

@特定時点での再測定:生保時価会計の焦点は、すでに述べたように責任準備金の時価評価である。その測定の特徴は特定時点での新たな情報に基づく再測定(フレッシュ・スタート測定)である。この点は、先に時事会計No.14で取り上げた年金債務の再測定、すなわち割引率の見直しによる退職給付債務の見直しと共通する。資産であれ負債であれ、この当初認識時から分離切断された特定時点でのあらたな情報に基づく再測定というのが、時価会計の会計測定に共通する特徴なのである。

その基本的相違を計算基礎の観点から会計測定の枠組みの相違(リセット系会計vs.ノン・リセット系会計)として示せば、次のように示されよう。

 

系T)当初認識時に計算基礎をおく会計(当初認識維持会計:「ノン・リセット会計」)。この系の典型的会計システム→これまでの原価主義会計システム。

系U)(当初認識から分離切断された)特定時点での新たな情報を計算基礎におく会計(フレッシュスタート会計:「リセット会計」)。この系の典型的会計システム→今日の公正価値(時価)会計システム。

 

今日の時価会計やこれまでの原価主義会計は、その大きな枠組みの特徴からみれば、それぞれリセット系会計、ノン・リセット系会計の代表的会計システムとみることができる。

A財務の透明性か利益の計算か:今日の金融商品に代表される時価会計を考えるさい、金融投資の利益計算という会計目的がもともと先にあったかどうかは検討の余地がある。なぜなら、今日の時価会計には利益の計算よりも、他方で、まずは投資家のための実態・リスク開示(財務の透明性)が先にあるように思えるからである。実態・リスクの開示→財務リスクをともなう資産・負債の測定属性の選択、という規定関係からリスク開示(あるいはリスク管理)目的にとってはリスクをもっともよく反映する測定属性(たとえば市場価格)が選択されるわけで、それを貸借対照表本体でおこなうとその測定属性に規定された、(原価・実現・配分の枠組みとは性質を異にする)あらたな利益計算の問題が生じてくるわけである。この点を混同して議論してはいけない。この点ともかかわって、「会計と財務の交錯」という点についても述べておきたい。

B財務と会計の交錯−財務の会計へのあらたな介入・侵入−:何らかの時価評価が会計上の問題として議論されるとき、会計と財務の交錯がその装いを変えてしばしば登場してくる。そしてそれが伝統的な原価主義会計への批判というかたちをとることも共通する。たとえば、1970年代の個別価格変動会計において、会計に財務を持ち込んだ典型的な学説としてシュミットの「有機説」をあげることができる。

たとえば岩田巌は、「とくにここで指摘したいと思うのは、シュミットが会計学の伝統的な考えを無視して、通常の会計方法に財務政策を織込んだ点である。すなわち純粋に会計的なるものと財務的なるものとを、かたく結びあわせた試みについてである。けだし、この両者の交錯こそ、有機説のもっとも著しい特徴であり、静態説や動態説から、はっきり区別されるべき相違点だからである」(岩田巌『利潤計算原理』325-26頁)と述べ、資本維持の概念における「純粋に計算的な資本維持」と「計算にはまったく関係のない財務上の資本維持」との違いに言及している(同328頁)。

今日の時価会計は70年代のいわゆるインフレーション会計とはその性格を著しく異にするが、この「会計と財務の交錯」および原価主義会計の批判という点で共通する。インフレ会計では資本維持の観点から名目資本しか維持できない(実体資本の維持ができない)原価主義会計が批判されたが、今日の時価会計では実態・リスクがみえない(財務不透明な)原価主義会計が批判されている。前者では資本利益の「計算」という場で、後者では実態・リスクの「開示」という場で、それぞれ原価主義会計の問題点が遡上にのっているわけである。いずれも、前者では財務的な資本維持の観点から、後者では財務透明性の向上という観点から、それぞれ会計に財務が介入してきているのである。

問題は、この介入・侵入を会計の理論としてどう受け止めるかということである。少なくとも両者を区別せず、混同して議論することは理論的に避けなければならない。しかし、その区別の認識がなく、混同している議論がけっこう多い。より詳しくは拙著『時価会計の基本問題』(中央経済社)310-12頁を参照されたい。

CIASBの試金石:金融商品の全面時価会計や、今問題になっている業績報告に関するIASB案は必ずしも多くの国から賛成を得ているわけではない。とりわけ、業績評価については、検討されるべき論点が多いことはすでに取り上げたところである(時事会計No.10参照)。さらにはこれからでてくる収益認識プロジェクトも、大きな議論になりそうである。しかし、これまでとは違って今回の保険時価会計は、「世界のどこにも現存しない基準を一から作り上げたいのだ」(ジョーンズ氏)との発言にもあるように、まったく一からのスタートである。その気概は同時にIASBの威信をかけた試金石ともいえるわけだ。

(以上、2003年2月)