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時価会計と資本利益計算の変容

−計算と開示の側面から

 

大阪市立大学 石川純治

200110月6日

 

    T 計算の問題

1 時価会計の系譜

2 既存枠か別枠か

3 利益の異質性

4 「拡張の論理」と「区分の論理」

  金融経済学的見地と今日の時価会計問題

U 開示の問題

6 計算と公開

7 開示の側面での変容

8 開示規制と配当規制

9 会計規制の国際化動向

V 理論の問題

10 理論のあり方

11 実証研究と会計基準

12 個別資本説と会計制度論

13 社会科学としての時価会計

補論:経済学の選択と会計研究

参考:「金融資産、独自の会計必要」(日経新聞「経済教室」)

報告レジュメ

 

       学会の大会では時間の制約上すべて報告できないこと、また報告後フルペーパーがあればという特に若い人たちからの要望にもこたえまして(そういう人たちには特にメモ書きの注も参考にして下さい)、ワーキング・ペーパー(No.200105)として公表しました。なお、「参考」を除き、同じものをホームページにも掲載しています。

大阪市立大学の石川です。今回は正確を期して原稿を読み上げる方式で報告させていただきます。さて、21世紀の最初の大会が、第1回大会のここ駒沢大学で開催され、そこで報告いたす機会を得ましたことにまず感謝申し上げます。と申しましても、その任を果たすことは、とてもできないことも十分承知しております。報告集冊子の冒頭に書いてあるとおりでございます。この点、ご了解いただければ幸いであります。

それでは、さっそくお手元にありますレジュメにそって報告させていただきます。なお、時間の制約上、いくつかをはしょることになるかと思いますが、その点あらかじめご了解いただければと思います。さて、私の報告は統一論題「21世紀における会計の変容」におきます「会計の変容」を、時価会計という場で、しかもその資本利益計算という企業会計のもっとも重要な任務に係わる問題において議論するところにあります。そして、可能なかぎり、その具体的な今日的会計問題のなかに3つの論点が包摂される形で議論できれば(いわば「社会科学としての時価会計」)、と考えている次第であります。

そこで、まず世に「時価会計」といわれるものを時代的に振り返ってみたいと思います。

 

1 時価会計の系譜

 

世に「時価会計」といわれるものを時代的に振り返ってみると、いくつかの系譜があるように思われます[1]。すなわち、その第1は、1970年代に資本維持概念を基軸に活発な論争が展開されました時価会計、すなわち「個別価格変動会計」であります。そこでは実物の費用性資産がその対象であり、その時価変動の特徴は個々の資産価格の持続的騰貴(一方的上昇)でありました。第2は、1980年代中頃から90年代をへて今日の最終段階にいたっている金融商品を中心にした時価会計、すなわち「公正価値会計」であります。そこでは費用性資産ではなく金融資産・負債がその対象となり、その時価も文字通り価格の変動(上下変動)でありました[2]。第3は、今日わが国で議論され始めるようになりました「減損会計」でありますが、そこでの時価変動は収益性の低下にともなう個別資産価格の著しい下落(一方的下降)であることがその特徴であります。

ここで、かつての個別価格変動会計を実物資産に係わるインフレ経済下の会計問題、今日の金融商品を中心にした公正価値会計を証券価格、金利などの相場変動リスクにさらされた金融・証券経済下の会計問題といえば、わが国での減損会計は同じく実物資産でもデフレ経済下の会計問題ということができるかと思います。そして、いずれの会計問題もたんに財務透明性の問題としてではなく、利益計算としての会計問題が問われているのであります。こうして同じく時価変動の会計問題と申しましても、その変動の態様もその経済的基礎もそれぞれ異なるのであります。

重要なことは、それぞれの時代的背景(経済的・社会的条件)のもとで、それぞれ性質の異なった「時価会計」が登場してきたということであります。さらに、これから新たな時価会計として登場してくると思われますのが、無形資産の時価会計であります。それは時価会計の第4の系譜ともいえます。先の金融資産も固定資産も有形資産でありますが、ノウハウやブランド、特許などの無形資産を決算期末ごとに時価(現在価値)評価する方向であります。文字どおり将来キャッシュフローの生成能力としての資産(過去ではなく未来資産)がその現在価値で評価されるわけです[3]。そこでのキーワードはのれん(それも自己創設のれんを含む)の時価評価と企業価値であり、その基礎にいわゆる産業構造の知識産業への変化をみることができると思います。

いずれにしても、世に「時価会計」とよばれる会計を理解するには会計的認識・測定および表示の議論にとどまらず、その基礎にある経済をみなくてはならないわけであります。

以下でとりあげますのは、このうちの第2の金融商品の時価会計であります。そこでの新たな会計ルールは既存の会計枠組みにてらしたときその枠内に包摂できるものなのか、できるならその論拠はどこにあるのか、あるいは既存の枠内におさまらないとしたらその論拠はどこにあるのか、そういった基本的な問題(計算の問題)をまずとりあげて「会計の変容」問題を考えてみたいと思います。

 

2 既存枠か別枠か:「主観のれん説」の意義と問題点

 

まず、既存の枠内に包摂しうるという立場にたつ見解、それは制度上も理論上も非常に有力な見解となってきておりますが、それをここで取り上げておかねばならないかと思います。それは、私が「東大スクール」と呼んだひとたちの、これも私の便宜上の命名ですが「主観のれん説」と呼ぶ見解であります。その骨子をまず紹介しておきたいと思います[4]。先に開催された会計研究学会での特別委員会報告『会計基準の動向と基礎概念の研究』でコメントしたことですが、主観のれん説においては、端的に申しますと、要するに有価証券の保有利得はある観点から、ここではそれについてふれるだけの時間的余裕はありませんが[5]、実現利益であり、「実現・配分・対応」といった既存の枠内に十分包摂されるものだという見解であります。その点で、金融商品に関する新しい会計ルールは利益計算の既存の枠内にあり、したがってけっして変容しているわけではない、ということになるかと思います。

おそらくその背後にある考えとしては、新しい会計ルールも含めて、できるかぎり多くの会計ルールを、既存の概念でもって整合的に説明できるものにしたいという考えがあるように思われます。その考えそれ自体は、たいへんけっこうなものであり、私自身も一見多様・多彩な展開を見せている今日の会計ルールが、既存の概念でもって整合的に説明できるのであれば、それにこしたことはないと思います。ただ、そう言えるにはいくつかの問題点を指摘しておかねばならないわけであります。利益計算という場での「変容問題」を考える1つの素材として、ここでは4つの論点を取り上げて議論したいと思います。

まず第1は、事業投資の実現損益、すなわち「原価−実現」による売却損益も、金融商品の実現損益、すなわち時価変動損益ないし保有利得損失も、いずれも「実現利益=キャッシュフローの配分計算」というレベルで異なるものではなく、両者はただ配分のタイミング(利益認識のタイミング)を異にするだけであるという点に係わる問題点であります。すなわち、そこでの「配分」はキャッシュフローの配分であっても、費用の配分がどうかかわっているか、とりわけ金融商品に関してどうなのか、必ずしも明らかでないように思えます。事業投資による資産は費用化が予定されている費用性資産ですが、金融商品はそのような性格をもたない以上、時価変動損益が(広い意味で)キャッシュ・インフローであってもキャッシュ・アウトフローとのかかわりで費用配分および対応はどう説明されうるのか、依然として問題なのであります[6]

これに関連しますが、昨年、企業会計審議会が公表しました「固定資産の会計処理に関する論点の整理」の「T経緯及び基本的な考え方」においては、次のような説明がなされていますが、それは見落としてはならないところかと思われます。すなわち、「金融資産−特に自由に換金でき、換金が事業に制約されないもの−はそれ自体貨幣性資産であり、その価値の変動は換金を待つまでもなく実現利益を構成するキャッシュ・フローの要素とみることができる」(傍点は引用者)との見解がそれであります。この見解にみられますように、金融資産を貨幣性資産と捉えればそこに原価配分ないし費用配分など「費用側」の議論はでてきようがありませんが、こんどはなぜ貨幣性資産に「実現」が適用されるのか、少なくともこれまでの伝統的な考え方からすれば検討の余地があるように思えます。そもそも、金融商品を伝統的な貨幣資産・非貨幣資産分類での貨幣資産範疇のなかに入れてしまうこと自体がいいのかどうか、十分議論される必要があるように思われます[7]。いずれにしても、実現を原価(費用)配分との「対」で考えるとき、金融商品にかんしては原価側とは切り離された実現側だけがキャッシュフローの配分というレベルで論じられているようにみえるわけであります[8]

ついでにもうひとつ申しますと、現物をとおさず差金決済される先物取引のような金融派生商品(デリバティブ)にいたってはネット(正味現金)のみであります。ネット(差金)だけですので、利得(先物利益)は収入のみ、損失(先物損失)は支出のみということにもなりそうですが、そもそもそこにはいかなる利益計算の枠組みが妥当するのか、そこにも、名目資本維持の利益計算が行われているといえるのかどうか。もしそうだとすると、そこではもはや当初「支出」が存在しないわけですが、そこにいかなる名目資本が想定されているのか、そのような基本問題が指摘されるわけであります[9]

 

3 利益の異質性

 

第2に、今日の金融商品の時価会計からでてくる利益、すなわち保有利得損失が、先にみたように「実現利益」というかどうかは別にして、これまでの実物商品での実現利益と同質なのかどうか、ということも「変容」問題を考えるさい1つの論点になろうかと思われます。

周知のとおり、一般に利益決定と資本維持とは一対の関係にあり、そのことは分配可能利益計算に限らず業績利益計算についてもいえるはずであります。そして、企業会計の利益計算が全体利益ではなく期間利益である以上、金融商品にかかわる利益計算についても何らかの資本維持とのかかわりが議論される必要があるかと思われます。ただ、そこでの資本維持は実物資産ではありませんので、「個別価格変動会計」で議論された資本維持とは本来的に性質の異なるものになるはずであります。

さて、先にみましたように、2つの実現利益、すなわち事業投資にかかわる販売損益と、金融投資にかかわる時価変動損益がキャッシュフローの配分計算という観点からは利益認識のタイミングの違いにすぎないという捉え方には、依然として「名目資本維持」が暗に想定されているように思われます。しかし、もし金融商品に同じ貨幣資本維持であっても別種の貨幣資本維持が妥当するならば、単なるタイミングの相違以上の議論、すなわち異質な資本維持から出てくる利益の質の検討が必要になるように思われます。

実際、IASCは金融商品に関する資本維持概念として「現在の市場収益率資本維持」について言及しておりますが[10]、こうした資本維持概念からでてくる利益の性質はこれまでの実現利益と同質なものかどうか、私には疑問に思えます。とりわけ、証券価格、金利、あるいは為替などの相場変動に起因する(機会)利得・損失が純利益のなかに入ってきますと、それを「実現」利益と呼ぼうと呼ぼうまいと、その中身はこれまでの実現利益と同質なものかどうか、非常に疑問に思うわけであります。例えば、JWGが目指しています全面時価アプローチにおいては、固定金利の借入金のような負債にも時価が適用されると、そこからでてくるオパチュニティとしての利益(機会利得損失)が期間損益計算のなかに入ってくるわけです。そうした利益概念はこれまでの実現利益と同質とはとても思えません。それゆえ、これまで未実現利益として否定されてきたわけであります。そうした損益が業績としての経営者の責任になってきますと、少なくともこれまでの利益概念からみて、それはもう変容あるいは変質しているといえるのではないかと思えるわけであります。

第3は、会計的利益と経済的利益に係わる問題です。すなわち、こうした資本維持から出てくる利益はある種の経済的利益概念ともかかわっているように思われますが[11]、そうなると経済的利益が純利益計算のなかに入ってくることになります。私はそれを「会計的利益と経済的利益の同時的併存問題」と呼んでいます。さらに申しますと、時価変動損益は財・用役の流れとしてのフローではありえないと思えるのですが、それがいかなる意味で「フロー」なのか。単なるストックの評価差額としての(純利益と区別される)「その他の包括利益」だけが異質なのかどうか。いずれも、認識の「タイミング」の違いだけに帰着し得ない、利益の質的な問題の検討が必要であるように思えます[12]

この他にも、有価証券の保有時の評価損益と売却時の売却損益とはもはや区別されるのかどうかという基本問題、すなわち「評価損益と売却損益との区分・非区分問題」と呼んでいる問題も検討されるべき論点であります[13]。その問題は、キャピタルゲイン(擬制資本からの成果)は製品・商品の販売益(現実資本からの成果)とはその経済学上の性格をまったく異にするということに密接に係わっているように思われますが、ここでは時間の制約上、キャピタルゲインしかもその保有損益は実物商品の実現損益の延長上では捉えられないということだけを指摘しておきたいと思います。

 いずれにしても、以上のような問題点を考えていますと、どうしても実物商品に関する実現概念の拡張あるいはその延長上ではなかなか説明できないように、私には思えてくるわけであります。少なくとも、金融商品の時価会計が「実現」・「配分」・「対応」といった伝統的な概念と整合しうるだけ首尾一貫したものなのかどうかは、疑問に思われるわけであります。

となると、いかなる別枠での論議が可能で、それは既存枠とどのような関係として全体を構成することになるのか、このことが新たに問われるわけであります(参考の日経経済教室「金融資産、独自の会計必要」参照)。

 

4 「拡張の論理」と「区分の論理」

 

 まず、基本的な考え方を述べておきますと、先の金融商品を貨幣性資産の範疇と捉えたり、時価評価損益を現行の実現基準の延長上(実現可能基準)で捉えたりする見解は、既存の枠の「拡張の論理」に根ざしているように思えます。これに対し、これから述べます議論では、実物経済を基礎にする実物資産と、金融・証券経済を基礎にする金融資産・負債との「区分の論理」に基づいています[14]

それを例えば財務リスクという概念で区分するならば、前者においては売れるかどうかのリスク、あるいは売れた後の回収のリスクはあっても、いわゆる価格変動リスクに晒されているわけではありません。これに対し、後者では逆にいつでも市場で売買することは可能であるかわりに、日々、常に価格変動リスクに晒されているわけであります。これがリスク負担の視点からみた、実物商品と本来的に区分される金融商品に固有の特徴であります。この価格変動リスクおよびその反対であるリターンに責任を負う、というのが金融商品の全面時価アプローチの背後にある基本的な考え方であろうかと思われます。したがって、そこには売却という実現に係わる要件などまったく必要としないわけであります。

問題はそのことがこれまでの伝統的な業績指標である利益概念と整合的であるのかどうかということですが、すでに述べましたように、私にはそうした利益概念が伝統的なそれに包摂されるとはとても思われません。業績指標としての利益概念からすれば、「何が業績か」ということに関して、ここに今日的な変容をみることができるように思うわけであります。さらに申しますと、その変容のさらなる基礎や背後を考察することが、のちに議論される「社会科学としての時価会計」というテーマにむすびつくことになるかと思われます

なお、ここで少しばかり視点を変えて、「相場変動で利益が決まるか」という問いかけをしてみますと、先の主観のれん説の立場は「決まる」という答えであり、しかもそれが先にも述べましたように、「ありうべき利益計算」として決まるという答えになるわけであります[15]。「ありうべき」という内在的論理から決まるという点が重要なところであります。具体的に申しますと、問題はキャピタルゲインの保有利得が、通常の商品の値上がり益(これも保有利得ではありますが)とは異なって、なぜ会計認識されるかその根拠でありますが、それが先の「主観のれん説」では金融投資においては主観のれんがないことから、キャッシュフローを待たずとも時価の変動そのものがキャッシュフローの実現と同じである、という理屈付けであったわけであります。

ただ、もしそうであるなら、これまで未実現利益として排除されてきた論理は何だったのか、それは間違っていたのか、もし間違っていたのならなぜこれまで会計基準は是正されてこなかったのか、より会計の内在的な問題として議論する必要があるように思えます。私は、「相場変動で利益が決まるか」という問い(これは会計学的にも経済学的にも難問だと思われますが)の答えが仮に「Yes」であったとしも、他方の見方として、そこにはむしろ外生的な論理、例えば「有用性」の見地とか「財務的」な見地が作用している可能性があるようにも思われます。このあとで述べますが、そこには言ってみれば「財務」の会計計算への算入あるいは侵入という見方も可能かと思うわけであります。財務リスクの実態とか財務リスクの管理といったいわば「財務」的見地が損益計算という会計計算のなかに侵入してきているわけであります[16]。そのことが、収支すなわちキャッシュフローとは切り離されたものでも損益計算になかに入ってくるわけであります。この財務の計算への算入ないし侵入といったことになりますと、(つまりそこから出てくる利益が内在的なものでないかぎりは)そこから出てくる利益概念はこれまでの利益概念とはけっして同質なものとはいえないように思うわけであります。

いずれにしましても、損益計算とは何か,貸借対照表とは何か、両者はいかなる関係にあるか、などといった会計固有の内在的論理からでてきうるものか、それともそれとは別の外生的な要請からでてくるものか、ここに大きな見解の分かれ目があり、それいかんで「変容問題」の見方およびその答えも異なってくるわけであります。

 

金融経済学的見地と今日の時価会計問題

 

 さて、ここで視点を変えて、今日の金融(派生)商品の時価評価問題を金融経済学的見地からみますと、擬制資本の一層の発展ないし肥大化と密接にむすびついているように思われます。私は、むろん金融経済学の専門でもなければ知識も十分あるわけではありませんが、ここで川合一郎を引用させてもらえば、次のように述べております。すなわち、「ただ擬制資本の範囲は固定したものではない。量的に増大するのはもちろんであるが、資本蓄積の発展とともに質的にも拡大してくる。〈のれん〉に代表される無体財産権は技術革新(特許権・技術導入)や会社の合併に伴ってふえてくるし、他方では信用制度の発展による遊休資本の形成、所得請求権移動の障害を除去・軽減するする法技術や制度たとえば有価証券化(最近では貸付信託の創始)、需給適合の障害除去・軽減(第二市場の開設)、つなぎ金融の容易化によって、擬制資本は量的・質的に発展する」(大阪市立大学経済研究所[1965]161頁、川合担当、傍点は引用者)と。これは30年以上も前のものではありますが、その内容は今日にも十分通用するように思われます。

すなわち、今日の金融商品やデリバティブも、ここでいう擬制資本の一層の発展に伴う「法技術や制度」の一環として開発された特殊な商品にほかなりませんし、また金融商品の時価会計はじめ今日の制度会計そのものも、ここでいう「制度」の一環として捉えることができるかと思われます。まさに、こうした擬制資本の量的・質的発展に伴う会計問題として現象化しているのが、言い換えれば、本来的に現実資本の会計枠組みであるところの伝統的な会計の枠組みが、そうした擬制資本の一層の発展・拡大に対応できないかたちで現象化しているのが、今日の金融(派生)商品に係わる会計問題にほかならないと思うわけであります。

そもそも今日の金融商品を中心にした時価会計問題が何処から来ているかといえば、それは例えば減価償却に代表される「固定資産会計」のような生産的資本の内部からではなく、その外、すなわち遊休貨幣資本を生産的資本に転化するということ、つまり「資本信用」から来ています。そして重要なことは、その資本信用が成立するには「ただより多くの貨幣を引き出すために貨幣を流通に投ずる」という流通の制度が存在しなくてはなりません。まさに、(流通市場での)株式有価証券に代表される金融商品は、このより多くの貨幣を引き出すために貨幣を流通に投ずること(その典型は投機でありますが)を契機にした商品にほかならないわけであります。むろん、それが生産的資本(産業資本)の機能をよりいっそう拡張することに係わっていることはいうまでもありません。

したがって、今日の会計問題の特質、とりわけその経済学的見地からの特質を指摘すれば、それが生産的資本に直接係わる問題としてではなく、擬制資本の一層の発展・拡大に係わる問題として、また信用の社会的発展という視点からはそれを支える資本信用の一層の発展に係わる問題として登場してきている点にあると思われます[17]。このことは何も金融商品会計に限らず、後でふれることになりますが、結合会計での(買入れのれん)新たな会計処理などにもみられる今日的会計問題の大きな特徴点であります。

 

6 計算と公開:その係わり方

 

さて、今回の統一論題の1つの論点がいわゆる「計算と報告ないし公開」との係わりでありますが、それを金融商品の時価会計問題という具体的問題(つまり1つのケース、素材)をとおして考えてみたいと思います。

いみじくも、今回の座長をお務めの津守先生は、本学会第9回大会で次のような大変興味深い見解を述べられていますので、ここに引用させていただきます。すなわち、「そもそも『取得原価主義』の基本的論理の枠内で『オフバランス問題』など多くの新しい会計問題に対応することは本来不可能であろう。しかし、現行制度上の『取得原価主義』は、すでに自らその論理枠を破壊している。…この場合、『取得原価主義』の論理枠の破壊が計算の論理の枠内ではなく、公開の論理の利用によっておこなわれていることにとりわけ注意することが必要である。かさねていえば、それは、計算あるいは測定結果の公開の次元の問題ではなく、計算・測定構造への『公開原理』の侵入という全く別個の次元の問題である」(津守[1995]33頁、傍点は引用者)と。ここに、「計算の論理」と「公開の論理」とのかかわりに関する1つの見解が示されていると思うのであります。ここでは、以下、2つの点についてだけ述べてみたいと思います。

まず第1は、今日の時価会計問題が直接的には「計算」の問題としてではなく、「公開」の問題として捉えられている点であります。より正確には、公開原理の計算・測定構造への侵入と捉えられている点であります[18]。確かに、同じ時価評価問題でもかつての「個別価格変動会計」が、ここでいうところの「公開」よりもむしろ「計算」、端的には資本維持概念を中軸にした資本利益計算の問題として論じられたことと対比すれば、その点は十分理解されるところであります。ちなみに申しますと、そこでは今日のような「公開」の計算への侵入はみられませんが、他方で、先にも少し述べましたが、ここでも個別資本(個別企業)における「財務」の計算への侵入という点が指摘できるかと思います[19]。いずれにせよ、いくつかの拙稿でも述べましたが[20]、今日の時価会計問題はまずは投資家にとって見えない経済的実態やリスクの開示会計として登場してきたということは事実であり、計算の問題はいわばそれに付随あるいはそれに伴うかたちで出てきている、という側面があることも否定しがたい事実のように思われます。「公開の計算への侵入」というのは、もっと深い意味があるようにも思われますが、いずれにしましても、ここの計算と公開の1つの係わり方をみることができ、それがまた今日的会計問題の特徴でもあるわけであります。

第2は、その「公開原理の計算・測定構造への侵入」に係わって、「取得原価主義の論理枠」ということ、つまり「計算の論理」に関してであります。情報開示指向をいっそう強める今日の会計(情報開示会計)においては、あるいはそうであるがゆえに、実態情報の開示要求に応えるという開示志向の方向は、いっそうの「会計の空洞化」をまねきかねません。その1つの典型をいわゆる「ジェンキンズ・レポート」でのfinancial reporting (財務報告)からbusiness reporting (事業報告)への方向にみることができます[21]

投資家にとって見えない経済的実態やリスクを開示するというだけなら、必ずしも財務諸表本体で開示する必然性はありませんし、またそれは直ちに資本利益計算としての会計問題に直結するというものでもありません。したがって、「公開原理の計算・測定構造への侵入」というときの計算・測定構造の中身、とりわけ「取得原価主義の論理枠」とは何であるか、このことがまずもって明らかにされなければなりません。この点について津守先生はまた別の論文におきまして、とりわけ時価主義が信用・擬制資本と係わることとの対比におきまして、「取得原価主義が生産・現実資本に密着した鞏固地位を占めている」172頁)と説明されています。すでにいくつかの論文のなかで強調したところですが[22]、金融商品の時価会計を計算構造的に考察することは、それがこれまでの原価主義会計と本来的に対立するものではけっしてなく、むしろ原価主義会計が本来捕捉しようとしていた対象とその枠組みをよりいっそう明らかにすることにつながると思われます。すなわち、財・サービスの生産・販売という実物経済(生産・現実資本)がまさにその対象にほかなりません。その意味で、ここで指摘されていますように、「生産・現実資本に密着した」と言われる原価主義会計の経済的基礎についてはたいへん的を射たものであると思われます。

津守先生はまた別の箇所で、「しかも、現実資本・『記録』が本来的に取得原価に馴染むのに対して擬制資本・『公開』はむしろ時価に適合性をもつ。なぜなら、擬制資本は配当額を平均利子率プラス危険プレミアムで資本還元して形成される『資本商品の価格』であり、本来的に『製造原価』を有しないからである」(津守[1995]32)と述べられています。そこでの「現実資本−記録−原価」と「擬制資本−公開−時価」との対応・区別に注目したいと思います。

ただ、今日の会計問題の特徴を理解するにおいて「現実資本−記録」と「擬制資本−公開」との対応・区別の強調は十分理解できるのですが、擬制資本の会計問題は公開の次元だけでなく、記録・計算の次元でも問題になりうると考えます。むろん、津守先生が時価会計をすべて公開の次元でのみ捉えられておられるとは思われませんが、これまでの原価主義会計が何であったのかを浮き彫りにするためにも、擬制資本の(公開だけではなく)記録・計算問題、より端的にはその資本利益計算の問題が明らかにされなければならないように思われます。その意味で、原価に対する時価が「擬制資本−公開」という観点から、とりわけその「適合性」(擬制資本→公開→時価)という観点から説明されている点は、金融商品の時価評価の記録・計算上の論拠づけという点では議論の余地があるように思うわけであります。

むしろ、擬制資本の価格が「資本商品の価格」であり、本来的に「製造原価」をもたないと述べられている点、すなわち実物の商品とはまったく性質を異にする特殊な商品(資本商品)であること、このことがすでに述べてきましたように、現実資本に係わる記録・計算問題とは区別される擬制資本に係わる記録・計算問題と密接に係わっているのであります。したがって、そうした観点からしますと、原価主義会計が「自らその論理枠を破壊している」というよりも、そもそも原価主義会計の捕捉対象と今日の時価会計の対象とは本来的にその性格を異にするという意味で、むしろその論理枠ないし認識・測定の会計枠組みをいっそう明らかにしているとさえ思えるわけであります。つまり、一言で申しますと、津守論文での表現をお借りすれば、「全く別個の次元の問題」はまずは計算レベルにおいて捉えることが可能かと思うわけであります。

それゆえに、同じ時価会計の問題でも、つまり同じく「原価」対「時価」の対立議論であっても、かつての「個別価格変動会計」での、現実資本に係わる記録・計算レベルでの「原価」対「時価」の対立視点と、今日の金融商品を中心にした「公正価値会計」での、擬制資本に係わる記録・計算レベルでの「原価」対「時価」の対立視点とは本来的に異なるものであります。そのことは、そこでは擬制資本の経済的性格からして「原価」およびその費消配分としての「費用」なる概念が妥当しないという点にも典型的にみられます。その本来的に異なるという点が計算構造論的にどのように現れてくるか、このことがまず明らかにされなければならないように思うわけであります。その構造の解明において、ふたたび公開の論理がどのように係わってくるのか、このことが「計算と公開」の(統合)問題にとって、金融商品の時価会計問題という場での1つの理論的課題であるように思うわけであります[23]

 

7 開示の側面での変容:財務業績報告の多元化と時価会計

 

 さて、報告あるいは公開の問題を議論するとき、制度的には財務業績報告の多元化という将来方向についてもふれておかねばならないかと思います。とりわけ、「変容問題」にてらして言えば、その将来方向において伝統的な原価配分と実現の概念から導かれる伝統的な利益概念がどのような位置づけになるのか(表示されるか、あるいは表示されないか)という観点から、開示の面での変容問題をみておかねばならないかと思われます。

今日の金融の国際化・グローバル化、証券資本主義のいっそうの拡大化・高度化にともなう金融・財務取引の量的・質的拡大により、とりわけ特定の金融資産・負債の時価変動差額が1つの成果として認識・測定されるようになりますと、その成果計算がそれ自体あらたな会計認識・測定の枠組みを促し、1つの成果計算として認識されるようになります。こうして、金融商品に関する新たな会計基準設定に典型的にみられるように、金融資産・負債に係わる成果計算が自立化し始め、そのことから財・サービスの生産販売という実物経済に係わる成果計算とどのような再構成のもとで新たな成果計算システムが展開されるか、このことが1つの課題となるわけであります。

こうした課題にとって注目されるのは、アメリカ(FASB)やイギリス(ASB)における財務業績報告の多元化という動向であります。とりわけ、先に述べました「変容問題」からすれば、そうした動向において伝統的な原価・実現の枠組みに基づく成果計算がどのような位置づけになるのか、ということが検討されねばならないかと思われます。

時間の制約上、あまり詳しくはお話しできませんが[24]、1つの参考になりますのが、G4+1が相次いで公表した「財務業績の報告」という特別レポート(1998年)およびポジション・ペーパー(1999年)であります[25]。そこでは、業績報告の今後のあり方について4つのアプローチ(アプローチA、B、C、D)が示されており、多元的な業績報告において伝統的利益を報告するかどうかで、大きくは2つの見解に分かれております。

すなわち、第1の見解(アプローチA、B)では「稼得-実現-対応利益」(earned-realised-matched income)とよんでいる伝統的利益とそうでない利益との二元的見方(dual perspective of performance)をとっていますが、第2の見解(アプローチC、D)ではそうした二元的な見方をせず、財務業績について単一の見方(single perspective of performance)をとり、そのなかで伝統的利益は明示的にはでてきません。そして、単一の見方といっても、後で述べますように、その財務業績書のなかでいくつかのカテゴリーに区分されますが、要は先の第1の見解と異なり、そこでは伝統的利益を報告するような区分にはなっていないわけであります。そして、結論だけ申しますと、G4+1はこの後者のアプローチの方を採ろうとしております。ここに、伝統的な稼得-実現-対応利益が明示的にでてきないという点で財務業績報告の明らかな「変容」をみてとることができるかと思われます。もう少し言いますと、そこには「情報セットアプローチ」という考え方、これはFRS3号「財務業績の報告」(1992年)の基底にある考え方ですが、利益という単一の指標に集約せず財務業績の重要な構成要素を強調する方が有用である、という考え方に根ざしています。[26]

ここで、第1の見解についてもう少し申しますと、そこでは二元的見方アプローチと言っているように、「歴史的原価」、「実現」、「対応」といった伝統的利益の基礎にある概念をふまえているということ、そしてそうした概念では捉えられないような損益はそれとは区別して報告されるということであります。ただ、そこには、すぐ後で述べますように、経済活動の本質的相違によるカテゴリー区分という見方はないこと、少なくともそうした活動区分との関連についてはまったくでてきていない、ということが指摘されます。報告者の問題関心からしますと、伝統的な利益計算の基礎にあるそうした会計概念は、次に述べます経済活動の本来的相違と結びつくように思われます。そのことで、伝統的な利益計算の対象とその本来的枠組みもより明らかになると思われます。

そこで、第2の見解の単一の見方をとりながらも経済活動をカテゴリー区分する報告についても、もう少しみておきたいと思います。アプローチC、Dはともに伝統的利益を明示的に報告せず、財務業績をいくつかのカテゴリーに区分して報告します。ここでは、G4+1が最終的に採用しようとしているアプローチDについてみておきたいと思います。すなわち、そこでは財務業績は@営業(販売)活動(Operating(trading)activities)、A資金調達およびその他の財務活動(Financing and other treasury activities)、Bその他の利得・損失(Other gains and losses)の3つに区分されます。Bは主として固定資産の再評価による利得・損失でありますので、それをいったん外におきますと、@とAの区分は結局のところ、営業活動と金融・財務活動の区別ということになるかと思われます。

重要な点を2つばかり指摘しますと、その第1は財務業績を営業活動(operating activities)からの利益と財務活動(financial activities)からの利益とに明確に区別しているという点であります。すなわち、そこでは「実現vs.未実現」といった区分ではなく、経済活動の基本的相違に基づいて区分されているという点であります。第2はその区別が評価原則の違いに結びついているということ、すなわち前者の項目(operating items)は基本的に歴史的原価の評価に、後者の項目(financing items)は市場価値ないし公正価値の評価に結びつくということであります[27]

しかも、@営業(販売)活動については、報告レジュメの資料@の原文を下線で示していますように歴史的原価による評価と収益・費用の対応というところが注目されます。これはまさに伝統的な「原価−実現」の枠組みに結びついております。重要な点は、@営業(販売)活動(その内容はvalue-adding-activities)による業績測定には原価主義会計の枠組みが妥当し、A資金調達およびその他の財務活動による業績は、それとは明確に区別されるという点であります。

いずれにしても、今日の金融商品の時価評価問題を単に資産評価の問題としてではなく、成果計算の問題として議論するとき、損益計算書の様式がこれまでとどう変わるかという観点から見ていくことが1つの理解の仕方になるかと思われます。なぜなら、そこには成果ないし業績の見方が反映されているはずであり、その背後にあるはずの成果計算の違いが損益計算書の報告様式の違いという具体的な形の中で見ることができるからであります。その意味で、G4+1が示した4つのアプローチは業績報告の今後の方向を展望するうえで非常に重要であると思うわけであります(その要約表はあとのレジュメの資料A参照)。

なお、こうした多元的な財務業績報告の背後にあるものをさらに考察していくことが、今回の統一論題の重要な柱になっている「社会科学としての会計研究」の方法かと思われますが、その点も、あとで少しでもふれることができればと考えています。

 

8 開示規制と配当規制: 国際的調和との係わり

 

その点を先に述べておきまして、ここで業績利益計算と分配可能利益計算との関係について若干ふれておきたいと思います。すなわち、こうした業績報告の多元化ないしは多重化といった動向が、仮に将来わが国の会計制度のなかにも導入されるようになるとしますと、市場原理を基礎にした投資家のための情報提供の会計(証券取引法会計の基本目的)と利害調整機能を基礎にした債権者のための配当可能利益算定の会計(商法会計の基本目的)との乖離はいっそう大きくなることが予想されます。したがって、今後両者の調整問題が議論されるなら、これまで制度改革のたびになされてきたもの(例えば昭和37年、49年)とは相当レベルを異にする可能性があるように思われます。商法会計の本来的目的がこうした多元的な業績の測定・報告といった将来方向とどのように整合的なものとして調整できうるかが新たな課題になるわけであります。

周知のとおり、法制審議会は「商法等の一部を改正する法律案要綱」1999年2月16 日、以下単に「要綱」)のなかで次のように述べております。すなわち、「以上のような状況のもとで、要綱は、企業の資産状況を適正に表示するとともに、国際的な会計基準との調和を図り、企業会計原則との整合性を確保するため、一定の資産について時価評価を可能とする方向での商法上の資産の評価基準の見直しを行うこととしている」(法務省民事局参事官室[1999]41頁、傍点は引用者)[28]。すでにこの要綱に基づき商法は平成12年に改正されたわけでありますが、特にここでは国際的な会計基準との調和に加えて、企業会計原則との整合性の確保という点(開示規制の面)から時価評価の導入が図られたことに留意しておきたいと思います。ただ、他方で、大蔵省・法務省「商法と企業会計原則の調整に関する研究会報告書」(1998年6月16日)におきましては、投資家への情報提供の面(開示規制)では今後も企業会計原則との整合性を確保するとしながらも、時価評価差額の配当可能性の問題(配当規制)は今後の検討課題として実質先送りになっていることも留意しておかねばならない点であります。

もう少し申しますと、この点については商法の従来の考え方(論理)が如実に出てまいります。すなわち、同じく要綱では「…このような不確実な利益を配当することを認めるときは、会社の財産的基礎を危うくし、会社債権者等を害するおそれがあることから、配当可能利益の計算上は、貸借対照表上の純資産から、時価を付したことにより増加した貸借対照表上の純資産額を控除すべきこととされた」(同41頁、要綱第一の三の4、傍点は引用者)と述べております。具体的には、第290条1項に6号を新設し、時価評価による資産の増加分(時価総額が取得原価の総額を超えるとき)を純資産額から控除するかたちで調整する改正がなされたわけであります。そこでは、未実現評価益が未実現評価損より大きいときは、その差額である評価益は配当可能額に算入されない、つまり評価損の範囲までは配当可能性を認めるという意味で折衷論的な扱いとも受け取れますが、仮にすべてが評価益であれば、それらはすべて配当可能額に算入されないことになりますから、その点で評価益の配当可能性は全面的に否定されているわけであります。

 以上のように、開示規制と配当規制とは従来通り商法第290条という調整場でなんとかつじつまをあわせる形にはなっていますが、先に述べました業績利益の多元化といった方向が将来においてわが国にも導入されるようになりますと、そのようなこれまでの調整方式ですむのかどうか、私には疑問に思われるわけであります。それはもう調整といったレベルを超えて、両者は基本的に分離していく方向になる可能性も十分考えられるわけであります。分配可能利益という枠を1つの円として描きますと、業績表示利益の円はその円のなかにあったものが、次第に横にずれていって、最後に別の円として分離していくといったイメージであり、現在は2つの円がまだオーバーラップした部分(共通部分集合)を共有して未分離のまま重なっているということであります。

 

9 会計規制の国際化動向:調和化から統一化へ

 

 ところで、会計規制の国際化の問題は、今日、もはや先の調和化といったレベルをはるかに超えた、たいへん重要な局面にさしかかっております。20世紀末に世界の会計規制をめぐる覇権闘争(ヨーロッパ対アメリカ)がみられましたが[29]、今日、IASCは周知のとおり今年4月にあらたにIASB(国際会計基準審議会あるいは理事会)に改組され、英米系すなわちG4+1に代表されるアングロサクソン系の会計規準を中軸にした世界標準化、「収斂」(convergence)化あるいは「統一」化が行われようとしています。しかも、その統一化のスケジュールはわれわれが想像する以上のスピードで、つまり10年後といったような悠長なものではなく、比較的短期間にそれにむかって突き進もうとしている最中なのであります。その証拠に、EUは遅くとも2005年までにIAS(IFRS:国際財務報告基準)に基づく連結財務諸表の作成を欧州の上場企業に強制することがすでに決まっております。こうした統一化の動きは、あたかもコンピュータのOS(オペレーティング・システム)でのウインドウズのように、いわば会計OSの世界における“マイクロソフト化”ともいえます。

ひるがえってわが国では、周知のとおり、今年8月に民間の基準設定機関「企業会計基準委員会」があらたに設立されました。この各国の基準設定主体とIASBとの関係はいわば共同作業(Joint Project Approach)という関係であり、IASCのときと違って公認会計士協会ではなく基準設定主体との連携、それも共同作業という形をとった連携であるところが重要な点であります。

しかし、その共同作業といっても、先ほど述べましたように、(旧)G4+1(英、米、加、豪・ニュージーランド+IASC)に代表されます英米系の会計基準が中軸になることは誰が見ても予想されるところであります。そのことは、例えばIASBのメンバー構成をみただけでも明らかであります。すなわち、14名のメンバーのうち独、仏、日、スイスの4名以外の10名すべてが英米系(加、豪、南アの3名を含む)であります。たとえは物騒かもしれませんが、いわば多国籍軍を編成してもその中心は英米であり、日本はせいぜい後方支援の位置にしかいないわけであります。実際、そのJoint Project Approachといっても、@リード役、Aサポート役、Bモニター役、といったレベルの違いがあるそうですが、当面の日本の役割はそのなかでも最後のモニター役という少々「さびしい」ポジションにとどまりそうな気配なのであります。まさに世界の会計基準の統一化にむけた闘争の後方支援の位置にいるわけであります。

では、共同作業といっても下請作業的な存在にならないよう、より積極的な貢献は可能なのでしょうか。確かに前戦で戦うことはできなくても、貢献のあり方いかんでは、わが国も期待できる面があるように私には思われますが、そのことにふれる前に、ここで統一化そのものの問題点について若干ふれておきたいと思います。

会計基準の世界標準化、収斂化、統一化のプロセスにおいて、Joint Project Approachを採っても、すでに述べたようにその中心は英米の会計基準になることは十分予想されます。その問題点を2点だけ指摘すれば、その第1は同一経済事象に同一の会計処理といった画一化の方向の問題であります。彼らの考え方の一端は、例えばIASB副議長の次の発言、すなわち「会計は法律とは異なり単なる技術的な手法です。…経済取引としての性格は世界中同じであって、ゆえにそれらの会計処理方法も世界中同じでなければなりません」という発言のなかに端的に表れています[30]。しかも、その経済事象というのは英米での経済慣行が想定されているのは、持分プリーングの廃止理由、すなわち本当の対等合併などは存在しない(アメリカでは)という理由のなかにも垣間見られるところです。

第2はJoint Project Approachの意味合いに係わる問題であります。すなわち、そのアプローチを採用した一番の理由について、同じく次のように発言、すなわち「もし、国際会計基準が世界の主要国の会計基準設定主体と共同で作られれば、それが各国によって受け入れられる可能性が高まるわけです」との発言にもみられるように、このアプローチを採ること自体が会計規制の統一化への各国の合意を得る手段にもなっているということであります。アメリカが多国籍軍をもって戦争を合意化することと、会計の世界統一のために英米が中軸になって各国と共同作戦を行うということと、どこか類似しているように思われます[31]。さらにいえば、発展途上国がこの会計の世界統一化のなかでどのような立場にあり、またどのような影響をうけるか、慎重に検討する必要があるように思われます[32]

 さて、わが国の主体的貢献でありますが、かれらと前戦で共同作業するといっても、かれらの主導でなされることは先に述べた問題点からも十分予想されます。したがって、私は、結局のところ、その貢献のあり方は個々の会計基準そのものよりも、その基礎付けに係わる「理論」にまず求めるべきではないかと思います。すぐ、あとでも述べますが、英米のひとたちはプロフェッションに密着した個々の会計基準設定といった作業はきわめて得意ですが、それらを基礎づける概念といったレベルになりますと、そこでの理論は非常にプロフェッションからの規定を受けているように思われます。会計が現実には制度として機能している以上、当然であるといってしまえばそれまでですが、プロフッションに規定された理論そのものの性格が問われるわけでして、そこから距離をおいた、ある意味で(古典もふくめて)純然たる理論といった観点からの検討作業もあっていいように思われますし、それがまたアカデミズムの本来的な役割であり位置ではないかと思われます[33]。そして、こうした理論的作業は、どちらかといえばわが国やドイツなどの全体の体系や概念を重んじる国の会計研究の方が得意であったように思われます。確かに、英米はそうしたピースミールな会計基準設定を基礎づけるために、いわゆる概念フレームワークを設定いたしましたが、それ自体にも問題がないわけではありませんし[34]、あとでもふれることになりますが、その制度的性質の分析が「社会科学としての会計学」の1つのあり方でもあります[35]

 とりわけ、その理論のさらに根底に2つの異なる会計思考、すなわちフロー思考の会計観とストック思考の会計観があって、その関係がかならずしも明らかではなく、その折り合い(例えばインコンパティブルなのか、それともコンパティブルなのか)も決着していない今日、そのことは重要であります[36]。まして、国際動向において、われわれが思考するものとは異なる会計思考のもとで統一化が進んでいるなら、なおさらであります。かりに、一方の会計思考であるストック思考が実態とかリスクの開示、あるいは財務透明性といったものからでてきているなら、そこでの理論とはいかなるものかが問われます。そこでは、どうしても開示志向、開示優先の会計になっていくような気がいたします。理論の性格が外向きであります。さらに言えば、ストック思考を行きつめていくとその先には、資産あるいは負債の直接的測定によるいわば「直接的損益」計算といった、これまでの会計的配分を基礎にするものとは異質な計算が想定されます。そこにはもはや複式簿記を必要としない世界であろうかと思われます。これに対しフロー思考においては、実態開示ではなく利益計算がその中心になり、そこから会計的概念も構成されます。そこでは、利益は複式簿記の記録計算を通して導出される仕組みになっています。伝統的には、この会計思考のもとで会計は構築されてきたわけであります。したがって、あらためてこのもう1つの会計思考に立脚した概念枠組みを構築することが必要ではないかと思われます。

ちなみに申しますと、FASBも(旧)IASCでの概念枠組みも、いずれもいわば「資本等式」という会計構造に基礎づけられた建物のようなものでして、建物の基礎構造が異なれば建物の姿も変わるように、別の構造に基礎づけられた別の建物をつくってみるという作業が重要ではないかと思います[37]。こうした理論的作業は日本がその先導役を担ってもらいたいし、同じくIASBのメンバーのなかでも、とりわけ英米系のメンバーと比べてみて(彼らにはそうした会計構造論的研究の蓄積に乏しい)、日本の方にその理論的蓄積があるように私には思われます[38]。これこそ、日本の貢献、積極的参加のあり方ではないかと思います。

「企業会計基準委員会」の初代委員長に就任された斎藤教授は、今月(10月号)の雑誌『企業会計』に日本の国際貢献という点で、次のような発言をされています。すなわち、「最先端で工夫をするというより、アメリカがやるようなことを少し離れて見ながら、全体としての体系をきちんと確立して、会計基準に堅固な概念の基礎を与えていくことが、むしろ日本のなし得る最大の国際貢献ではないかと私は思います」(65頁、傍点は引用者)と。このことは、先に述べましたことに、まさに通じているように私には思われます。私は、(斎藤教授が英米の概念的枠組みに対比されるものを想定されているかどうかは別にして)、2つの基本的に異なる会計思考に基礎づけられた2つの建物、すなわち2つの概念的枠組みをまず相対比較させて、その次にそれらをどう再構成するか、あるいはどう繋なげていくか、そういった作業をすべきではないかと思います。そのためにも、まず第1の会計思考の上に立つ建物を純粋な形で描く作業が必要ではないかと思う次第です。

 

10 理論のあり方:プロフェッション性および実証研究

 

今日の時価会計問題を考えるとき、理論のあり方といった点も議論の遡上になるかと思われます。すなわち、今日の時価会計問題は資本・利益計算の枠組みの再構成、ひいては伝統的な会計理論の再構成といった、全体の体系性が問われる非常に根本的な理論的課題をかかえております。したがって、単なる会計基準のための理論にとどまらず、より体系性をもった理論が求められるはずであり、そのことは、今日、いわゆる動態論的会計という会計観そのものが問われていることからも、理解されるところです[39]。その意味で、わが国のこれまで蓄積されてきた(そこでは必ずしも特定の会計基準にひっぱられていないわけですが)理論研究の現代的課題ふまえた再構築の可能性が検討されねばならないように思われます[40]。しかし、他方で、そのことは単に純然たる学術研究にとどまらず、それが新たな会計基準の全体的理論をふまえた裏付けとしても意味のあるものでなければならないわけですが、それが学界というごく狭い世界でのものでしか通用しないという状況も指摘しなければならないかと思われます。したがって、ここに理論と制度の一方のみに偏重しない両絡みからの考察の重要性があるといえるわけであります。

ただ、こうしたわが国の純然たる理論研究においては、これまで蓄積されてきた理論研究が必ずしも今日的問題への発展的展開といったかたちで継承されていない点も指摘されねばならないかと思われます[41]。もっとも、それらは今日の会計問題に、もはや発展的に適用され得ない、古びた過去の遺産にすぎないというなら話は別でありますが。しかし、そう言ってしまうには、先学者のこれまでの理論的蓄積を軽視しすぎてはいないか、そもそもそう言えるだけの総括がなされているのか、私にはきわめて疑問に思われます。今日そうした先学者の理論的蓄積が顧みられないのは、資本市場での有用性を中軸にした実証研究が主流となっていること以外にも、英米圏の研究スタイルにひっぱられた研究姿勢そのものも、その1つであるように私には思われます[42]

 先の欧米における会計基準のための理論的性格としては、わが国の会計研究と対比したとき、「プロフェッションのための理論」といった性格、とりわけ、プロフェッションのためであるがゆえに、その制度的性質が指摘されますが、その点はあとでふれることにして、ここでは実証研究に関してだけ取り上げておきたいと思います。

 

11 実証研究と会計基準:企業価値評価適合アプローチ

 

これも会計研究学会での特別委員会報告「会計基準の動向と基礎概念の研究」でコメントしたことでありますが、周知のとおり、近年、企業評価モデルと会計情報との関連で、会計数値を基礎にしているオールソン・モデルという評価モデルが実証研究において優位なものとして定着しつつあります。ここではその評価モデルと時価評価との係わりについて述べるだけの余裕はありませんので、特に会計基準ひいては会計研究の性格におよぼす影響についてだけ述べてみたいと思います。

すなわち、結論だけ申しますと、金融商品の会計基準など特定の会計基準はこうした企業価値評価モデルに整合的かどうかが、その妥当性の判断基準となりうるということであります。いってみれば、会計基準の「企業価値評価適合アプローチ」ということであります。しかし、これまで、少なくともわが国では、そうした企業価値を前提にした会計基準の説明理論は必ずしもなされてこなかったように思われます。例えば、業績利益も企業価値の事後検証といった位置づけではなく、むしろ分配可能利益といった枠内での業績表示利益として説明されてきた面も否定できません。

こうした議論の行き着く先は、企業価値評価モデル→その実証分析→会計基準ということが考えられ、会計基準およびそれを支える会計理論は、その起点になっている企業価値の理論およびそれを支えるファイナンス理論と、その評価モデルの選択にかかわる実証研究とに大きく依存することになるように思われます。となりますと、実証研究と会計基準とのかかわりがより具体的に検討されねばならなくなるわけですが[43]、実際、包括利益、とりわけ「その他の包括利益」概念の妥当性ないし有用性も、実証研究の成果いかんにゆだねられることになるわけであります。つまり利益の概念というものさえも、外的有用性から導かれてくるわけであります。

最近、こうした企業価値とのかかわりで会計基準が決まる1つの典型的なケースが、アメリカでの会計基準のきわめて重要な変更のなかにみられます。すなわち、M&A会計におけるパーチェス法の一本化と、(それと引き換えに)のれん代の償却を廃止して減損方式のみにした会計基準(SFAS No.141,142) がそれであります。ここで重要な点は、その変更の理由がどこから来ているかということであります。FASB会長のジェンキンズ氏は、その理由について端的に「のれん代償却はとても恣意的なもので、それ自体にはほとんど情報価値がない」と述べております(日本経済新聞2001年8月17日、傍点は引用者)。のれん代の償却を廃止したのはこれ以外にもハイテク業界からの政治的圧力があった点も否定していないのですが[44]、この「情報価値がない」という見方が非常に重要であります。つまり、償却から減損への計算論的根拠づけによる変更ではなく、企業価値(株価)への有用性という外的論理、およびその背後にある業界からの陳情を受けた議会の圧力といった外的要請がその重要な会計基準の変更に作用しているわけであります。

こうした企業価値を起点にする議論の背景には、「(アメリカを中心にする)インベスター・キャピタリズム→(機関)投資家の役割重視→企業評価→評価モデルの開発→その実証研究→会計基準」、といった関連での(機関)投資家を重視した会計情報の役割ということが想定されます。とりわけ機関投資家を重視した株式会社のあり方が、会計基準および公開のあり方にも密接に係わっているということであります。このことは、最後の「社会科学としての時価会計」というところで若干ふれたいと思います。

 

12 個別資本説と会計制度論:今日の時価会計問題との接点

 

 今回の報告を機会に、第1回大会での報告が掲載されています『創刊号』を拝読いたしました。そこでは、「個別資本説」と「会計制度論・政策論」の到達点および現代的課題が、会計研究学会ではあまり見られない方法論で、それぞれたいへん興味深く、またスケールの大きな報告がなされています。そこで、それらの報告をふまえて、ここではやはり今日的時価会計という具体的問題にひきつけて、それら2つの理論との今日的接点について若干議論してみたいと思います[45]

(1)個別資本説と時価会計問題:会計の対象規定問題

まず、個別資本説あるいは個別資本運動説についてでありますが、陣内報告では重要な概念として個別資本運動の概念を「二重の意味で重要」であるとされ、「会計の対象規定」の問題と、「会計の本質規定」の問題をいずれも『資本論』を中心に議論されています。第2の本質規定については次に取り上げます小栗報告でもでてきますので、ここでは第1の対象規定に係わる問題についてだけ、若干述べてみたいと思います。

私が有価証券の時価会計問題を考えはじめたさい、そのいわば出発点になったものは、「有価証券は商品Wか」という問いかけでありました。今から思いますと、京都大学での学会での津守先生のご報告におきまして、フロアーから質問させていただきましたが、それがまさにこの問いでありました。そのさい、私の質問に係わって陣内さんと小栗さんが相次いで質問されたことを覚えております。津守先生とそのお二人とともにここで私が報告しているのも何か因縁のようなものを感じます。

余談ですが、そのときはまだ非会員でしたので、手元にそれを記録した『学会年報』を持っていませんので正確ではありませんが、確か陣内さんが資本運動をCapital Movement かCapital Circulationか、といったことを言われたことをいまだに記憶しております。残念ながら、小栗さんのご質問の内容は忘れてしまいましたが、のがしたものはたいへん大きかったのではないかと今さらながら思っておりまして、『学会年報』をお借りして是非その箇所を読んでみたいと思っている次第です。

さて、私はとりたてて個別資本説の発展的展開といった問題意識をもっていたわけでもありませんが、「有価証券は商品Wか」という問いかけは、陣内さんのいわれる会計の対象規定に係わる問題という位置づけになるようにも思われます。すなわち、その私の質問の背後には、いわゆるG―W−G’の運動とは性質の異なる運動が、個別資本の運動を対象にする企業会計では(マクロ的には貸借は相殺される)その対象になるのではないか、ということであります。そして、そのさい重要なことは第1に貸付資本だけでなく、そのさらなる発展形態である有価証券に代表される擬制資本もその対象に入ってくるということであります。第2に、陣内報告にでている財務活動というものが、「現実の資本運動の前段階としての貸し付け」(『会計理論学会年報No.1』37頁)すなわちファイナンス(資金調達)ではなく、つまり貸方側の問題ではなく、インベストメント(投下回収)、つまり借方側(資産)の問題であるということであります。そのことを運動の範式でいえば、例えば中西説のように一番左端に位置づけられるのではなく、むしろ金融投資でありますから実物投資と同じく右側に並列し、しかもそれとは異質の運動でありますから、それとは区別されてその外側に位置づけられるという点であります。そのことと関連しますが、第3に資本運動とともに重要な概念とされています「所有関係」で言えば(その「所有関係」の意味するものについて必ずしもよく理解していませんが)、それが貸方側だけではなく、むしろまずは借方側(資産)問題としてでてきているという点であります。金融資産・負債は「契約上の権利・義務」でありますから、今日の金融商品(権利商品)の会計問題は生産関係ではなく所有関係の会計問題として登場してきているわけで、それがしかも先に述べましたように会計の対象規定の問題に係わっているのであります[46]

いずれにしても、今日の金融商品の時価会計問題を個別資本説にひきつけて議論できるとすれば、それはまずは陣内報告での「会計の対象規定」の問題(計算の問題)として位置づけられるように思うわけであります。そのことからすれば、逆に申しますと、個別資本の運動を対象にする個別資本説では、そうした異質な資本運動が明確なかたちで対象規定されていなかった、という点が指摘されるわけであります[47]

(2)会計制度論・政策論と時価会計問題:制度化された会計認識

次に会計の本質規定の問題に移りますが、その前に先に取り上げました「公開の計算への侵入」という問題をここで再び取り上げますと、公開の計算への侵入であるかぎりにおいては、それは第一義的には先の「会計の対象規定」の問題ではなく、むしろ公開の問題として議論されることになろうかと思われます。このことが、これから取り上げます会計の本質規定、とりわけ小栗さんの新しい論文のなかでは、それを2つの本質機能に区別されておられますが[48]、その第2の本質規定すなわち「経済過程の媒介機能」に係わるかと思われます。そこで、以下、この問題について若干ふれてみたいと思います[49]

さて、議論のポイントはその2つの本質機能の関係、ないしその関係の捉え方であります。すなわち、端的には「Aの機能は@の機能のあり方を規定し性格づける基底的役割をもっている」(167頁)と説明されているように、Aが@を規定する関係として捉えられていることであります[50]問題はその規定の具体的内容でありますが、先の「公開の計算への侵入」という問題は、ここでいえば、その内容であるようにも思われます。ただ、先にも述べましたように、今日の時価会計問題において、例えば「相場変動で利益が決まるか」という問いは、Aの問題としてではなく、@の問題つまり「計算の問題」として議論しなければならないのではないか、少なくともその計算の議論がなければどう規定されているかも明らかにされないのではないか、そのように思われます。

ただ、例えば先に述べました財務リスクの管理という側面は、個別資本のなかでの@の認識統制機能の側面ともいえますが[51]、そもそもそれがなぜ財務会計として利益計算のなかに入ってくるのか、それがなぜ業績なのかを議論すると、それだけですむかどうかは確かなことであるようにも思われます[52]。しかしながら、これまでの(歴史的原価会計の)会計計算にあっても、制度的規定を受けていないわけはないのであって、その何らかの制度的枠内で「実現」とか「配分」といった会計固有の概念を作り上げてきたわけであります[53]。したがって、今日、いかなる「資本運動の媒介的契機」(小栗[1987]27頁)が、「媒介」という用語がある意味で“便利な”用語であるだけに、そうした伝統的な会計計算の概念に対立的に係わっているかが明らかにされねばならないと思うわけであります。このことは時価会計問題にかぎらず、他の今日の会計問題にも同じく言えることかと思われます。

さらには、それらの会計基準の基礎にある概念フレームワークそのものの性格の検討も、ここでのAの機能とのかかわりで、非常に重要な問題であるように思われます。すなわち、何人かの論者がすでに指摘しているところでありますが、要するに、概念フレームワークそれ自体のもつ制度的性質、つまりプロフェッショナル会計制度に不可欠な制度装置とみる見解であります[54]。ここでも、先と同じく、小栗さんの概念を使えば、「経済過程の媒介機能」や「資本運動の媒介的契機」のいかなる内容が、そうした制度的形態として典型的に現れている概念フレームワークに作用しているかを具体的に分析していくことが重要な研究課題になるように思われます。先に取り上げたIASBを中心にした会計基準の国際的統一化が現実のものになりつつある今日、また、その基礎に英米系の概念フレームワークが大きな意味をもつ今日、そうした分析は国際統一化の方向を客体化・相対化するだけでなく、先にも述べましたように、その相対化のもとで日本の会計基準のあり方に関する理論的貢献の可能性につながると思うわけであります。

まさに、「現実の会計も、やはり経済的内容と法的形態、制度的形態の統一としてあらわれる」(同27頁)というのはそのとおりであり[55]、現に眼前にある制度を制度たらしめている「経済的内容」の分析をとおして、今日の会計問題の拠って立つところを明らかにしていくことが本当に「理解する」ということにつながるように思います[56]。このことはより明確な法形態として現れる法律学においても同様であり、例えば川島[1982]では法現象を社会制御という社会過程の一特殊場合として構成するモデルを展開していますし、また川島[1987]では「『所有権』として法律的に現象してくるところの近代的所有権について、その規範論理的意味(それは「法律学」の作業対象であるが)をではなくして、その現実的な社会現象としての構造を分析することである」(320頁)と述べています。現実的な社会現象としての法律もそして会計も、それらを現象たらしめている「経済的内容」があるはずであります。その意味では、「科学としての会計学」と「科学としての法律学」とはその学問的基礎を共有しているといえます。

 

13 社会科学としての時価会計

 

最後に、統一論題のサブテーマが「社会科学としての会計学の課題」ということでありますので、それに即して「社会科学としての時価会計」ということについて若干述べてみたいと思います。まず、社会科学として会計を議論するさいその要件は何であるかについていくつかあげ、次にそれらの要件に照らして、これまで(つまり会計のなかで)議論してきました金融商品の時価会計問題を、「社会科学として」どう捉えるか、ということを考えてみたいと思います。

私事になりますが、私はこの学会の創立からの会員ではなく、だいぶあとで、ちょうど5年前の九州大学での学会のさい新会員にさせてもらったと思います。そこで、今回の報告を機会に『創刊号』を勉強させていただこうと思い、小栗さんや事務局の勝山先生にお願いして1冊いただくことができました。この場を借りてお礼申しあげます。その『創刊号』に記載されております「会計理論学会設立に当たって」と題する声明文のなかの一節、すなわち「会計の本質・諸機能・諸形態を総合的かつ歴史的見地から研究する」、あるいは「会計を社会的・経済的環境との関連において、総体的に研究する」という、この歴史的・総体的に研究するという方法が社会科学としての会計研究のあり方であり、これこそ本学会に固有の会計研究のあり方であり、またその存在根拠であると思われます。そこで、私は、それをふまえたうえで、さらにより具体的に「社会科学としての時価会計」を形成していくさいの要件を、ここでは木村和三郎の会計学(木村会計学)、とりわけその「方法」に求めてみたいと思います。

すなわち、周知のこととは思われますが、木村会計学には3つの方法的特徴があげられます。1つは歴史的研究の重要性、2つは経済学的分析の重要性、そして3つめは理論と実践の統一という、3点がそれであります[57]。まず第1の点ですが、それは端的には「発生の歴史をたどることによって、事物の本質が明白になる」ということであります。この観点から今日の時価会計を考察すると、冒頭で述べました時価会計のいくつかの系譜といったレベルにとどまらず、さらに歴史を遡って今日の会計問題を考察する必要があります[58]。つまり何が契機となって今日の時価会計問題が登場してきたのか、そのことを明らかにしなければ今日の会計問題を本当に理解することにつながらないわけであります[59]。私は、あたかも19世紀の産業資本主義の確立・発展があらたな「固定資産会計」(減価償却会計)を確立する契機となったように、20世紀後半からの金融・証券経済の高度化・多様化に伴う金融資産の量的・質的変化が今日の「金融資産(負債)会計」の新たな確立を促しているように思います。そのような歴史的なパースペクティブからすれば、今日の会計問題は19世紀の「固定資産会計」に匹敵するほどの、新たな会計の登場という見方も可能になるわけであります[60]。その意味では、「変容」というレベルを超えているということもできるもしれません。

そして、それらの新たな会計の登場が、一方の「固定資産会計」では生産資本に係わる問題として、他方の「金融資産会計」ではすでに述べてきましたように生産それ自体ではなく、金融・証券という貸付・擬制資本に係わる問題として現われています。そして、その現れ方は異にしていますが、いずれもその基礎には社会経済の動態的・構造的変化およびそれに伴う株式会社そのものの発展変化があり、そのことと密接につながって新たな会計が登場しているという点が重要なところであります。となりますと、さらに今日の株式会社がどのような段階に達し、どのような変化をとげているか、さらには今後どのような方向にむかっていくか、という具体的な分析が今日の会計問題を解く1つのカギになるように思われます。すなわち、それが次の第2の経済学的分析に通じるわけであります。

そこで第2の経済学的分析でありますが、それは「事象の分析を論理的に展開するためには、『経済学』が重要」であるということ、「社会経済現象としての会計の解明に立ち向かうためには、あくまで経済学というフィルターを通してこそ核心にふれることができる」ということであります[61]。この観点からしますと、特に1980年代後半あたりから顕著になってきました現代の株式会社制度のあり方の分析が、今日の時価会計をはじめとする会計問題を社会科学として解明する1つのカギになるように思われます。この分析は第1の観点とあいまって私の今後の研究課題の1つとなっておりますが、ここではその一端だけですが、ふれておきたいと思います。

すなわち、すでに述べましたように、1980年代の後半からのいわゆる証券市場の「機関化」現象→株式会社制度のあり方(支配構造への影響)→会計計算と開示への影響、という一連の関連から今日の金融商品会計を説くということであります[62]。もう少し概念的レベルで申しますと、バーリー・ミーンズの「所有と経営の分離」から「経営者資本主義」(マリス)を経て(ここまではよく周知のところでしょうが)、今日の「投資家資本主義」(ユシーム)への発展過程を基礎にして、今日の計算と公開の会計問題を歴史的・経済学的に考察するということであります[63]。IASBやG4+1といった国際動向も、単に会計基準の国際化、調和化、統一化といったレベルに止まらず、そうした資本主義経済の具体的な発展過程の一環のなかで捉える必要があるように思えるわけであります[64]。そうした見方から、会計の「計算と公開」も経済の発展過程、とりわけ証券市場の発展過程および株式会社制度の発展過程の一環として捉えることが可能になると思うのであります[65]。ここでは、特に機関投資家の国際的投資の増大がそうした会計規制の世界標準化の動向と密接に係わっていることだけを指摘しておきたいと思います[66]

最後に第3の「理論と実践の統一」でありますが(駒沢大学の建学の理念である「行学一如」(ぎょうがく・いちにょ)ということかと思います)、「最も抽象的な理論と最も具体的な現実との統一をはかる」ということであります。私は、この「現実」を会計基準設定を中心にした会計制度とみたいと思います。理論が具体的に会計基準を導くという点、あるいは理論からみた会計基準の問題点を明らかにしていく点はむろんですが、究極的には、今回の論点の1つの柱であった「計算と公開」の何らかの統合ないし総合にかかわる総体的な理論づくりが、そこでいう「理論と実践」の統一につながると思うわけであります。

そして、そうした作業を可能にする洞察力こそ、(会計のなかだけでは不十分であり)先にあげた歴史的分析や経済学的分析によって可能になると思うわけであります。私が今回取り上げました金融商品の時価会計問題も、そうした洞察力に基づいて解かれなければならないわけですが、その洞察力をいまだ獲得していない私の今回の報告ではありますが、いわば「社会科学としての時価会計」の序論として、その一端でも示すことができればということを願って、私の報告を終えたいと思います。  

          (以上)

                 

 

補論:経済学の選択と会計研究

 

  以下は1995年5月に開催された第2回神戸フォーラムでの主としてサンダー報告と津守報告を、「2つの経済学とそれに基づく会計パースペクティブのコントラスト」という点に焦点をあてたものである。(津守先生への1995年5月29日付けコメントレターの一部を先生の了解のもと掲載。ただし各節のタイトルを追加)。6年も前になるが、今回の報告と関連するので参考までに補論として掲載しておきたい。なお、コメントは翻訳のでる前であるので、英語論文に基づいている。事前に、サンダー論文の翻訳「契約理論的企業観と代替的会計観」(山地・サンダー[1996]第2章所収)および津守論文「測定・公開と経済学」(同第8章所収)を読まれたい。

 

1 2つの経済学とboundary line

サンダー論文での2つのboundary line、すなわち「所有と経営の分離」(separation of ownership and control)、「所有の複数分散化」(subdivision of ownership into a large number of small pieces) が3つの組織形態を区分しており、それが@classical,Astewardship, Bmarket-based の3つの会計パースペクティブの区分に対応・反映しているわけです。とりわけ、津守論文での「生産・現実資本」と「信用・擬制資本」の対立(区分)はサンダー論文でのsecond boundary lineに対応しているとみることができます。そして重要なことは、このboundary lineの捉え方に関する2つの経済学、すなわち「組織の経済理論」(economic theory of organization)と「資本の経済理論」(capital theory)のパースペクティブの違い、これが指摘されねばならないと思います。

そのことは、例えばサンダー論文では「所有と経営の分離」や「所有の複数分散化」といういわば事実説明およびそれによる組織形態の変化の説明はなされても、例えば何故に所有が複数化するか(資本の理論からすれば「資本の動化」、「資本の二重化」の理論)、といったwhyの説明、経済学的理由づけがなされていないわけです。つまり資本の経済理論に比して、「発展の論理」に関する展開がみられないわけです。したがって、私には、そこでのboundary lineの動学的根拠がみられないので、どうしても平面的区分に写ってしまいます。しかし、capital theory perspectiveでは、周知のとおり、例えば前期的商業資本、商業資本、産業資本、金融資本といった「資本」を中心にした発展の論理が説かれます(サンダー論文での境界線が2つである必然性はなく、その第1境界線の前にも、第2境界線の後にも境界線を引くことができるわけです)。組織形態も、したがってこの資本の視点からその形態の変化(企業形態の変化)を説明することができます。いずれが、動態をきちっと見せているか、またその動態を貫くものを見せているか、このことが2つの経済学のいわば“勝負どころ”のように思います。ちなみに、資本の経済学からすれば、組織はeconomic agentというプレイヤーのarena(場)(Sunder論文p.2)ではなく、それは時代時代のさまざまな資本が展開する、“資本による資本のためのarena”となるのではないでしょうか。

 

2 会計パースペクティブのコントラスト

 このことは、ここで選択された2つの経済学がそれぞれの会計パースペクティブに反映されていますので、会計の見方にとってますます重要になります。このことが、つまり今回のテーマである「経済学と会計学」との関連において、津守報告とサンダー報告とを比較してたいへん面白いところだと指摘したのですが、言葉足らずか、残念ながら、司会者はじめほとんどに理解していただけなかったようでした。例えば、津守報告ではこのboundary lineを挟んだ経済基礎の対立が会計面での「記録・企業利益計算」と「公開・配当可能利益計算」との対立性として現れることを説明されていますが、ではサンダー論文ではどうか…、となるわけです[67]

 会計学の立場からは、境界線の“数と位置”は(サンダー論文では2つ)、会計および会計パースペクティブ(サンダー論文では3つ)の発展変化に対応づけられることになるかと思われます。先の前期的商業資本の段階から金融資本、とりわけ擬制資本信用がよりいっそう発展している今日の経済ステージまで、それぞれに対応した簿記・会計の動態および会計問題が措上にのってくるわけです[68]。例えば減価償却に典型的に現れる原価配分思考→動態論思考は、周知のとおり産業資本の発展とりわけ固定資本の相対的拡大化によってもたらされたひとつの会計パースペクティブとみることができますが、こうした会計の動態をそれぞれの経済学(ここでは「資本」の経済学vs.「組織」の経済学)のパースペクティブがどう捉えるか。さらに今日の金融商品をめぐる会計問題にかかわる会計パースペクティブの変化は…、となるわけです。いずれにしても、経済と会計の動態を捉える視点の違いが、津守論文とサンダー論文の“選択された”経済学の違いとしてあらわれている。そのコントラストが期せずしてたいへん面白いものになっているということであります。

私の関心は、いずれの経済学をとるかということよりも、まずはそれぞれの経済学の違いが会計の見方・捉え方(既述のとおりサンダー報告では3つの会計パースペクティブ)のいかなる違いとしてあらわれてくるかという点でした。そうした関心からして、津守・サンダー報告での経済学の相違が、したがってその違いを反映した会計パースペクティブの違いが、どこにどういうかたちであらわれてくるか、このことに焦点を当てますと、非常に興味深いものであります。

 

3 動態を「理解」する

 ちなみに、最初の後藤報告はまさに擬制資本市場での一般投資家とのかかわりにおける会計情報(報告)の有用性の実証分析であり、こうした研究(情報内容・効果分析)はこれまでかなりの成果が蓄積されている領域です。中野報告は同じくmarket-orientedですが、社会貢献活動レベルおよびその開示がモデルの中に入ってきているのが新しいところだと思われます。一方、須田・岡部報告は後藤報告と同じく実証研究ですが、それは(株式)市場ではなく、メーンバンクなどインナーサークルでの会計情報の役立ち(関係形成支援機能)の実証研究として位置づけれます。したがって、経済学の観点から見れば、サンダー報告でのeconomic agentの契約の観点に近いあるいは即したものになっています。ちなみに、メーンバンクと会計情報は、資本の経済学からすれば銀行資本の産業資本に対する相対的優位性からでてくるひとつの会計現象とみることができます。

同じ会計現象、会計問題をいろいろな異なる経済学が、オーバーラップするところもありながら、重要なところで異なった見方としてあらわれてくるところが面白いと思います。井尻報告での「理解」は、こうした会計パースペクティブの違いを洞察するところにきっとかかわっていると思います。そのひとつの素材として木村の『研究』での労働価値説をとりあげられたわけであります。サンダース・ハットフィールド・ムーア『解説』(レベル1)、ペイトン・リトルトン『序説』(レベル2)、『研究』(レベル3)の比較は、けっして優劣比較ではないでしょうが、今回のフォーラムのなかにもあるように思われました。その意味で、いかなる「経済学」を選択するかということは、非常に重要になってくると考えます。しかし、それは必ずしも二者択一の選択になるとは限らないと思っています。ちなみに私のひとつの重要な選択基準は、先に述べました「動態」に対する理解の深さや洞察力が獲られるかどうかというところにあります。こうした深い理解がなければ、まさに「『理解なき説明・予測・作動』には大いに危険性がともなうものである」(井尻報告p.16)ということになると思います。

今日、アメリカを中心に会計の応用研究ないしは周辺研究がいっそう発展・拡大の傾向にあります。それにひきかえ、あるいはそうした研究に傾斜しているがゆえにというべきか、「基礎学問につながる会計学」はかならずしも重視されず、また盛んであるとはいえません。したがって、今日はむしろ基礎学問につながる会計学があらためて問われているということができかと思われます[69]。本文での考察、すなわち金融商品の時価評価にまつわる今日の会計問題を、現実資本と本質的に区別される擬制資本の一層の発展・拡大に伴う会計問題と捉える原理的考察は、そうした「理解」としての理論の役割の1つのあり方といえるように思われます。

 

 

4 サンダー教授の“日本留学”

 最後に一言。カーネギー・スクールの会計学者が組織の経済理論に基づくとはいえ会計パースペクティブの歴史・動態をあつかったことは、ちょっとした驚きであり、またある意味でうれしかったことであります。サンダー教授は私とほぼ同年齢であり、また私がカーネーギー・メロン大学に1年間滞在したとき以来から個人的にも親しくさせてもらっていますが、その彼が経済とりわけその動態から会計を見るという考えをもっていたということは知りませんでした。津守報告もその1つでありますが、経済学を基礎にした会計の歴史的把握ないし研究(その第一人者は木村和三郎でしょう)では日本の研究蓄積があることからして、日本の研究におおいに関心をもってもらえ、さらにサンダー教授自身の経済学パースペクティブと比較することは、格好の“日本留学”の意義になるかと思います。講義やセミナーだけでなく、自己の研究におおきなインパクトのある日本滞在であればと思っています。

  例えば、サンダー教授には、ソキエタス(societas)、コンメンダ(commenda)の組織形態から始めてほしいと思いました。SombartDer moderne Kapitalismusの英語版をどのように読まれますか…。特にサンダー教授の選択されておられる組織の経済理論と比べて。日本語が読めるなら、大塚久雄『株式会社発生史論』ということになるでしょうが…。

 

[参考資料] サンダー報告への私のコメント

以下は、高知大学(1995年7月8日)および東京経済大学(同7月15日)にサンダー教授をお連れして開催したセミナーでの私のコメント、およびサンダー教授個人へのコメントレターの一部である。

 

 

Resume for Sunder Sensei   1995/6/9

 

1. Main materials for fictitious capital and for the development of several forms of organizations

  R. Hilferding, Das FinanzKapital, 1910 (Part 2: theory of joint-stock corporation)

  K. Marx, Das Kapital, 1894 (Vol.3, Ch.25: credit and fictitious capital)

  W. Sombart, Der Moderne Kapitalisumus, 1922.

 H. Ohtuka, Theory of Historical Development of Joint Stock Corporation, 1938 (in Japanese)

  Accounting literatures on fictitious capital: a few even in Japan (see point 4)

2. Schema of movement of capital: for understanding of real and fictitious capital movement

              Pm

GW    PW‘G’ ,   G W G’         @real capital movement        

 A            A                                     Afictitious capital movement

        @(production)            (distribution)

   G‘

3. Some significance of fictitious capital for our concern

 (i)Fictitious capital has its own movement outside of real capital movement.

 (ii)From (i), fictitious capital has only market price, not value.

 (iii) Joint-stock corporation does not exist in the first place without fictitious capital.

4. Accounting problems on fictitious capital :some references

  Capital Accounting problem (credit side problem of B/S)

    controversies over stock premium (goodwill) in 1950‘s in Japan

  Asset Accounting problems (debit side problem of B/S)

   controversies over accounting valuation of securities today in Japan as well as in other countries.

5. My concerns

  “(historical) cost vs. (current) value” controversies: the contrast

    Inflation Accounting in 1970‘s assets valuation problems on real capital

    accounting valuation of securities today assets valuation problems on fictitious capital

 the view of essential difference of capital the difference of assets  Is security W(commodities)?

6. Main points of Prof. Tumori’s presentation and resume 

 1) the importance of historical view: (accounting) problem with historical peculiarity

    the view of  “boundary line” is important.

 2) relationship between economics and accounting: understructure and superstructure

     historical development of real and fictitious capital, and credit system: “boundary line”

 3) economics and accounting disclosure: development of fictitious capital and accounting publicity

     fictitious capital socialization of ownershipshift to publicity or disclosure from reporting

 4) economics and accounting measurement: differentiation of income calculation

    before (ex. commenda) and after the emergency of joint stock corporation

    publicity or disclosuremeasurement dividendable income corporate income

    split of real and fictitious capital, estrangement between production and credit

       impact on accounting measurement (ex. accounting problem on Financial Instruments)

 my question: why does the credit of fictitious capital bring about the predominance of disclosure

7. Theory of Organization vs. Theory of Capital: the contrast

 (i) three organizational forms defined by two boundaries three perspectives on accounting

  “concentration and centralization of capital” defines “the boundary lines”: historical development

   of capital ( , usurer’s capital,  commercial capital,  industrial capital, finance capital, )      

  → organization forms perspectives on accounting

    Boundary line on industrial capital is important for accounting.

 (ii) the point of view of heterogeneity: common and difference

  Prof. Sunder’s report might lay emphasis on common and synthesis. organization theory

  Prof. Tumori’s report may lay emphasis on transformation and differentiation. capital theory

 (iii) organization is an arena of capital, by capital, and for capital.

8. Overview of other presenters: for the theme “Economics and Accounting”

  (i) Group I: market-oriented, in the sense, neoclassical economic perspective

Prof. Goto’s: positive test on the usefulness of accounting information in the market of   

fictitious capital

Prof. Nakano’s: introducing the new factor (social activities) using game theory , the model and

its positive test is market-oriented as Prof. Goto’s

  (ii) Group II: not market-oriented, contract or agency theory perspective and positive test as Group I

   Prof. Suda’s: hypothesis and test on informative perspective choice of accounting procedures

   Prof. Okabe’s: hypothesis and test on the relationship of dividend policy to accounting choice

 common perspective on accounting: facilitating trust-making function of accounting information

(iii) Group III: not positive research, but dynamic or historical point of view on accounting      

perspectives based on economic theory

   Prof. Sunder’s: based on the economic theory of organization

   Prof. Tumori’s: based on the economic theory of capital

  (iv) Super theory: to be a base of Group I, II, and III

   Prof. Ijiri’s: the importance of understanding comparing with explanation, prediction, and action

  possibility and importance of economics we choose for perspectives on accounting

 

 

Comments to your presentation and paper, Classical, Stewardship, And Market Perspectives On Accounting: A Synthesis.

 

 Comparing with Professor Tumori’s presentation, I was very much interested in the clear contrast of two kinds of economics, the economic theory of organization you chose and the economic theory of capital Prof. Tumori chose, and how the difference of these economics reflects the difference of the perspectives on accounting. That is my principal concern in brief.  Now, followings are my short comments:

 

1) The historical development of fictious capital (Tumori’s resume p.8) corresponds to “the second boundary line” in your paper p.4.  The economic theory of capital explains the essence of fictious capital, and intrinsic reason of its emergency.  But, how about the economic theory of organization ?  Does and how it explain the ground of the second line?

 

2)Based on the theory of capital, there may be another boundary line before “the first line”(separation of ownership and control) and after “the second line”(subdivision of ownership into a large number of small pieces).  If the different view on the boundary line relates on the perspective on accounting, the economics we choose comes out to be very important.

 

3) Comment 1 and 2 are concerned with economics itself. The concern for accounting is how the difference of the economic theory reflects the difference the perspectives on accounting.  For Prof. Tumori’s resume (at p.8),  the enlargement of fictious capital  have great impact on the perspective on accounting reflected by real capital development; that is the shift from recording/measurement oriented accounting to reporting/disclosure oriented accounting.  How about the economics and its reflection on accounting (the perspectives on accounting) you chose?  There may be overlap in some places, but there must be important difference in other places; that is my great concern.

 

4) I am a little bit surprised that a professor at Carnegie-Mellon University is concerned with a historical study of accounting, and at the same time I would be glad to know that you have same interest as I have: dynamic and historical view of accounting perspectives. Here in Japan, we have great predecessors of  researchers on accounting history or dynamic theory of accounting based on economics; one of the representatives is Wasaburo Kimura Prof. Ijiri mentioned in his presentation and the paper (Accounting Review, 1980) comparing with Paton and Littleton. 

 

5) Lastly, we have a lot of literatures which you would have great interest, especially comparing with your accounting perspectives based on the economics you chose, but unfortunately you  cannot read Japanese.  What a shame! In short, what kinds of economics would give us a deep understanding (Prof. Ijiri’s term) of accounting? This is my concern and may be what I want to mention here.

(excerpted from the letter to Prof. Sunder on 7 June, 1995)

 

[文献一覧]

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――――[1983]「構造としての会計科学」『福岡大学商学論叢』第27巻第4号。

――――[1990]「利速会計とは何か」『会計』第138巻第4号。

――――[1991]「書評:Robert W. Scapans, Management Accounting: A Review of Recent Developments」『経営研究』第42巻第2号。

――――[1993]「試算表等式論覚書(2)」『経営研究』第44巻第1号。

――――[1996]「企業会計システムの簿記論的基礎とその展開」『経営研究』第47巻第2号。

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――――[2000]『時価会計の基本問題』中央経済社。

――――[2001a]『キャッシュフロー簿記会計論(改訂版)』森山書店。

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――――他訳[1995]『会計学・財務論の研究方法』同文舘。

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――――[1996]「原価主義と労働価値説」(シャム・サンダー/山地秀俊編著『企業会計の経済学的分析』第7章、中央経済社)。

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――――・斎藤静樹[1999]「ファイナンシャル・レポーティングの動向と展望」『企業会計』第

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今福愛志[1992]「コーポレート・ガバナンスをめぐる財務報告制度の展開」『産業経理』第52

巻第3号。

奥村宏[1997]『21世紀の企業像』岩波書店。

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小栗崇資[1987]「会計制度論・政策論の到達点と現代的課題」『会計理論学会年報No.1』

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笠井昭次[2000]『会計の論理』税務経理協会。

加藤盛弘[1997]「収入・支出および実現概念の転換と将来予測の導入」(日本会計研究学会スタディ・グループ中間報告『会計における将来予測要素の導入・拡大の研究』所収)。

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川島武宜[1982]「『法』の社会学理論の基礎づけ」(『川島武宜著作集第1巻』岩波書店)。

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企業会計審議会[2000]「固定資産の会計処理に関する論点の整理」。

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大会当日の報告レジュメ

時価会計と資本利益計算の変容

−計算と開示の側面から−

大阪市立大学 石川純治

 

統一論題でいうところの「会計の変容」を、時価会計という場でしかもその資本利益計算という企業会計のもっとも重要な任務に係わる問題において議論してみたい。

そして、その具体的な今日的会計問題のなかに今回の3つの論点が包摂されるかたち(いわば「社会科学としての時価会計」)で議論できればと考えている。

 

T 計算の問題

1 時価会計の系譜

@1970年代の個別価格変動会計…資本維持概念、実物の費用性資産が対象、個々の資産価格の持続的騰貴(一方的上昇)、実物資産に係わるインフレ経済下の会計問題。

A1980年代中頃から90年代をへて今日にいたる「公正価値会計」…金融資産・負債が対象、価格の変動(上下変動)、相場変動リスクにさらされた金融・証券経済下の会計問題。

B今日のわが国での「減損会計」…事業用資産および投資資産が対象。収益性の低下にともなう個別資産価格の著しい下落(一方的下降)、実物資産でもデフレ経済下の会計問題。

C無形資産の時価会計…将来キャッシュフローの生成能力としての資産がその現在価値で評価、のれん(それも自己創設のれんを含む)の時価評価と企業価値←知識産業への産業構造の変化。

同じく時価変動の会計問題であっても、その変動の態様もその経済的基礎も異なる→金融商品の時価会計を取り上げて「会計の変容」問題を考えてみる。

2 既存枠か別枠か:「主観のれん説」の意義と問題点

制度上も理論上も有力な見解である「主観のれん説」…有価証券の保有利得はある観点から実現利益であり、「実現・配分・対応」といった既存の枠内に十分包摂される→その点で金融商品に関する新しい会計ルールは利益計算の既存の枠内。→その問題点@〜C

@「金融資産−特に自由に換金でき、換金が事業に制約されないもの−はそれ自体貨幣性資産であり、その価値の変動は換金を待つまでもなく実現利益を構成するキャッシュ・フローの要素とみることができる」(企業会計審議会「固定資産の会計処理に関する論点の整理」)

現物をとおさず差金決済される先物取引のような金融派生商品(デリバティブ)→ネット(正味現金)のみ→そこにも、名目資本維持の利益計算が行われているといえるか。

3 利益の異質性

Aオパチュニティとしての損益(機会利得損失)が期間損益計算のなかに入ってくる→そうした損益が業績としての経営者の責任になってくる。

B会計的利益と経済的利益の同時的併存問題

Ex.「もし金融商品の公正価値の増加が貸借対照表で報告されるのであれば、それを企業の富の増加と考えてはならないのか?経済的な利益は、一般的に富の増加として定義される」(前掲IASC討議資料パラグラフ1.1、傍点引用者)。

C評価損益と売却損益との区分・非区分問題

キャピタルゲイン(擬制資本からの成果)は製品・商品の販売益(現実資本からの成果)とはその経済学上の性格をまったく異にする。評価益と売却益→実物商品の延長上の見方。

Ex.「実現は企業にとって金融商品の経済的価値に何らかの増減を生じる事象ではない」(JWG「金融商品及び類似項目」2000年、para.6.20)。

4 「拡張の論理」と「区分の論理」

「拡張の論理」(既存枠内)…時価評価損益を現行の実現規準の拡張ないし延長上で捉える。「区分の論理」(別枠)…実物経済を基礎にする実物資産の会計認識・測定と、金融・証券経済を基礎にする金融資産・負債のそれとの本来的区分。

財務リスクの視点からみた金融商品に固有の特徴…価格変動リスクおよびその反対であるリターンに責任を負う→「何が業績か」に関する今日的変容。

「相場変動で利益が決まるか」→内在的論理か外生的要請か。「財務」の計算への算入。

5 金融経済学的見地と今日的時価会計

今日の金融(派生)商品に係わる会計問題の特質…「固定資産会計」のような生産的資本の内部からではなく、つまり生産的資本に直接係わる問題としてではなく、擬制資本の一層の発展・拡大に係わる問題として、また信用の社会的発展という視点からはそれを支える資本信用の一層の発展に係わる問題として登場。→本来的に現実資本の会計枠組みであるところの伝統的な会計枠組みが、そうした擬制資本の一層の発展・拡大に対応できないかたちで現象化している。

 

U 開示の問題

6 計算と公開

「それは、計算あるいは測定結果の公開の次元の問題ではなく、計算・測定構造への『公開原理』の侵入という全く別個の次元の問題である」(津守[1995]33)

「公開原理の計算・測定構造への侵入」、「現実資本−記録−原価」/「擬制資本−公開−時価」の対応・区別(津守論文)→計算と公開の係わり

擬制資本の価格=「資本商品の価格」であり、本来的に「製造原価」をもたない。→実物の商品とはまったく性質を異にする特殊な商品(資本商品)→現実資本に係わる記録・計算問題とは区別される擬制資本に係わる記録・計算問題と密接に係わる→その本来的区別が計算構造論的にどのように現れてくるかの解明。

7 開示の側面での変容

G4+1の特別レポート『財務業績の報告』(1998年)およびポジション・ペーパー(1999年)での財務業績報告の多元化方向→伝統的な原価・実現の枠組みによる成果計算がどのような位置づけになるのか→開示面での「変容問題」

G4+1の立場→伝統的利益を明示的に報告しない(アプローチD:資料A)。財務業績報告は経済活動カテゴリー別に区分→(i)営業活動からの損益と(ii)財務活動からの損益のカテゴリー区分→その区分が評価原則の違いに結びつく。すなわち、前者は基本的に歴史的原価の評価に、後者は市場価値ないし公正価値の評価(資料@)。

情報セットアプローチ:FRS3号「財務業績の報告」(1992年)の基底にある考え方→利益という単一の指標に集約せず財務業績の重要な構成要素を強調する方が有用。

8 開示規制と配当規制: 国際的調和との係わり

商法会計の本来的目的が多元的な業績の測定・報告といった将来方向とどのように整合的なものとして調整できうるか。

法制審議会「商法等の一部を改正する法律案要綱」1999年2月)→開示規制の面では国際基準との調和、企業会計原則との整合性の確保。大蔵省・法務省「商法と企業会計原則の調整に関する研究会報告書」1998年6月)→時価評価差額の配当可能性の問題(配当規制)は今後の検討課題として実質先送り。改正商法2000年)290条1項に6号を新設、実質的に評価益の配当可能性は否定。

今後はこうした調整方式ですむのかどうか→「調整」といったレベルを超える可能性大。

9 会計規制の国際化動向:調和化から統一化へ

IASCは今年4月にあらたにIASB(国際会計基準審議会あるいは理事会)に改組→英米系(G4+1に代表されるアングロサクソン系)の会計規準を中軸にした世界標準化、収斂(convergence)ないし統一化の方向へ。EUは遅くとも2005年までにIASに基づく連結財務諸表の作成を欧州の上場企業に強制する。会計OSの“マイクロソフト化”

各国の基準設定主体とIASBとの関係はいわば共同作業(Joint Project Approach)という関係→民間の基準設定期間「企業会計基準委員会」の設立。日本の位置→@リード役/Aサポート役/Bモニター役のどこか(後方支援)

統一化の問題点:@同一経済事象に同一の会計処理といった画一化の方向、AJoint Project Approachを採ること自体が会計規制の統一化への各国の合意を得る手段でもある、B発展途上国の世界統一化のなかでの立場。

日本の主体的貢献→個々の会計基準設定よりも、その基礎付けに係わる「理論」:ストック思考とフロー思考の基本的に思考を異にする会計思考の止揚→あらたな概念枠組みの提案。

V 理論のあり方

 

10 プロフェッション性、実証研究:理論のあり方

会計基準のための理論→「プロフェッションのための理論」、わが国の純然たる理論研究→蓄積されてきた理論研究が必ずしも今日的問題への発展的展開といったかたちで継承されていない→過去の遺産ではなく再構成の可能性の検討が必要。

11 実証研究と会計基準:企業価値評価適合アプローチ

実証研究と会計基準→「企業価値評価適合アプローチ」。議論の行き着く先:企業価値評価モデル→その実証分析→会計基準。企業価値とのかかわりで会計基準が決まる典型的なケース→M&A会計におけるパーチェス方の一本化と、のれん代の償却を廃止して減損方式のみにした会計基準(SFAS No.141,142) 。FASB会長のジェンキンズ氏「のれん代償却はとても恣意的なもので、それ自体にはほとんど情報価値がない」。

企業価値を起点にする議論の背景:(アメリカを中心にする)インベスター・キャピタリズム→(機関)投資家の役割重視→企業評価→評価モデルの開発→その実証研究→会計基準。

12 個別資本説と会計制度論:今日の時価会計問題との接点

 (i)個別資本説と時価会計問題:会計の対象規定の問題(計算の問題)

「有価証券は商品Wか」という問いかけ→会計の対象規定に係わる問題。@貸付資本・擬制資本もその対象規定に、Aファイナンス(貸方側)ではなくインベストメント(借方側)の問題→例えば中西説のように左端に位置づけられるのではない、B金融資産・負債は「契約上の権利・義務」→今日の金融商品(権利商品)の会計問題は生産関係ではなく所有関係の会計問題。

(ii)会計制度論・政策論と時価会計問題:「制度化された会計認識」に係わって

2つの本質機能:@経済過程の認識機能(認識行為)、A経済過程の媒介機能(経済行為)→議論のポイントはその2つの本質機能の関係:「Aの機能は@の機能のあり方を規定し性格づける基底的役割をもっている」

「資本運動の媒介的契機」のどのような内容が伝統的な会計計算の概念(実現、配分など)に対立的に係わっているか。「経済過程の媒介機能」や「資本運動の媒介的契機」のいかなる内容が、制度的形態として現れている概念フレームワークに作用しているか→これらの具体的分析。

13 社会科学としての時価会計

社会科学として会計を議論するための要件は:「会計の本質・諸機能・諸形態を総合的かつ歴史的見地から研究する」、「会計を社会的・経済的環境との関連において、総体的に研究する」(会計理論学会設立にあたって)、木村会計学の方法的特徴:@歴史的研究の重要性、A経済学的分析の重要性、B理論と実践の統一。

19世紀の産業資本主義の確立・発展→あらたな「固定資産会計」(減価償却会計)を確立、20世紀後半の金融・証券経済の高度化・多様化に伴う金融資産の量的・質的変化→今日の「金融資産(負債)会計」の新たな確立、歴史的なパースペクティブ→今日の会計問題は19世紀の「固定資産会計」に匹敵する新たな会計の登場。

証券市場の「機関化」現象(1980年代後半から:資料B)→株式会社制度のあり方(支配構造への影響)→会計開示への影響。

「所有と経営の分離」(バーリー・ミーンズ)→「経営者資本主義」(マリス)→今日の「投資家資本主義」(ユシーム)への発展→さらに「××主義」へ(株式会社形態の相対化):会計の「計算と公開」も資本主義経済の発展過程、とりわけ証券市場の発展過程および株式会社制度の発展過程の一環として捉える。

 

補論:経済学の選択と会計研究

経済学の“選択”と会計の見方・捉え方:会計の本質機能や会計の動態をどこまで深く説きうるか→例えばサンダー・山地[1995]でのeconomic theory of organization(サンダー論文)vs. economic theory of capital(井尻、津守論文)の対比は1つの格好の素材。

 

 [資料]

@G4+1特別レポート『財務業績の報告』:5.41 …The statement is divided into three main components. One is for operating or trading activities, which generally are the primary value-adding activities of most entities. That component reflects items that, for the most part, are measured in terms of historical costs and entail the matching of revenues and expenses.L.T. Johnson & A. Lennard [1998], p.45

 

AL.T. Johnson & A. Lennard [1998]p.32(拙著[2000]258頁)

 図省略。

 

BMichael Useem [1996]p.26

図省略。



[1] 石川[2001b]参照。

[2] 金融資産ではないが投資不動産の時価会計も賃借料(インカムゲイン)と資本増価(キャピタルゲイン)の点からこの系譜の延長上に位置づけられる時価会計といえる。

[3] この現在価値の会計への導入につき、井尻[1998a]では(原価主義、時価主義と対比されて)「来価主義」として議論されている。時価主義との関係では、「時価主義での時価の使用と、来価の代用としての時価の使用とは、評価論上は混同してはならない」(192頁)。そして、特に、「時価および来価の重要性主張するあまり、原価の重要性が薄らぐように考えるのは大きな間違いである」(199頁)と警告されている。

[4] より詳しくは石川[2000]第6章参照。

[5]「実現」は「事前の期待」の「事後の確認」という観点から捉えられており、事業投資(主観のれん≠ゼロ)の場合はこれまでの実現(販売)基準すなわちキャッシュフローを待って収益が認識されるが、金融投資(主観のれん=ゼロ)の場合は、その時価変動差額は「そのままキャッシュフローとみられて実現利益」となる。「事前の期待」を「事後の事実」で確認するのが「実現」の解釈となっており、主観のれんの有無がその事実の確認の仕方の違い、すなわちキャッシュフローを待つか、そのままキャッシュフローとみられるか、として現れているだけで、いずれも「実現」(期待が現実化)された利益として捉えられている。

[6] 例えば大日方[2001]では「費用の計算の根底には、歴史的に一貫して、対応/配分の概念が存在しており、それはまさに基礎概念とし位置づけられるべき存在である」というとき、そこでの「費用」は実物の費用性資産の他に金銭債権や有価証券にも適用されうるものか、ということである。

[7] この論点については石川[2000]第5章を参照。

[8] ただ、米山[2001](第2章)では満期保有の金銭債権(例えば貸出金)のような債券投資について、「原価配分のスキーム」による利益(利息収益)の期間配分について論じている。しかし、その配分スキームが有価証券にも適用されるかどうか(減損会計が主題であるから、有価証券は取り上げられていないが)。その配分スキームが、はたしてここでのキャッシュフローの配分も含んだものかどうか、いずれも疑問である。それは、むしろ「価値評価のスキーム」になじむように思える。注12も参照。

[9] これに係わって取引概念ないし現金概念あるいは収支概念の拡大による見解(現金概念拡大説)がある。藤井[1997]第9章参照。石川[2000]第7章補論7.1 では、そこでのコール・オプションの例を挙げて、その問題点について論じている。議論のポイントは、「@取得原価主義の認識=現金収支に基づく認識→Aその拡張=現金概念の拡張→Bオフバランス取引のオンバランス化という拡張論理のすじ道を指摘したが、オプションの公正価値評価は@のたんなる拡張・延長ではありえない。そこに拡張論理を適用できるかは、資産の「直接評価」というものと現金収支の拡張との接点をどこに見いだせるかにかかっている」(201)という点である。

 

[10]IASC[1997]での新たな資本維持概念は次のとおりである。「金融商品の公正価値の変化から生じる損益の報告に対して適用される資本維持の概念は、現在の市場収益率を稼得する能力(capacity of earn the current market rate of return)という意味で資本を定義するものである」(第6章パラグラフ2.4)。なお、井尻[1990]では「財産会計では現金が測定の基準になっているのに対し、利速会計では現金掛ける市場利子率がひとつの測定基準となり、遊休資金を投資した場合の原速の決定に用いられます」(80)と述べられているが、名目貨幣額ではなくその経済学的価値を維持するという意味でそれを「経済的資本維持」といえば、「利速会計」は資本維持の観点から「経済的資本維持」会計として捉えることができる。石川[1990]84-85頁でのstatus quoと資本維持概念、および石川[2000]322頁注(15)参照。

[11] 例えば「もし金融商品の公正価値の増加が貸借対照表で報告されるのであれば、それを企業の富の増加と考えてはならないのか?経済的な利益は、一般的に富の増加として定義される」(IASC[1997]パラグラフ1.1、傍点は引用者)。なお、経済的利益と会計的利益については石川[2000]145-48頁を参照されたい。

[12] 斎藤[2001b]においては、金融商品の保有損益(時価変動損益)につき「取引というフローに着目した会計測定が見落としてきた利益実現の一面を、ストックの評価という面から拾い上げたわけである」(219頁)と述べているが、そこには配分(フロー)の観点よりは、むしろストック評価の観点から捉えられているように思える。

[13] 非区分の考え方については、石川[2000]156-58頁)での保有損益の本質規定(笠井説)をめぐる議論を参照されたい。また、次の見解も参考になるだろう。「金融商品の公正価値の実現は、企業の経済的価値の増減をもたらす事象ではない。…実現の唯一の効果は、企業の財務エクスポージャーを変化させることである。…証券の公正価値の実現は利益を生まないのである」(IASC[1997]7章para.5.1、傍点は引用者);「実現は企業にとって金融商品の経済的価値に何らかの増減を生じる事象ではない」(JWG「金融商品及び類似項目」2000年、para.6.20)。これらは非区分の論理の1つの例であると思われる。

[14] 先の日本会計研究学会(2001年9月13日、大阪学院大学)での特別委員会報告『各国におけるデリバティブの会計・監査および課税制度に関する総合研究』の第26章「デリバティブと会計の認識基点」(武田隆二教授担当)では、「プロダクト型会計」と「ファイナンス型会計」が「2局分離した異なる独立のカテゴリー」(450)として位置づけられ、「異なる計算原理のもとでは、異なるディスクロージャーを必要とするというのが論理の帰結である」(同455頁)と述べられている。まさに、ここでの「区分の論理」に通じる説明であるといえる。

[15]井尻・斎藤[1999](64-66頁)ではこの問いに関する興味深い討論がなされている。石川[2000]164-65頁の注(6)参照。

[16] 1970年代の個別価格変動会計(時価会計の第1の系譜)の時も、「会計と財務の交錯」がみられた。石川[2000]310-12頁参照。時価会計が登場するたびに、おもしろいことに会計の論理でない別の論理が介入してくる。したがって、その「交錯」ということに気づくには、まずもって会計の論理を明らかにしておく必要があり、会計であるものとないものとを見極めておくことが大切である。「会計の論理」については、それを徹底的に追求した笠井[2000]がある。

[17] 以上のより詳しい議論は石川[2000]第7章及び第11章参照。また、高山[1998]は擬制資本に関連する会計項目の統一的な理論構築をめざそうとしているが、その構想に賛成である。

[18] 津守理論にける「公開」については、特にそれが(単なる報告、伝達ではなく)「報告」から転化した「公開」という捉え方に注意する必要がある。津守[1996]167頁参照。

[19] 石川[2000]310-12頁および注(10)参照。なお、今日の会計問題を相場変動に起因するリスク経済下の会計問題と捉えると、そこには「財務」の計算への侵入が、それとはかたちを変えて登場してきているともいえる。その意味で、「公開」と「財務」の双方の「計算」への侵入とみることもできる。

[20] 例えば石川[2000]第4章および第10章参照。前者において「今日の時価論議の背景には(静態論的思考とも動態論的思考とも違う)ひとつの(会計)思考、すなわち財務リスクの管理思考も含めて経済的実質優先思考がある」(450頁)と述べたが、その経済的実質優先思考が「計算」よりも「開示」の場で展開されているとみることができる。

[21] ジェンキンズ・レポートについては井尻[1998b]での「会計の顧客化」を参照。そこでの「顧客化」がジェンキンズ・レポートに代表される今日の情報開示指向を象徴しているといえる。また安藤[2001](第17章)では情報優位の会計が会計の本来的機能(利害調整機能)を空洞化する方向であると指摘している。いずれにしても、そうした情報優位の方向は、井尻[1998]での「科学の終焉」ならず「会計の終焉」の方向ともいえなくはない。

[22] 例えば石川[2000]第1章、第9章参照。

[23] 「計算」と「公開」は、前者を計算「構造」(仕組み)の問題といえば、後者は制度「機能」(役割り)の問題であり、その両者の係わり方が総合化の問題といえる。あるいは、会計計算としての「方法」の問題に対して制度機能としての「現象」の問題、さらには別の観点から「解剖学」と「発生学」との係わり方の問題ともいえる。解剖学が同時に発生学であり、発生学が解剖学的分析をともなうといった方法が、両者の総合化問題にかかわる。なお、構造と機能の係わり方と会計研究については石川[1983]がある。

[24] 詳しくは石川[2000]第9章参照。

[25] L.T. Johnson & A. Lennard [1998]及びIASC[1999]

[26] 企業財務制度研究会『包括利益をめぐる論点』第2章(辻山担当)参照。

[27] 5.41 The statement is divided into three main components. One is for operating or trading activities, which generally are the primary value-adding activities of most entities. That component reflects items that, for the most part, are measured in terms of historical costs and entail the matching of revenues and expenses.L.T. Johnson & A. Lennard [1998], p.45

[28] ここで一定の資産とは、市場価格がある金銭債権、社債、株式等である(要綱第一の三の1から3)。

[29] 世界の会計コントロールを巡る闘争については井尻[1999]11頁でのBattle for World Accounting Control(Financial Times)の記事を巡る議論を参照。

[30] 「最近のIASBの活動状況について」『JICPAジャーナル』200110月号14頁。

[31] ちなみに、ブッシュ大統領は9月20日の議会で「我々と共にいるか、テロリストと共にいるか、すべての国家は選ばなければならない」と警告している。テロでなくても、こうしたアメリカの強い姿勢が会計の世界規制に係わってくることが、ここでの問題なのである。これに関連して、ここでは特に次の一節を引用しておきたい。すなわち、「唯一の超大国の指導者として、アメリカの官僚たちはきわめて自然に、まるで世界が一極システムであるかのように考え、行動する傾向にある。アメリカの力とアメリカの美徳を鼻にかけ、自国を慈悲深い親切な支配者だと考えている。そして、他の国々に、アメリカの原則、週間、制度の普遍的な正当性について説教をたれ、他のすべての国もそれを採用すべきだとして押しつけようとする」と(ハチントン/鈴木訳[2000]43頁)。

なお、FASBの速報action alert(毎週出る)によれば、テロのあと直ちに920日にEmerging Issues Task Force (EITF:緊急課題特別委員会)の会議が開かれ、テロに係わる財務報告について議論がなされている。これなど、まさにプロフェッションに根ざした一例であり、わが国にはみられない行動である。ちなみに、EITFはテロ被害額を特別損失とは認めないこととしているが、ただ、各企業は独自の判断で実質ベース(プロフォーマ)の利益を公表することが予想される(日本経済新聞200110月3日参照)。

[32] IASBのもとにある「基準諮問会議(SAC)」は49名のメンバーがいるが、そのうちアフリカ(2名)、日本を除くアジア(6名)、中央・東ヨーロッパ(2名)、ラテンアメリカ(3名)、中東(2名)の構成となっている。なお、ここでも特に次の一節を引用しておこう。すなわち、「エコノミストの発言力が強い日本の知的社会では、経済人を中心にバランスを失した『グローバリズム』論によって歪んだ世界観に陥っている日本人が多い現状を考えれば、『文明の衝突』論は、きわめて健全なバランス効果をもつはずである」(前掲のハチントン/鈴木訳[2000]202頁、中西輝政の解題より)。バランスを失したグローバリズム論に陥っているのは経済人のみならず、大学人にもけっこう多い。

[33] 会計基準設定における学界の役割、ないし「理論の価値」については、例えば井尻・斎藤[1999]での「我々は何をしたらよいか」が参考になるだろう。

[34] 例えばソロモンは概念フレームワークプロジェクトは失敗であったと断定している。村瀬[1996]45頁。会計基準および概念フレームワークの中立性と経済的影響についての井尻・伊藤の対談も参考になろう(井尻・伊藤[1997]52-54)。また、津守[1995]では収益費用観と資産負債観との比較問題に関し、定義の問題(資産負債アプローチしか採りえない)と計算構造(利益観)との問題とを区別し、そして利益観と定義いずれも、測定属性とが分離している点について議論している。ただ、定義の問題であっても、収支を原型にする期間損益計算(動態的貸借対照表)では、収支の(現金と資本金を除く)未決項目が貸借対照表を構成するから、収支と収益費用からの定義も可能ではないかとも思う。現金及び資本金と未決項目の3つの動的関連については石川[2001]第5章参照。

[35] 例えば石川[2000] 212頁での「会計の資本家的なあり方」に関する注(44)参照。

[36] 先の日本会計研究学会(9月14)での辻山報告では、世界には2つの異なる会計思考(フロー思考の会計とストック思考の会計)が併存しているとし、「第2の会計思考そのものの是非を日本のみならず国際的も改めて議論の俎上にのせることが、緊急の課題として横たわっているように思われる」と述べられている。

[37] 例えば試算表の会計等式に基づく会計構造(企業資本等式説:木村理論、山枡・笠井理論)や実体・名目2勘定系統説(ケーファー・安平理論)の上に立つ概念枠組の構築というものが考えられる。英米系のそれと基本的に異なるのは、収益・費用の位置づけである。石川[1993]および石川[1996]参照。また、石川[1981]では井尻教授の会計測定の公理的構造を「配分」と「実現」の公理化として捉えたわけであるが、「実物の会計」に「金融の会計」を加えたかたちで、その再構成ということが考えられる。この点については石川[2000]318-19頁の注(5)参照。

[38] 筆者がカーネギーメロン大学およびピッツバーグ大学にいたとき、Ph.Dの学生たちがシュマーレンバッハの名前さえ知らなかったのは驚きであった。この点については、石川[1991 ]131頁参照。先に開催された慶應義塾大学での第3回院生大会(9月5,6日)でもその傾向が現れており、シュマーレンバッハもペイトン・リトルトンも、そして木村も岩田も、そうした古典を特別勉強せずとも研究発表できる世の中になってきている。研究スタイルのみならず、「アメリカで、経済学や統計的知識をもつが会計学の経験がほとんどまたはまったくない会計学教員が増加した」(石川他訳[1995]104頁)ということまでも日本に輸入されるのでは、日本のこれまでの理論的蓄積は何であったのか、真剣に考えるべきであるように私には思える。

[39] 例えば、醍醐[1993]において、「動態論的会計秩序に代替する会計秩序を拓く枠組み」(664頁)として「有機的静態論」という考えを提唱されているが、その全体がいかなるものか必ずしも明らかでない。

[40] したがって、仮に「日本版概念フレームワーク」なるものを、とりわけ学界ないしは研究者集団が中心となって新たに作ろうとするなら、そうした英米圏のものと横並びではなく、むしろわが国の先に述べたような特色ある理論研究に根ざしたものを構築すべきであろう。

[41] その例外の1つとして資産3分類説(笠井説)をあげることができる。石川[2000]第6章参照。

[42] 慶應義塾大学での院生大会に参加したが、そこでの報告にもそうした研究スタイルに係わる傾向が如実にでており、それはそのプレゼンテーションの方法(多くの院生が右にならえの報告スタイル)にも象徴されていた。もう少し、無骨でもいいので、古典をふまえた研究があってもいいというのが私の率直な印象であった。

[43] 例えば、株式市場反応研究の実務への影響については石川他訳[1995]103-104頁参照。

[44] このロビー活動による基準設定プロセスの政治的性質にかんする実証研究については石川他訳[1995]107-109頁参照。

[45] 石川[2000]308-310頁では2つの理論を畠中[1932]での「方法の学」と「現象の学」に係わらせて議論しているが、今日の英米のCritical Accounting(批判会計学)は、すでに理論的蓄積をもつわが国の会計制度論あるいは上部構造論とその方法を共有している。Critical Accountingについては石川[1991]133-37頁の注(19)以降を参照。「社会科学としての会計学」というとき個別資本説に比して会計制度論が制度の本質を扱うがゆえに、より社会科学として議論設定しやすいともいえる。「方法の学」と「現象の学」のそれぞれの意義と問題点が相互に補完しあうかたちで総合していくことが、計算と公開の総体的理論形成につながるように思える。その意味で、その意義と問題点を明らかにすることがまずもって重要と思われる。

[46] ここで資本の「所有関係」について説明しておく必要がある。木村・小島[1983](307)では個別資本の所有関係を示す勘定として、資本金・借入金・支払手形など貸借対照表の貸方勘定があげられており、借方の資本の機能形態に対する源泉形態といった理解になっているようにみえる。馬場[1975](89-90)にも同様の見解がみられる。しかし、ここではそうした「源泉」ということではなく、より経済学的観点からみておく必要がある。すなわち、資本の所有関係とは、端的には、そこから出てくる損益の性格(営業外損益)からみれば分かりやすい。「これら(営業外損益−引用者)はすべて、資本の所有関係から生じる「損益」である。つまり、貸付資本の所有関係により生ずる費用・収益と擬制資本の所有関係に基づき生ずる諸費用・収益、一括して言えば、資本の所有関係から生ずる諸費用と諸収益を包括している」(木村[1957b])との説明にもあるように、要するに生産物の生産に直接関係のない、生産的に使用されていない資本の用いられ方である。こうした観点から、事業会社の貸借対照表は貸方すべてが「所有資本」、借方は「生産資本」と「所有資本」から構成される。木村[1957a]では、銀行資本、信託会社、生命保険業などの生産的資本を扱わない貸借対照表が、純然たる資本の所有関係のみから構成される(所有貸借対照表)という議論がなされているが、それと木村[1958]での産業資本の貸借対照表(生産貸借対照表)を比較すればより理解されるだろう。

こうした資本の観点から、とりわけその資本の生産関係(生産資本)と所有関係(所有資本)との区分の観点からすれば、これまでの「原価−配分−実現」の枠組みは前者にかかわる枠組みにほかならず、所有関係にかかわる今日の金融商品会計の枠組みをその拡大・延長上で捉えることは、こうした経済学的区分をみない見解であるといえる。また、今日の会計問題の特徴を資産評価の局面でいえば、割引現在価値に端的にみられるように所有関係の所産である利子(貨幣の時間価値)がとりわけ割引計算(逆算)というかたちで密接に関わり、算入されるという点である。リース会計などは、いわば生産関係(元本額とその減価償却)と所有関係(利息相当額)が交錯しており、その区分がリース支払総額からの利息相当額の分離計算にほかならない。

なお、今日の時価会計問題の1つの特徴が生産関係ではなく所有関係の会計問題であるという点については石川[2000]231,286頁参照。また、金融商品はfinancial instrumentsであって実物のgoodsではないこと、そしてそこでのinstrumentsには「道具、手段」という意味の他に「証書、契約書」という意味があることに注意したい。

[47] マルクス『資本論』を基礎に、会計理論(特に計算構造論)を構築しようとする研究が最近英国でみられる。例えばBryer[1999]がそれであり、そこでは産業資本の循環運動の分析に基づく会計の一般理論について論じている。ただ、ここでの議論からすれば、会計の一般理論の構築にとって、現実資本(生産・流通資本)の運動と本質的に異なる貸付・擬制資本の運動も会計の対象にしなければならないという問題点が指摘される。なぜなら、今日の多くの会計問題は現実資本よりもむしろ貸付・擬制資本の会計問題として登場しているからである。特に、貸付・擬制資本にかかわる資産(貸付金や有価証券など)が生産・流通資本のなかで(貨幣・非貨幣の分類軸とともに)論じられている点(p.557のTable 2をみられよ)は1つの重要な問題点である。また、経済学に即した(その意味で彼がいう客観的な)会計認識・測定論が無媒介に(例えば制度性をぬきにして)ただちに会計学となるのか、といったより大きな点も指摘される。ちなみに、後者の点について減価償却という場面でいえば、価値移転としての本来の減価償却と回収計算としての減価償却(転化形態)との関係に係わる問題であるといえる(木村[1965]参照)。しかし、そうした問題点はあるものの、資本の循環運動の分析視角を会計理論にもちこんだ点、とりわけFASB概念フレームワークを資本運動に基づき批判的に分析しているのは評価されよう(次の(A)のAともかかわる)。

また興味深いと思われるのは、わが国での(すでに確立されその新たな今日的課題が問われている)「個別資本運動説」との接点および、その相対比較である。制度・政策論だけでなく計算構造論においても(制度・政策論とのかかわりについては石川[1991]、特にいわゆる「上部構造説」とのかかわりについては注24参照)、わが国の理論的蓄積のレベルがあらためて国際的に認知される機会がようやく訪れているともいえる。

[48] @経済過程の認識機能(認識行為)とA経済過程の媒介機能(経済行為)。なお、注49にも係わるが、ここで@の認識行為が単なる反映模写でないことは、今あらためて言うまでもなく、すでに議論されていることを指摘しておきたい。例えば、客観的認識ということは社会科学に固有の問題でもなく自然科学ですら問題になるのであり、「自然科学者は類似性と一致性を決定し、測定を行っているが、実態の概念としては、経験の安定性と共有可能性に関係した知的構成物以外になにももっていないのである」(Devine[1966]邦訳44頁、石川[1980]72頁および73頁注10)、会計理論は世界を“describe”(描写)するというよりは“prescribe”(規定)する(Watt & Zimmerman[1979]、石川[1999]136頁)、「認識における客観の反映を、…受動的な過程とみてはならない。…認識は創造的である」(田中[1980]11頁)、さらには会計の本質に係わる言語(会計)のベール観(客観的反映観)と非ベール観、すなわち「言語は現実の受動的な表現ではなく、能動的な表現、いや、言語は現実を創造するとの非ベール観にゆきつく」(青柳[1976]170頁)、言語による認識(分節)の社会的・文化的規定性についての石川[1999]84頁注6、生きた組織をもつシステムでの構造と機能の関係についての石川[1983]670-72頁、観察の理論負荷性についての石川他訳[1995]27-31頁など、例をあげればきりがない。

[49] 小栗[2001]第4節「会計の2つの本質機能」参照。先に述べた「会計の対象規定」に係わる議論は、ここでは第1の「経済過程の認識機能」に係わるといえる。これに係わってふれておくと、中村[1984]は「会計的認識と会計的行為とは、経済的認識と経済的行為の一部にすぎないものである」(18)と述べているが、そのまま解釈すると批判会計学(critical accounting)は批判経済学(critical economics)の一部ということになる。ここに会計学の固有性をどこに見出すかがあらためて問題となる。

[50] 同じく、「認識行為の客体も経済過程(資本運動)であるが、認識行為の主体も経済過程の要素(資本)となる相関関係が存在する」(166頁)。また、@は内部的な簿記計算による個別資本運動の媒介というレベル、Aは社会総資本運動の媒介機能を担うというレベルといった違いについてもふれている。

[51] 財務管理の財務会計化ということもできる。より一般に、今日の会計においては、管理会計の財務会計化、財務会計の管理会計化、といった点も指摘できる。その意味で、今日の会計には2つの会計は画然と区分できない性格をもつともいえる。

[52] 包括利益概念、とりわけ「その他の包括利益」などは、計算の論理からはなかなか出にくい性格をもつことも確かである。

[53]例えば、そうした概念やそこからでてくる利益概念が無制約なものではなく、分配可能利益という枠に規定されていることについては山桝・嶌村[1992]第7章参照。さらには、動態論を会計理論以上にひとつの思想(現実的な意義・役割を担う)としてみるとき、それが当時のコンツエルンの経営管理の要求に即したものであるという考察は興味深い。神田[1971]第5章参照。

[54] 石川[2000]補論7.1で取り上げた村瀬[1996]、加藤[1997]、および政治的プロセスの観点からその実行可能性について言及している石川他訳[1995]106頁、そして津守[1998]11頁などを参照。小栗[2001]での「@の認識行為は…Aの機能が強まり、資本主義的な経済過程を媒介・促進しようとする意識性が付与される」(167)、「@の機能における認識行為は会計制度に従って制度化された認識行為とならざるをえない」(169頁)に係わる問題であるが、さらに田中[1980]は認識様式を規定する(物質的条件に加えて)社会的条件に関して「この問題(社会的意識の問題−引用者)を、主体と意識の間に、認識様式を媒介させて考えてみたい。意識が社会的に規定されるということは、その意識を生産する認識様式自体が社会的に規定されているからにほかならないと思うからである」(14)と、「認識様式」という概念をもって述べておられる。ちなみに、筆者は田中・伊藤・木村[1980]の田中担当章を今日的問題もふくめてあらたに再構成し、単著として刊行されることを願っている。

[55] 財務会計だけでなく管理会計もふくめた会計となると、生産力の側面を無視できない。西村[1989]は「いかに生産関係や上部構造から会計を捉えても、現実の会計は生産力の管理と深く結合しており、その関係を変えたり、否定することはできないのである」(序ix頁)と述べている。会計の本質規定に係わる「会計の二重性」(第10章)及び第7章参照。

[56] この「理解する」(understanding)ということについては、井尻[1996]および石川[2000]188-90頁参照。

[57] 木村和三郎『科学としての会計学(下)』(有斐閣、1972年)「あとがき」(辻・山形担当)参照。

[58] 時価会計に限って言えば、1950年代の資産再評価をめぐる「資本蓄積と企業会計」との係わりが実証もふくめて議論されている木村編[1955]を参照。今日、実証研究(資本市場ベイスと非資本市場タイプ)が研究スタイルの主流になっているが、50年代にとりわけわが国の企業会計の実証研究がなされているのは忘れてはならないことである。

[59] ここでリトルトン・ジンマーマン/上田訳[1976]の次の一節を引用しておこう。「我々は、あらゆる行為が何らかの動機づけの力に応じて始められるということを確信する。過去および現存の会計実務の基礎にある動機と信念についての十分な理解は、会計の将来の発展に対するありそうな代替的な道のうちから賢明に選択するのに必要である」(序文1頁、傍点引用者)、「会計の進化は、主として固有の変化が新たに知覚された要求に応じて理解されかつ新しい方法が連続という現存している糸に付着されたという理由から、主として生起してきた」(351頁)。

[60] 石川・テキ「金融資産、独自の会計必要」日本経済新聞200012月8日参照。なお、このことと係わって、次の注での「経済学の選択と会計パースペクティブ」に関して補足している補論参照。

[61] そのさい、どのような経済学を“選択”するかが重要になる。例えば、シャム・サンダー「契約理論的企業観と代替的会計観」(山地・サンダー[1996]第2章)では、「組織の経済理論」を基礎に3つの会計観(@古典的観点、A受託責任的観点、B資本市場的観点)が3つの企業の形態との対応関係において論じられている。問題は、そこで選択された経済学が会計の本質的機能(サンダー論文の第V節「会計の諸機能」)や会計の動態をどこまで深く説明しうるかである。とりわけ、他の経済学(たとえば前掲書では井尻、津守教授がマルクス経済学をなんらかの形で選択している)を基礎にしたとき、その「理解の深さ」の比較が重要になる。この問題は重要であるので補論で補足したい。なお、サンダー論文が翻訳される前(1995年7月)にサンダー教授にあてたコメントを英文のホームページにも掲載しているので参照。(http// :www2.bus.osaka-cu.ac.jp/faculty/ishikawa/profile-e.htm) 

[62] 支配構造への影響については、例えば議決権行使の新たな動きについて報じている日本経済新聞2001年7月17日参照。特にカリフォルニア州公務員退職年金基金(CalPERS:カルパース)などの機関投資家に対して議案を事前に調査して賛成か反対かを助言する調査会社の存在が興味深い。

[63] 例えば英国では、すでに90年代初期に財務報告制度における機関投資家の位置づけに関する報告書(「キャドベリー報告書」(Cadbury Report))がでているのが注目される。この点については今福[1992](31頁)参照。ちなみに、「機関投資家資本主義」がその行き着く先というわけではなく、さらに株式会社という形態そのもの必ずしも永久的なものではなく、それに替わる別の形態も含めて、いっそうの発展・展開が考えられよう。この点については奥村[1997]第6章及び奥村[1999]第6章「第3の道」参照。

[64] 経済体制というより大きなパースペクティブではあるが、参考までに次の都留[1988]を引用しておこう。「私は、かねてから、社会的剰余(サープラス)の形態が経済体制を質的に特徴付ける識別範疇である、という考え方を抱いてきた。たとえば資本制社会では、サープラスは私的資本に帰属する利潤という形態をとるとみるわけだが、だとすれば、日本資本主義の生成・発展・変革の歴史的過程で、どのようなサープラスの形態変化が生じたか、また生じる可能性があるかということについて、私は関心をもってきた」。サープラスの形態変化はサープラスを対象にしてきた会計の形態変化につながるはずである。

[65] こうした考察は、会計基準そのものの議論ではなく、それを生み出しているもの(経済的内容)を考察することになるので、その意味では「メタ・アカウンティング」、あるいは井尻[1996]での「超理論(super theory)」ともいえる。なお、メタ・アカウンティングについては、10年以上も前になるがカーネギー・メロン大学での井尻教授とのインタビューでも議論されている(ホームページに掲載)。

[66] 例えば現在緊急の会計問題となっているストックオプションとM&A関連の会計基準でも、その統一を急ぐ背景には(いずれも基準の緩いアメリカ基準への不信)、この国際的に分散投資している機関投資家への配慮がある(2001年8月20日の日本経済新聞参照)。ちなみに、 1990年代に入りアメリカの機関投資家の国際的投資がきわめて顕著になってきているが、例えば先のカルパースについていえば、その海外資産は総資産985億ドルで、そのうち47億ドルが対日投資、24億ドルが対イギリスである(三和[1999]150頁参照)。

[67] サンダーの動態観には市場およびその発展レベルという見方がその基礎にある。すなわち「その組織の要求に見合う会計システムの種類は、その組織が機能する市場の程度(the extent of the markets)に左右されるのである。…現実の市場の発展程度が、多くの会計上の考え方(accounting perspectives)や議論において非常に重要な変数となっている。…私の議論したい会計に関する3つの主要な考え方は、市場発展の3つの接近したレベルに結びつけられる」(サンダー[1996]20頁、傍点は引用者)と。問題は、そうした「市場の発展程度」から捉えられた会計の動態観、とりわけ「組織論によって私たちは、古典的観点、受託責任の観点、そして市場アプローチを調和的に重ね合わせた、会計に関する統合された理解(unified perspective on accounting)が可能となる」(同31頁)というときの「会計に関する統合された理解」の説明レベルであり、特に「資本」の経済学の動態観との捉え方の相違である。

[68] 石川[2000]11章第4節では金融経済学上のカギ概念と会計概念の相対化について議論している。

[69] 例えば、マテシッチはその自伝的著作(Mattessich[1995])において基礎研究の重要性を次のように述べている。「…基礎研究に専念したため、行動科学的研究や分析的研究といった当時の会計学研究の主流から外れることになった。しかし、私自身は、流行に流されることなく自らが重要であると信じ、魅力を感じた課題を追い続けてきたことを誇りに思っている」(p.75)、「会計学の主流が、基礎的研究を無視したり、研究の細分化によって蝕まれてはいないだろうか。C. デバイン、G. ガー、そして井尻雄士教授が、ここ10年ほどの間に基礎研究の分野で重要な業績を発表しているが、こういった研究を一層促進させるには、会計学の主要な学術雑誌の編集者やレフリーに、基礎研究の意義を理解させることがまず必要である」(p.79、小口訳)。