“第2の”損益計算書は必要か

1997年4月

石川 純治

 

要旨

 主要な3つの会計基準設定機関(国際会計基準委員会、米国FASB、英国ASB)が相次いで“第2の”損益計算書の構想を公表した。それらの背後には金融(派生)商品の貸借対照表上での時価開示があるが、それに伴う損益計算上の問題をどう扱うかという、いわば苦悩の現れが今回の一連の構想にほかならないといえる。

 問題は現行の純利益と区別される“第2の”利益(その他の包括利益)とはいかなるものであり、いかなる理由で区別されるのか。さらに、それをなぜ基本財務表として新たに公表する必要があるかである。

今日の時価会計導入に伴う損益認識は、伝統的な実現概念の拡張・延長上で捉えられるものではなく、それとは異質なものとして捉えるべきである。そして、価値変動損益の新たな認識原則と2つの利益の区分ルールが明確化されなければならない。

 

 

1 B/S問題とP/L問題とのジレンマ

 

 今日の財務会計において、制度的にはもちろんのこと理論的にももっとも重要な課題のひとつは金融(派生)商品をめぐる時価会計の導入問題である。それを財務会計上の問題として受け止めるか、それとも単に実体開示の問題として議論するか、ここが議論のひとつの分かれ目である。なぜなら、財務会計の本来的問題として捉えるなら、そこにはどうしても損益計算との係わりを避けて通るわけにはいかないのに対し、それを投資家のための実体開示の問題として議論するだけなら、そこには必ずしも損益計算の問題と絡める必要はないからである。損益計算とは切り離して経済的実体とかリスクを開示することは可能であり、開示の場所は必ずしも財務諸表本体である必然性はないからである。要は投資家にとって有用な情報が開示されているかどうかである。

ところで、主要な3つの会計基準設定機関、すなわち国際会計基準委員会(IASC)、米国財務会計基準審議会(FASB)、英国会計基準審議会(ASB)が奇しくも相次いで“第2の”損益計算書の構想を公表した。公表順に示せば次のとおりである。

 

  1. ASB公開草案「財務報告原則ステートメント」(1995年10月)
  2.  「総認識利得損失計算書」(statement of total recognised gains and losses)、

  3. 米国FASB公開草案「包括利益の報告」(1996年6月)
  4.  「包括利益計算書」(comprehensive income statement)

  5. IASC公開草案「財務諸表の表示」(1996年7月)

 「非所有者持分変動計算書」(Statement of Non-owner Movement in Equity)

 

 これらの新しい計算書は、現行の貸借対照表、損益計算書、キャッシュフロー計算書に次ぐ第4の基本財務表としての位置づけであり、伝統的な損益計算書に対して“第2の”損益計算書ともいえるものである。それは、時価会計導入を財務会計の根幹である損益計算上の問題としてどう捉えるかということであり、金融(派生)商品の貸借対照表上での時価開示とそれに伴う損益計算上の問題をどう始末するかという、いわば苦悩の現れでもある。すなわち、そこには今日の時価会計導入に伴うB/S問題とP/L問題との“ジレンマ解決”の仕方が象徴的に現れているといえる。

 

  1. “第2の”損益計算書はなぜ必要なのか

 

 まず、「包括利益」=「純利益」+「その他の包括利益」の式が議論の出発点になる。これまでの損益計算書が純利益のステートメントであったといえば、今回の包括利益計算書の構想は内容的には「その他の包括利益」に関するステートメントということができる。すなわち分かりやすく示せば、包括利益=“第1の”損益計算書(純利益計算書)+“第2の”損益計算書(その他の包括利益計算書)となる。重要なことは、まず包括利益が2つの利益に区分されるということ、そして“第2の”利益(その他の包括利益)の計算書が新たに“第2の”損益計算書として財務諸表に加わるということである。したがって、問題は純利益と区別されるその他の包括利益とはいかなるものであり、それは純利益といかなる理由で区別されるのか、さらにそれをなぜ基本財務表として新たに公表する必要があるかである。

まずその他の包括利益にはいかなる項目が入るかであるが、それは今回まったく新たに登場したものではなく、現行の実務においても、例えば為替換算調整額、有価証券の未実現評価損益、最小年金負債調整額といった項目がそれに該当する。ただ、それらは現行の損益計算書(純利益計算書)には入らないけれども、いわば例外的に貸借対照表の持分の独立項目というかたちで表示されていたものである。払込資本でもまた留保利益でもない項目として(しかも個々独立に)表示されているということであり、それは資本でもなく利益(純利益)でもないという意味で、いわば“資本と利益のグレーゾーン”のなかで表示されているとみることもできる。この“グレーゾーン”扱いからの転換、すなわち貸借対照表上では持分が(i)(払込)資本、(ii)留保利益、そして(iii)「その他の包括利益累計額」と明確に3区分表示され、損益計算書上では(iii)の当期変動説明書を第2の損益計算書として表示するという、この一大転換が今回の構想にほかならない。

このように現行実務には、もともとある種の持分の増減を純利益計算のなかには入れず、貸借対照表の持分に独立項目として表示するという“矛盾”があった。この一方で包括主義による損益認識をしておきながら他方で損益計算書を経由しないという“矛盾”は、とりわけ今日の金融(派生)商品の時価評価を契機に持分の独立項目の増加となって顕在化する。今回の構想の背景には、持分がそうした項目を収容するいわば“矛盾の受け皿”と化すことに対する強い懸念がある。そして、この矛盾を“第2の”損益計算書というかたちで、つまり損益計算書を素通りしないけれども現行の純利益計算書とは区別するというかたちで解決しようとしているのが今回の一連の構想とみることができる。

 

 

  1. 第2の利益と新たな枠組み

 

 第2の損益計算書の構想は、とりもなおさず純利益とその他の包括利益の2つの利益が何らかの意味で異質であり、それゆえに区別されねばならないということを、第4の基本財務表というもっとも明確なかたちで表明したものと解釈できる。では、その他の包括利益はいかなる理由で純利益と区別されるのか。その異質性はそもそもどこから生じるのか。これが、会計理論上の重要な問題となる。

ところで、伝統的な損益計算の枠組みはいわゆる「原価・実現主義」(原価主義会計)によって基礎づけれており、それは商品が販売(実現)されるまでその取得原価が貸借対照表上に計上されるという基本原則にほかならない。したがって、もし有価証券に代表される金融商品を未売却ながらも時価(公正価値)評価するなら、その理論的根拠づけには2つの方向が考えられる。すなわち、ひとつは「実現可能性基準」(市場でいつでも売却できる)に代表されるように現行の実現概念の枠組みを拡張する方向であり、もうひとつは金融商品と実物商品との異質性を根拠に実現概念とは別の枠組みを用意する方向である。

端的に言って、伝統的な原価主義会計の枠組みは公正価値の変動(単なる価格差)を即時に利得・損失として認識するには適さない。それは、もともと実物商品(購入・製造−販売過程)に適用されるものであり、(同じく商品であっても)今日の金融商品にまでも適用できる枠組みではない。単なる価格差にすぎない損益認識を実現→実現可能性という方向軸で現行枠組みの拡張・延長上で捉えることにはもともと無理がある。金融商品の相対的ウエイトが増大した今日、最近のIASC起草委員会委員長のコメントにも窺えるように(3月26日のプレスリリース)、そのような別枠認識としての理解が次第に高まりつつあるように思える。そのことは、金融商品に代表される今日の時価論議が、同じ時価論議であってもかつての原価主義会計と本来的に対立する物価変動会計とはその本質を異にしていることからも明らかである。今日の時価論議はそもそも原価主義会計と対立するものとして論じられる性格ではないのである。このことは今日の時価論議が資産評価として全面的な「時価会計」対「原価会計」という対立図式にはならないことを意味する。時価と原価との理論的な両立・併存が可能であるということである。

今後、時価会計をめぐる論議は開示基準からより実質的な認識・測定基準へと本格化される。こうした動向のなか日本では財務諸表等規則の改正(1996年7月)によって、デリバティブ取引等にかかわるディスクロージャーの充実を図るため、注記による開示が義務づけられた(1997年3月期決算より適用)。しかしながら、上記の国際会計基準委員会などの動向からして、今後は開示にとどまらず認識・測定問題まで踏み込まざるを得なくなることが当然予想され、そのときは「企業会計原則」(最終改正1982年)の見直し作業が要求されることになるであろう。それは国際会計基準等の「外圧」(国際標準に合わせる)といったかたちで制度的に片づけられるようなものではなく、会計理論のもっとも根本に根ざした問題にかかわっているだけに、理論に裏付けられた改正がなされねばならない。特に、金融(派生)商品の時価評価に伴う損益認識のための新たな原則設定およびその理論的裏付けと、もし第2の損益計算書が必要であるなら包括利益を構成する2つの利益の“線引きルール”(「資本と利益の区分」に加えて「利益内部の区分」)が明確に規定されなければならないであろう。

 



 

 

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