【書評】(『経営研究』第52巻第4号)
笠井昭次著『会計の論理』
(税務経理協会、2000年)
石川純治
1 山桝の衣鉢−得心のゆくまで−
「先生は、長時間をかけてきわめて用意周到に構想を練り上げ、そのうえで一気呵成に草稿を仕上げるタイプだったのではないか、…そのようにして得心のゆくまで思索に思索を重ね、既に自己の血肉の一部となるに至るまでに咀嚼されたもの、即ち正に自己の固有の知見に他ならないものを、先生は原稿用紙に書き留められていったのではないだろうか」、「いずれにせよ、先生が草稿をものにされるまでには、熟柿がじねんに落ちる時のように、長い沈潜の過程が先行していたことだけはたしかである」、「制度に関係なく、長期間にわたり、理論的基礎として読むに耐えうるような『原論』、ひいては、あるはずの会計理論すなわち『純粋会計理論』の構築は、先生の畢生の念願であったと思われる」、「そのような奇跡を可能にしたのは、先生の自己に対する峻厳さ、日頃の自己の主張に殉じる誠実さにあったのではないかと思われる」。ここで、「先生」とは山桝忠恕である。
すなわち、以上の引用は著者である笠井昭次教授が師である山桝の追悼号(『三田商学研究』第29巻特別号、1987年)での追悼論文「山桝先生の会計構造学説」の追記として記したものである。評者は以下で大著『会計の論理』という出来上がった作品を紹介・論評しなければならないが、ある意味でより重要と思われるのはその作品ができるまでの「長い沈潜の過程」であるように思える。そこには、あたかも激しく葛藤しながら自己の姿(自画像)を描いていく画業のような厳しさが垣間見られる。幾分長い引用をしたのは、そのためである。
一言で言えば、そこでの「先生」は他ならぬ著者そのものではないか、ということである。先の引用をどう読んでも、そこでの「先生」の自己対決の姿は、評者には「笠井」の自己対決そのものに写ってしまう。その一端は、「本書の執筆にあたりつとめて心掛けたことは、ごく平凡なことながら、自分が得心のゆくものだけを納得する、ということである」(「初めに」2頁)と自ら語っていることにも表れている。しかし、それは先の引用にもあるように、決して平凡なことではない。このことは、あとでもふれることにして、さっそく出来上がった作品を紹介・論評したい。
2 全体の構成−「真理は全体である」−
本書は、「現行の企業会計実践の全体を統一的な論理で説明することを企図している」とし、その全体を@会計機能論(企業会計の社会的役割および計算課題)、A会計構造論(複式簿記ひいては企業会計の構造)、B会計測定論(企業会計の認識・測定規約)の3つの領域の全体として説明する。第1部(2章構成)が@に、第3部(6章構成)がAに、第4部(8章構成)がBにそれぞれ該当する。@での企業会計の社会的役割(会計責任)と計算課題(処分可能利益)がAとB、とりわけAでの計算目的勘定(貸借対照表と損益計算書)を規定するという形でつながる(34頁の図表序−13参照)。
重要な点はそれら3つの領域をつないでいる(結節点)のが勘定分類であること、すなわち「会計機能論、会計構造論、そして会計測定論は、勘定分類を媒介として密接に関連しており、それら3領域がそのような形で有機的に結合された全一体が、会計理論に他ならないのである」(35頁)ということである。あとでもふれることになるが、この結節点としての勘定分類(勘定の関係)によって3つの領域全体の統合的な会計理論の構築が可能になるのである。まさに、「真理は全体である」というときの「全体」がそれであり、具体的には著者のいう「統合的勘定分類観」(129頁の図表3-7参照)として表わされている。
会計理論の具体的な内容を構成するAとBの理論構築に先立ち、第2部(2章構成)では、いわばそのメタ理論として説明理論の在り方が論じられる。著者がAとBで想定している理論とはいかなるものか、その在り方は理論構築にとってきわめて重要であるだけに、見落とせないところである。
以上の本文(第1章から第18章)を序章(総説)と結章(現行会計の全体的性格と基本的特質)ではさむ形で全体が構成されており、それらをあわせて全体で20章、850頁余りの大著である。ちなみに、著者はこれまで『会計構造論の研究』(210頁)『会計的統合の系譜』(715頁)、『会計構造の論理』(478頁)の単著を公刊されているが、これまででもっとも大部なものとなっている。
本文に該当する計18章のうちAとBに14章が当てられており、そのことからもAとBがもっとも主要なところであることがわかる。以下、主としてそこにかかわる重要な論点について紹介・論評することにするが、その前に、既述のように著者の会計理論の在り方に関する考えは重要であるので、それについて若干ふれておきたい。
3 会計理論の在り方−「あるはずの会計」と理想型−
著者が想定している理論構築の在り方は、一言で言えば、「ある会計」ではなく、「あるはずの会計」の構築ということである。それは、また、規範としての「あるべき会計」でもない。ここで「ある会計」とは会計実践、「あるはずの会計」とは本来の会計であり、その「あるはずの会計を体系化したものを、理論(説明理論)とよんでおこう」(142頁)となる。したがって、重要なことは、「実践に過度に捉われてはならない。実践からは距離を置き、本来的な在り方を構想すること」(141頁)である。
ちなみに、著者は岩田巌を高く評価しているが、とりわけその会計実務の現象形態(著者のいう「ある会計」)と本当の姿(「あるはずの会計」)との峻別を高く評価する。かくして、「この『あるはずの会計』像を構築することが、本書の企図である」(「初めに」2頁)となる。ある特定の説明理論が何を説明しているのか、その対象は何か、このことをよくよく考えてみれば、この「ある会計」と「あるはずの会計」の峻別は、これまでかならずしも明確に識別されてこなかったようにも思える。その意味でも、説明理論の構築に先だって、このことの認識は重要となる。
こうした2つの会計の峻別は、より具体的には、現実的形態に引きずられて首尾一貫性が欠落した事例としてワルプの対流関係等式が(第4章)、また現実的要請(必要性)に引きずられたためにやはり首尾一貫性が欠落した事例として有価証券の時価測定論が(第5章)、それぞれ取り上げられている。ここで重要なことは、例えばワルプ理論の検討で端的に示されている「理想型」という著者独特の方法である。
ここで理想型とは「その仮説体系(例えばワルプ理論といったある特定の学説−引用者)が、実践を説明しているかどうかのテストを行う前に、まずもって、そうした首尾一貫性を検討し、論理整合性を具えた理想型として再定式しておかなくてはならない」(153頁)という、ある学説の笠井教授の手による(論理一貫した)再定式化である。要するに、ある学説が実践を説明できるかどうか、それをテストするに資する形に再構成するということ、逆に言えば、論理整合性のないものにはそもそも実践を説明できる資質がないということである。
こうして、例えば、著者によるワルプの理想型は説明可能性を問える形に変換され、それをもってその説明力が験証(corroboration)されるわけである。こうした方法は本書だけでなく、これまでの著作、とりわけ会計構造論における諸説の比較検討でも用いられてきた著者独特の方法である。ここにも、単なる学説批判ではなく、再構成された諸学説の比較検討(内在的論理による比較検討)という、きわめて用意周到な論理的作業を見てとることができる。
4 二面性概念と「会計の論理」−「会計のことは会計に聞け」−
さて、これから「あるはずの会計」、とりわけA会計構造論とB会計測定論の理論構築になるが、前節で述べたように、それは単なる説明理論ではなく、「あるはずの会計」を対象にした「理想型」としての説明理論の構築となる。
そこで、まず第3部の会計構造論は、企業会計の計算原理(第5章)、動態論の2類型(第6章)、損益計算体系の問題点(第7章)、二面的勘定機構の意義(第8章)、企業資本等式形成の論理(第9章)、企業資本等式の説明力と特質(第10章)、の6つの章から構成される。紙幅の制約上、ここでは著書のタイトル「会計の論理」にかかわるきわめて重要な論点、すなわち二面性概念についてだけ取り上げておきたい[1]。
ところで、本書を深く理解するには、その基本的立脚点をふまえておく必要がある。その1つが先の「説明するとはどういうことか」(理論と実践の関係での「あるはずの会計」)であったわけだが、もう1つ重要な点は「会計とは何であるか」に関する著者の明確な見方である。すなわち、「複式簿記機構を通して見える世界が、会計的世界に他ならない。換言すれば、会計的世界とは、複式簿記における二面性に規定された世界なのである」(19頁)というように、複式簿記機構を離れた会計は会計ではないということ、会計が経済でも経営でもまた法律でもないかぎり、「会計のことは会計に聞け」ということである。
ここで、複式簿記における二面性というとき、借方・貸方の複式仕訳のような皮相的な二面性を想定してはいけない。すなわち、あとでより具体的にふれるが、二面的な勘定分類機構(会計構造)という、より全体的、構造的な二面性概念である[2]。そうであるがゆえに、それが「会計の論理」となるのである。この点、読者は、くれぐれも留意されたい。複式簿記機構からますます離れていく傾向のある今日にあって、「会計」とは何であるか、会計の「論理」とは何であるか、読者は本書をとおしてあらためて考えさせられるであろう。繰り返しになるが、先の「あるはずの会計」と理想型、ここでの二面性概念と「会計の論理」をじっくり吟味するだけでも本書の値打ちは十分あるといえる[3]。
さて、この二面性は貸借対照表における二面性でないこと、すなわち試算表(総勘定合計表)における二面性であること、そしてそれが会計構造の土台になっていることを十分理解しておかねばならない。それは、山桝が提唱した「企業資本等式」とよばれる二面構造であり、具体的には、「資本の@待機分(現金)+A派遣分(対外債権・投資)+B充用分(商品・事業用資産)+C費消分(費用)=資本のD算段分(資本金・借入金)+E蓄積分(留保利益)+F稼得分(収益)」である。この企業資本等式そのものについては、別稿でふれているので[4]、ここではそれがすでに出来上がった貸借対照表や損益計算書(計算目的勘定)ではなく、経済活動を表現する勘定(経済活動勘定)間の二面構造として捉えられている、という点に注意したい。
とりわけ、あとで述べるように、借方側の勘定カテゴリー間の関係は(特にA派遣分とB充用分)、今日の時価会計論議の混乱の原因と再構成の議論にかかわる重要な洞察力を与えている。こうして、二面的勘定分類機構は会計構造のみならず後述の会計測定をも規定する。つまり、勘定分類は両者の結節点となっているのである。ここにきて、この二面性概念が、けっして通説的、皮相的なものではなく、第4の会計公準としての「二面性公準」と位置づけられているように(802頁の図表結−2参照)、著者の説明理論の構築にとっていかに重要であるかが理解されるだろう。
かくして、「この二面性こそが、会計固有のあるいは会計独自の概念であり、会計の論理の中核をなしているのである。この二面性概念を捨象して会計という言語の基本的特質を理解することは、およそ不可能であるというのが本書の基本的立脚点である」(「初めに」6-7頁)となるのである。
5 説明理論の新たな構築−その今日的意義−
著者のこれまでの著作からの新たな発展的展開という観点からすれば、第4部の会計測定論がもっとも重要なところである。そのことは、他よりも多くの章(8章から構成)が当てられていることからも、十分読みとれよう。
今日のきわめて多種多彩な展開をみせている会計実践を、どのように論理整合性ある説明理論として展開することが可能か。この難問に「全体」として答えるだけの理論がほとんどないといってよい今日、多くのものが関心をよせるにちがいない[5]。それは、一言で言えば、著者が用意したその難問への、先の会計構造論を土台にしたきわめて用意周到で論理整合的な答である。ここに、笠井理論の重要な今日的意義をみることができる。
さて、この第4部は、現金主義会計と発生主義会計(第11章)、認識・測定の基礎(第12章)、充用分の認識・測定規約(第13章)、取得原価主義の根拠についての諸説(第14章)、充用分に関する損益の認識・測定規約(第15章)、現行会計の認識・測定規約の混乱(第16章)、派遣分およびその損益の認識・測定規約(第17章)、調達分および待機分の会計(第18章)、の8章から構成されている。
先の企業資本等式に即して言えば、第13章からの3つの章が充用分、第16章からの2つの章が派遣分、そして1つの章が算段分および待機分に、それぞれ割り当てられている。このことからも、特に借方の運用形態系統に属する充用分(商品・事業用資産)と派遣分(対外債権・投資)の2つが重要であることがわかる。これらの各章に先立ち、いわばその前提として、現行会計の全体的性格およびその統合の論理として「発生主義会計」が(第11章)、また会計測定の内容を構成する認識と測定の一般論が(第12章)、それぞれ論じられる。
本来ならそれらの章に関して取り上げられるべき重要な論点が数多く存在するが、ここではそのすべてを取り上げる余裕はないので、特にその現代的意義を4点だけ強調しておきたい(笠井理論の4つの学説的側面)。すなわち、@実物商品(充用分)と金融商品(派遣分)の本来的区分(資産3分類説)、A派遣分の損益認識(狭義発生主義説)、B保有損益の本質規定(保有損益説)、C現行会計の全体的性格(発生主義会計説)の4つである。
@は笠井説の核心であり、他の理論的側面もすべてその区分からでてくるとさえいえる。Aは派遣分の損益が、充用分のそれとは基本的に異なって、時間の経過ないし発生に従って認識されるということであり、Bは有価証券に売却損益は認められないということ、保有時も売却時もすべて保有損益であるということである。特に、このBは通説での保有損益が疑似売却損益であることとの対比において、もっと注目されるべき見解であるように思える。Cは損益の認識が「発生の枠組み」として全体を貫いているという、全体統合の論理である[6]。
以上、資産の測定規約としては原価(実物商品:充用分資産)と時価(有価証券)および増価(貸出金など:以上派遣分資産)の等価的併存会計であり(時価主義会計でも原価主義会計でもない)、損益の認識規約としての発生主義が全体を貫く統合の論理となっている(その全体的要約は729頁の図表17−21、17−22、および808頁の図表結−4を参照)。
かくして、「測定レヴェルからみれば、現行会計実践は、(原価・時価・増価の−引用者)併存会計なのである。そこで、その統合の原理が、改めて問われなければならないが、その点、認識レヴェルの発生主義に求められる、というのが本書の結論である」(「初めに」1頁)となる。
6 評者の問題意識と本書の接点−問題発見の書−
以上、850頁余りの大著を批評するには、その能力も紙幅も限られているが、評者なりの紹介・論評を行ってみた。残念ながら取り上げられなかった重要な論点は数多くあるが[7]、評者の問題意識にかかわる論点について若干述べてみたい。
第1は、これが一番大きな論点であるが、資産測定レベルでの併存会計と、損益認識レベルでの発生主義による統合論理にかかわる論点である。評者は、端的に言って、併存会計を成果計算システムとしての併存会計(ハイブリッド構造)、すなわち笠井理論に即して言えば、充用分にかかわる損益認識・測定の構造と派遣分にかかわるそれとの併存会計とみており、資産測定の原価・時価の併存はその利益計算システムの併存構造からでてくるとみている点で異なっている。いずれが現行の企業会計を合理的に説明できるか、依然として評者に与えられた理論的課題である。
第2は、名目資本維持と損益の多段階認識観(72頁の図表1-9参照)にかかわる論点であるが、実物商品の保有損益(但し、そこでの時価は購入時価)と資本商品たる有価証券の保有損益が、ともに多段階認識(名目資本維持による全体利益の期間配分)として捉えられるかどうかという点である。もし、そこでの損益の多段階認識観が実物商品(充用分)だけに妥当するのであれば、有価証券の期間ごとの保有損益は、どのような損益の認識構造となっているかが問われよう。評者は、こと有価証券に関しては、そこでの保有損益は名目資本維持による全体利益の期間配分という見方をとっていないだけに、これも評者にとって重要な理論的課題である[8]。
第3は、派遣分が収入額系統で測定される(560頁の図表14−1参照)ということにかかわる論点である。すなわち、充用分(費用性資産)が購入額系統での測定であるのに対し、派遣分は収入額系統での測定とされるが、貸出金も有価証券も、「投下資本額追跡計算」(53頁)というときの投下資本であり、実物投資と同じくそこに投下支出が存在する[9]。したがって、この投下支出と収入額系統で測定されるということとの整合性をどのように理解したらよいか、ということである。
第4は、その点とも関連するが、デリバティブの損益認識にかかわる論点である。すなわち、現物をとおさず差金決済される先物取引のようなデリバティブにいたっては、利得(先物利益)は収入のみ、損失(先物損失)は支出のみ、つまりネット(正味現金)のみである。ゆえに、そこに(擬制取引を想定しなければ)いかなる利益計算の枠組みが妥当するか、そこにも名目資本維持系の利益計算が妥当するかどうか、という問題である。したがって、ここに4つの取引形態の損益認識・測定の問題、すなわち@実物商品(充用分)、A貸出金や満期保有の債券、B売買目的有価証券、そしてCデリバティブ(以上、派遣分)の認識・測定問題があり、それらに(収支計算とのかかわりも含めて)何らかの統一的な論理が見いだせるかどうか、という問題がある。
第5は、本書がその基本的前提にしている処分可能利益にかかわる論点である。「本書は、説明理論に関するかぎり、業績表示利益と処分可能利益とは異ならない、という前提にたっている」(63頁)というとき、今日の企業会計はその2つの利益計算が、共通部分を共有しつつも、むしろ次第に分離していく傾向にあることもまた事実であるように思える。となると、こうした処分可能利益を前提にしなければ、笠井理論の理論的意義は失うのかといえば、評者にはそう思われない。むしろ、事態は逆であって、投資決定に有用な会計情報という情報優位な会計観が主流になればなるほど、本書が提起した問題の重要性、とりわけ記録機構を重視した計算対象の構文論的・意味論的分析の重要性は、より注目されるべきであるように思われる[10]。
以上、ここで取り上げたいくつかの論点は評者の問題意識にとって重要であるばかりでなく、本書をとおして触発された問題意識でもあり、また評者に与えられた理論的課題でもある。その意味で、本書は、評者にとって大きな啓発と問題発見の書といえる。
7 笠井会計学の確立と「思いのたけ」−研究人生の証し−
最後に、著者のこれまでの研究における本書の位置と、その完成過程における内面性について述べておきたい。
冒頭で「山桝の衣鉢」ということを述べたが、本書は、山桝理論から山桝・笠井理論を経て、さらに笠井独自の理論構築(笠井会計学)への道にあるようにみえる。それは、著者がいう本書の3つのキーワードに即して言えば、山桝が強調した@「会計のことは会計に聞け」という会計の「論理」を基礎に、(勘定分類混在観と対比された)統合的勘定分類観に端的にみられるA「真理は全体である」の「全体」の獲得、そして理想型に端的にみられるB「比較することは理解することである」の比較の枠組み形成にかかわる「方法」の獲得である。この@の「論理」を土台にしたAの「全体」とBの「方法」へのさらなる発展的展開が、本書の類書にみられない特徴となっている。今後、Bの理想型による諸学説の比較検討は、これまでの会計構造論から、さらに会計測定論へと発展されるにちがいない。
そうした位置にある本書の「長い沈潜の過程」は、冒頭でも述べたように、評者がある意味でより関心をいだくところである。すなわち、著者が本書をして「自分が得心し得る説明を見出そうという、いわば筆者のもがきを叙述したものである」、「本書の一切合切が、筆者が研究者として生きてきたことのいわば証しなのである」(以上、「初めに」8-9頁)というとき、評者はそこに終始一貫徹底した内的な問いかけ、全力で没入する「自己」の確認の姿をみる思いがする。また、「筆者の『心の葛藤』、さらには『思いのたけ』を語ったものである」(同9頁)というとき、そこにある種きわめて孤独で純度の高い独自の生を垣間見る思いがする。
そこには、あたかも画家が自己と格闘しながら自画像を描いていく画業の軌跡にも似た厳しい姿がある。その意味で、本書は著者笠井昭次の「思いのたけ」を描いた自画像的作品といえる。
[1] 拙稿「試算表等式論覚書(2)」(『経営研究』第44巻第1号,1993年)では、第9,10章にかかわる企業資本等式説(山桝・笠井理論)を笠井『会計的統合の系譜』(慶応通信、1989年)に基づいて、特に木村和三郎の試算表等式観との比較において検討しているので参照されたい。
[2] ちなみに、笠井教授の会計構造と複式簿記との関係についての見解は、記録機構=f(会計構造)というシェーマ化(ここでfは関数)に端的にみられる。この点については拙稿「会計構造と複式簿記」『会計人コース』1996年6月号参照。
[3] ただ、著者はここでも用意周到であるのだが(けっして絶対化しない:不可知論的立場)、その二面性概念が先験的に前提されなければならないと主張されているのではない。それは、あくまで仮説体系のひとつの仮定であり、そのことで現行企業会計がより合理的に説明できるということを主張したいのである。この点については、844-46頁参照。
[4] 前掲拙稿「試算表等式論覚書(2)」参照。
[5] 例えば白鳥庄之助「時価主義会計・監査の系譜と21世紀への期待」(『会計』第157巻第1号、2000年1月)では、実現概念の拡張アプローチに疑念をいだいたあと、@貨幣・実物循環とA貨幣内循環の2つの異なる運動の観点から、@の循環内では「評価基準は原価主義、収益(利益)認識基準は実現主義」、Aの循環内では「…時間の経過にとともに、…評価基準は時価主義、収益(利益)認識基準は発生主義」(以上、16頁)と説明されているが、とりわけ後者の「時間の経過」、「発生主義」とくると、これはもう笠井理論の見解にきわめて接近しているといえる。「原価主義会計の大枠内」という見方には問題があるが、要するに、「このように二つの異なる評価基準を統合できるような緻密で首尾一貫した理論体系を構築できるなら、…」(16頁)というときの「緻密で首尾一貫した理論体系」とは、本書で展開されている理論そのもののようにみえる。
[6] より詳しくは拙稿「笠井理論の学説論的意義」『三田商学研究』第42巻第4号(1999年10月)参照。
[7] 例えば、個別的な会計問題でいえば、第18章での修繕引当金の性格をめぐる議論などはそのひとつであり、著者独自の見解がみられる。
[8] この損益の多段階認識観は第1章と第13章での充用分(費用生資産)の箇所ででてくるだけなので、一応、派遣分とは区別されているようにみえる。しかし、他方で、有価証券の保有損益も名目資本維持(全体利益の決定基準)による期間配分という著者の見解もみられる。前掲拙稿「笠井理論の学説論的意義」の注17参照。
[9] 例えば嶌村剛雄『新体系会計諸則詳説(増補版)』(中央経済社、1980年)215頁での測定上の資産分類では、外部投資項目は費用性資産と同じく支出額を価額基礎にする項目として分類されている。但し、一時所有の有価証券の扱いは微妙である。拙著『時価会計の基本問題』(中央経済社、2000年)第10章第2節参照。
[10] これに対し、記録重視から離れていく傾向は、例えば直接的測定(direct measurement)や再測定 (fresh-start measurement)といった現在の情報や仮定に基づく会計測定の在り方に典型的にみられる。