【書評】

米山正樹 著『減損会計−配分と評価−』

(森山書店、2001年)

Masaki Yoneyama, Impairment Accounting

Junji Ishikawa

 


1 統一的原理を求めて−配分のロジック−

本書の最大の魅力は、金銭債権(第2章)、棚卸資産(第3章)、資本設備(第4,5章)、事業用不動産(第6章)、買い入れのれん(第7章)など、一見まったく異なる各種資産に関する簿価修正手続になんらかの統一的な説明原理(内在的ロジック)を見出すことができるかどうかを問うた点、とりわけそれを利益計算を支える基本原理に求めている点にある。

今日、会計はともすると「財務透明性」といった言葉にも垣間見られるように、利益計算よりも実態開示の面が強調され、そのもとで利益計算を支える配分の思考よりも、ストックの価値評価の思考がより強くでてくる[1]。ここに、「配分」と「評価」という基本的に相異なる思考の対立視点がある。本書のねらいどこを、とりわけそのタイトルに即して端的にいえば、減損会計を「評価」ではなく「配分」のロジックで統一的に説こうとする点にある。

思えば、会計とりわけ会計実務というきわめて「俗」な世界に、ロジックといったそれとは対極にあるものが、はたしてどこまで求められうるのか、あるいは通用するのか。「学」としての会計を極めようとする者なら、誰もがいだく素朴な疑問であろう。数学や物理学では学者が「気絶するほどの発見」といったものがありうるが、そもそも会計学にもそうした学問的な「驚き」といったものが期待できるのか、ということである[2]。その意味では、会計学は物理学よりも困難で骨折りな仕事をかかえているともいえる。

こうした会計学のもつ学問的性格という観点から、評者がもっとも関心をもった点は、会計学という実学を統一的な説明原理(内在するロジック)でもって論理的に説明してみせたことである。このことが類書にはみられない最大の理論的魅力となっている。

 

2 「原価配分スキーム」と「価値評価スキーム」−期待のれんの有無と利益計算のあり方−

 先に述べたように、簿価修正が求められる複数のケースを統一的に説明しようとするさい、利益計算を支える基本原理がその基礎になる。したがって、各ケース(第2章以下)をみるまえに、この利益計算の基本的な考え方がいかなるものか、これが重要な論点になる。第1章「期待にもとづく業績評価」が、それにあてられている。第2章以下での各論を横断的に貫く総論部分としてきわめて重要なところである。

 重要な点は、「何を期待した投資なのかに応じて成果のとらえかたも違ってくる」(2頁)という点である。こうした考え方は、今日の金融商品会計のとらえかたにも1つの有力な考え方としてでてきているが[3]、要するに、事業投資のように「のれん」の獲得とその「実現」が期待される場合と、金融投資のようにそれが期待されない場合で、それぞれ成果計算の捉え方が異なるということである。著者は、前者を「原価配分のスキーム」、後者を「価値評価のスキーム」とよんで大別している(以下では、たんに「配分スキーム」、「評価スキーム」とする)。スキームとよんでいるだけに、それぞれが異なる枠組みであるということになろう。

 さらに重要な点は、そこでいうところの投資に寄せられた「期待」の変化(将来見通しの変化)が、それぞれのスキームでの成果計算にどのように反映するかである。この点、評価スキームでは「時価それ自体が見積もりの修正分を『吸収』している」ので、「特別な会計処理を行わなくても『自動的に』期間損益計算に反映される」(7頁)となる。つまり、評価スキームでは、期待の変化は時価で再評価するという会計処理でたりる。しかし、配分スキームではことはさほど単純ではない。むろん、そこに本書の存在意義があるわけで、ここに期待の変化にかかわる2つのスキームの基本的な違いがある。

 以下では、@のれんの獲得と実現を期待して行われる投資(配分スキーム)→A期待の変化(但し、のれんの実現を期待する投資を継続)→B配分計画の修正手続(簿価修正)、という筋道をふまえて、特に金銭債権、資本設備、棚卸資産の3つのケースを取り上げてみたい。そこでの焦点は、期待の変化が成果計算にどのように影響し、それが簿価修正をどのように導くか、さらにはそこに各種の資産形態の違いを超えてどのような一貫した配分のロジックが見出されるか、これである[4]

 

3 金銭債権からの出発−原理と応用−

 金銭債権(第2章)が最初にとりあげられているのは偶然ではない。減損の問題を資本設備ではなく、金銭債権のケースから始めたのはなぜか。このことの吟味は、他のケースを含めた説明原理を理解することと密接にかかわる。逆に言えば、この金銭債権での議論(他のケースも支える準拠枠)を理解すれば、あとはそのいわばバリエーションとして捉えることさえ可能である。同じ原理が異なった局面(資本設備や棚卸資産など)に応用されているにすぎない、と捉えるわけである。

 さて、問題の骨子は、金銭債権から期待されるキャッシュフローの見通しの変化→旧来の配分計画では配分総額を期間内に配分し終えない(最低限満たすべき配分規約への抵触が予想)→配分計画にいかなる修正が求められるか、である。これには実は3つの方法が考えられる。そのなかである特定の方法が選択されるが、その理由がここでの要点となる。そして、それが他の局面にも応用される原理となる。

ここで3つの方法とは、@見積もりの変化→認識以降の実効金利にだけ反映→損失を将来にすべて負担(prospective approach:将来負担方式)、A見積もりの変化→過去に遡って実効金利を減らす→損失を過去と将来に公平に負担(retroactive approach:全期間公平負担方式)、B見積もりの変化→当初の実効金利を変えず→損失を修正時点で一挙に負担(catch-up approach:修正時一括負担方式)の3つである[5]。結論だけいえば、Bの方法が採られる。なぜか、すでに述べたように、これが他のケースにも応用されうる説明原理となる。

 ところで、この3つの方法はいずれも配分規約への抵触を回避することができる。なのに、そのなかから特定の方法が採られるには、それなりの別の要請があったはずである。著者は、米国ルールの変遷(@からBの方法への変更:基準書第15号から第114号へ)のなかに、その要請を読み取ろうとする。この分析が本書の出発点であり、また核心部分であるといえる。

 重要な点は、単に配分規約への抵触を避けるだけでなく、「各期の期間損益にどういう意味を付与すべきかという観点」(53頁)から、Bが採択されたかの分析である。その鍵は、当初の実効金利を変えない、という点にある[6]。すなわち、当初の実効金利を変えない期間損益とは、「不良化の前後で等質的な利息収益を計上する」(52頁、傍点は引用者)ことにほかならず、そのための簿価修正が減損というわけである。

そのことは、さらに他のケースにも応用されうる原理的次元でいえば、「見積もりの修正にもかかわらず、投資に寄せられた期待に継続性がみられ、修正後も正常な営業活動が続いているものとみなしうるなら、その正常な活動にみあう収益を修正以降の期間に配分すべきという考え方自体は汎用的なものである」(55頁、傍点は引用者)ということになる。 

かくして、「旧来どおりの営業活動が続けられている以上、旧来と等質的な水準の利益を配分すべきという発想が修正手続を支えている」(56頁、傍点は引用者)という「発想」は、他のケースでの簿価修正にどのように応用されうるか、これが次の課題となる。

 

4 金銭債権と資本設備/棚卸資産−アナロジーとその出どこ−

わが国では減損会計の制度化が、その最終段階をむかえている。その中心は資本設備(事業用資産)であるが、金銭債権はそれとはまったく異なる性質をもつ資産だけに、それと資本設備の簿価修正手続とになんらかのアナロジーが見出されるとすると、それはある種の「驚き」である。

 そのアナロジーの出どこは、先の「発想」、すなわち期待の不利な変化→しかし投資(営業活動)継続の事実→その「事実」を期間損益計算に反映、という基本思考にある。より具体的には、「不利な環境変化によって失われた期間損益計算の正常性を取り戻す」(90頁、傍点は引用者)ということである。先の金銭債権のケースでは、当初の実効金利を変えない、というのがここでの「正常性」にほかならない。では、資本設備での「正常性」を取り戻す修正手続はどのようになされるか。

資本設備では、あくまで期間損益計算の見地にたつかぎり、「正常な利益」の確保→(結果的に過大となった)償却ベースの切り下げ→簿価修正、というかたちでなされる。制度的にはその切り下げの大きさの決定にはいくつかの方法があるが、問題はそのなかで金銭債権のケースと整合的な方法は何か、ということである。

著者は、まず不利な期待の変化を投資全体にかかわる正否に求める[7]。そして、投資の失敗が判明すれば、次は切り下げの大きさの決定として、2つの償却ベースの可能性をあげる。1つは過去に遡って見積り直した「利用価値」(将来キャッシュフローの割引現在価値)、もう1つは過去に遡って見積り直した取得価額(再調達原価)である。その決め手は、いずれの属性値が先の「正常な利益」の確保、すなわち(投資を続行しているかぎり)個々の企業固有の営業努力を反映している利益の確保につながるかである。

ところで、前者(利用価値)では割引率として用いた資本コストにみあう利益だけが期間利益となるのに対し、後者(再調達原価)ではさらに「のれん」(利用価値と取得価額との差額)の実現も計上される(ただし、いずれも投資時点に遡って見積もり直されたもの)。先に述べたように、正常な利益が企業固有の営業努力にみあう利益であるから、その確保という観点からすれば後者が選択される。逆に言えば、前者では期間損益の正常性は確保できないことになるわけである[8]。重要な点は、企業固有の営業努力(の継続)→のれんの期待とその実現→(企業固有の)正常な利益→投資時点に遡った再調達原価、という論理の筋道である。

次に、棚卸資産に求められる修正手続であるが、ここでも先と同様に、将来見通しの修正→しかし引き続き正常な営業活動→それに見合う大きさの収益の計上、という発想にたてば、これまでのケースと整合的な方法の選択は、いわば応用問題にすぎない。そのことは、「低価基準」の解釈ともかかわって、その発想に支えられる簿価修正が見通しの修正時点の時価(再調達原価)か、それとも過去に遡って見積もり直した時価か、という選択にあらわれる。すなわち、容易に理解されるように、これまでの議論(原理と応用)からして後者が選択される。そのさい修正時点での時価に切り下げられる低価基準の解釈はといえば、「遡及的な時価の見積もりに代わるものと解釈した低価基準」76頁、傍点は引用者)となる。棚卸資産では資本設備と違って保有期間が短いことが、その解釈を可能にしている。

以上、金銭債権(起点)→資本設備→棚卸資産の順で簿価修正手続をみてきた。それらに一貫する簿価修正手続を基礎で支えているものは、一言で言えば、「期間損益計算の正常性の確保」という思考である。

 

5 本書の特徴と意義−期間損益計算とは−

 本書の特徴を端的に言えば、「減損とは何か」をあくまで「利益をどう計算するか」の観点から一貫して説こうとするところにある。

こうした期間損益志向(フロー志向)の修正手続と捉える見方に対し、ストック評価の観点から捉える見方、すなわち減損を「ストック評価額の経験的な解釈を取り戻す」(177頁)ための手続とみる見方がある。実際、制度的にもそうした見地にたつとみられる方法が採られている(例えばIASC基準)。冒頭でも述べたように、今日の会計にはストック評価の観点が強く出てきていることからして、むしろその観点の方(ストック志向の修正手続)が今日的な考え方ともいえる。その意味で、より大きな観点からすれば、本書にみられる(本書が敢えて採ろうとする)終始徹底した期間損益志向は、今日のストック志向の会計観への、減損会計を素材とした、ひとつの問題提起とみることもできる。

 すでに述べたように、こうした一貫したフロー志向の出どこ(準拠枠)が金銭債権での簿価修正手続にある点もきわめて特徴的な点である。すなわち、特筆すべきはそこでの修正手続のなかに「適用される局面の違いを超えて等質的なロジックに支えられているはずという予断にもとづき、統一的な説明原理の手がかりとして、期間損益志向の経験的な解釈を重視する思考」(182頁、傍点は引用者)を読み取った点である。この等質的なロジックの「発見」が本書の核心部分であり、本書のもつ最大の特徴点であるといえる。

そして、減損とはとりもなおさずその「期間損益の経験的な解釈」を取り戻す操作にほかならない。そのさい取り戻されるものが何かといえば、それは(不利な見通しの変化のもとでも)旧来どおり続けられている営業活動にみあう利益すなわち「正常な利益」であり、とりわけその営業活動の継続という「事実」が期間損益計算に反映されねばならない、という考え方が重要なところである。

 こうして、読者は期間損益計算のあり方をめぐって、そもそも「期間損益計算とは何であるか」、「何を計算するものか」、期間損益計算に反映させる「事実とは何であるか」、といった問題をあらためて考えさせられるであろう。減損会計という1つの会計問題が、そうした会計の最も基本にある問題に直結しているわけである。この点を考えさせるのが、本書のもつもう1つの意義であるといえる。

 

6 若干の課題−配分の概念−

 最後に、評者の問題意識から特に3つの課題について述べておきたい[9]

 第1は、本書で用いられている「配分」の概念に関してである。本書の中心概念であるだけに最も重要なところである。具体的に言えば、配分されるものが何であるかに関して、「原価配分」、「キャッシュフローの配分」、「収益の配分」、「利益の配分」、「期間配分」あるいは「配分計画」といった用語にみられる多義性に関してである。配分されるものが、あるときは原価であったり、キャッシュフローであったり、また収益ないし利益であったりするわけである。少なくとも指摘されるべきは、「費用配分」という用語がでてきていないという点である。

伝統的には「原価」の(費消部分としての)配分が「費用」であるわけだが、それは資本設備や棚卸資産に妥当しても、金銭債権には妥当しない。「価値増殖を計画的・規則的な形で各期にどう配分するのかが、金銭債権に係る原価配分の主たる検討課題となっている」(32)というとき、価値増殖の配分がどういう意味で「原価配分」か、ということである。そこで配分されるのは利息収益であっても、利息の期間配分がどうして「原価配分のスキーム」なのか、ということである[10]

思うに、この費用配分がでていないことは、先に指摘した本書の特徴点、すなわち減損会計を金銭債権から出発させた点にこそあるのではないか。なぜなら、そこには費用配分なるものがそもそも存在しないからである。もしこの理解が正しければ、まさにその議論の起点が、同時にそうした評者の疑問の出どこにもなっているわけである。いずれにしても、金銭債権における「原価配分」の「原価」とは何であり、それと「利益(利息)の配分」とはどういう関係になっているか、評者の知りたいところである[11]

 第2は、「配分スキーム」と「評価スキーム」に関してである。これも、本書における基本的な分析枠組みであるだけに重要なところである。ここでは特に有価証券のケースでみておきたい。先にみたように、時価の有利な変動を期待する有価証券への投資は時価を超えるのれんを期待できない。そこでの期待の変化は、時価の変化としてあらわれるだけで(むしろ変化それ自体が前提)、そこにはこれまでの配分計画の修正といった特別の会計処理を要しない。同じく、成果計算といっても、これまでの「配分スキーム」に基づくものと、有価証券のケースのように「評価スキーム」に基づくものがあるわけである。

となると、成果計算(資本利益計算)としての会計の「全体」はどのような構成になるのか、大きくはこの2つのスキームに基づく成果計算の「併存会計」ということになるのか、ここに全体の体系の問題が問われてくる。そのためにも、本書でいうところの「評価スキーム」のいくつかのケースを取り上げて、本書での「配分スキーム」のケースとともに、その「全体をみせる」というさらなる作業が必要になるように思える。

 しかも、そのさい、そもそも有価証券が「評価スキーム」のケースであることに合意が得られているのかどうか、このこと自体の検討もなお必要である。なぜなら、有価証券の時価変動損益を「配分」の観点から捉える見解があるからである[12]。さらには、本書のテーマである減損会計についても、それを配分でなく「評価スキーム」のケースとして捉える見解も存在している[13]。したがって、こうした依然として理論的な決着をみていない論点も含めて、全体の枠組構成がどうなっているかがさらなる検討課題であるといえる。

第3は、等質的なロジック、とりわけそこでのロジックは一意的かということに関してである。すなわち、本書でのロジック@catch-up approach(金銭債権)→投資時点に遡った取得価額をあらたな償却ベース(資本設備)/過去に遡って見積もり直した時価(棚卸資産)に対し、ロジックAretroactive approach(金銭債権)→投資時点に遡った利用価値を償却ベース(資本設備)/過去に遡った正味実現可能価額(棚卸資産)、あるいはロジックBprospective approach(金銭債権)→簿価修正せず加速的な償却方法への変更あるいは耐用年数の短縮(資本設備)/原価のままで簿価修正せず販売時に損失計上(棚卸資産)、という金銭債権に関する3つの方法を起点にした3つの「等質的なロジック」の可能性が考えられる[14]

そのいずれかの選択は、ロジックの次元だけでは決められない。つまり、ロジックの一貫性があるかぎり、それらは無差別である。いずれが妥当かは、ロジックとは違うまた別の要請が必要になる。換言すれば、会計(理論)にとってロジックは重要な必要条件であっても、十分条件ではないのである。本書で@の等質的なロジックが選択されたのは、まさに「期間損益計算の正常性の確保」という要請が働いたからである。ここに、AとBのロジックの可能性も含めて、そもそも期間損益計算とは何であり、減損とは何であるのか、その基本が問われるわけである[15]

 

7 最後に−原理的・論理的思考を求めて−

本書は、減損という会計問題をとおして企業会計の基礎にある期間配分の思考を徹頭徹尾ロジカルに追究している。会計は、ともするとそうした「ロジック」よりも、「ユースフル」といった言葉に象徴される外生的要請のみが強調されがちである[16]。めまぐるしく制度改革が先行している今日では、なおさらそうである。しかし、本来なら、その制度を基礎から支える「理論」がなければならない。そうでないと、時々の要請をうけたアドホックな制度となる危険性がある。ここに、終始一貫徹底して論理を追求した本書の1つの存在意義がある。

会計学に論理的・原理的思考を求めて飽き足らない読者には、本書はまちがいなくそうした欲求を満足させる数少ない著作の1つになるだろう。きわめて知的刺激に富んだ本書を、会計アカデミズムの今日的状況もふまえて、そうした読者に推奨したい。

 



〈注〉

1) そこでの利益の計算はといえば、期間配分の思考での自律的な存在から、価値評価の思考を受けて従属的な存在となる。他方、ストック評価の方は逆に前者では配分思考に従属した評価となるのに対し、後者ではより自律的な価値評価となる。少なくとも、これまでの利益計算は前者の思考を基礎にしているといえる。

2) こうした会計学の学問的性格については、もう10年以上も前になるが、井尻雄士教授(カーネギーメロン大学)へのインタビューの冒頭において議論した。評者のホームページ参照。

3) 拙著『時価会計の基本問題』(中央経済社)第6章2節参照。

4) 紙幅の制約上省略するが、事業用不動産(第6章)のケースについては同じく簿価修正がなされるにしても、以下で議論する配分のロジックとの一貫性はないが、買い入れのれん(第7章)のケースついては資本設備のケースと等質的な簿価修正手続きが求められる、という議論がなされている。なお、買い入れのれんについては、周知のとおり米国制度では償却方式から非償却・減損方式に変更されたわけだが、そのことと本書での「配分スキーム」対「評価スキーム」とのかかわりが1つの検討課題になるだろう。

5) なお、この3つの方法に対し配分計画を修正しないという方法、すなわちC見積もりの変化→なんら修正せず→実際の現金収入と当初の見積もりに基づく配分計画の不一致→最終年度に損失計上(as-realized approach)、もその対比において1つの方法としてあげられる。特に、税務会計上の所得計算ではどうか(失敗は失敗で、それが現実化したときにそのまま所得計算に反映させることが考えられる)、そうした異質な計算系との相対比較が財務会計上の「期間損益計算とは何か」を考えるうえで重要であろう。

6) 実効金利とは、債権金額と取得価額との差額が金利調整だけでなく債務者の信用リスクを含んでいる場合、償却原価法(利息法)で求められる割引率のことである。ちなみに、わが国の「金融商品会計基準」(および同実務指針115項)における貸倒懸念債権の貸倒見積高の算定(キャッシュ・フロー見積法)でも、修正時点ではなく当初の約定利子率または取得時の実効利子率が用いられている。そこでは特定時点のストックの価値評価としてではなく、見積もり直された将来キャッシュフローの収益率が当初の収益率(利子率)と同じになる(catch up)簿価修正として、貸倒見積高(減損)が修正時点に一括計上される。

7) 資本設備は金銭債権と違って将来キャッシュフローが確定しているわけではないので、切り下げの大きさの問題(測定規準)の前に、まずいつの時点で簿価切り下げを行うか、切り下げのタイミングの問題(認識規準)がある。著者は、投資全体の正否の判断として、回収可能キャッシュフローの単純合計額と、その資本コストによる割引価値(利用価値)の2つをあげている。それらが当初の投資額(取得原価)を下回っているかどうかが、投資の正否(失敗かどうか)の判断となる。切り下げのタイミング問題において投資全体の正否を判断するということが、切り下げの大きさの問題でも投資時点に遡った2つの属性値を用いるということにつながっている。

8) ちなみに、著者は前者の利用価値を再調達原価の遡及的見積もりが不可能な場合の代替的な手法(「最適なサロゲート」)と位置づけている。また、修正時点での再調達原価を同じく代替的な手法(「おおよそのサロゲート」)としている。なお、それぞれの方式については拙稿「減損会計と利益計算の構造」(『企業会計』第53巻第11号、2001年11月)での斎藤方式とFASB方式を参照。

9) この他に例えば減損と名目資本維持とのかかわりも検討されるべき点かもしれない。投資時点に遡った償却ベースの切り下げは、当初の取得原価の一部分を切り捨てる(簿価の追加的修正)といった配分計画の部分的修正とみるよりは、文字どおり名目資本額(当初支出額)そのものの切り下げによる新たな維持回収計算と捉えることも可能だからである。結果的に同じ簿価切り下げであっても、既定の名目資本維持回収計算のなかでの部分修正→簿価修正と、資本の維持回収計算それ自体のやり直し→簿価修正、との相違である。この点については、減損の他の方式も含めて前掲拙稿「減損会計と利益計算の構造」注(25)参照。

10) 原価配分ないし費用配分での配分とは支出額(ないしは将来の支出額)が収益との対応に基づいて期間配分されることを意味する。そこでは、けっして収入額(ないしは将来の収入額)とは結びついてはいない。

11)それは、例えば「資本設備も金銭債権も、原価配分のスキームによって投資の成果をとらえる点では共通する」(28)というとき、そこでの「原価配分」とは確定しているキャッシュフロー(資本設備の場合はアウトフロー、金銭債権の場合はインフロー)の配分(「キャッシュフロー配分」)というレベルで捉えられているようにみえる。少なくともいえることは、伝統的な「実現と原価(その配分としての費用)/対応」概念に比して、より広義な「原価配分」概念になっている。

12) 例えば、「その純利益の概念の根幹は(実現と対応/配分の概念−引用者)、金融商品を時価評価する会計基準や減損にともなって固定資産の評価額を切り下げる会計基準が登場した今日でもなお、揺るぎない強固なものとして存在しつづけている」(日本会計研究学会特別委員会報告『会計基準の動向と基礎概念の研究』169頁、大日方担当)、「会計上の利益計算の本質は一貫してキャッシュフローの配分計算にあることに変わりはなかった」(同155頁、辻山担当)。なお、これに対し次の見解は配分の観点とは趣を異にしているようにみえる。すなわち「…それに対して資産・負債アプローチは、事業から切り離された金融商品の評価に基づいて、実現した利益をとらえる可能性を拓くものであった。取引というフローに着目した会計測定が見落としてきた利益実現の一面を、ストックの評価という面から拾い上げたわけである。企業会計の中心となる実現利益の測定において、それは取引に基づくキャッシュフローの期間配分を補完する役割を果たしたと言える」(同219頁、斎藤担当)と。そこではストック評価による実現利益という新たな概念が、これまでの実現利益に対する補完という位置づけで登場している。

13) 例えば、「臨時償却が期間配分の修正であるのに対して、減損はあくまで、資産の生みだす将来のキャッシュフローが減少し簿価を回収できない場合に行う措置である。つまり、『将来の正味キャッシュフローの現在価値』としての資産価値の修正が減損の措置と考えられる」、「減損は、有効原価の喪失ではなく価値の喪失と考えられる」(以上は岡田依里『企業評価と知的資産』税務経理協会、192頁、193頁、傍点は引用者)。明らかに、そこにはストック評価志向の減損観がみられる。

14) @とAの違いは、同じく過去に遡っているが、(見積もり直されたもとでの)投資ののれんを計上できるか否かにある。この相違は、減損とは何か、それを期間損益計算にどう反映させるか、という基本に密接にかかわっている。Bでは簿価修正せず不利な見通しの変化をそれ以降の損益計算に負担させる、というのが等質性のポイントとなる。すなわち、prospective approachが見積もりの変化→認識以降の実効金利にだけ反映→簿価修正せず損失を将来にすべて負担、であるのでここではBが想定できそうだが、「認識以降の実効金利に反映」の解釈いかんでは、別の可能性もあるかもしれない。なお、ここでの棚卸資産については、それが資本設備と違って短期保有の販売資産であるから、販売時点までに何らかの修正ができないかぎりは、結果的にはas-realized approachと同じになるだろう。

[15]) こうしたより大きな観点から(「評価スキーム」の見地にもなんらかのロジックが存在するなら、さらにそれも含めて)、本書で展開された理論(米山理論)を期間損益計算の「正常性確保説」とよぶことで、相対化することができるだろう。

16) では、論理が有用とまったく無縁かというと実はそうではない。この点については拙著『キャッシュフロー簿記会計論』(森山書店)142-43頁の注(27)参照。

 

(『経営研究』第53巻第2号、2002年7月)