2002春休み書評 評者:小島(4期生)
山崎武也著〔1997〕『恋愛論』三笠書房
40×69=2670文字
皆さんは「恋」をしたことがあるだろうか?おそらく答えは「イエス」であると思う。「恋」は何も男と女に限定したものではない。自分の買っているペットに、自分の通勤している会社に恋をすることも立派な「恋」だ。高度経済成長期の経営家族主義がそれを物語ってくれる。物事について考えることが人間の特性であるならば、人間と恋は切っても切れない関係にある。そんな、「恋」についての教えを説いたのが本書である。
「恋」の本来の意味は、相手に強くひきつけられている思いが満たされず、苦しくてつらく思う気持ちを言う。すなわち、恋の真髄は悩みにあるのだ。悩むのが恋であり、その思いを満たそうと努力するところに、その意義の一つがある。人間として生きていく中での無上の愉しみの一つである。そんなことを著者は最初に読者に伝えている。
人間社会という大きな枠の中に自分が存在するという事実や、人間の心理は刻々と変化するという点を考えれば、恋愛の世界に没頭する時も、ある程度は悩み苦しみ、頭を使う事を考える必要がある。新たな「恋」を産み出す時や「恋」をうまく進行させる為には、相手を“だます”ための手練手管も学ぶ姿勢が大切なのだ。恋に手練手管を用いるのは、相手を騙そうとする意図があるから、よくないといわれる。しかし、そのテクニック自体には、何ら悪い事はない。また、実際に騙そうとしているのであっても、一生を通じて騙しつづけるのであれば、それはまぎれもない真実となる。相手の心をもてあそぶ意図さえなければ、テクニックを駆使して恋をうまく運ぶ事は賢い行為であるといえるのだ。ではここで、そんな恋愛のテクニックを本書からいくつか紹介してみよう。
“いつも片思いで終わる人の足りないところ”について考えてみよう。人間の感情は相互的なものである。短期的には一方通行で終わる感情の流れもあるが、少し時間をかければ、必ず同じ種類の感情の交流が実現する。気に入らない相手だと思っているときは、その相手の方も、自分を嫌なやつだと思っているはず。同じように、好意を寄せている相手に対しては、しらずしらずに好意を与えているはずである。接する機会があるごとに、言葉に出してであれ、態度によってであれ、常に肯定的なメッセージを与えつづけているからだ。つまり、相手が自分をどう思ってくれるかは、自分の相手に対する態度次第なのである。したがって、特別に好きになったら、その特別な感情を持ちつづけ、相手と接する時にその感情に従った言動をすればよい。いつも片思いで終わってしまう人はこの相手対する態度がよろしくない。控えめすぎて相手に思いが通じていなかったり、あまりにも意識しすぎて空回りしていたりする。たとえ、控えめにしていても、その思いは必ず相手に通じる。すると、即座に同じ感情の反応が返ってくる場合もあるし、多少時間がかかる場合もある。このような場合のテクニックとしては、ちょっとした話し方や、さりげない振る舞いの中にも、特別な感情を込めることができるということを意識することだ。例えば、相手の身につけているものについて、自分の好みでもあるといってみたり、相手の目を普通よりちょっと長めに見つめてみたりする。ひそかに少しだけ積極的になればよいのだ。人目につくような積極性である必要はない。熱い思いの電波を相手に向かって送りつづけることが重要だ。相手は気付かなくても、だんだんとお互いの心の中にある思いが累積されていき、徐々に大きくなり固まっていく。フランスの小説家スタンダールの言う「恋の結晶作用」が起こるのである。「恋」とは向こうからやってくるものではない。待っていても何も得られないし、進展もしない。このことを肝に銘じておくことが「恋」の大前提なのである。
次に恋のできない人について触れてみよう。恋のできない人は恋をするような機会もなく出会いもないからだ、と自分で思い込んでいる。出会いの機会が無いという人は、機会を逃しているだけである。大まかにいって、人間の半分は異性である。人に会って異性である確率は50%ということだ。その中で恋愛の対象になりうる人の確率は低いかもしれないが、人数は少なくはないはずだ。また、恋のできない人は、すぐに相手を分析しようとする人だ。相手の情報を集めて、それを一つずつプラスとマイナスの要素に分けていく。そこで、どちらかというと、マイナスの要素に焦点をあわせる。そうなると、必然的に相手を拒否すし排斥する結果になるのは当然である。マイナス面であれプラス面であれ情報を集めて分析などはしないほうがよい。人は部品の寄せ集めでは無いので、全体としての印象や性質を見るべきである。人を分析していけば、どうしても相手に完全を求める傾向になっていく。完全な人間などいないのだから、皆不合格という結果になるのは当然である。翻って自分のことを考えてみればよくわかる。どんなひいき目で見たとしても、自分も完全ではない。不完全な自分には、不完全な相手がふさわしい。相手に完全を求めるのはこの上ない不公平である。“恋愛をすることは、完全を求めるのをやめ、諦める事を知る事である。”高望みは恋愛の最大の敵である。自分は不完全である事を意識し、謙虚さを忘れぬことが大切であろう。
以上、少しだけだが本書の内容の一部について自分なりにまとめ軽く触れてみた。ここで紹介した恋愛テクニックの“うまみ”は、ほんの氷山の一角にしか過ぎない。人生を有意義に過ごす為にも、人間にとって切っても切れない「恋」に対してもっともっと深く、皆に学んでもらいたい。本書は、社会学と心理学を見事に融合させ、人間の本質をうまく捉えた一冊であると思う。また、本書のおもしろいところの一つとして、著者は心理学の専門家でもなければ、社会学の専門家でもないということにある。つまり、これだけ恋について述べられるということは、それなりに自ら様々な恋を経験しているということである。「恋」は経験がモノを言う。したがって、私は著者を恋愛学の専門家であると思う。新しい学問の誕生といっても過言ではない。余談だが、私の個人的な意見としては、学校教育の一環に本書のような「恋愛学」のような学問と取り入れるべきであると思う。国語や英語、数学なども大切だが、それは社会で働く為、生きる為に必要な学問であって、人生自体を有意義で充実したものにしてくれるわけではない。日本という国は、ある程度の生活レベルを保持できるようになった。そこで、今までの教育方針を改め、お金を産み出す為の教育ではなく、個々人が楽しい人生を歩めるような教育をすべきであると考える。
皆さんも、本書を読んで恋愛の専門家に近づいてみてはどうだろうか?