2003年7月書評(第2回)
評者:小島(4期生)
荒井一博〔1997〕『終身雇用制と日本文化−ゲーム論的アプローチ−』中公新書。
ISBN4121013492
53×35=2009字
年功賃金、企業別労働組合と並び日本の伝統的経営システムの一つに終身雇用制がある。このシステムは信頼、自己規制などの日本の伝統的価値と結びついて、雇用の安定、労働意欲の向上、協力による生産効率の増大をもたらしてきた。終身雇用制は戦後、壊滅状態だった日本経済を躍進的に復興させた原動力であるといっても過言ではない。ところが、近年、相次ぐ不祥事で負の側面も強調され、これを廃止して競争的制度(欧米型の能力主義、成果主義等)を導入しようとする傾向が強まっている。しかし、新たな制度に変更して、はたして日本人は高い経済効率を達成し、幸福感を味わえるであろうか。文化と経済の関係をゲーム論の視点から分析し、制度改善の方向を示唆しようというのが本書の内容である。理論的に説明の難しい終身雇用制をゲーム論と結びつけ、その実態を明らかにする試みはいかにもマクロ経済学を得意とする著者の視点らしくおもしろい。
ではまず、ここに登場するゲーム論とはいかなるものか。新語辞典によれば「利害の対立する事態にある集団の行動を数学的にとらえる理論。ゲームにおけるプレーヤーの行動様式をモデルにしたもので,経済現象の分析や軍事的シミュレーションなどに応用される。」とある。簡単にいえば、利害を異にする複数の個人の相互依存関係を明示的に論ずるときに使われる手法である。本書ではいくつかのゲーム論が登場するが、その代表的な例として「囚人のジレンマ」を説明してみよう。
「囚人のジレンマ」は、A氏、B氏二人の共犯者が別件逮捕され、それぞれが別の取調室で取り調べを受けるとするという設定だ。共犯者のそれぞれは、共犯証言をするか黙秘するかの2つの選択肢を与えられる。しかしA氏、B氏は別々の取調室にいるので、相手方がどちらを選択するかはわからずに応えを選択することになるのである。どちらか一方が証言をして、他方が黙秘すると、前者は減刑され刑期が一年、後者は八年となる。両者が黙秘すると犯罪の確定ができないため、両者とも二年の刑に服する。両者とも証言すればA氏、B氏とも六年の刑に処さなければならない。ただし、この取り調べ(ゲーム)は一回限りで終了することを仮定して考えること。さて、このゲームでA、Bはどちらの行動をとるであろうか?答えはA氏、B氏両方とも「証言」を選択するのである。これは、どの場合においても「証言」をしたほうがお互いの利益が最大化するからである。A氏、B氏が協力関係を築けない状況にある場合、お互いが「黙秘」するかどうかはまったくわからない。もし、どちらかが「黙秘」しても相手が「証言」してしまえば「黙秘をしたほうが損をすることになる。したがって、A氏、B氏両方とも自分に有利に働くような選択をしてしまうのである。しかし、一回限りではなくこのゲーム(取り調べ)が行われる場合はどうであろう。このような場合にはかなり事情が違ってくる。A、Bともに「黙秘」の選択をするのである。取り調べ(ゲーム)が繰り返される場合は、協力関係を築くことでお互いの利得を最大化する行動がとられるのである。ゲームが行われる期間が長いほど、協力関係の意義は大きい。この「繰り返し囚人のジレンマ」(後者)は終身雇用制のように労働者が長期にわたって職場を同じくするケースに当てはめることができるのではないか。例えば3年間しか勤務しないことがあらかじめ分かっている場合と、よほどのことが無い限り数十年間ないし定年退職まで勤務することができる場合とではその個人の行動に顕著な相違が見られる。短期的な雇用関係の下では実現できないことが、終身雇用制の下では可能となりうる。このように終身雇用制をゲーム論の視点からアプローチし、この制度の良い点、悪い点を浮き彫りにしているのが本書の特色である。
本書の構成は前半部で終身雇用制を生み出した日本の文化的側面と国民性・伝統的価値観をゲーム論にて鋭く分析している。後半部では、官庁の不祥事や高速増殖炉のもんじゅ事故など度重なる日本の不祥事を例にあげ終身雇用制の負の側面を批判し、最後に第四章でまとめとして終身雇用制の将来を論じている。
本書を全体的に読み進めていくと終身雇用制のメリットよりデメリットの方が相対的に多く論じられていることに気付く。著者は終身雇用制には反対の立場であるように思われる。日本人の特性である「集団主義」や足の引っ張り合いを終身雇用制から発生した膿として痛烈且つ理論的に批判しているのが強く記憶に残っている。最初は本書のタイトルだけ見て、リストラや賃金カット、コストダウンの為の能力主義、成果主義についてなどの内容を思い浮かべてしまったが、本書は終身雇用制の内面的・文化的構造を心理学、社会学、経済学の立場から深く論じてあり、制度としての終身雇用制の内面的なスキーマを非常にわかりやすく学べる一冊であると感じた。