2002年7月書評

評者:島野(4期生)

植田正也〔2001〕『電通鬼十則』日新報道(ISBN4817405023)

 仕事は自ら「創る」べきで、与えられるべきではない。「大きな仕事」に取り組め、小さな仕事は己を小さくする。「難しい仕事」を狙え、そして己を成し遂げるところに進歩がある。取り組んだら「放すな」、殺されても放すな、目的完遂までは。「計画」をもて、長期の計画を持っていれば忍耐と工夫とそして正しい努力と希望が生まれる。「自信」をもて、自信がないから君の仕事には迫力も粘りもそして厚みすらがない。電通鬼十則。人はこのわずか309文字を読んでどのようなことを考え、どのようなことを感じ、どのようなことを得るのであろうか。これが「鬼十則」であり、与える影響は大きい。この鬼十則とは何なのであろうか。
 鬼十則の発祥地は「電通」。この名前を耳にした事がある人は少なくないであろう。仮に知らなかったとしても、我々は日常生活の中で、この広告会社最大手の電通に無関係な人はいない。テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、電車の中吊、電光板などにはこの電通が深くかかわり、オリンピックも衆参選挙も広告とプロモーションという関係でつながっている。現在でこそ世界的巨大企業になった。しかし電通は終戦直後まで企業の態をなしていなかった。そこで、当時四代目社長吉田秀雄が社員のために書き上げたものが「鬼十則」であり、これが電通躍進の鍵を握った。この「鬼十則」はその後電通社員のバックボーンとして半世紀以上も脈々と引き継がれているのである。
 鬼十則は社員の士気を挙げることが大きな目的の一つである。その鬼十則は電通を超えて普遍化し、電通から離れ、広告業界からも離れビジネスの原則原理になっているとまで言われる。この鬼十則は最近の若い社員には受け入れがたい部分もあり、やわな若者にとってはなじみがたい。そもそも戦後に提示されたものであり、時間の経過に伴って教育も、考えも、常識も変化している。その中で変わらない形を維持する鬼十則を理解できないのは当然な事なのかもしれない。
 しかしなぜ今「鬼十則」が望まれているのか。それは「7・5・3現象」と呼ばれる、中卒の70%、高卒の50%、大卒の30%が就職して3年以内に会社を辞めるという現象が起きている。これには様々な原因が考えられるが、一つの大きな原因として挙げられるのが、どこにも規範がなく、だれも原則原理を教えてくれないということがある。そのような現状の中で「鬼十則」には仕事とは何か、ビジネスとは何か、生きるとは何かということを、たった十項目、たった309文字の中にビジネス原理が秘められているのである。
 日常何も考えずに生活している私にとって考える機会になった事は間違いない。鬼十則が伝えたいもの。それは今の自分の自信を持ちつつも、満足をしてはいけない。常に新しい境地を探し自分を高め続けなければいけないということなのではないだろうか。その原則原理こそが半世紀にもわたって訴えつづけ、今もなおその存在価値が認められる理由なのではなかろうか。ビジネスの外においてもこの教訓は大きな意味をなす。私達は何をするにしても必ず何かを考えた後、自分の判断で行動を起こす。どんな小さな行動を起こすにしても、この鬼十則は僅かながらも道を示してくれるのではないだろうか。
 私達大学生は、社会へ出る前の準備をしなければならない。しかし実態は手探りの日常、代わり映えのない日常、そして考える事の少ない日常をただ何気なく過ごしている。どのような人々もいつかは社会という大海に船を出さなければならない。しかしこのまま社会に出ても何も考えずにすごしてきた時間と、そこで培った薄っぺらい経験は何の役にも立たないであろう。考えというものはすぐには変わらないし、「楽」に慣れきった人間にとってそれを否定しつづけ、なんとか「楽」にこだわりつづける。当然、鬼十則など納得できるわけがない。しかし、社会に出たとき絶望だけを見ないためにも、私達は沢山の経験をし、少しでも、どんなに小さな事でも「考える」癖をつけることは大切なのではなかろうか。自分と社会との差を少しでも埋める必要があるだろう。例え理解、納得できなかったとしても「鬼十則」に目を通し、考えの幅を広げる事は、今後において決して無駄にはならないであろう。電通においては世界的大企業のため批判、問題なども多く聞くが、この鬼十則に関しては大変すばらしいものであると思うし、このメッセージを少しでも受け取れたらと思う。ビジネスマンではない、ただの大学生の私にも強烈な印象を与えた。今後も変わらない形の「鬼十則」はどれだけの人々に影響を与えつづけていくのであろうか。