2003年5月書評(第1回)
評者:島野(4期生)
盛田昭夫〔1985〕『学歴無用論』朝日新聞社。
就職難といわれる時代が続いている。その就職という難関を乗り越えたとしても、高い離職率や、リストラという名の解雇の横行で日本の労働は大きな転換期を迎えている。日本的な雇用形態も崩壊し、年功序列から成果主義へ。近頃よく聞く言葉である。このように長期的なプランを建て難く、変化の激しい現在の経済の中で、15年前の著書から何かを学ぶことはできるのであろうか。15年前といえば景気は順調。成果主義導入は時期尚早と考えられていた時代である。就職の形においても現在とはまったく違った環境であったことはいうまでもない。しかし著者はその当時から社会通念に逆行し、年功賃金、学歴主義に大きな不安と、改善案を提案している。当時は学歴の高い人間が仕事のでき不出来にかかわらず年齢を重ねれば高い地位につく。安全にそして確実にその地位につくためには、まずよい大学に入ること。よい大学に入るためにはよい高校にはいる。結果的によい幼稚園にはいるというところまでさかのぼってしまう。この思考は現在でも変わることなく、いわゆるお受験といわれる幼稚園、小学校受験が激化するといった状況である。今でも我々の中では「学歴」への思考は高いといえるであろう。
さてここで「学歴無用論」。就職難を肌で感じている人間にとってこれほど甘い言葉はない。人間は弱いもので、自分に能力がないことを誰かのせいにして自分を慰めたり、結果が出ないことを学歴のせいや、運がなかったなどとたくさんの言い訳をしたりして、何とか正当化しようとする。間違えてはならないのは、著書はそれらの、何もせずに言い訳する人の自己満足を助けるための本でもなければ、学歴をすべて否定して、学歴がある人間が無能であるといった本でもない。学歴がない人間の中にも仕事のできる人間はいる。さらに学歴があるからといって仕事ができるわけではないということなのである。人間を評価する基準を「学歴」といったあまりにも限定されたものにするのではなく、人を的確に判断することが必要となってくるのである。
さてここで著者が述べる学歴無用論について考えてみる。日本の伝統的な雇用形態は、使用者がその労働者の一生を面倒見る代わりに会社を愛し会社のために、定年まで勤め上げる。いわばリターンの少ない奉公であるとの考え方の上に成り立っている。会社は一度就職した者に対しては簡単に首を切ることはしなかった。そのような環境の中でぬくぬくと会社生活を送り一度も芽を出さずに終わった当時の高学歴の期待の新人がたくさんいた。高学歴の人間より高卒の人間のほうが仕事のできる場合であっても、高学歴の人間にはいつまでもその「高学歴・〜大学卒」という看板がつき、高卒の有能な人間は劣等感の中にさいなまれている。果たしてこれでよいのであろうか。ここでの問題は学歴そのものではない。よい学校で、より広い教養を身につけ、より深い専門知識を身につけることは望ましい。しかし、何々大学を出たということだけがその人を価値が高い人と決めることは意味がない。どこの場所で教育を受けたかだけが一生の武器になることははなはだおかしいことである。その人がどこの大学でではなく「何の知識(スキル)」を身につけたかが問題なのである。
日本も従来の雇用形態が崩壊し、アメリカのような流動的な雇用の形態になりつつある。アメリカの経営学必ずしも良いとはしないものも、管理職の人間の責任の大きさと、その流動的な雇用をプラスと考え、より自分を評価してくれる場所を選ぶことができる習慣を評価している。管理職に大きな責任があるかわりに大きな権限が与えられている。管理職もエスカレーター式にあがってきた仕事のできない人間が否定できない事実である。このやる気を摘み取ってしまう経営形態に問題がないわけではない。様々な問題が深く絡み合って、この学歴問題がその様相を呈してくるのである。
さて現在の日本。15年前に著者が考えていたことは、ずばり現在の問題点を言い当てている。15年後の予測ではなく、当時の問題として捉えていることはさすがである。読んでいると古い著書であることが気になるどころか、新しい本を読んでいる気になって来る。日本の伝統的雇用形態、学歴主義。たくさんの問題を抱え、大きな転換期を迎えている。その中での学歴無用論。学歴が本当に無用なわけではない。いつの時代にもスペシャリストは必要で、誰かがその知識を確実に次の世代へと伝えていかなければいけないのである。であるから、その中での学歴無用論は、人間を正しく評価し、正しい役職へ登用しろということである。一流大学に入ったことはそこまでの努力の過程や、ある程度高い才能は評価することができる。しかし本当に大切なことは、「何処で」ではなく「何を」学んだかなのである。果たして現在、学歴とは何処までその力を縮小しているのか。むしろその力が拡大にしているのか。はっきりとはいえないが、実力主義、能力主義が叫ばれる現在であるからこそ、縮小傾向であることを切に願う。(2095文字)