2003年夏休み書評
評者:飯田(五期生)
松田義幸[2003]『スポーツ・ブランド―ナイキは私たちをどう変えたのか?』中央公論新社
ISBN4-12-003386-4C0034
35×53=1855字
私事であるのだが、昔、バスケットボールに熱中していた時期があった。その当時はちょうどスニーカーブームで私たちは各々、いろんなバスケットシューズを履いたものだ。私はナイキのシューズを履いていた。今、考えてみると、なぜナイキだったのか。他のメーカー、例えば、アシックス、リーボック、コンバスなどでも良かったのではないか。その答えが、本書には書かれており、私は納得した。私はナイキの戦略にまんまとひっかかっていたのであった。
現在、起業家フィル・ナイトの率いる古代ギリシャの勝利の女神を社名にしたナイキは、二十一世紀のグローバル企業のひとつである。一見、順風満帆のように見えるが、過去、反グローバル化運動やマスメディアからひどく厳しい批判を受け、何度も経営の失敗をしても、その度に難題に正面から取り組み、必死に危機を乗り越えてきたのだ。ナイキは、まったく新しい企業理念と方法に基づくグローバル・ナレッジ・マネジメント企業である。著者は、ナイキはピラミッド型の組織ではなく、グローバルな市民社会にどんどん組織を開き、状況変化にすばやく適応学習する柔軟なネットワーク構造型の先進モデル企業と書いている。では、どのようなことをナイキは行ったのだろうか。
著者はフィル・ナイトの「新しい人間、新しい社会」の到来という考え方を、先進社会においては経済、社会の問題よりも、文芸、芸術、スポーツ、旅、趣味などの生活文化の楽しみ方が重要な意味を持つようになったということと説明している。本書の中から、例を挙げてみたい。1985年、フィル・ナイトはリーボックとの競争の大敗北から、デザイン重視の時代の到来を学びとり、ナイキの新しい経営戦略として、見た目に美しい造形美のデザインに加えて、社名ナイキとスウッシュの示す象徴的・文化的な神話作用のデザインを重視した。しかし、競争優位を勝ち取るために決断したフィル・ナイトの方法は、前代未聞であった。なんと、大学出のマイケル・ジョーダンとの間で、五年間のCM出演に300万ドルの基本契約を結んだのである。世間がナイキはもう終わったと騒ぎ出した。どの時代においても、何かを変えようとする人は最初、非難されるものである。しかし、フィル・ナイトは、彼の能力の中に「勝利の女神」を感じ、これからのナイキの方向性を確信した。これからのナイキは、単にトップ・アスリートの人気にすがるのではなく「勝利の女神」に祈願し、選手と一緒に「第一級のスポーツ価値・芸術価値」を追求し、「スポーツ選手に対する尊敬」を表明する企業になることを誓ったのである。この後のマイケル・ジョーダンの成功は言うまでもなく、ナイキも社の方向性が正しかったことを示した。著者はこのことをナイキに肩入れせず、客観的に、そのときのナイキ社内、世間の反応を記述していて、そのときの状況がよく描かれている。
みなさんはナイキのCMを見たことがあるだろうか。ナイキと契約しているスポーツ選手が画面の中でスーパープレイを披露している。ナイキのCMは、スポーツを芸術に変えたといっていいほどである。まるで一つ一つが一本の短縮映画やドキュメント作品のように仕立て上げられていて、その上とても質が高い。現在、どの商品も品質、性能は優れている。では、どうしてナイキは売れるのか。筆者は、それは、ヒーローに憧れを抱き彼らと一体になりたいと願う、ブランド・ロイヤルティだと述べている。ナイキは見事、CM戦略を通し、生活者の心をつかんだのである。筆者はこのCM戦略を経営学的に分析しわかりやすく説明してくれていて納得させられると共に、ナイキのブランド力の強さを教えてくれている。
現在、社会の意識や個人の価値観の変化は凄まじいスピードで変化してきた。筆者は、ナイキという先進的な企業を用い、多くのビジネスが、いまだに「古い人間、古い社会」の組織構造と行動原理を抜け出していないと警告している。私たちは、少しでもいいから、このナイキから教訓を得て、先に進まなければいけない状況にいるのだと。ナイキの成功があるのは、フィル・ナイトによる見事な企業理念により「新しい時代」にいち早く到達したからであり、偶然の産物ではない。繰り返すが、私たちはこの「古い社会」を脱出し、いち早く今生きている、「新しい社会」に行かなければならない。本書は、私たちに対する"イエローカード"である。