2003年5月書評
評者:松島(5期生)
槙野咲男(2002)『吉野家の牛丼280円革命』徳間書店。
ISBN4198615764
35×53=1855字
今から約百年前の1899年、後に日本中にチェーン展開する牛丼屋がうぶ声をあげた。吉野家である。恐らく日本人であるなら誰もがその名を耳にしたことがあるのではないだろうか。そう、吉野家は牛丼業界におけるドンであり、外食産業においても勝ち組なのである。そんなドンたる吉野家の歴史は、チェーン展開による急成長、それによる無理がたたっての倒産、そして奇跡の復活といったように、決して順風万帆と呼べるものではなかった。本書では、倒産のどん底から東証一部上場への劇的な復活、280円革命、そして積極的な海外展開について、安部修仁社長のインタビューを交えつつ、吉野家成功の秘密をさぐっている。私は、この本のなかで特に気に入った一章と四章を中心に紹介する。
まず第一章は、牛丼一杯280円に値下げするまでの過程が述べられている。松屋、すき家などの牛丼市場におけるライバル店の台頭により、牛丼業界トップの吉野家にも陰りが見え始めてきた。そこで吉野家のとった戦略は値段の再構築だった。かつて安さを追求しすぎたあまりに味の質を落とし、その結果倒産に追い込まれた経験があるだけに値下げに踏み切ることは、吉野家にとって一種のかけであった。牛丼一杯における味の品質を維持しつつ、消費者にとってお得な値段を提供することは、吉野家にとって宿命だった。そして試行錯誤の末、行き着いた値段が280円だった。この牛丼一杯280円という値段は吉野家が今まで築き上げてきたおいしさのイメージを損なわず、また消費者にとっても品質に安心がもてる最適の値段であった。この値下げには、政府が戦後初のデフレ宣言を出した後だけに、巷ではデフレ現象を象徴するものとして、大いに話題になった。しかし、安部社長は言う。「今、政府が言ってるデフレと消費者が求める価格に適応する形での消費デフレ、価格デフレは次元も性質も違う話で、これを一緒くたにしてデフレは悪だとする論調はまったくナンセンスだ。利用客、ユーザーにとってよりいいものを安く提供しようと業界が変わっていくのは、進化であって、その結果、たとえ淘汰が起きたとしても、それは自らが利用客のために変わろうとしなかったことに対する罰なのではないだろうか。」
値下げにより快調な兆しを見せ始めてきた吉野屋だったが、ここでまた予期せぬ事態が起こった。牛肉業界に大損害を与えた狂牛病である。第四章では、狂牛病騒動を吉野家がどう乗り越えたかが書かれている。新価格がスタートしてわずか一ヶ月後に、神が与えた試練とでも言うべきか、狂牛病騒動が起きたのである。また悪いことに、農林水産業の稚拙な対応がなおさら社会心理を悪い方向へ煽り、どたばたした対応がいたずらに不安感を増大させた。さらに追い討ちをかけるがごとく、大手企業による牛肉偽装事件が、消費者の牛肉に対する信頼にとどめをさした。その結果、吉野家の客数は最低ラインまで落ち込んでしまった。しかし、この騒動のとき吉野家の態度は堂々たるものだった。「われわれはユーザーを欺いて、悪いものを儲けのために売っている事例とはまったく違う。おいしさと健康と安全の三つを必要条件として、われわれの手で一番ふさわしいものを選択し、最終商品につながるまでのプロセスも全部われわれの手で管理している。だから堂々と商売していこう。臆することは何もない。」
動揺している社員たちに安部社長はこのように語りかけた。実際、吉野家はこの時期、広告等を通して「安全です」という言葉を使わなかった。「うちは安全だ」と言えば言うほど逆効果になると考えたからだが、その選択は正解だっただろう。現に私はこの時期多くの牛肉産業がこぞって安全を誇示しているのを目の当たりにして、逆に牛肉に対しての不安が以前にも増して、増強していったのを記憶している。
本書を読んでみて、私は牛丼一杯における吉野家の誇りを感じた。あくまで、品質にこだわり、牛丼一杯の価値を下げずに価格を280円まで下げたことは、日本の食産業に一種の革命をもたらしたと私は思う。吉野家のような企業が存在する限り、日本もまだ捨てたものではない。本書はわれわれに280円というありがたみを示してくれる一冊である。まあ、私は牛丼よりも断然ラーメンを愛しているのだが・・・()