2003年7月書評(第2回)
評者:松島(5期生)
木村政雄[2003]『五十代からは、捨てて勝つ』PHP研究所。
ISBN456962846X
35×54=1892字
司馬遼太郎著『坂の上の雲』をみなさんはご存知だろうか。日清・日露戦争を舞台にした明治の日本を描いた叙事詩であり、某新聞社がサラリーマンに対して一番好きな司馬作品を挙げよと調査したところ、新入社員の一番人気が『竜馬がゆく』だったのに対して、経営者側の一番人気は断トツ『坂の上の雲』であった。『坂の上の雲』は2006年には大河ドラマとして映像化されることも決定している。私は、この本の主人公の一人である秋山好古が大好きだ。秋山は日本軍の騎兵をほぼ一人で一から育成したことから帝国陸軍騎兵の父と呼ばれており、日露戦争において世界最強と謳われたコサック騎兵団からかろうじて勝利を挙げた。秋山は戦闘の最中も酒を嗜むほどの酒好きであり、外人も勘違いするほどの洋風な風貌からヒンデンブルク将軍とも呼ばれていた。弟の真之はバルチック艦隊を全滅させたT字戦法、七段構え等の作戦を立てた天才作戦参謀として有名である。好古の魅力は、「人生において大切なのは若いときには何をするかであり老いては何をしたかということである。」という彼の言葉からわかるように、単純明確なところにある。それ以外のこと、例えば地位や名誉には全く興味を示していない。好古は「国家の堕落は常に上流階級の腐敗から始まる。だから上の地位にある者は自分のするべき役割が終わったら、速やかにその地位から降りる潔さを持たなければならない。」と常々言っていた。事実、好古は陸軍大将になって自分の役割を済ませた後、爵位ももらわずにとっとと退役して故郷愛媛にある北予中学の校長になった。その当時陸軍大将にまで登りつめた極官が片田舎の校長になるなんてありえないことであった。地位や名誉や金にこだわらないこの潔さが今の日本の上流階級にはたしてあるだろうか。ないと言わざるを得ない。今日の日本の上流階級の方々を見ていれば一目瞭然である。政治家、大企業の社長と金にまつわる汚職が多すぎてどれがどんな事件だったかなんてすぐに忘れてしまう。私個人の意見としては、汚職していようと世の中の役に立つような事をしていれば少しくらい大目に見てもいいと思っているが、残念ながら私的な理由での流用がほとんどである。
こんな感じで世の中に対して最近ニヒルになっていた時に出会ったのが今回の書評の本である。著者の木村政雄は吉本興業の常務取締役だったが、平成十四年十月二日に辞職した。ワイドショーなどで結構大々的に取り上げられていたのでご存知の方も多いのではないだろうか。私がこの本を読んで驚いたのが、著者が吉本を辞めた理由が、先程例に挙げた好古の考えと非常に似ているところだ。「どんな時代の寵児たちにも、賞味期限が切れるときがくる。切れ味やダイナミックさ、発想力のいずれかが欠けて、組織の老害となってくる。それなのに本人はそれに気付かず、その座に長居しすぎてしまう。自分はそうなりたくないから辞表を出した。」と著者は辞めた時の心境を述べている。居座り続ける幹部の気持ちも理解できないわけではない。「せっかく頑張って高い地位まで登りつめたのに今さら自分からその地位を捨てることができるか。」といった心境だろう。しかし、ゼミでやった成果主義にもつながるのだが、過去の実績の報酬としてポストを与えていては、成果主義は成り立たないし、幹部だけ成果主義適用除外では部下に示しがつかない。それを考えると成果主義の導入が様々な企業で叫ばれている今日、頑張った結果として身分が高くなったとしても、自分の賞味期限が切れたときにポストを手離す潔さを身に付けておいた方が会社のためにも自分のためにもいいのかもしれないと感じた。ただ、自分が家庭を持った場合に、はたしてそんなことを言っていられるのかという疑問は残る。それでも、こんな時代に常務取締役なんていい身分を自分から捨てて、次なる夢に挑戦しようとしている著者に、私の尊敬する秋山好古と近いものを感じてしまった。
とまあ著者の一部の意見でだいぶ盛り上がってしまったのだが、その他にも元吉本興業の社員だけに書いてあることが常識から外れていて面白い。例えば日本を連邦制にして47都道府県を47ヶ国にすれば面白いという著者の意見なんて本当にそう思うし、結果重視ではなくチャレンジした奴を評価しろなんて意見はまさに成果主義そのものだ。自分の考えを行動に移せるようになりたいと思っているのなら、一度読んでみる価値はある本だと私は考える。