2003年5月書評
評者:山口(5期生)
山田日登志[2003]『現場の変革、最強の経営 ムダとり』幻舎。
ISBN4344001850
55×35=1925字

 「ムダとりへの挑戦は、人生そのものに対する挑戦である」この印象的な格言で本書は始まる。著者の職業は経営コンサルタントだが、もっとはっきりと「工場再建請負人」と呼ぶ者もいる。その名のとおりその仕事は、経営不振という重い病で崩壊寸前の工場を訪れ、診察を行い、治療方針を立てて「工場再建」を実現するものだ。本書は著者が工場再建に向けて行った「ムダとり」という治療法を、その企業勝ち残り法のみならず、ビジネスマンに置き換えて、人生の"ゆとり"を勝ち取る方法として提示しているのである。
著者の言うムダとは何か。まず製造業の観点から見てみると、経営不振に陥る工場は決まって多くのムダが生じている。著者は「トヨタ生産方式」を見本とし、さらに現場を観察し、様々なムダを見つけまとめている。ではそれらのムダとその対策はどういったものであったか。
 1つの例として、製造現場において大量生産・大量消費の時代、最も合理的であった、ベルトコンベヤーを撤去する事から始まった。コンベヤーは一見合理的に見えるが、作業を人間のペースではなく機械のペースに合わせる逆転現象を生み、そこから「停滞のムダ」を生む。また「たった一つの作業を淡々と繰り返せばいい」という人間の能力を過小評価した経営学に基づくものなのである。そこでコンベヤーを外すと、今まで一つの作業しかしなかった人が自ら色々な作業をし、効率を上げる工夫をし、頭を使い始め、結果として生産性は格段に上がった。また撤去により余ったスペース、減員された人材を「活スペース・活人」と呼び活用することができたのである。
 また撤去に伴い導入した「一人屋台生産方式」(全工程を屋台営業の様に一人で受け持つ)は、人間が分業化により忘れていた「モノづくり」の喜びを思い出し「働きがい、やりがい」を与える結果となった。このように、「ムダとり」は人間を尊重し、幸福を追求する考え方でもあると著者は述べている。
前章からすると矛盾を生じた言葉ではないかと思うが、もう一つのムダの例として「人間の動作そのものがムダを生む」と言う。在庫のムダや運搬のムダ(ここでは部品を取る手間や品を次工程に送る手間などを言う)といった最終的に費用や時間の活用を妨げるものは、人間の動作が生んでいるのである。それならば動作そのものをできるだけ無くせばいいというのである。
 『自分の一日を「ムダとり」の視点から振り返ることから、動作のムダは見えてくる』それは製造業のみならず企業で試行錯誤するビジネスマンにも言えることである。企業やサラリーマンにおける具体的な「ムダとり」として、いくつか例を上げている。まずは生産管理者の様に業務計画書を書かせること。そこからムダが見えてくる。次に時間単位の目標設定をすること。いかに無効率に仕事していたか気づけるのである。自分の仕事の質、密度に敏感になること。いずれも著者はいかに時間を効率的に生きるかを訴えている。また「ムダとり」を定年退職後の第二の人生を実りあるものにする副産物としても捉えている。製造業において安さだけがとりえの企業が成功することはあり得ない。魅力的な付加価値が付く商品は高くても売れる。それと同じくビジネスマンも便利屋の様ではいずれ不必要となる。自分にしかないスキルが付加価値となる。しかしだれもが才能に恵まれているとは限らない。そこで誰でもできるのが「ムダとり」であり、そこに全力することは確実に実力をつけ自分の貢献度をアピールするものであり、最後まで生き残るための一人でできる構造改革である。
 『点の改善が全ての基本。点の改善は無限である。全ての動作に疑問を持ち続けること』『ムダは見る人のレベルで見えたり見えなかったりする。見方を変えることで新しいムダが見えてくる』。これらの言葉は、反省することを忘れた現代人の私生活においても言える心構えである。
 生き残る術である「ムダとり」が、ビジネスマンに置き換えても当てはまる事を示しているが、この観点からの説明では製造業の時の様な、数字や時代背景といった根拠説明が不十分であった。しかし経営不振の企業を見続けてきた著者だからこそ言える、その企業の改善すべき共通点には大いなる説得力を感じた。本書は、現代に必要なことは製造業においてもビジネスにおいても、「今ある常識を疑問視し、打ち破ること」であり、それにより「自己表現である仕事」を充実させることの大切さを述べている。その方法こそが「ムダとり」でありこれは「老若男女関係なく、個人でも実践できること」に特徴がある。