2003年5月書評
評者:福永(6期生)
宅森昭吉[2003]『日本経済「悲観神話」はもういらない』中公新書ラクレ。
ISBN4121500822
56×35=1960字
「悲観神話はもういらない」。確かに現在の日本は不景気と言うことで悲観的な部分があるのだろう。この著書で大まかに述べられているのは、その経済の状況が思わしくないとされるあまりに誰もが「景気が悪い」だとか「先行きは暗い」だとか思ってしまう。しかし、そんなに悲観的になる事も無く、景気ウォッチャー調査では「景気は良くなってきている」とか「受注が好調である」とか見通しの明るい言葉も出てきている。さらに、プロ野球の優勝球団やサッカーの天皇杯、さらにはNHK大河ドラマまでもが過去の景気との関連したデータを引っ張り出され、そのデータから見たジンクスによっても景気は回復する見通しではないかということだ。したがって、現在の不況についてそんなに悲観的にならず、もっと前向きに構えても良いだろうというのがこの著書のメインである。
しかし、私はこの記述に対して納得のいかない部分がある。確かにこの不況のせいで日本のほとんどの人が日本経済に関して悲観的に、また暗く重く考えているというのは頷けると思う。ニュースなどを見ていても、景気のことについては、明るい話題はあまり耳にしない。また、よくサラリーマンにインタビューなども行っているようだが誰の答えをとってみても落胆的で悲観的なものばかりである。こういうことも踏まえてこの部分に関しては納得がいく。だが、先に記したように様々なデータを持ち込んで、過去のジンクスにより見通しが明るいと判断するという部分は、私はどうも納得がいかない。ここで私ならではの一例を出してみたいと思う。
私の出身地である山口県では、高校野球に一つのジンクスがあると言われていた。そのジンクスとは、夏の甲子園の予選の前に毎年行われている「会長旗杯争奪大会」というものがあるのだが、その大会で優勝した高校はそれまでどんなに県内で圧倒的な実力で勝ってきていても夏の甲子園には出られないというものだ。つまり、会長旗を制した高校はどんなに強くても夏の予選ではコロッと負けてしまうというものだ。事実、そのジンクスもあって会長旗大会では高校によっては、意図的に優勝を避けようとするところもあるというのを聞いたことがある。しかし、実際に資料を調べてみるとそのジンクスがあったのは数年の間だけでそれ以上に前、また最近では当てはまっていないことが判明した。野球をやっていたわけではない私が言うのも変かもしれないが、野球というスポーツは番狂わせが起きやすいものだと思う。その番狂わせが数年続いた結果としてそれがジンクスと呼ばれるようになっただけなのだろう。大きく話がずれたので戻そうと思う。
今私が述べた例で言いたかったのは、ジンクスというものは所詮は結果論であって、当てにして良いようなものではないのだと思う。著者は景気の面で過去のデータを分析して、例えば、天皇杯で旧読売クラブなどの人気チームが優勝した年は景気が拡張局面にあって、最近ではそれが無かったため景気が思わしくない。バブル期最期の優勝が松下電器という西日本のチームであり、それからはずっと東日本の優勝だった。ところが、今年は京都パープルサンガが優勝し、西日本のチームがバブル崩壊後初めて勝ったということで景気の流れが変わるかもしれない。このように解釈しているが、私はこのようなことがあまりにも成り行き任せのようにしか思えない。著者が言うジンクスも単に結果論なだけではないだろうか。過去のデータを調べて偶然にも景気の回復と繋がる要因を見つけ、そのジンクスが今年には当てはまるのでそんなに悲観的にならなくても良いと、こういうニュアンスが私には感じられる。そういう理由で私はこの部分に納得がいかないのである。莫大な数がある世の中の物事のデータを調べれば多少は景気の変動に関係のあるように見えるものが出てきても不思議ではないだろう。それが本当に景気に関わるかどうかは分からないが、ここで述べられているジンクスとは、景気の変動とそれとは無関係に思えるデータを無理やりにこじつけたものに思える。全否定するわけではないが、これらを真に受けて景気が自ずと回復していくものと信じる事の方が悲観的になることよりも、ずっと危険なことだと思う。
経済の回復は「神の見えざる手」と言う時代はすでに過去である。現代社会で景気を立て直すには政府、国民の発想や努力が必要になっていくことは言うまでも無いだろう。その意味では、この不況に悲観的にならずに前向きに取り組んでいかなければならないと改めて思うのである。