2003年5月書評
評者:近(6期生)
斎藤孝[2001] 『「できる人」はどこがちがうのか』筑摩書房。
ISBN4773351829
35×55=1925字

 「あいつは飲み込みが早いなぁ」、「こいつは上達が早いなぁ」と思える人物におそらく誰もが出会ったことがあるだろう。こういった人々は先天的な才能の持ち主なのだろうか?ある程度の才能の差はあるが、そうではない。じつはスポーツ、勉強、仕事等すべての物事に共通の「上達のコツ」が存在するのだ。彼らは意識的、あるいは無意識的にしろ、この「コツ」を心得ている。「上達の普遍の論理」。本書ではこれを解いている。斎藤氏の考えは、基礎的な三つの力を技にして応用しながら、自分のスタイルを作り上げていく、というものである。基礎的な三つの力とは、<まねる(盗む)力>、<段取り力>、<コメント力(要約力・質問力を含む)>である(<>でくくった言葉は斎藤氏の造語)。こうした力をある程度つけ、それを活かしながら自分にあったスタイルを探し、自分の得意技を見定めて、そのスタイルへ統合していく。これが「上達の普遍の論理」であるという。私は本書を読み、真っ先に頭に浮かんだものは高校時代のバレーボール部の監督であった。「お前達の中でこの先これ(バレー)でメシ食っていく奴はたぶんいないだろう。でもここで学んだ事は社会にでてから絶対役に立つから。」監督はそう語っていた。勘違いするかもしれないが、決して弱小チームではなかった。毎日毎日必死に練習をし、そこそこの実績も残した。高校を卒業してから今まで、ただ漠然といい経験をさせてもらったと考えていただけだったが本書に出会い、そこで学んだことの意味にようやく気付かされた。皆さんの中で必死に部活動に取り組んだ経験のある方などは分かっていただけると思うが、まさに上記の三つの力を教わったのだと私は感じた。そのほかにも監督に教わったことは多々あるので感謝はしていたが、本書のおかげで感謝の念が増すだけでなく、学んだことを明確にすることができ、大変嬉しく思う。少々話が脱線したが、スポーツ選手の事例はたくさん挙げられている。サッカーの高原選手は中学生の頃、オランダのファンバステン選手に憧れ、真似をしていた話や、ジャイアンツの桑田投手の右ひじ手術から復活するまでのエピソードなどが書かれている。他にも会社経営者、映画監督、写真家など様々なジャンルの人々が書かれているが、私は小説家の村上春樹について詳しく述べたいと思う。
 村上春樹は、小説家として上達していくことと自分自身のスタイルを作り上げていくことを、密接に連関する課題として明確に意識している。初期の作品を特徴づけていたのは、乾いたドライな文体であった。社会や他者にべたべたと関わり合わないで、離れているというスタンスを表現したものだ。これは、このころの村上のスタイルそのものでもある。ちなみにこのころ、村上は一日60本というヘビースモーカーであった。そこで村上は、周りの先行する小説家のスタイルに飽きたらずに、自分独自のスタイルを作り上げた。いわゆる作家のスタイルとはまったく逆のことをしてみたのだ。朝は早く起きて、夜早く寝て、運動をして体力もつくる、文壇に関わらない、注文を受けて小説を書かない、などといったものです。単に小説を書くということではなく、小説を一生プロとして書き続ける。そうしたライフスタイルをつくるために体力が必要だ、と彼は言う。そうして村上は長編作を書くようになった。しかし、いろいろな人から「ランニングなどをしていたら小説など書けなくなる」と言われたそうだ。彼はこう言う。「小説というのは不健康なところからでてくるもんだって、耳だこになっちゃうくらい聞かされた。でもそんなの冗談じゃないと僕は思う。それとはまったく逆に、体を健康にすればするほど、自分自身の中にある不健康なものが、うまく出てくるんだと、僕は信じている。あるいは不健康な精神を抽出するためには、体は健康じゃなくちゃいけない。」とても印象深い言葉だった。私の小説家のイメージもやはり、部屋に何日も閉じこもって悪戦苦闘を強いるイメージがあった。しかし、村上春樹はこういった自分だけのスタイルを確立し、成功を収めている。斎藤氏は経済、経営の専門家ではないが、日本あるいはアジアの経済の将来を明るくしたいという思いで、本書を書いたという。すべての人が自分に合ったスタイルを認識し、確立することができたなら、現在の泥沼の経済不況にも明るい兆しが見えるのかな?と、小さな期待も込めて、日本経済を背負って立つ人々、あるいはこの先背負って立つ人々に是非この本を読んでいただきたい。