2003年5月書評
評者:高田(6期生)
能登路雅子 [1990]『ディズニーランドという聖地』岩波書店。
ISBN4773351829
60×35=2100字

 「ディズニーランド」、「ウォルト・ディズニー」、「ミッキーマウス」、この三つの言葉を聞いたことのないひとはおそらくいないだろう。日本最大のテーマパークである「東京ディズニーランド」に一度も行ったことのないひとも僕の勝手な想像だが、おそらくほとんどいないだろう。東京以外でも「ロサンゼルスディズニーランド」「フロリダディズニーランド」「パリディズニーランド」すべてのディズニーランドに世界中の人が訪れている。現に僕も東京ディズニーランドには4、5回遊びに行ったことがある。さらに日本に遊びに来る外国人の二割は東京ディズニーランドにあそびにくるという。なぜ、これほどまでディズニーランドは世界中で愛されているのだろうか。そこにはウォルト・ディズニーによるさまざまな策略があったのだ。
 その前に、まずはウォルト・ディズニーの歴史を見てみよう。この本を読む前のウォルトの少年時代のイメージといえば、「きっと小さいころから幸せな家庭に育って、元気に遊ぶ夢いっぱいの少年時代を過ごしたのだろうなぁ。」そんなかんじだった。しかしそれはとんでもなかった。ウォルトは欲しいと思うものは何ひとつ手に入らないものだということを徹底的に思い知らされた、渇望と抑制に満ちた少年時代をすごしていたのだった。ウォルトは1901年12月5日にシカゴの貧しいプロテスタント家庭の四男に生まれた。ウォルトが生まれた後、ウォルトの父、イライアス・ディズニーは数々の仕事に失敗し、一家を養いきれず、結局イライアスの弟が土地を持っていたミズーリに移り住んだ。そのときウォルトは四歳だった。しかし、そこでの暮らしも裕福なものにはならなかった。ミズーリに移り住んでからも四年間は農場を続けたが、イライアスの病気により農場を手放すこととなった。そんな苦しい少年時代をいきたからこそウォルトは「子供の時に欲しいと思っていながら手に入らなかったものすべてをディズニーランドに盛り込んだ。」と、語っている。まったくすごい精神の持ち主だと思う。
 次はディズニーランドの秘密についてです。たぶんディズニーランドを訪れるひと誰もこんなことは考えないで行動しているだろう。まず驚くべきは「縮尺」である。一見しただけでは気づかないが、メインストリートの商店の高さは1階部分が通常の建物の八分の七、2階が八分の五、3階部分が八分の四と、上にいくにしたがって小さくなっている。そうすることで視野の中に心地よくおさまるようにできている。さらに徐々にメインストリートの道幅を狭くすることにより実際よりも奥行きが深く感じられるように作られている。次に、商店や映画館は客の目に触れない部分は倉庫のようなひとつながりの建物になっている。いわば映画のセットのような感じだ。他にはテーマパークの位置関係などがある。中心のお城を囲むようにちりばめられたアトラクションは混雑を防ぐ働きがある。ディズニーランドの中にいると周囲の景色が見えない仕組みになっている。それが虚構の世界と日常世界を切り離すための目隠し的な機能を果たしている。さらに大事なことは、ディズニーランドはいつでもベスト・コンディションに保たれているということである。樹木はほとんどすべてが落葉しない常緑樹で、花は毎日満開状態のものに植え替えられる。そういえば枯葉やしおれた花など見たことない気がする。これらのように商店やアトラクションや草木や花までも何の考えもなくあるのではなく、すべてのものに計算しつくされた秘密があったのだ。
 そして最後に開園以来いまだに人気を集めている理由についてです。それは三つの要素であらわされます。「園内の清潔さ」、「ショーの楽しさ」、「従業員の礼儀の正しさ」、この三つにあります。一つ目はたぶんみなさんも感じたことがあるとおもいますが、ディズニーランドのトイレに入って汚かったことや、紙がなかったなど、そういったことがなく、いつもきれいな状態だったと思います。二つ目でいう「ショー」とは、劇場の歌や踊り、乗り物、アトラクションだけでなく、お客さんの目にふれるものすべてが「ショー」であるというのです。上にも書きましたが、ディズニーランドに意味もなく置かれているものなど一つもないのです。三つ目はそのままです。大きく以上の三つが人気の理由です。
以上の理由からディズニーランドは約50年たった今でも世界中の人々から愛されているのだ。そしてウォルト・ディズニーの死後も、ウォルト・ディズニーの意思を次いだ人間が、世界中の人々に夢を与え続けているのだろう。ディズニーランドというものはウォルト・ディズニーがこの世に残した、まさに「聖地」というにふさわしい場所なのだ。イスラム教やキリスト教に「聖地」があるように、たぶん100年たっても、200年たっても、そこは世界中の人々にとっての「聖地」でありつづけるだろう。