2005年書評A
評者:鬼島(7期生)
尾高邦雄[1984]『日本的経営』中公新書。
ISBN4121007247
1060字
日本的経営ってなんだろう?経営学を多少なりともかじったことのある人間ならば、「終身雇用制」、「年功序列型賃金制度」、「企業内組合」、という、いわゆる日本的経営3種の神器と言われるフレーズ等は思い浮かぶと思う。これらの慣行は、崩壊を叫ばれて久しい今現在を以ってなお根強く残っている。著者は、この日本的経営と言われるモデルが形成され確立までを分析した上で、問題点を的確に言及して見せている。
「日本的経営」とはそもそも戦後の焼け野原からの復興と、驚異的な短時間での経済成長(高度経済成長)を遂げた日本の企業システムを見た海外の研究者によって称されたものだ。「ジャパンアズナンバーワン」とまで評された日本的経営神話。しかし著者は、現実的に見てかなりの虚構や誇張が含まれていると指摘する。@実際には従業員300人以上の大企業が主体である「日本的経営慣行」があらゆる大きさの企業・事業所でみられるかのように評されている。A日本的経営を醸成した要素が、江戸時代からある日本の風習の源流が主体であると言われている点。戦前戦後にも大きな修正補強は成されている。B日本的経営と評される慣行において、そのデメリットに関してはほとんど語られていない。本来表裏一体であるはずの要素なのに、メリットだけに着眼されて評されてしまっているのだ。
Bで一例を挙げるなら、企業が行う人間育成や人材開発方法。強い会社一体感を持つ従業員を育成することで、強い会社に対する忠誠心を持ち、職場における士気も高くなり、企業への定着性も大きくなる。反面、自主創造の精神や想像力を奪い、一律に均された会社人間を育ててしまうと述べられている。「日本の大部分のビジネスマンが、こうしたイノベーション能力・意欲を欠いている限り、今後の日本産業は遠からず《bP》の座から引き降ろされるのではないか」という著者の危惧は、今となっては重たく感じられる。結びに於いて著者は、本書で挙げたデメリットに対する修正補強案を示し、世界に通用する日本的経営の慣行体系を作るべきだとしているが、残念ながら今のところ修正補強の効果は表れていないと言える。ともあれ、本書を著した1984年の段階で既に日本的経営慣行の弊害を提唱していた著者には先見の明があったというべきか。著者の、日本的経営慣行に対する認識を改めてほしいという想いが感じられた。
いずれにしても、現在の日本的経営慣行のルーツ、及びそれらの問題点を学び直すことができる本であり、今となっては非常にタイムリーに感じられる一冊ではないだろうか。
2005年書評A
評者:衣笠(7期生)
中沢孝夫[1998]『中小企業新時代』岩波新書。
ISBN4004305780
927字
この本の優れていると思った点は、中小企業の社長たちに取材して日本の製造業の現場で、いつ、どのような物が作られていたかということを技術や技能、機械の使い方にまで入り込んで説明していた点だと思う。この本では企業の創業から仕事内容まで「以前働いていたのでは?」と思わせるぐらい具体的に書かれている。実際にその企業を見ていない読者にも、その企業の仕事内容や創業から時代背景までがわかるほどだ。
「中小企業新時代」といっても大きな企業や普通の本に書かれているようなことを書いているのかと思ったらそんなことはなかった。日本の高度成長期を支えてきた下請け会社などの知りたいと思う部分を取り上げている。ビデオカメラやボルトナットといった、細かい部品を取り扱っている企業を、社長の取材をはじめ、仕事内容まで事細かに書いている本を私は読んだことがない。(地元だからといってひいきするわけではないが)やはり高度成長期を支えてきた京浜地区や、東大阪市などの中小企業が集まる地域を取り上げたのは良かったと思う。またこのような本では売り上げが伸びている企業ばかりを取り上げがちだが、そうではない企業も取り上げていた点はすばらしいと思う。日本の中小企業の多くは売り上げが好調なわけではないのだから。
この本に出てくる企業は従業員を大切にしている企業だと思う。それがただ従業員を最優先で会社を守るというのではなく、研究開発や技術開発など従業員を育てることによって生き残るといった、ポジティブな考え方で会社を守っている。社長が従業員のことを考えて経営しているから、従業員も会社のためにと働いてきたのだと思う。
今回は「中小企業新時代」という題名にそそられて読んでみることにしたわけだが、中小企業が抱えている悩みや、時代のニーズに合わせて作るものを変えて生き残ってきた背景などがよく分かった本だと思う。今の中小企業の厳しい現実も書かれていたし、日々技術の向上に努めてアジア諸国を相手にしていく日本の中小企業らしい面が存分に書かれた本だと思う。細かすぎてそこまで書かなくても、という部分もあったが、これから私たちが就職していくのも多くが中小企業なので、中小企業の内情を知るにはいい本なのではないか。
2005年書評A
評者:金(7期生)
米倉誠一郎[2001]『勇気の出る経営学』ちくま新書。
ISBN4480059008
851字
本屋で本のタイトルに引かれて手を伸ばしたり、つい買ったりする事がしばしばある。この本もそうだ。『勇気の出る経営学』……この本を読んで勇気をもらって勉強が優しくなり、楽しくなるのではと。
何の利益にも一銭の報酬もなしに、ろくな食事もせず、風呂にも入らずに、議論に熱中。給料が半額になってもこの会社で働きたく他の外資系企業から転職してくる。小さなオフィスで多人数の作業により酸欠状態となり呼吸困難になりながらも働き続ける。なんと素晴らしい感動的な物語だろう。読むだけに勇気が出るし、感動する。このような事例はそんな大昔の話でもない。著者は「若者や学生は今も昔も素晴らしい」と明言しているが、私から言わせればそうじゃない。もし上の事例が事実であれば古今の若者学生の差は「天地之差」でしょう。と言うのは、今日は若者には上記のような感動物語がないのである。
ちょっと言いすぎ、決め付けるところも感じたが、著者自身の意思、考えをはっきり伝えたいという面ではよく出来た一冊だと思う。また、序章『経営学とはなんだろうか』という「学問論」を初め全九章に別れで「企業統治論」「組織論」「リーダーシップ論」「イノベーション論」「IT革命論」「ベンチャー論」「消費論」「教育論」に対して事例及び著者自分自身の経験談などを詳しく紹介したことによって生き生きした経営を身に感じ、理解し易かった点は評価したい。その反面、著者がどうしても「弱い」国、地域、個人の立場で物事を言う点についで、私個人的には反感をもった。と言うのはチベットの事例で、ダライラマを完璧に賞賛しながら、中国を暴徒と明言している。【祖国チベット】と言うような文字でチベットを一つの国のような書き方をするのも理解がいかない……
上でも話したように著者の自分自身の意思、考えをはっきり言う点についでは素晴らしいと思う。但し、疑わしい点も存在している。皆さん、自分が知っている知識を頭に浮かべながら【勇気の出る経営学】を一度読んで見ては如何でしょう?新しい発現があると思う。
2005年書評A
評者:塩入(7期生)
本間正人[2005]『適材適所の法則』PHP研究所。
ISBN4569640362
941字
ある日、渋谷の某大手書店にて、書評の本を何にしようか悩みながら歩き回っているときに、ふと、この本が目に留まった。『適材適所』...今の私の考えていることにバシッとハマったからである。後半年も経たないうちに就職活動をしようとしている私は、毎日、『どうせ働くなら、好きなこと、趣味や特技を活かしてみたい。でも、それだけじゃイヤだし、もしかしたら、自分の好きなことだからって、その仕事が私にとって合わないかもしれないし、やっぱり、私にあっている職業に就きたい。』と、思っているのである。きっと、就活中の4年生だけでなく、ほとんどの大学生が、このように思っているのではないのだろうか?そして、まえがきを読んでみた。まず、驚いたことが、適材適所に関する(専門とする)ビジネス書は、この本が日本初ということである。もう、「これだ!」となり、速攻レジだった。
そして、読み進めていくうちにさまざまな意見が私の中で生まれた。まず、文章での表現方法、文体において、すごく柔らかい印象を受けた。そのせいか、本全体において、すごくとっつきやすい印象を受けた。もちろん、内容も、自分が興味を持って選んだ本だから、スラスラと読み進めることができた。この本のいいところはほかにもある。まず、適材適所の必要性といった、背景部分から本章が始まるので、後々の専門的な話にもついていくことができる。最後も「適材適所とはこういうものだ」という押し付け的な主張に終わるのではなく、「こうあってほしい」、「こうした方がいいんじゃないか」という風に柔らかな印象を受けた。どうでもいいことだが、読んでて、常々思ったのが、「この著者の人は、絶対、優しい人なんだろうなぁ。でも、ちょっとナルシストかも。」ということである。だから、文体が柔らかく、読み進みやすくなっているんだと思った。表や図が効果的に使われていることもその一因であると思う。
逆に、悪いところというか、後悔したところはというと、大学生向きではなかった。ということである。
しかし、企業人事に悩む管理職の方にはぜひ、一読してほしい。価値は絶対あると思う。むしろ、著者の講演会に行きたくなると思う。大学生で、企業人事を知らない私でも、著者の話を聞いてみたいと思ったからである。
2005年書評A
評者:菅原(7期生)
野村正實[1998]『雇用不安』岩波新書
ISBN4004305675
901字
バブル崩壊以後のあらゆる企業の倒産が次々と起こり、中小企業や大企業までもが雇用が安全とは言えない時代となっている。バブル景気の時には、世界の経営者は日本型経営を取り入れるべきだと言う声が圧倒的だった。しかし、バブルが崩壊して日本的経営・経済システムこそが不況の種であり、規制緩和を行わなければ日本経済は沈没すると言われた。
失業者の定義が各国違うため、日本の失業率は低そうに見えている。日本は求職意欲喪失者がとても多いのが特徴。求職意欲喪失者のほとんどが女性であり、それは潜在的失業者として多く存在している。完全失業率が高く留まっているのは、景気の回復の力強さが欠け需要が不足している為と労働需給のミスマッチが拡大している為である。
1950年代、「二重構造論」と「過剰就業論」の二つの理論が出ている中、就業希望者は全員なんらかの仕事を見つけているという「全部雇用論」を論じた。著者は「全部雇用」の考えが日本の雇用・失業構造を適切に説明するものだと考えている。全部雇用は仕事を求めている人は全員なんらかの仕事に就いているが、賃金などに満足しているわけでもない。日本の低失業率は完全雇用ではなく全部雇用なのである。全部雇用論は、労働力を恒常労働力(継続的・規則的労働力)と縁辺労働力(労働力と非労働力との境界領域の浮動的労働力)に分けることができる。
長引く景気停滞と規制緩和の為、全部雇用の衰退は1990年代に加速している。今後、日本はどういう理論で進んで行けばよいのだろうか。それは、全部雇用を維持し、エコロジー主義とフェミニズム(ジェンダー・フリー)を取り入れることである。しかし、全部雇用とフェミニズムを両立させるのは不可能に近い。しかし、女性差別をともわない女性の労働力化が実現する可能性もあり、全部雇用の衰退に歯止めをかけなくてはならないと著者は主張している。
本書はバブル崩壊前後から現在までの雇用のあり方が分かる。今後少子化が進み、労働力が足りなくなり、また性差別がなくなったら、女性も男性と同じように働かなくてはならないのではないだろうか。そうなったら、私は全部雇用から完全雇用になると思った。
2005年書評A
評者:辻(7期生)
小倉榮一郎[1991]『近江商人の経営管理』中央経済社。
ISBN4502609528
973字
近江商人といっても馴染みのない方も多いかもしれない。彼らは資本意識を明確にすることで江戸時代の早い時期に日本の近代化を推進させ、単なる商人ではなく、産業の中に深入りして、企業家としての研究開発に自ら従事した。
江戸時代といえば、多くの商人は藩と呼ばれる小さな行政区域内で主に活動しており、その藩の経済計画や統制に従っていたために、他藩で商売をすることは難しかった。よって、その藩の特産品があってもそれを売ることができず、関西圏のすぐれた工芸品などを買うこともできなった。このような時代に、近江商人たちは故郷をでて他国で商売をしていたのだ。
近江商人には『三方よし』という特有の主義がある。すなわち売り手よし、買い手よし、世間よしの三方であり、ただ利潤を追求するのではなく、他藩で商売するという都合もあるだろうが、その地域の人々の役に立たなければならないという考え方である。この考え方に基づいて、近江商人たちは各地をまわって特産品の需要を見いだし、そこと取引することによって各藩において利益をあげた。これが現在の商社の前身となった。舞台は日本国内から世界へと広がったが、実際に、丸紅、伊藤忠商事の初代は伊藤忠兵衛という近江商人である。
本書ではこの半ば伝説化してしまっている、偶像に近い近江商人を、現代の経営学で、経営理念、CEO(主人)の役割、人事、労務、生産管理、財務管理等といった観点から分析し、現代の企業のあり方につながる根本をそこに見いだす。
例えば、丁稚奉公という商人の教育制度があるが、これは10歳頃から始められ20歳頃まで続く。その後に、手代、雇人、若衆などと呼ばれる本格的な従業員になり、だいたい30歳前後まで教育が続けられる。
私は、この制度が、きちんとした社員教育が重要とされる基であると考える。そして、このしっかりした社員教育とは、社員が会社のために働くという考えがあってのものではないだろうか。最近何かと取り沙汰されている年俸制とか実力主義の会社では個人の力こそが重要視されるので、そこで社員間の教育などは考えにくい、まして会社側が、いつ辞めるともわからない社員を教育などできない。つまりこれが終身雇用につながっていくと考える。
このように本書では、近江商人の研究を通して、日本経営学の根本を考えることができたので大変有意義であった。
2005年書評A
評者:東(7期生)
内田研二[2001]『成果主義と人事評価』講談社現代新書。
ISBN061495747
853字
「成果主義」。その言葉が出てきたここ近年。「成果主義」が日本の社会を変えるがごとく、多くの企業がそれを導入した。しかし、「成果主義」が社員のやる気を高め、企業の業績をあげるといっても、どこか腑に落ちない感じが私にはあったし、著者にもあったし、そして今の世の中にあった。どこか新しい制度に今までの意識をがらりと変えてしまわれているようなそんな感覚に・・・。その感覚の原因を解明してくれて、新しい人事評価のあり方についての手がかりを与えてくれるのがこの本といえよう。
本書を読んで私自身、非常に興味を持ったところは、「人事評価とコミュニケーション」である。その理由は「成果主義」は社員のやる気を高め、企業の業績を高めるという利点が反面、どこか以前の年功序列にあった、安定やコミュニケーションなどの利点において欠けていて、とてもシビアな制度である思っているからだ。そして、それに対してちょっとした嫌悪感をさえ、もっている。この本ではその点を「人的リスク」といっていて、「成果主義」を導入して、社員に存在感があり価値を生みやすい適正規模の組織は裏を返せば人的リスクが大きい組織であるといっている。それを回避するものとして、価値観の共有が挙げられる。しかし、その価値観の共有というものも経営理念を熱く語る経営者や精神的スローガンをさめてみる現代の風潮があるため難しく、日々の社員が取り組んでいる具体案件を凝視することによって価値を発見していかなくてはならない。このようなことは、著者のような時代を客観的にみた人でないと言えないことであり、また企業経営に携わり、事業に成功した人にはなかなか言えないことである。
「成果主義」はけしてダメなのものでもないし、かといってイイことばかりのものではない。どうつきあっていくことが課題でそこには人事制度における価値観の共有が必要であると・・・。そのまま、成果主義が進めば小学校の体育で椅子取りゲームが必修科目になるなど、ちょっとした表現の面白さ、また読みやすさもこの本の良さである。
2005年書評A
評者:森崎(7期生)
熊沢誠[2000]『女性労働と企業社会』岩波新書。
ISBN4004306949
929字
本書を読んで、改めて女性の仕事における方向性や遂行方法の決定権のなさ、評価の低さ、低賃金などの性差別を感じさせられると同時に、全部が男女平等になることはできないと思った。この本を読もうと思う人はたいてい、「女性だからってそう思われたくない」だとか、「差別なんてなくなればいいのに」って思っているだろう。確かに私も女性だから女性として認めてもらえると嬉しいし、できる女ってカッコイイと思う。しかし、結婚して子供が産まれると別で、本来の日本の考え方である、女性は家事・育児の専担者であるべきだという通念とその大切さは忘れてはならないと思う。私がこの本を手にした理由は、もう一度女性が社会における役割というものを振り返ってみたかったのかもしれない。
著者は女性労働者の実像を統計的に確かめ、さらに、分かりやすいように実例をあげて説明している。表やグラフなども多く使われていたし、過去のデータとも比較していたので、大変わかりやすかった。現在、女性の職業では、専門職・技術職、事務職、販売職が多く、結婚・出産後も働きたい、いったん出産退職しても子供が大きくなるとまた職場に復帰したいという女性が増えている。しかし、総合職はほとんどが男性であり、女性は一般職である。著者はまた、男性と女性の職務内容が異なる、「性別職務分離」を論理と実態の両面から述べている。性別職務分離をふくむ労働のジェンダー状況に対する女性たちの、受容、適応、反発の織りなおす主体意識へのアプローチもしている。
職場のジェンダー差別の改善にとってもっとも大切なことは、男女混合で仕事が行われること、女性が働きやすい制度と雰囲気をつくることだとしている。確かにその通りだが、現状は男の仕事、女の仕事があるし、この先もそれは変わらないだろう。その他には、性別職務分離の下にあっても女性賃金の著しい低落を防ぐ、パートタイムという働き方のノーマル化がある。働く女性をサポートするには、企業だけでなく、親や夫などの身のまわりの人たちの協力が欠かせないと思う。男性と女性は同一には出来ないけれども、女性が働きやすくすることは出来るし、男性も家事・育児を手伝うなど、お互いに協力しあって、それぞれが納得のいく家庭生活を送れればいい。
2005年書評A
評者:横山(7期生)
橘木俊詔「2005」『企業福祉の終焉』中公新書。
ISBN4121017951
1,089字
私は長い間社宅に住んでいたし、父の会社の体育・保養施設に毎週のように遊びにいくなど、昔はよく企業福祉を利用していた。だからかもしれないが、本書のタイトルを目にした時、何か寂しさを感じ、なぜ企業福祉は終焉しなければならないのか?という強い疑問に駆られた。社宅・保養所・病院施設・退職金・企業年金といった、企業からすればそこで働く従業員だけに利得が及ぶ福祉を非法定福利厚生、年金・医療・介護などの社会保険制度といった、全ての国民に利得が及ぶ福祉を法定福利厚生と呼び、企業福祉は二つに区分される。筆者は、この双方の福祉は企業から撤退すべきと主張する。その理由として強調されるのが、主に非法定福利に当てはまることだが、企業規模間の格差だ。大企業は当然、中小企業より支払能力が高いため、支払い比率が相当高くなる。つまり非法定福利のサービス提供に格差が出来、中小企業で働く人と大企業で働く人の間に不公平性を生む。もう1つ強調される理由は、従業員は自己の好みに応じた住宅・ホテル・体育施設を利用する時代であり、企業福祉の必要性が時代とともに低下してきていることだ。そもそも企業福祉というのは、安心感の付与・長期雇用や勤労意欲の向上などを目的として企業が導入してきたが、その効果は今、期待出来ないものとなった。では企業福祉はこれからどうなっていくべきか、筆者の考えはこうだ。非法定福利に関しては「賃金化」が望ましく、そうすれば従業員は賃金を支払うことにより使途を自由に出来、選択枠は広がる。法定福利に関しては、「税収方式」にすることが望ましいとする。つまり個人から保険料を徴収するのではなく、国民全員から税という形で徴収するという考えだ。そうすれば企業は、保険料として負担していた費用を、内部留保・設備投資などに回すことが可能になり、皆が同じように保険料を負担することによって公平性が生まれるというのだ。この考えには少々疑問を抱いた。収入の多い人は沢山物を買い、税を多く払う。一方収入の少ない人は物をあまり買わず、税の負担は少ないとしたら、一生懸命働いて収入を得る人と働かないで収入の少ない人との間で不公平性が生じるのではないか。不公平性が無くなることはないと思う。
私が企業福祉の撤退を理解出来ないのは、子供の頃のイメージが強く、時代の変化が見えていないからなのだろう。これから社会人として利用するようになった時、また考え方は変わるのかもしれない。しかし、企業福祉を全て無くすのではなく、今までもたらしてきた利点にももっと目を向け、良い部分は残して取り入れていく仕組みには出来ないものだろうか。
2005年書評A
評者:松田(8期生)
足立紀尚「2004」『牛丼を変えたコメ―きらら397≠フ挑戦―』新潮新書。
ISBN 4106100827
885字
このタイトルを本屋さんで見たとき、「北海道のコメ?」「きらら397?」私の家は兼業農家であるため毎年米作りをしている。だから、大体の有名な米の名前も知っているつもりである。あの寒い北海道の気候の中で、有名になるまでの米なんか作れるのかと思った。本を読んでみると、今まで北海道に対して持っていた米のイメージが変わった。
まず本書では、外食産業でももてはやされた吉野家の牛丼を中心に書かれている。牛丼といえば、誰しも牛肉ばかりに目を向けがちだが、コメはどんぶり一杯のうち容量で8割程度占めている。ここで使われているのが、じつはきらら397≠ニいう北海道のコメである。吉野家では年間5万トンに迫るブレンド米を消費しており、そのうち半分をきらら397≠ェ占めているのだという。吉野家が牛丼の並盛一杯を値下げしたのは、平成13年8月のことだった。これを機に吉野家はデフレの象徴とされ、どのようにしてコストを切り詰めているかに世間の関心が集まった。様々なコストを削減する中に、コメの仕入れ値も重要である。全国の人気ブランド米が売買される自主流米の市場では、きらら397≠ヘ他のこめに比べ格段に安い。しかも味もトップブランドと差はない。
つまりきらら397≠ニいうコメは吉野家にとって一杯が280円という牛丼の小売値でも仕入れコストが十分に引き合い、利益が確保できるローコスト仕入れを実現させた陰の立役者だったのだ。また、価格が安いだけでなく、粒が大きくて炊き増えするきらら397≠ヘ平成元年に発売されて以来、外食産業の間で広く採用されてきた。コンビニ・チェーン店や中食と呼ばれる弁当屋などでも、もっとも多く使われてきたコメなのである。
最近、日本人はコメを食べなくなったと言われている。コメの代わりにパンやパスタなど小麦を原料にした食品に消費量が増えてきている。コメがようやく腹いっぱいに食べれる時代が到来したことで、かつて日本人がコメに抱いていた強い思いが徐々に低下しているようにみえる。だからといって、日本からコメの時代が過ぎ去ろうとしているとは思えない。
2005年書評A
評者:吉田(8期生)
橋本治[2004]『上司は思いつきでものを言う』集英社新書。
ISBN4087202402
826字
『上司は思いつきでものを言う』。たくさん並んでいる本の中で目に飛び込んできたこのタイトル。私は興味を惹かれた。一体どんなこと述べられているのか。思いつきでものを言っていたら社会は成り立たないのではないか。その答えはこの本の中にあった。
本書では当初、「サラリーマンの欠点」について論じられるはずだった。が、筆者が取材を進めていくうちにそれは「組織上の問題」だという認識に変わり、このタイトルへと結びついたのだそうだ。
自分が建設的な提言が上司に思いつきでものを言うというきっかけを与える―――そこに至るまでの過程、どうしてそうなるのか、対策は、それによってどうなるのか、といったことが全体を通して述べられている。同じ内容でも異なった視点から見ることで、互いにどんなことを考えているのかを理解することが出来る仕組みになっている。また自分自身を話の中の登場人物として考えることが出来る具体例も多数出てくる。それにより上司が思いつきでものを言うというのはどういうことか、理解しやすくなっている。
本書の面白いところは様々な例だ。具体的で解りやすいが、発想が突飛である。筆者自身、思いつきでものを言う人間だからそうなってしまうのだそうだが、思わず笑ってしまう例もある。どうやったらその発想が出てくるのか、私は不思議でならない。
本書を読んでいる間、まるで言葉遊びをしているようだと私は感じた。油断して読んでいると筆者にまんまとのせられている、そんな錯覚に陥る。そしてそれに気がついた時、「やられた!」と思わずにはいられない。
また本書の内容は、サラリーマン社会にのみ当てはまることではなく、どんな社会にも当てはまることである。サークルやバイトといった、小さな社会で働く機会のある私達が思わず「あぁ、あるある!」とうなずきたくなる様な事例が多々出てくる。私自身、度々うなずく場面があった。社会に出ている大人だけでなく、まだ社会に出ていない私達が読んでも将来役立ちそうな本であると思う。