第11回 戦後日本の高度経済成長の海外要因(1)IMF-GATT体制と固定相場制
・国内要因と海外要因の関係(再論): →日本の高度経済成長の要因関連図
-これまでの国内要因の説明では、海外要因は捨象してきた
-海外要因は他国にも影響するから、海外要因だけで高度経済成長は説明できない
IMF-GATT体制による 固定(為替)相場制 と自由貿易
・ $1 = \360 (1949~1971年)
・戦 前:(19世紀)金本位制による事実上の固定相場制→(1929年大恐慌のあと)管理通貨制度→(為替ダンピング )
・変動相場制(1973年から)との違い
=固定相場制では、費用の回収に年数がかかる設備投資が行ないやすく経済成長につながる
収支とは。国際収支とは。経常収支とは=貿易収支+貿易外収支(または「サービス収支」)
・高度成長期の国際収支 1961-85年 *
・近年の国際収支:総括表~1990年代以降。「貿易外収支」が「サービス収支」に
戦後日本の国際収支 貿易収支、経常収支など *
$1=¥360は1949年から。 当初は輸出に厳しい(円高の)為替相場だった {浅井-日経史5}高度経済成長は輸入超過による貿易収支の赤字(外貨不足)を引き起こした。
→日本はIMFから短期の借入れ:1953年 4430万ポンド、1956年 1.25億ドルなど
→(輸入を減らすために)公定歩合を引き上げて(1957, 1961年)、成長率を下げた。 *
このような経済成長への制約(外貨制約)が、「国際収支の天井」と呼ばれた。
技術革新と設備投資により、生産コストが低下し、$1=¥360が「実質円安」に
1965年以降、貿易収支の黒字が定着し、「国際収支の天井」が解消 →→相関図 *
→高度経済成長が持続し、「いざなぎ景気」へ。日本のGNPが世界2位に
IMF-GATT体制 とは
IMF (International Monetary Fund、国際通貨基金) が発足、1945年7月。
国際収支の赤字国に短期の貸出し
米ドルを基軸通貨に ←米国政府が(外国政府に)金と米ドルとの交換を保証(1934年以降)
→金準備高の国際比較(米英仏独日)1938~ *
日本や西独など(敗戦国)が高度経済成長 (東西冷戦下で)
→日本からの輸出増(繊維製品、鉄鋼、造船など) →米国の経常収支の低迷、そして赤字へ *
→米国からの金の流出 →ドルの価値への不信 *金準備高の国際比較(再掲)、主要国の外貨準備 1952-92 (*)
→金ドル交換停止(1971年8月15日 ニクソン・ショック)
→緊急避難的な変動相場制へ
→スミソニアン協定 1971年12月 円切り上げ($1=¥308) ~固定相場制の再建をめざす
→「実質円安」の終り、高度経済成長の抑制
ドル安、円高、マルク高が続く
↓
1973年 先進各国が変動相場制に ~ 円相場(対ドル)の推移 1973-2002
〔詳細〕国際通貨体制の変遷:金本位制から変動相場制へ
兌換銀行券の一例:1899年の10円銀行券
GATT(General Agreement on Tariffs and Trade)=関税と貿易に関する一般協定 1947年
輸入数量制限の撤廃、関税の引き下げや廃止による自由貿易の追求
WTOに発展 1995年から。ドーハ・ラウンド。→ 2017年に貿易円滑化協定が発効。