国産七社とIBMとの基本特許使用契約
南澤宣郎『日本コンピューター発達史』日本経済新聞社、1978年。
〔93頁以下〕
以上は通産省による国産メーカーの企業経営面に対する育成措置であるが、技術面におけるもう一つの大きな措置は、昭和三十五[1960]年十二月に締結された「国産七社とIBMとの基本特許使用契約」である。
日本のメーカーがいざコンピューターの開発に乗り出してみると、技術的にいろいろな面でIBMの基本特許とぶつかってしまい、なかなかこれをのがれることができない。つまるところ、IBMとの間に包括契約を結ぶ以外に方法のないことがわかった。それなら各社がバラバラに交渉するよりは、通産省が間に立とうということになったのである。交渉の過程では実にいろいろの問題があったようだ。最後にはIBMの方も「資本はアメリカであろうとも、日本に会社がある以上はその国の国益を優先して経営を遂行すべきだと……」(『アイ・ビイ・エム社史』挿話より引用)ということで、何とか契約が成立するにいたった。
いずれにしても、このようなJECCの設立とIBMとの基本特許契約の成立によって、初めてわが国のコンピューター・メーカーの事業化が本格的にスタートできたといえる。
〔126頁以下〕
IBMとの基本特許使用契約の締結、およびレンタル代行機関としての日本電子計算機(JECC)の発足によって、企業としての工業化に乗り出す基盤ができた。