テキサス・インスツルメンツ(Texas Instruments)事件
『電子工業30年史』日本電子機械工業会、1979年、101−103頁。
TI社の進出
昭和40〔1965〕年から始まったエレクトロニクスの第3世代の生みの親であるICはまさに画期的な新技術の所産であった。このICの基本特許をもつ米TI社は,世界市場のおよそ3分の1を抑えるICの巨大メーカーであり,またきわめて積極的な企業であったため,同社がわが国政府に全額出資の子会社の設立を申請したことが明らかにされた39(1964)年当時,資本自由化が問題となっていたときだけに,電子業界ばかりでなく,産業界全体が不安におののいた。
そののち42〔1967〕年五月末,同TI社のP.E.ハガチー会長が突然に来日し,「日本政府が当社の子会社設立の条件とする50%出資には応じることはできない。わが社が望んでいるのはあくまでも全額出資である」と,当初の意向を変えていないことを明らかにした。これにより,同社が場合によって50%出資で譲歩し,ICの基本特許を公開するのではないかとみたわが国業界の楽観ムードは粉砕され,改めて外資の厳しさをみせつけられたのである。
わが国の電子メーカーは41年にICの工業化を達成し,翌42年には日電,三菱,日立,東芝,富士通,東京三洋,松下電子工業,ソニー,沖電気,協同電子技術研究所の10社が量産体制を整え,年産300万個を上回る水準に達したが,なおTI社1社の生産の1割にも満たなかった。
したがって,仮に同社の子会社出資比率を50%に抑えることができても,わが国市場は早晩,TI社に独占されるに違いないと思われた。
しかもIC技術については,わが国メーカーは外国企業に膨大な特許使用料を支払っていた。米フェアチャイルド社〔プレーナー特許〕をはじめ,米ウェスタン・エレクトリック社など数社に対して,合計で十数%の特許使用料を負担していた。そのうえ,TI社に基本特許料を支払うことになれば,全部で売上げの20%前後と法外な負担となるが,それでも耐えねばならないことに屈辱感を受けていた。
このように,高価な特許使用料を支払わなければならないのがわが国の企業に限られていた点は,海外の企業に比して大きなハンディであった。わが国メーカーは世界的にみるべき基本特許をもたないため,世界の大手メーカーのようにその保有する基本特許を相互に公開し合うことにより特許使用料を相殺することができなかったからである。
その後,TI社はわが国への進出を本来の目的としていたことから,通産省が求めた〔1966年〕三つの条件,@折半出資の合弁方式,A基本特許の全面公開,B国内産業秩序への協力を承諾し,ソニーとの折半出資による合弁会社「日本テキサス・インスツルメンツ」の設立認可を43〔1968〕年四月に得た。TI社の基本特許の公開により,ICおよびIC製品の輸出が重要な市場である米国向けを含めて可能となった。
合弁会社の日本テキサス・インスツルメンツ社は44年からICの生産を開始し,のちソニー保有の株式を買収,TIの完全な子会社となることができた。
原文横書き。 更新日:05/08/01