1965(昭和40年)
(昭和四〇年にソニーなどが新製品を発表。シャープは電卓へのIC利用計画を発表して各社の半導体部門は色めきたった。)
91頁
一方、当時世界シェアの三分の一を抑える最大の半導体メーカー、米国テキサス・インスツルメンツ(TI)社は、この年も前年に引き続き、日本での子会社設立要求を日本政府に突き付けていた。TIはかなり強引な手法で、日本進出を果たすべく交渉を進めてきた。ブライアン・スミス副社長やS・ハリス取締役を中心に、通産省、外務省、大蔵省などに積極的にアプローチし、門戸開放を迫ったのである。マスコミは一斉に、「第二の黒船来たる」、「テキサスの暴れん坊の暴挙」と書き立て、危機感を煽った。
TI社は、「日本進出を認めないならば、TIの持つキルビー特許を使わせない」とまで言っていたが、昭和四〇年六月にはこの特許が日本で公告された。公告されたTI社の特許は11ほどあり、その基本は、PN絶縁技術、IC拡散技術、埋め込み層技術の三つの部門で成り立っていたが、これに対し、NEC技術陣は徹底抗戦を叫ぶ。つまりNECの場合、フェアチャイルド社のプレーナー特許の独占実施権を持っており、これを武器にTI社の特許を潰そうというわけで、その後、日立、三菱、東芝などを巻き込んだ騒ぎに進展する。このTIの日本進出問題、特許戦争はこの後も続き、昭和四二年末になってようやく解決を見ることになる。
こうしたTI社の進出に刺激された通産省は、業界に国産のLSIの開発を促し、通産省主導による電算機用IC開発の大型プロジェクト助成などを打ち出すことになる。また、翌四一年度からは、電子工業振興法による半導体メーカーへの開銀融資が開始され、米国に頼らない形での日本の半導体産業自立の方向がはっきりと示されることになる。実際のところ、NEC、日立、ソニー、富士通など、エレクトロニクス各社は、ICの量産に向けて、開発をこの年急加速している。とりわけNECは、高輪プリンスホテルでICシンポジウムを開催し、ICの企業化計画を打ち上げ、一歩抜け出した形となった。事実上、NECはこの年、MOSメモリーICの開発に成功している。
半導体の増産をてこに、カラーテレビの普及も目覚ましく、この年には一インチ当たり一万円となり、14型カラーテレビは約14万円と飛躍的に値段が下がった。国産コンピューターの生産額も急上昇し、輸入コンピューターを上回っている。
1968(昭和43年)
110頁
第二の黒船来航とも言われたテキサス・インスツルメンツ(TI)の日本進出問題は、TIが通産省に100%出資の新会社設立を申請して足掛け五年を迎えた昭和四三年に決着をみる。ソニーの井深大社長、盛田昭夫副社長が通産省の意向を受けて業界代表として、TIのハガティ会長などとの交渉が実ったものだ。交渉の結果は、TIが、通産省の提示した公式回答の(1)日本企業との折半出資で新会社を設立する、(2)TIは特許を全面公開する、(3)三年間は生産制限を行う、との三条
111頁
件を認める形になった。
五月にソニーとの折半出資で「日本テキサス・インスツルメンツ」が正式に発足、社長には井深氏、会長にはハガティ氏が就任、同時に日本の各社とTI間の特許契約を含めた技術提携も成立、特許問題も含めてTIの日本進出問題は解決に向かった。
当時の状況を日本TIの関係者は 「なぜ、TIが100%出資にこだわったかというと、半導体産業のように急速に成長する分野においては会社経営に関する決定を迅速に、かつ柔軟に対応する必要があったからだ。またTIの生命である高度技術の流出も警戒した。このころは、ちょうど日本メーカーもICを搭載した電子機器を輸出し始めた時期でもあった。このようなICを使った電子機器を米国に輸出することはTIの米国における特許侵害に当たる。この特許侵害の可能性をてこに、粘り強く交渉が続けられた結果、ソニーとの合弁会社が設立されることになった。この時の同意事項として、技術移転はしないこと、三年後にTIがソニー出資分を買い取る権利も含まれていた」と記している。そして、三年後にTIは当初計画通りソニーの持ち分を買い取り、「ソニーのおかげで」日本TIはTIの100%子会社になる。
早速、日本TIは埼玉県の鳩ヶ谷に最初の工場を建設する。工場は米国の洋服の型紙を作る工場と、それに隣接する歯磨き工場を改装してスタートした。当時の様子は「入社したころはまだ、すがすがしい歯磨きの匂いが残っていたのを覚えている」といった状況であったが、昭和四三年十一月にダラスからやってきた工場長、技術担当、製造担当、企画担当の四人のチームと入社したばかりの日本人スタッフが合流し、生産準備に入った。日本人スタッフにとっては、「驚きと学習の連続の米国流」だったが、設置作業は驚くほど速く一か月もしないうちに試験生産を開始していた。当時世界ナンバーワンのICメーカーTIの日本進出第一歩は、紆余曲折はあったが歯磨きの匂いの中、踏み出されることになる。