トヨタ自動車株式会社 略年表
1897 |
豊田佐吉、木製動力織機を発明。翌年、特許取得。 |
1918 |
豊田佐吉、豊田紡織株式会社を設立 |
1926 |
豊田喜一郎ら、無停止杼換式自動織機を完成。のちのG型織機 |
1926 |
豊田自動織機製作所を設立 |
1929 |
豊田喜一郎、アメリカの自動車工場を視察 |
1933 |
豊田自動織機製作所に自動車部が発足。喜一郎が主導 |
1935 |
A1型乗用車の試作第1号が完成 |
1936 |
AA型乗用車の生産開始、同年に発売 |
1936 |
豊田自動織機、自動車製造事業法の許可会社に指定される |
1936 |
豊田喜一郎、「ジャスト・イン・タイム」を提案し、刈谷工場に導入 |
1937 |
トヨタ自動車工業株式会社を設立。社長は利三郎、副社長は喜一郎 |
1949 |
大野耐一が機械工場長に。機械の3〜4台持ち(多台持ちを拡大) |
1950 |
豊田英二常務と斎藤常務がフォード社ルージュ工場を見学(3か月と1.5か月) |
1950 |
7月に第1次朝鮮特需1000台、8月に第3次特需2329台 |
1951 |
第4次特需1350台 |
1954 |
機械工場でスーパーマーケット(後工程引取り)方式を試行。大野取締役 |
1955 |
_通産省が「国民車育成要綱案」を発表 |
1956 |
世界銀行から235万ドルの借款。輸入機械購入資金に |
1959 |
元町工場(乗用車専用)稼働開始。1960年クラウン(1500cc)を月産15000台 |
1960 |
ワシントン輸出入銀行から1200万ドルの借款 |
1961 |
_5月、通産省が乗用車輸入自由化を63年春に実施するため「乗用車3グループ化構想」を発表 |
1961 |
6月、パブリカ(697cc)を発売。国民車構想に対応。 |
1963 |
かんばん方式を社内の全工場で採用 |
1963 |
多工程持ちを導入 |
1962 |
_日産追浜工場完成:日産の乗用車専門工場 |
1965 |
_完成乗用車の輸入自由化 |
1966 |
外注部品の全仕入先にかんばん方式を採用 |
1966 |
カローラ(KE10型、1100cc)を発売。高岡工場で月産2万台 |
1968 |
年産100万台を達成 |
1970 |
堤工場操業開始。カリーナ、セリカの専用工場。年産200万台をめざす。 |
1973 |
_石油ショック 原油価格1バーレル11ドルへ |
1974 |
_UAW(全米自動車労組)が対米輸出自主規制を日本に要望。 |
1976 |
年間輸出100万台を達成 |
1979 |
_第二次石油ショック。原油価格1バーレル34ドルへ |
1981 |
_乗用車の対米輸出自主規制を開始。年間168万台 |
1982 |
トヨタ自動車株式会社が発足。トヨタ自工とトヨタ自販が合併。 |
1983 |
_ホンダがオハイオ工場の完成式(日本初の在米生産)。アコード年産15万台をめざす |
1984 |
GMとの合弁会社NUMMIを設立(折半出資)。シボレー・ノバをGMに供給 |
1986 |
TMM(Toyota Motor manufacturing, USA)設立。88年から年産20万台予定 |
1986 |
9月 NUMMIでトヨタ車の生産開始。カローラFX |
出所)『創造限りなく トヨタ自動車50年史』1987年
更新:2012-10-10