『世界史B』(文部省検定済み)実教出版(株)、1992年、より
328-9頁日中戦争がはじまると、日本国内では国民を侵略戦争にかりたてる国家総動員体制がつくりあげられ、「満州国」への日本人移住政策も強化された。
そのうえ日本は、各地の植民地住民に対する「公民化」政策を強行した。朝鮮では1937年以降、一村一神社の設置と神社参拝、日の丸掲揚、「皇国臣民の誓詞」の斉唱などを強制した。さらに学校での朝鮮語使用の禁止、朝鮮人の姓名を日本式に改める「創氏改名」など、徹底した民族の同化をおしすすめた。また、台湾でも同じような政策を強行した。日本は、太平洋戦争遂行のために植民地、被占領地の人的資源や物的資源を収奪した。70万人に及ぶ朝鮮人が日本に強制的に連行され、鉱山や土木事業などで低賃金と民族差別のもとにはげしい労働に従事させられた。従軍慰安婦として戦場に送られた人も少なくなかった。朝鮮や台湾では、志願兵制度が、あとでは(1942年)徴兵制も実施され、多数の人々が兵士や軍要員として戦場に送られた。
兵士として戦場に送られた朝鮮と台湾の青年は、それぞれ約23万人、約3万6000人に達したといわれる。そのほか軍要員として動員された朝鮮人は約16万人にのぼる。強制連行は日本占領下の中国人にも及び、約5万人が日本で朝鮮人労働者と同様に酷使された。中国、ベトナム、さらに日本の軍政下にあったフィリピン、マラヤ、インドシナ、ビルマでも多くの人々が過酷な労働を強いられた。
タイ=ビルマ鉄道の建設にはインドネシア、マラヤなどから多数の人々が「労務者」としてが送り込まれ、多数の犠牲者が出た。さらに日本が、植民地や被占領地から米、砂糖、石油、ゴム、錫などの資源を収奪したため、「大東亜共栄圏」の看板とは逆に、民衆の生活は窮乏し、多数の餓死者も出した。