第二次世界大戦中の日本の近隣諸国への政策について


『詳説 世界史』(文部省検定済み)山川出版社、1993年、より


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 1941年12月8日、日本軍はまずハワイの真珠湾にある米海軍基地を奇襲して、アメリカとイギリスに宣戦し、太平洋戦争に突入した。

 戦争の最初の半年間で、日本は香港、シンガポールを攻略し、ジャワ、スマトラ、フィリピン、ソロモン諸島を占領し、ミャンマーを征服した。日本は「大東亜共栄圏」をとなえ、占領下のフィリピン、インドシナ、ミャンマーには親日政権を樹立させた。インドシナ、タイなども日本との協力を声明させられた。……

 日中戦争 [1937〜45年] 前後から朝鮮に対する日本の支配はいちだんと強まり、朝鮮名を日本名に改めさせる「創氏改名」などの同化政策が進められた。戦争中の日本の労働力不足をおぎなうため、朝鮮では労働者の強制連行もおこなわれ、戦争末期には徴兵制も適用された。

 占領地では、当初日本軍を欧米諸国の植民地支配からの解放軍としてむかえるところもあった。しかし、日本の軍事占領は資源獲得と治安維持がねらいであり、日本語教育神社参拝など、現地の歴史や文化を無視した軍政がおこなわれ、またシンガポールやマライ半島、フィリピンなどで、残虐行為や捕虜をふくむ強制労働がおこなわれたため、住民の激しい反発をまねき、日本軍は各地で住民の抵抗運動に直面した。

 日本軍が東南アジア植民地から欧米勢力を排除したことは、結果として、旧宗主国の [第二次世界大] 戦後の復帰を困難にし、植民地独立の条件の一つをつくりだした。