IT経済学生論集2001』の刊行に当たって

 

駒澤大学 経済学部

小林 正人

 

 このゼミ論文集は、駒澤大学経済学部小林ゼミナールの3年生ゼミ(演習II)の諸君が、これまでの1年半のゼミ活動の成果をまとめたものである。

 このゼミが始まったのは20004月であった。私が赴任したばかりだったためゼミ生募集は4月になったが、「コンピューター・ビジネスの歴史と現状」というテーマのもとに18名の多士多彩な諸君が集まった。そして水曜日の1時間目、教室は5階という“困難”にもかかわらず、彼らは眠い目をこすりながら出席してきたのである。

 ゼミはインターネットに関する新聞記事をめぐる議論から始めた。一つの新聞記事からどんな情報を読み取るか、みんなをおおいに刺激したつもりである。それから村井純『インターネットII』を取り上げることになり、4つのグループに分かれて発表した。途中でIT革命やインターネットの歴史に関するビデオも見せた。

 夏の課題には、各ゼミ生が「インターネット(IT、電子商取引を含む)に関連する文献」を選んで読むことを課し、後期には全員がそれぞれの文献の内容を発表した。当時は中谷巌『eエコノミーの衝撃』を選んだ諸君が多かったが、ソニーやiモード、ITバブル、池田信夫氏の著作なども取り上げられた。また自分のインターネット・ビジネスの経験をまとめた猛者もいた。

 後期からは「ゼミ日誌」を始めた。ゼミにおける議論をゼミ生が回り持ちで記録してWebに掲示するのである。ゼミ日誌の継続は私の長い間の念願であり、今も続いている。また12月にはPC教場を臨時に確保し、多くのゼミ生が自分のホームページを開設した。

 3月には逗子で合宿を行なった。『週刊東洋経済』、『エコノミスト』、『世界』のITないしインターネットに関する特集号を3つのチームが分担して発表することにした。合宿所の会議室で各チームとも充実した発表を行ない、ゼミらしいゼミとなった。

 2001年度になり、新しいゼミ生が4人加わった。またPC教場でゼミができるようになった。外部の無料ホームページのサイトを利用してゼミ生のホームページを一般公開することを始めた。さらに各チームから選ばれた幹事が幹事会を毎週開いてゼミの方針を話し合った。

 5月のゼミでは、3月の合宿で使った特集号を別のチームが別の角度から取り上げて発表した。また6月には各チームが独自に文献を決めて発表することにした。詳細はゼミ日誌に掲示されている。また、この時期のゼミの写真が『駒澤大学学園通信』240号に掲載された。

 以上の取り組みの結果、かなりの量の資料が集められた。忘れてしまわないうちに、というわけで、これまでの学習をゼミ論文集としてまとめることとし、この『IT経済学生論集2001』を創刊したのである。このような論文集の編集の経験を、就職活動や卒業論文集の編集に生かしてほしい。またこれをきっかけに、3年生の後期には論文集を発行することが伝統になってもらいたい。

 

 さて、以上のゼミ活動の期間は、アメリカにおけるITバブルの崩壊過程と重なった。それまでは最新のビジネス・モデルと言われた新興のネット企業がいくつも倒産した。さらに9月のテロ事件の追い討ちもあり、アメリカ市場に依存してきた日本のIT企業も苦境に立たされている。しかし企業と経済社会においてITあるいはインターネットがいっそう浸透し、企業活動のあり方や仕事の進め方を変革するという意味でのIT革命はこれからも進む。19世紀の産業革命は周期的な恐慌をくぐりぬけながら進展し、手工業を駆逐しながら機械制工場生産という生産形態を確立した。20世紀初頭のアメリカには数十社の自動車会社が存在したが、倒産や合併をへてビッグ・スリーに集約された。資本主義経済の歴史は創造的破壊の歴史である。ITバブルは崩壊したがIT革命は進行する。この過程で何が生み出され、何が変革されるのかを見定めるには絶好の機会でもある。

 わがゼミ生諸君は、この同時史的な過程で現実を学んできた。彼らの論文の中には、楽観的な論調が含まれているかもしれないが、彼ら自身がこれからの調査の中でそれを見極めていくであろう。この世代の諸君こそ、今日の閉塞した日本経済を打開する担い手である。彼らには多くの試行錯誤の体験こそ必要である。そのための思考訓練(シミュレーション)のたたき台になることこそ、このゼミ論集がもつべき意義である。

 

 最後に、IT革命と日本経済との関係について2つのことを書きとめておきたい。

 一つはIT革命の定義についてである。IT革命を、アメリカで生じたような多数のネット・ベンチャー企業の起業ブームとみなす思潮があったが、こうしたバブル現象ならば崩壊するのは時間の問題である。この現象は「ITバブル」と呼ぶべきである。つい最近まで日本でも第3のベンチャー企業ブームが始まったと言われ、アメリカ的な起業ブームを日本経済の「救世主」として期待する学者もいた。しかし、日本の金融機関の担保主義は根強く、不良債権処理という大きな障害も横たわっており、個人投資家の大量出現も不透明である。しかも日本の大企業がそれなりのIT装備を整えており、新興のベンチャー企業がその間隙をつく余地は以前よりは狭くなったかもしれない。従って、アメリカのようなITバブルが日本で発生することは、当分のあいだは考えにくい。しかし企業と経済社会のインターネット化という意味でのIT革命は今後も進展しつづけるだろう。

 もう一つの問題は日本的経営(とくに日本的雇用慣行)に対するIT革命の影響である。たとえば「日本的経営がIT革命を阻害する」という論調がある。この論調は、これまで雇用を維持する役割を果たしてきたとされる終身雇用制などの日本的雇用慣行は、IT革命の進展を「妨害」する要因としてなくすべきだという議論につながる。しかしこのような論調は、雇用を重視する立場からIT革命への危惧を生み出している。

 雇用問題は慎重に扱わなければならない。と同時に、ITを利用した新しいビジネスモデルをあみだした企業が、既存の有名企業を脅かすという現象が起こりうることも想定しなければならない。「企業と事業の興廃」は資本主義経済の常であるが、IT革命はそのスピードをいっそう速めたのである。この意味でのIT革命の中で、「終身雇用」を唱えてきた企業が競争力を失って存亡の危機に立つことも起こりうる。従って今日の勤労者は自分の生活設計を、勤務先の企業の永続を前提に立てることはできなくなっている。そのため勤労者は、勤務先の企業だけに通用する能力にとどまらず、いわば「いつでも転職できる能力」を身に付けることが必要になっている。しかし日本の現状では転職は勤労者に不利益が大きい。また社会的に通用する能力を養成するのに必要な公的な教育体制や訓練制度はまだ不十分である。これらを改善した上でIT革命をすすめるべきだというのが私の規範的な主張である。しかし資本主義経済のIT革命はそれを待ってはくれないだろうということも、同時に言わざるをえないのである。

 現在所属している企業の永続に頼れないとすれば、そしてグローバル・ネットワークの時代の仕事にはその時々で最適な人材を組み合わせることが必要だとすれば、人材の企業間移動、そのための能力養成の公的保障、転職を不利としない社会保障システム、そしてそれらにふさわしい労使関係と労働組合システムを作り出すことであろう。高失業率時代の日本であるが、それはむしろこれまでの日本的労使慣行の機能不全の結果でもある。その機能回復を待つのか、それともシステムの転換なのか、閉塞を打開する道の選択が迫られているようだ。

 

20011127日、更新