三宅島帰島支援ボランティアに行ってみて
2005年6月4日−7日

駒澤大学 経済学部 商学科
3年 鈴木淳也


 出発日は6月4日。竹芝桟橋から「さるびあ丸」に乗り、夜10時30分出航。風下の港に着くということなので、錆が浜港か三池港かは到着するまではわからなかったが、翌朝5時10分に三宅島の錆が浜港に到着。風下なのでガスマスクの準備をしていたが、そこまで臭いはしなかった。多少の船酔いはあったが体調は良好。眠気を除けば(笑)。
 その日の午前中から作業である。最初に行ったのは阿古地区。すでにカヤはきれいに刈ってあり、その他もきれいに見えた。作業は除灰作業と聞いていたので、どこの除灰をするのかという感じであった。すると、みなさんがクワやつるはしなどで地面を掘り始めたのである。そう、私が土と思っていたところは火山灰だったのだ。掘っていてビックリしたのは、火山灰が岩のように硬かったということだ。4年以上も放置しておくと雨風に吹かれたりして、固まっていくらしい。火山灰と聞いてフワフワとしたものを想像していたが、全然違った。船で来ているし疲れているということから、午後はミーティングだけでオフになった。
 二日目の作業も除灰作業だった。二日目は神着地区であった。一日目と違い粘土質の火山灰だった。地域によって違いがあるとは聞いていたが、ここまで違うとは思わなかった。作業内容は玄関や表に積もったものを取り除くことである。体中が筋肉痛になったが、ありがとうと言われるたびに、元気が出た。ボランティアの入れ代わりが激しく、三宅島に来て二日目なのに、リーダー格になっており、一番年下だった私たちは少し困った(笑)。だが、余裕も出てきたので作業する家のおばあちゃんとも話すようになった。おばあちゃんは今は一人暮らしをしていて、今回の噴火は4回目の経験だそうだ。他にも三宅島のことをたくさんきくことができた。家の前の道路は明治何年の噴火のときの溶岩なんだよとか、前の噴火のときはここは被害がなかったんだけどねとか、避難先の東京での生活とか、もちろん今回の噴火のことも。三宅島のことを何も知らないで来た私にとっては、ものすごく勉強になったし、やっぱり何も知らないまま作業をするのと、三宅島のことを知って作業するのではやる気が違った。
 三日目は二日目と同じお宅で、昨日の作業の続きだった。二日目の段階で、玄関付近と表は綺麗に除灰することができたので、今日の作業は排水の道を作るのと裏の除廃作業であった。裏はとてもひどく、火山灰の中を竹の根っ子が伸びており、なかなか掘り起こすのが難しかった。その日は、お風呂の駐車場から富士山が見えていたそうだ。年に何回かしか見られないらしいので、ぜひ見てみたかった。
 四日目は、おばあちゃんとの交流。村営住宅に引っ越したおばあちゃんの片づけを手伝ったのだが、作業も早く終わり、午前中はずっとお話をしていた。午後からは違うところでカヤ刈り作業を行った。

 ここで少し三宅島のことを紹介しよう。三宅島は東京の南約200km、伊豆七島の一つで、大島の東側にある。直径約9kmの円形をなし、面積55.1平方kmの火山島。雄山(813.9m)は、島の中央部にあって、周辺にはいくつもの噴火口があり、水蒸気が噴出する。1085年以来、16回の大噴火が起きている。山頂以外に山腹や海底まで、裂け目が出来て噴火が起きる地質で、たびたび大きな被害を出してきた。最近では1983年に阿古地区の大部分が溶岩流で埋まり、2000年8月の大噴火後の9月1日には全島民に避難が勧告され、2000年6月26日活動が始まり、9月2日に全島民の島外避難。三宅島には、雄山という活火山があるが、伊豆七島は活火山の中にできているので、御蔵島以外はみんな活火山を持っているそうだ。
 三宅島は江戸時代には流刑の島となり、約1400もの人が流されている。三宅島は窃盗などの軽い罪の人が、八丈島は殺人などの重い罪の人が流されていたみたいだ。
 三宅島は高齢化率が60%を超えるという問題を抱えている。なぜそのようなことが起こるかというと、若い人は避難先で就職をしたり、就学しているため、三宅島に帰るのも困難らしい。お年寄りだけが帰島するため高齢化が進んだらしい。ここまで高齢化が進むと、除灰や引越しなどの力作業は困難である。そうなるとボランティアなどの若い力が必要である。

 台風の接近により一日早く帰ってきたが、とても充実した日々を過ごせたので、もっとここにいて作業を手伝いたいと思うほどだった。
 今回の体験を通して、ボランティアとは何なのかということを学んだ。ボランティアとは100%の善意で行われているものだという人もいるかもしれない。『広辞苑』にも「奉仕者、自ら進んで社会事業などに無償で参加する人」とある。しかし、ボランティアの本質とは人との出会いではないだろうか。人との出会いは人々をむすびつける、それは個人と社会をつなげる実際的な方法であり、つまり社会とのつながりを、自分をいかすことの中で現実することと言える。年齢や性別に関係なく幅広い層の人がボランティアとして集まる。そういう人との交流を通じて、たくさんの知識を手に入れることができる。そして、ボランティアが終了した後も、知り合った人とは交流があるし、また他のボランティアであうかもしれない。そして、ボランティアに行った先の地元の人との交流で、そこの土地のことを知ることができるし、自分が今まで体験したことがないことを体験することができる。そういうふうに今まで体験したことのないことを経験して人間は大きくなれる。この体験を通して、私はひとまわりもふたまわりも大きくなることができた。
 

 6月26日に開かれた三宅島帰島支援ボランティア活動中間報告会についても報告したいと思います。

三宅島災害・東京ボランティア支援センター帰島支援事業実績
2005年6月15日現在

 活動期間:2005年2月2日−6月15日(134日間)
 活動人員:ボランティア活動参加者    881名
      ボランティア活動のべ活動人員 4429名

対応ニーズ:622件
 引越し時サポートニーズ           71件
 生活環境サポートニーズ          551件
 除灰作業ニーズ               98件
 カヤ・竹・草刈作業ニーズ         210件
 家屋内外清掃作業ニーズ(廃家財搬出作業含む) 178件
 その他作業ニーズ              65件

研修修了者数:全20回の研修で1081名が研修を終了されました

(三宅島帰島支援ボランティア活動中間報告会資料より抜粋)