2005年11月1日
第1部 同質的競争と差別化競争の繰返しパターン
第1章 家庭用VTR
発表 C班
VTRという製品
・番組を収録するという放送業界のニーズにこたえることから開発が出発
・最終的に家庭用市場への浸透を達成
1956年 アメリカ、アンペックス社
アンペックス式VTR 価格約2500万、容積タンス2棹分
世界各国の放送局により番組収録のため用いられる。
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VTRの開発に着手した日本企業、ソニー
1961年以降から製品の低廉化と新市場の開拓を試みる。
VTRは不確実性が高かった。 →リスク
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ソニー PV-100を開発、市販(1962年9月~1963年7月)
アンペックス式VTRに対し価格で10分の1、容積で50分の1
放送用以外の用途でVTRが用いられる契機となる。
→低廉化と新市場の開拓(教育市場)
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ソニー CV-2000を開発、市販(1964年11月~1965年4月)
アンペックス式VTRに対し価格で100分の1、容積で100分の1
世界で初めて「家庭用」という名称
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日本の他のメーカー(松下、日本ビクター、東芝)
ソニーの行動に対し、模倣・改善行動をとる。
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日本メーカーは、最終的に家庭用を志向して、1960年代前半から同質的競争
この時点でファースト・ムーバーはソニー
ここまで価格の低廉化と容積の縮小での同質的競争
対象マーケット=ソニー自らが開拓した教育用市場と業務用市場
各社製品間で互換性が無かったためにVTRの規格統一(オープン・リール式)を要望される。
同質的競争パターンに変化を与える契機となる。
1969年 日本の各VTRメーカー パッケージ式VTRの開発へ着手
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1970年3月 ソニー
「世界普及のために、方式・規格の統一をしなくては」という意図から自社の規格である「U規格」の業界統一を松下および日本ビクターへ呼びかける。
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1970年12月 松下、日本ビクター
自社独自で開発していたパッケージ式VTRの商品化を見合わせ、規格統一に同意。
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ソニー テープ・パッケージ化を契機にビデオソフト利用による家庭用市場へのVTR供給を試みる。
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ビデオソフトビジネス不調
ビデオソフトの製作コスト10分あたり100万円
VTR開発戦略へ影響を与える。
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松下 教育市場への供給ルートを確保しつつ、家庭用市場への浸透を図る戦略
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松下とビクター
VTRの家庭用への浸透のカギはビデオソフトではなく、むしろテレビ番組の録画であったことをあらためて自覚。ソニーに先駆けて録画機能を標準装備したU規格製品を発売。
差別化競争
ソニー 1972年2月
「最近のスポーツ、芸術、音楽番組などをじっくりとみていると、ずいぶん録画してみたいというよい番組があることに気付いた」 録画機能を追加した機種VO-1700を発売。
松下、日本ビクターを追随した同質的競争
ファースト・ムーバーは?
しかしU規格製品 家庭用として浸透することに失敗。
テープ・パッケージ(カセット)および重量が大きい。価格が高い。
1973年4月 松下 オートビジョン発売
U規格製品の不振が決定的であったため。
しかし失敗
U規格製品は最大60分の録画・再生時間を備えていたのに対し、オートビジョンは最大30分であった。
1975年5月 ソニー 「ベータマックス」(ベータ方式のVTR)を発売
Uマチックの低価格化、およびカセットの小型化
松下と日本ビクターに対し、製品および技術の公開によるベータ方式での規格統一を働きかけていたが、両者から積極的な回答得られず。
1976年9月 日本ビクター 「VHS」方式を発表
ベータとVHSの間における大きな相違点は録画・再生時間であった。
ベータ 対 VHS 規格間競争
結果VHS勝利
日本の各企業 再び同質的競争へ