湯本 裕章 2006620

 

塚本 潔 『ドコモとau』光文社新書 2004

 

1章 DDIの混乱

l         auには「ドコモと同じことはやりたくない。やるなら先にやる」という強い気持ちがある。

  ・日本電電公社の独占体制に風穴を開けてやると第二電電企画株式会社(DDI)設立。

・トヨタという伏兵の登場。

     DDIKDDIDOと合併し、KDDIが誕生。

     モトローラと手を組む。

     マイクロソフト、インテルと並ぶ超高収益企業のクアルコムと手を組む。

 

 

2章 ドコモの危機感

l         KDDIはクアルコムと手を組み競争力を増加。ドコモは自社技術による独自路線で成長を目指した。

     国内シェアを盤石にしたiモードが登場。

     音声通信の収益はピークに達すると見て、データ使用量を増加。

     iモードは本丸ではなく、本当は第三世代携帯電話のFOMAであった。

 

l         通信の世界もグローバル化し、イギリスのボーダフォンはヨーロッパを中心に、国境を越えて加入者を増加。

     ボーダフォンがアジアでも同じことをやるのは明らかで、ドコモは早く国際化路線

に踏み切る必要性に迫られた。

     国際化の一環として、海外のキャリアに多額の投資。

     iモードの成功でモバイルインターネットの将来性を認識し、そこで得たノウハウを世界に広げるというのが投資の基本。

     テレコムバブルの崩壊で国際展開は軌道修正を迫られた。

 

 

3章 ドコモのつまずき

l         FOMAのサービス開始直前に、ソフトウェアにバグが発生し、本格サービス開始に遅れ。

     電波が突然切れたり、デバグをしてもバグが潰せない、バッテリーの持ちが悪いと

いった問題が発生。

     WCDMAが国際標準化していく過程で仕様がかなり変わったことが原因。

     iモードの予想外の成長がFOMAのサービス開始後の問題。

 

 

l         FOMAは使えないというイメージを払拭するために、改良を実施。

     バッテリーがすぐ切れるのは、チップレートの速さ、3倍速い処理能力が原因。

     もっとも苦しんだのは、ソフトの開発。

     松下とNECが協力し、FOMAのアーキテクチャーの共同規定及びアプリケーション・ソフトウェア等の共同開発。

 

 

4章 auの「どん底」と復活

l         auJ‐フォン(当時)の後塵を拝していた。

     EZウェブの失敗。

     iモードよりも2ヶ月遅れて開始した上に、パケット方式を導入できず、代わりに回線交換方式を導入。

     9ヶ月遅れでパケットデータ通信サービス開始。

     インフラ主導型をアピールするも、EZウェブのコンテンツを用意してなっかた。

 

l         auに勢いをつけた「家族割」と「着うた」サービスの開始。

     「着うた」は外部のアイデアから誕生。

     レコード会社が連合し、「レーベルモバイル」を設立。

     EZムービーに注目し、「着うた」を作った。

 

 

 

 

今ではFOMAは何も問題なく使えているが、裏ではものすごい苦労の末に完成させたというのがわかる。auはまったくゼロのとこから今のauにするのに色々な努力があった。これからも進化し続けるであろう携帯に注目していきたい。