フランス・プロヴァンス大学に留学させていただくことになり、早1年、そして実際に現地に渡り、気がつけば6ヶ月近くが過ぎようとしている。率直な気持ちを表現すると、「光陰矢のごとし」という言葉の通り、とにかく「早い」の一言である。ただこの半期、非常に濃い密度を伴い、送ることができたと私は考える。幸運にも(と私は捉えている)、様々な「フランス」に出会えたことは、何にも代えがたい経験となった。以下、それらの経験を、学生、さらには日常生活面と交え、記していくことにする。
① ストライキと大学

まず、2007年を象徴する出来事として、La loi Pécreuse に対する反対運動がある。おそらく日本でも、パリでの動きを中心に報道されていたであろう。この法の改正は、ひとつ、大学組織の私学化を目的としている。要は、一般企業等の後援を大学に導入し、この国立の教育機関をより職業に結びつけた実践的な場にしていくことで、問題となっている失業率の増加に歯止めをかけようということである。その結果どうなるか。代償として、学費の増加、直接的に企業と結びつきづらいと考えられる学問分野、例えば文学部の縮小などを引き起こすことになる。それゆえ、特に文学部学生、ないしは文化領域に携わっている教授の一部を中心に、自分らの大学で抗議活動が試みられたのであった。
Aix en Provence においても、学生が建物のすべての入り口にバリケードを張り、自ら大学を閉鎖するという行為に至っている。そして、デモや授業を再開するか否かの投票が、たびたび行われた。また、この時期に他のストライキ、特に南ではMarseilleでのものが大きかったが、それらと同調し、必要以上に過熱したのが、長期化したひとつの原因のように考えられる。私自身、大学での演説を聞き、投票も行い、さらにはMarseilleにも現地の友人らと足を運び、街を練り歩いた。現地人の行動にあわせることにより、より彼らの文化を理解できると考えるからである。確かに、机の上での作業も大切である。しかし、自分の身をじかに動きの中に置いてみることでしか感じ取れないこともあるのだ。
実際、一連の活動は、私に様々なことを考えさせてくれた。ひとつは、自分の意見を何かしらの形で表明することの重要性。そのためには、常に考え、物事に関心を持っていなければならない。日本では「無関心」という言葉が若者を中心に当てはめられているように、「考える」という行動が宙にういている部分がある。したがって、意思も曖昧なままで済んでしまうことが多い。時と場合を考慮する必要はもちろんあるが、節目に態度をはっきり示す、そのために日々、自ら様々な事情にアンテナを張っていくことが必要であると、改めて意識させられた。その反面、現実にとられた行動自体に多大な意味があるか、というと、そうでもないように感じた。単にお祭り騒ぎとなっているような部分があったからである。文学部生ではないが、若者が街中のショウ・ウィンドウを壊し、叫び、それに対し警察の機動隊が出動したこともあった。また、大学生にしてみても、校舎を閉鎖するということは、教育を受ける権利を放棄しているに過ぎない、とも受け取ることができる。友人らとの会話でよくストライキの話題になったが、彼らの多くは法律反対、同じく閉鎖反対と言っていた。理由は先述の通りである。
さらに、授業日程が過密になり、後々の対応が大変になる。当大学においても、1月末まで授業が食い込み、その翌週からすぐさま試験が開始された。それゆえ、最後まで終えることができなかった授業に関しては、補習プリントが配られたりしたため、現地学生のかなり必死に勉強している姿が目に付いた。もちろん私を含めた留学生も大きな影響を受けたことは言うまでもない。私自身、期間1週間前あたりからは毎日徹夜であった。
このように、非常に余裕のない前期ではあったが、一方で、有意義な経験をすることができた時間であったことは間違いない。私としては、このストライキに関し、留学期間における「フランスらしい」ものとして前向きな要素として捉えている。
② 学習の様子

さて、ストライキに関連し、試験の様子は少し述べることができた。ここでは、授業の一般的な様子と普段の学習について触れてみたい。
前期、私は、歴史、美術史、そして留学生向けのフランス語を履修した。美術史に関しては、大学側からかなりの難易度があると事前に指摘されていたが、実際にレヴェルの高さを感じさせられた。他の科目でも授業外での勉強は絶対に必要である。というより、当たり前である(と私は考えている)。ただ、この1大文化の領域については、この割合がはるかに大きい。授業は基本的に学生のプレゼンテーションが多く、留学生に対しても、少なくともレポートが課されることが多い。それゆえ、必然的に資料に当たる必要性が出てくる。その上、場合により美術館に足を運ぶことも必要となるので、多大な時間を割く必要が出てくるのである。私も、大学の閉鎖中は、2つのレポートに拘束されていた。しかし、当初の目的として、より厳しい環境に身を置きたいということがあったので、個人的にはモチヴェーションを保ちながら、積極的に取り組めたと考えている。また、理解面で、日本語での内容把握はできていることから、多くは語学力的な問題であると感じる。もちろん結果が求められるということは理解しているが、後期も進んで挑戦していきたい。
一方、その問題となっているフランス語の面であるが、現地に到着以来、自分なりの方法で上達するよう努めてきた。授業は授業でしかないため、いかにそれ以外の時間でフランス語に触れられるかである。私の性格が幸いしてか(友人いわく、日本人的な性格をしていないという)、多くの仲間に恵まれることができ、ほとんどの時間をフランス人と過ごすことができている。周りの留学生から比較しても、明らかに語学力が劣っていることは自覚しているので、誰よりも多くの時間、フランス語を使おうと考えて行動してきた。それゆえこの環境は本当にありがたく、感謝の気持ちでいっぱいである。
その学習方法について、私は常に小さなノートを持ち歩き、生のフランス語をメモしながら、何度も読み返し、頭に残すようにしている。これは友人に恵まれたからできていることであり、繰り返しとなるが、彼らには本当に感謝している。また寮の部屋には、壁一面に調べた単語や表現を書いた紙を貼り付け、フランス語で考えられるような環境をつくるよう心がけている。常にラジオをかけているのも同じ理由である。しかし、前期を振り返ると、もう少し文章を読む時間、そして文法等を見直す時間が必要であると感じる。なぜなら、まだ表現の幅が狭く、考えたことがうまく伝えられないことが多いため、さらに語彙を増やし、的確な言葉で情報を発信できるようにしなければならないと考えるからである。確かに、友人・知人には、当初よりもはるかに上達しているといわれることが最近多くなってきた。だが、自分自身でまだ実感できるまでに至っていないのが現状である。後期は、さらにもうひとつ壁を乗り越えられるよう努力したい。
③ ヴァカンスにおいて
最後に、日常生活についてである。ここではヴァカンスでの経験と絡めながら述べていくことにする。
普段は、学生寮で生活している私だが、クリスマスのヴァカンス中、幸運にもフランス人の友人宅で過ごすことができた。彼の家は、Nimeから少し離れた小さな村にあった。小さなTabac兼食料品店が一軒ある以外は、目立ったお店もない小さな中世以来の村である。時折、猟の銃声が山で聞こえ、時間を知らせる教会の鐘が鳴る。また、友人の家は昔ながらの暖炉があり、そこに刻まれた家屋の製作年は18世紀末。まず、時代を遡ったような不思議な感覚に浸ったことを覚えている。まるで絵画の世界に入ったようであった。
友人とその幼馴染とは、車に乗り合わせ、岩山と草原しかないところに出かけ、野生のハーブをくわえながらとりとめもない話をし、また別の日には、村の仲間と集まってパーティーをして過ごした。友人宅では、薪割などの手伝いも積極的に行った。このように、旅行ガイドには載っていないような場所でフランス的な日常生活をできたことは、とても有意義なものであった。
そして、クリスマスと年末年始である。フランスでは、基本的に前者は家族と、後者は
友人らと過ごすことが慣習となっている。実際、クリスマスには友人の親戚らが集まり、皆でプレゼントを買いに出かけ、夕食のための準備を行った。私も彼の母親から教わりながら料理をし、親戚の方々にクリスマスの様子について話を聞きつつ飾り付けを手伝っていた。食後には、全員でプレゼント交換を行い、突然お邪魔させていただいたにもかかわらず私も様々なものをいただいた。日本では、どこか他人に無関心なところがあるように思うが、この家族ないしはコミュニティーの親密さは、羨ましく思うと同時に暖かくていいものだと感じた。一方、年末年始は先述の通りである。ここでも友人とともに料理をし、村の仲間同士で様々なものを持ち寄り、1月1日の朝まで皆で楽しい時間を過ごした。
寮では一人暮らしと似たようなものであり、フランス語には触れられるが、フランス文化に接することはさほど多くはない。また、旅行でも、雰囲気は味わえるが、深く文化に入り込めるかというとなかなか難しいように思える。そのような意味で、フランスの家庭でまさに「フランス的」な生活が送れたことは、この国に滞在していることを活かした素晴らしい経験であったと考える。
オーストラリア・クィーンズランド大学 文学部 英米文学科 雑賀 菜月 さん