日中農村地理学研究室 ≫ 高橋のプロフィール
日中農村地理学研究室の運営者:
高橋健太郎 ( Takahashi Kentaro )
・駒澤大学に登録したプロフィール:◆
・科学技術振興機構のReaD(研究開発支援総合ディレクトリ)に登録したプロフィール:◆
(2009.1.3.作成)
1973年,埼玉県上尾市生まれ。親の転勤にともない,上尾市,神奈川県川崎市,北海道札幌市にて,小学校3校と中学校2校に通う。はっきりとした自覚はないが,このように子どもの頃にいくつかの地域に住み,日本国内でも人々の生活や考え方の地域的な差異が大きいということを知ったことが,その後,旅を趣味とし,また地理学を学ぶようになったきっかけだと思う。
1993年,早稲田大学2年生の時に,大阪港より鑑真号に乗って,初めて中国を訪れる。中国の人々の力強さに圧倒されるとともに,地域や社会階層による経済格差の大きさに驚く。
1994-1996年,大学のゼミにて,長野県,青森県,沖縄県の農山村を訪れ,日本にも,それまで知らなかった暮らしがあることを知る。
1996-1997年,日本か中国か,または他の国か,卒業論文の調査地域をどこにするか迷ったが,張承志『回教から見た中国』(中公新書,1993年)の印象が深かったこともあり,結局,中国寧夏回族自治区にて回族の生活や居住分布などを調べ,卒業論文を書く。
駒澤大学大学院修士課程に進学後,中国,特に西北地方に通うようになる。1998-1999年,寧夏回族自治区銀川市にある寧夏社会科学院に1年間留学。寧夏回族自治区の農村にてフィールドワークをして,中華民国・中華人民共和国期における回族地域社会の変化や漢族との社会関係などを調べて,修士論文を書く。
長期のフィールドワークは,仙人と一緒で,「かすみ」を食べて日々をすごすようなものだということを知る。つまり,調査が前進しているという手応えが毎日あるわけではなく,重要なのかどうかよくわからない世間話のような情報を集めているうちに日が経ってしまう。長期のフィールドワークをやったことがある方なら,この感覚をわかってもらえるのではないか。
学部とは別の学校に移ったこともあり,また留学したこともあり,大学院在学中は,日本と中国の両方で多くの先生や知人,友人にお世話になった。ありがたいことである。
2000年,文系で大学院博士後期課程にまで進学すると,もう後戻りできなくなった。海外研究ということもあり,論文の数がなかなか増えないが,学会や研究会で研究発表をしたりして,自分なりに勉強を進めた。
2001年,もう一度中国に留学しようと準備を進めていた矢先,「今からでも留学の予定は取り消せるのか,実はな,・・・・・・」という恩師からの電話を受け,母校・早稲田大学の助手になることができた。
2年間の助手兼大学院生時代は,仕事をこなしているうちに,あっという間にすぎてしまった。先生方の補助として,山梨県,長野県,静岡県などの農山村を回ることができ,貴重な経験をした。ゼミ合宿の運営から農村調査の方法まで,そこで覚えたことは今でも財産になっている。
2002年,中国での農村調査中,家族よりメールで連絡を受ける。いわく,教員採用のための面接をしたいのでいついつまでに日本に戻れるかと問い合わせがあったらしい。急ぎ日本に戻り面接を受けたところ,ありがたいことに評価していただいた。こうして,もう一つの母校・駒澤大学の教員になることができたのであった。
2003年より,駒澤大学文学部地理学科にて授業をはじめる。早稲田大学教育学部でも非常勤講師として授業を担当する。最初の3か月だけで,「ベルトの穴」2つ分やせた。
授業をはじめて2年間は,毎週の授業とその他の業務の締め切りが果てしなく続くように感じ,右往左往しているうちにすぎてしまった。あまりに研究活動から遠ざかっていたので,ふと気がつくと,論文の書き方をすっかり忘れた自分がいた。それでも,何とか,書評は毎年書いた。
3年目以降も授業は試行錯誤の連続であることには変わりないが,2005年から,精神的にも時間的にも,中国に調査に行く余裕が出てきた。「石の上にも三年」とはよくいったものである。
2005年,人文地理学と中国ムスリム研究の二つの科研費プロジェクトに加えていただき,中国に調査に行ったり,日本で研究集会を開いたり,研究報告書を作成したり,と研究活動に関与することができた。自分の研究が進められるだけではなく,プロジェクトの先生方からいろいろなことを学ばせてもらい,貴重な時間をすごした。
2008年3月,遅れに遅れ,やっとのことで書き上げた博士論文『中国農村における回族の地域社会の研究―空間論的アプローチ―』により,駒澤大学より博士(地理学)の学位を授与された。主査・副査の先生方と中国でお世話になった方々には,感謝の念が尽きない。ただし,自分の研究の「浅さ」について考えるとキリがない。これをきっかけとしてさらに精進を,と自分を鼓舞したい。
2008年4月〜2009年3月の1年間,在外研究として,中国寧夏社会科学院に留学。10年を経て,同じところに再び1年間留学ということになる。
高橋の教育や研究上のできごとのなかで印象深かったことを,年度ごとにまとめています。
これまでの「10のできごと」の記録:◆
1.博士の学位を授与される(2008年3月)
博士論文『中国農村における回族の地域社会の研究―空間論的アプローチ―』を提出し,駒澤大学より博士(地理学)の学位を授与された。この学位授与をよいきっかけとして,さらに精進したい。
ちなみに,図らずも学士,修士,博士ともに「地理学」の学位を取得したことになる。地理学の学位を発行できる大学は限られているので,どうやらこれは珍しいことだということに,後になって気がついた。もっとも,論文の内容が大事なのであって,学位が「何学」なのかということは些末なことであるが。
2.中国寧夏にて日中共同調査を実施(8月)
石原潤先生(奈良大学)を研究代表者とする科研プロジェクトで,中国にて日中共同調査を行なった。調査地域が私が通っている寧夏回族自治区であったことから,日中間の連絡役を拝命した。寧夏社会科学院の協力を得て,それなりに充実した調査を行なうことができた。共同調査の手配をしながら自分の調査を進める難しさを知った。
3.中国ムスリム関係のシンポジウムを開催(11月)
中国ムスリム研究の科研プロジェクトの一環として,中国から招へいした研究者も交えて,「移動する中国ムスリム─ヒトと知識と経済を結ぶネットワーク─」(早稲田大学国際会議場,2007年11月25日)というシンポジウムを開催した。私は,中国語資料の翻訳,シンポジウム論文集や配付資料の編集と印刷,会場設営,当日のコメンテーターなどの任務をこなした。シンポジウムは予想以上の盛況で,長い時間かけて準備をしたこともあり,スタッフの一員として非常にうれしかった。
シンポジウム当日,プロの日中同時通訳の仕事ぶりを目の当たりにして,そのタフさに驚いた。発表者の何気ない冗談を通訳が訳すのを怠った時,通訳会社の監督者が,通訳が入っているブースのドアをものすごい勢いでたたいた。発表レジュメに載っていない何気ない冗談や軽口をきちんと同時通訳できるかどうかが,プロの通訳者の「肝」というわけだ。
4.竹内啓一先生の教材についての資料記事を発表(2008年3月)
2005年度より続けている,恩師・竹内啓一先生の教育の取り組みを考える研究活動の一環として,「竹内啓一先生の教材(2)─人文地理学概論・前篇─」を『駒澤地理』44号に発表した。今回も,資料記事作成の過程で多くのことを学んだ。
5.甘粛調査の報告論文を発表(8月)
科研プロジェクトの一環として2006年夏に中国甘粛省酒泉市で行なったフィールドワークの報告論文「酒泉市粛州区におけるタマネギ生産の展開」を『甘粛省と酒泉オアシスの変容』(奈良大学文学部発行)に載せることができた。酒泉市での調査とその報告論文の執筆は,食料の生産や流通,消費をめぐる日本と中国のつながりについて考えるよい機会となった。
6.長野県飯山市にて調査を実施(6月)
6月4〜7日,「巡検」の授業の一環として,駒澤大学地理学科の学生20人とともに長野県飯山市を訪れた。市役所や農家,グリーンツーリズム施設などを訪問し,資料収集と聞き取りを行なった。現地の方々から多大な協力を得て,また参加学生が熱心で,よい雰囲気のなかで充実したフィールドワークを行なうことができた。毎年このようなフィールドワークを行ないたいものである。なお,私が担当したこの回が,駒澤大学地理学科の「巡検」という授業の最終回となった。2008年度からは「地域調査入門」と名称が変わり,内容も多少変わる。
7.4年ゼミ生が21人と多数(通年)
4年ゼミ生が21人と多く,ゼミ時間中の一人あたりの研究発表時間は短く,発表回数も少なくなってしまった。また,ゼミ生のなかから4人も留年者が出て,年度末に連絡や相談であわただしくなった。最終的には,しっかりとした卒業論文を仕上げた学生も出て,ホッとした。
8.文学部長補佐を務める(通年)
文学部長補佐として,会議進行の補助や議事録作成に励んだ。慣れない仕事で多々ミスをしたが,何とか1年間勤めることができた。大学という組織の運営は,さまざまな階層や部門の会議で成り立っているということを再認識した。
9.高校生に模擬授業を実施(10月)
オープンキャンパスにて,高校生とその父母に向けて模擬授業をした。30分間で,中国甘粛省におけるタマネギやジャガイモの生産と,食料供給をとおした中国と日本のつながりについて話した。すでに何回か模擬授業をやったことがあったのだが,今回は,大学の広報担当から「授業の全行程をビデオ撮影します」と事前通知を受けていて無意識に緊張したことと,その時期に仕事が重なって体調管理がうまくできていなかったことから,前日夜中に胃の具合が悪くなって,食べたものをすべて吐いてしまった。当日,体に力が入らなかったが,何とか会場まで行って,予定どおり模擬授業をこなした。後からビデオ映像をみると,軽くとはいえ,寝ぐせで髪がはねていた(嗚呼)。
10.奈良市にて講演(2008年3月)
2006年度に引き続き,科研プロジェクトの一環として,奈良市北部市民文化ホールにて奈良大学地理学会公開講座の講演をした。今年度の全体テーマは「中国のイスラム社会とイスラム文化―寧夏回族自治区の現地調査から―」で,私の講演題目は「回族のモスクと地域社会」であった。わかりやすさと専門性,さらに面白さのバランスをとって話すよい経験になった。
*これまでの「10のできごと」の記録:◆